自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

理想と現実~真に国民を大切にする政治はどこに?

2016-09-27 18:22:25 | 自然と人為

 「響かない理想」 (サンデーモーニング "風をよむ" 2016年9月25日 録画)は、オバマ大統領の理想が弱すぎたのか、これに反対する勢力が強すぎたのか。アメリカの政治にはリベラルや平等よりも、経済や軍事で世界を制覇しないと許されない土壌があるのかも知れない。
 我々はグローバル化とは人々が世界的に交流できる良き時代と思っているが、その背景には国家の枠組みを壊してまで輸出による収益を求める多国籍大企業と新自由主義がある。その上、アメリカの産軍複合体を支える政治力も強大だ。アメリカは大統領さえも「平等と平和」の為に政治力を発揮しようとすると「ケネディの暗殺」が待っている国かも知れない。それでも「決断と実行」がないと政治家じゃない、・・・それは現実が見えない私の強がりで、個人的には優しい彼が暗殺されないで良かったと思っている。

 ブッシュ大統領のイラク戦争の大失政とリーマン・ショック対策の7000億ドルもの金銭支援の後遺症の残る中、「オバマ大統領は Change Yes We Can! のスローガンを掲げて就任したが、再選後に行われた勝利演説で強く語られたのは、work、fight、jobという単語からも分かるように 『まだ成すべき仕事は終わっていない』 ということだった。」(セレゴ・ジャパン)
 参考: 「チェンジ」なき再選、オバマ辛勝の意味 2012年11月07日(水)17時18分
      イラク戦争とブッシュ大統領の信仰
      ブッシュ大統領がイラクでしたこと、アフガンでやったこと


 オバマ大統領の見識がアメリカの政治で力を発揮できなていないが、私には彼の見識とされる言葉にエリート臭は感じても「ど根性」がないと気になることがあった。彼はオサマ・ビンラディン暗殺をパキスタンに米海軍特殊部隊を侵入させて実行し、それを官邸?でスタッフと見守っていた。「9.11同時多発テロの報いが暗殺かよ」と、真偽は別にしても、 大統領が暗殺を見守っていたことは報道された事実なので、これが民主主義国家を自認するアメリカのすることかと疑問符もあった。ただ、こわばって緊張しているオバマ大統領の存在が小さく見えた報道写真が印象に残っている。また、初の広島訪問時も計画と実施のどこに問題があったのか、「あれっ!もう?」と思う程、原爆資料館の滞在は形だけに見えた。それに世界から核廃止をと言うなら、ロシアや中国との交渉をまず第一に優先して交渉の糸口を見つけるべきで、新型核兵器の開発予算を何故許可したのか。言葉と実践の乖離が大きすぎる。さらにTPPは国内消費よりは輸出、国民よりは多国籍大企業を優遇して景気を刺激しようとするもので、当初は消費者も含め労働者には利益が還元されないTPPをオバマ大統領は批判していたはずだ。
 参考: 核兵器開発を容認するオバマ大統領が広島を訪問するワケ 
      TPPの背後にある新自由主義とどう向き合うか(動画)
      オバマ新大統領と「打倒! 自由主義経済」
      オバマ氏当選の意味と課題~新自由・保守連合は終焉
      アベノミクスと日本経済の未来①  
      アベノミクス政治から国民のための政治経済へ
      「アベノミクス」の嘘と非知性的で不誠実な政治

 
 アメリカの政治は新自由主義経済と産軍複合体によって身動きがとれなくなっているにしても、安倍政権は何故、「核先制不使用」に反対し、国連の核兵器禁止条約にも賛同しないで、沖縄の声、国民の声を踏みにじるのか。
 アメリカに隷属しているから仕方がないと言っても、アメリカの民主党と共和党は対立している。戦後、日本を占領支配したGHQにおいてもGS(民生局=民主党)とGⅡ(情報治安局=共和党)の対立があり、その対立は日本の戦後の政治やメディアにおいても受け継がれ、アメリカの意向がどちらの意向なのか注意が必要である。

 A級戦犯容疑者であった岸信介がCIAを介して好戦的な共和党と繋がり無実で保釈され、岸を尊敬する安倍首相が反共的で好戦的な共和党と繋がっていることは容易に推察できる。共和党はアメリカ南部、中西部を中心とする古き良き強き時代を理想とする白人中心の政党であったが、米大統領選2016においてトランプ旋風が起きているように、アメリカ人は巨大政治資金で政治が動くことに怒っている

 日本も安倍政権の本質は、(エセ)保守主義と新自由主義の結合と言われているように、アベノミクスで輸出力ばかり考えて、高齢化と少子化で人口が減少し社会が劇的に変化する「縮小ニッポンの衝撃」(動画)や、必ず発生すると言われている関東大地震等への備えよりも2020年オリンピック真夏開催への不正を交えた準備に熱心で、この状態だと日本沈没も考えられる。安倍首相は軍事やアベノミクスに熱心で、真に国民を大切にする政治が期待できないとすれば、我々はどのようにして政治の力を国民主権に取り戻せるのだろうか。遠回りだけど他者を思う、利他的な言動の訓練から始める必要があろう。
 参考: 「日本人が知らない『二つのアメリカ』の世界戦略 / 深田 匠」
      【米大統領選2016】なぜアメリカ人はそんなに怒っているのか
      【報告書】「アメリカ政治の現状と課題」 - 21世紀政策研究所
      安倍晋三と書いて、新自由主義者と読む
      安倍政権の本質: 保守主義と新自由主義の結合
      改憲軍拡ゴング
      北朝鮮のような安倍賛美の光景に、超保守派からも批判
      安倍首相の所信表明演説、演説の原稿に「拍手」の文字!
      熊本地震と原発、オリンピック、東京の懸念を無視するバカの壁
      「赤信号、私が渡れば怖くない」~憲法の歯止めを首相自らが壊す政治的認知症
      自然の力とチームの力~地域を豊かにし次の世代に伝える


初稿 2016.9.27


何を大切に生きているのか?~政治家の見識を問う

2016-09-24 15:53:09 | 自然と人為

 「サンデーモーニング "風をよむ"」は学ぶことの多い良い番組だと思い、毎週録画、撮影してこのブログで紹介していたが「2016年 原爆の日」東京放送ホールディングスから著作権侵害とかでいきなり削除されてしまった。この番組を広く知っていただくためのブログをTBS側から著作権侵害で録画公開を拒否されるとはどういうことかと疑問と怒りがあったが、どうやら著名な方の原爆資料館訪問の映像に著作権があったようだ。この日の番組ではオバマ大統領以外にヘレンケラー、チェ・ゲバラ、カストロ、ダライ・ラマ、ヨハネ・パウロⅡ世、カーター、エリツィン、ゴルバチョフ、ワイツゼッカー等の広島原爆資料館訪問を知らせてくれている。この貴重な映像が著作権なのかもしれないとこの部分を削除したら問題ないようなので、この部分を削除して紹介しておきたい。「2016 原爆の日」(サンデーモーニング "風をよむ"2016/8/7)
 ただ、これを機会に「サンデーモーニング "風をよむ"」の紹介は中止したが、先週の「指導者の経済感覚」に続いて今週の「やられる前に・・・?」も紹介したい課題の参考になるので、これからは紹介したい課題に関連した番組として個別に紹介させていただくことにする。

 「8月15日 終戦の日」(サンデーモーニング "風をよむ"2016/8/14)では、「自らの戦争体験を語り、旅立った方たち。私たちはその思いをどう受け継いで行けば良いのでしょうか?」と問いかけている。
 大橋巨泉さん(82歳 2016年7月12日没)「戦争って狂気ですから、戦争になったらしてはいけないこと、しても良いこと、やったら褒められること、やったら叱られること、あるじゃあないですか、優先順位が。(それが)なくなっちゃうんですよ。(それより)戦争に勝つこと、敵を殺すことが第一になって、後はどうでもよくなっちゃう。だから戦争をしてはいけない。」
 永六輔さん(83歳 2016年7月7日没)「戦争中に『日本は勝つ勝つ』とずっと言っていましたよね、大本営が。国民はほぼみんな信用していた。『負けるわけがない、勝つんだ』というのを。情報というものをどう受け止めるかということを我々はもう一回学べなければいけないが、ぼくがいい例で忘れているんですよ。大事なことを。」
 秋山ちえ子さん(99歳 2016年4月6日没)「かわいそうなぞう」の朗読
 「ワンリーもトンキーも おたがいに ぐったりとした からだを
  もたれあって げいとうを はじめたのです。 げいとうを すれば
  むかしのように えさがもらえると おもって よろけながら
  いっしょうけんめいです。」

 「サンデーモーニング」は、反日・偏向番組だとネトウヨ?から何故か批判されている。大橋巨泉、永六輔、秋山ちえ子さんの言動を遺言として紹介しているこの番組のどこが偏向なのか根拠を示せと言いたいが、核兵器を所有することが日本の安全のための抑止力となると思っている政治家も少なからずいるようなので、見解の相違だと一蹴されそうだ。また、メディアは政権に反対した報道をすると政権から情報を得られなくなるので政権批判を自粛しがちだが、安倍政権はメディアの人事や報道内容に積極的に介入し、まるで独裁政権のようだ。

 論理の問題は「知は力なり」で、自然から人間の支配、世間から組織や社会を支配する力関係の問題になり易いので、論理を問うより、あなたは「何を大切に生きているのか」と問うことにしたい。ただ、「平和を守るための抑止力」という論理は「日本を守るための戦争」に容易に変わり、「平和を守るための戦争」という矛盾になりかねないことだけは指摘しておこう。それに、政治家は国民の公僕であり、利己的な自己主張を正義だと勘違いしないで、どのような状況においても「国民総体の平和な生活」を守る義務がある。国民の一部が「核兵器の所有」を願うとしても、政治家の責任と見識として他国との関係については信頼を目指すべきであり、強弱の関係や否定的な関係、あるいは信、不信で考える敵視政策を公言するのはいかがなものか。
 また、「サンデーモーニング」が反日・偏向番組だと「ネトウヨ」が世間を騒がしているとしても、「声を上げ始めた人々」(2015/9/6) (2)をこれまでにご覧いただいた人は今までに553人で評価する1名、評価しない1名に過ぎなかった。評価しない1名に何故?とは思うが、世間にはいろいろな論理を持つ人がいるもので、「何を大切に生きているのか」を「ネトウヨ」だけでなく安倍政権にも政治家としての見識と責任の観点から問うべきであり、「ネトウヨ」や安倍政権にそのことを指摘しないメディアは彼らを過大評価しているのではないか?この過大評価がアメリカに見られる他者に責任を持たない「欲求不満の垂れ流し」のトランプ現象を日本に呼び込まないことを祈りたい。
 参考: "風をよむ"~反日の中で~ 浅井・田中優子・西崎・金子のコメント
      稲田朋美防衛相が夫の「軍事産業株」保有で“配偶者の資産公開
       はプライバシー”と逆ギレ、夫を顧問にしながらどの口が
      傀儡の政権に騙され続ける国民
      オスプレイ17機を相場の3倍以上の値段(総額3600億円)で買った


 先日のブログで「戦争は政治家の責任~平和を守る政治家を求めるのは国民の責任」と申し上げた。その中で、オバマ大統領が「核の先制不使用宣言」を断念したようで、これには日本政府の要望も影響していることにも触れた。この先制攻撃の問題を「サンデーモーニング "風をよむ"(2016/9/18)」では、「やられる前に・・・?」と題して論じている。

 2001年9.11同時多発テロ以来、アメリカは大量破壊兵器を保有する国家に対し「先制攻撃」を辞さないとして、国連決議を経ずにイラクへの先制攻撃をし、おびただしい破壊・廃墟と16万人以上の犠牲者、さらにはイスラム国の台頭を赦し、未だに収拾のつかない状態だ。

「サンデーモーニング "風をよむ"(2016/9/18)」では、「やられる前に・・・?」
 イラクが大量破壊兵器を持つという誤った情報により先制攻撃したことをアメリカ大統領が認めて謝っているのに、「反原発に転じた小泉元首相がイラク戦争の過ちだけは認められない理由」は、アメリカが何をしようがアメリカの行動を日本は否定しないということだろうか。
 しかし、オバマ大統領の「核の先制不使用宣言」に日本が反対していることは、アメリカに従うというよりは、戦争を絶対悪として否定しない日本の政治家の稚拙にして悪辣な外交姿勢の問題だ。

「サンデーモーニング "風をよむ"(2016/9/18)」では、「やられる前に・・・?」
 「第1次、第2次大戦を経てきた国連憲章を持った国際社会の一員という立場では、『先制攻撃はやってはいけない』という道徳は確立している。」という常識を持っている柳沢協二氏が官房副長官補と補の肩書がついているのは、防衛庁出身者より内閣ははるかに格上だと示したいからかも知れないが、安倍内閣の政治姿勢はあまりに稚拙だ。

 柳沢協二(元内閣官房副長官補)「北朝鮮の核保有の動機は『アメリカが怖い』からなんですね。『(核の)先制不使用』をアメリカがいうことは、北朝鮮が核を持つ動機を無くす意味もある。『北朝鮮がああいうことをやっているから、こちらも軍事的に封じ込めて対抗していかねばならない』そういう発想でお互いがいる限り、この問題は根本的には解決しない。その意味では『核の先制不使用』は第一歩になるのではと思って、実は期待していたのですがね。」

 軍事費の算出方法と公表は各国で違い為替レートの変動もあるので比較は困難だが、産経新聞によると世界の軍事費 (コピー)は1兆6760億ドル(約185兆円)で、日本は「サンデーモーニング(2016年9月11)日」によればGDPの1%が目安なので世界5位と高く、しかも最近は増加傾向にあり、2016年度の防衛費は5兆400億円 (コピー) となっている。
 しかも、財政赤字はGDP比で200%を超え、 政府総債務残高(対GDP比)は日本はギリシャを抜いてダントツの世界1位なのに、安倍首相は政府専用機を乗り回し、ODA(政府開発援助)をばら撒いて得意顔をしている。公用車を使わず、給料も月10万円しか生活費に使わず、残りを社会の為に寄付しているウルグアイ・ムヒカ前大統領の他者への愛との違いはどこから来るのだろう。

 さらに安倍内閣の沖縄基地問題への対応も、「沖縄・民族の尊厳と国民主権~基地問題を考える」でその姿勢を憂えていたが、戦争を反省せず「抑止力」という破綻した論理で国民よりも戦争準備を大切にする姿勢は、地元の願いを無視して沖縄基地建設に自衛隊に重機を運搬させ、司法もそれを追認するという三権分立を破綻(「サンデーモーニング2016.9.18 録画)させ独裁の道を歩もうとする姿勢に通じ、政治家として国民に対して「何を大切に生きているのか」と強い危機感と憤りを覚える。

初稿 2016.9.24 更新 2016925

コストダウンとコストゼロの違い~固定観念が生きる世界を狭くする

2016-09-17 15:08:13 | 自然と人為

 経済においては「コストダウン」が常識とされて、「コスト」という固定観念を身に着けさせて、限りなく「コストダウン」を目指す方向が当たり前だと思わせている。「コスト」という意識が生まれたのは分業化によるもので、これは部分の意識であり知識にすぎない。最近は、「ゼロベースで見直すコスト削減戦略」が注目されるようになったが、これは部分ではなく全体を見ろということだ、と私は思う。
 「すべてが一つの世界」は、コスト意識とは無縁の世界だ。だから昔に帰れと言うのではない。私は、これを全体を見ろ、ホリスティック (2)な経営をしろ、さらに言えば自然を尊重する生き方をしろと受け取っている。全体を見ればやることが一杯見えてきて、生きる喜びも大きくなる。

 私の専門の農業の分野でもやることが一杯残されているのに、利益を追求できなくて廃業していく農家が多かったし、これからも「コストダウン」を常識としている限りは、農業に未来はない。これまでの農政の「選択的規模拡大」も、現在、「地方創生」として求められている農業の「国際競争力の強化」も、部分しか見ない「コストダウン」や「利益」を追及する経済の「固定観念」がもたらす必然の道だ。また、多くの人が必然の道だと信じるコストダウンと利益を優先することで、東京都中央卸売市場の豊洲移転問題や福島の原発事故等を引き起こして、農業問題以外でも莫大な被害と損失を与えている。自然を含めた全体を見なければ、産業の衰退どころか、我々は住む場所さえ奪われていく。

 前回、「強者の論理よりも自然を愛する感性を!」で「人と自然と農業の関係は実験室で確認できるものではない。農学を実験室で発展させていると思うのは科学の思い上がりであり、農業は現場で学ぶしかない。」と申し上げた。また、「農学栄えて農業滅びる」という横井時敬の言葉は、今も科学の細分化を警告する言葉だと指摘したこともある。「人と自然と農」の関係は、農業の現場で学ぶしかないと「畜産システム研究会」を現場の同志を中心にして今から30年前に立ち上げたが、その20周年を記念した会報30号(2006.7)に、研究会設立に対する思いを語っている。
 図をクリックして拡大 (畜産システム研究会報第30号 p.1)
 図をクリックして拡大 (畜産システム研究会報第30号 p.2)

 この研究会では先輩の佐々木義之先生から聞いたイギリスにおける酪農の交雑利用をヒントに、乳牛に和牛を交配したF1生産を大学農場や現場で実施したものをまとめて「F1生産の理論と実践」 (通販)を発行した。この本の発行は、農林水産省図書資料月報(2000/4)に紹介していただいているので、ここにも残しておきたい。
 図をクリックして拡大 農林水産省図書資料月報(2000/4)
 なお、当時は「F1生産」ではなく「ハイブリッド生産」のタイトルを要望したが、農水省の使うF1(交雑種)が認知されやすいと採用されなかった。現在ならハイブリッド車が人気なので受け入れられたかもしれないと少し残念な思いが残っている。

 「F1生産」を私の業績だと褒めていただくこともあるが、私はイギリスの酪農における交雑の例を仮説として、日本の和牛を交雑に利用して現場で実証しただけで、F1に実力があったから普及定着しただけだと思っている。ただ、実証試験の段階では、酪農界からは泌乳能力が世界一優れたホルスタインに和牛を交配することを批判され、和牛界からは肉質が世界一の種雄牛の精液を酪農界に提供したと批判された。肉質の優れたまがい物の「和牛」を語って市場を混乱させてはいけないと、「里山牛」の名称を提案をしてきたが、「里山」の伝統のない北海道では「北の国黒牛(北海道産交雑種)」という名称を使われているケースもある。和牛と乳牛の交配は「和牛のまがい物」を造る様な「ちまちました目的」ではなく、人工授精を利用した世界一の資源利用型ハイブリッド生産の確立が目標なのである。

 乳牛は牛乳の生産能力の向上、和牛は農耕用から「霜降り肉」を造った先人の功績を守ることが酪農界と和牛界の「固定観念」となった。和牛界と酪農界にあった「固定観念」が両者の交配を認めなかったが、今では高泌乳を追及する酪農と「霜降り肉」を追及する和牛生産のいずれも耐病性と経済性、それに自給飼料の利用性のいずれにおいても問題点が指摘されるようになった。両者の交配はこれらを克服できる新しいシステムを提案でき、その新しいシステムが日本の農業の可能性を大きくしてくれると思うが、「固定観念」が邪魔をして、未だに本格的なシステムの構築の動きがないのが残念で仕方がない。現場での情報交換を目的とした「畜産システム研究所」が、その能力をさらに発揮できるように研究所所長を瀬野豊彦氏にお願いして、今後の活躍に期待している。 

 品種間の交雑は近親交配により劣性遺伝子がホモ化する近交退化を防止して遺伝子の組み合わせをヘテロ化する雑種強勢(ヘテローシス)と品種間の能力を補完する補完効果を利用する。
 参考: 家畜育種学(ネブラスカ大学リンカーン校)
      近親交配があぶない!(ホルスタイン通信2001 8 月号抜粋)
      自給飼料をめぐる情勢(平成16年4月 生産局畜産部畜産振興課)


 したがって、品種間交雑は自給飼料の利用に適した雌牛に求められる繁殖や泌乳能力を人工授精で生産するには最も優れた方法である。例えばアメリカの広い牧場で泌乳能力の高いホルスタインを放牧したが、放牧方式には適さないのでジャージー種を交配している牧場があったが、人工授精で能力を変えるのは品種を入れ替えるより容易なことは想像できよう。放牧で酪農をしている北海道の斉藤晶さんの牧場では、体高が低くがっちりしたホルスタインだが乳量は1日15kg程度と低い。それはその土地の条件に適した牛を斉藤晶さんが残して改良したということだ。乳量が1日15kg程度の方が放牧に適しているなら和牛を交配したF1雌牛を放牧して搾乳すれば、肉牛としての利用価値も高くなる。私が大学時代に肉質の優れたF1雌牛を搾乳したときには1日乳量が10~15kg程度であったので、15~20kg程度のF1雌牛は和牛の種雄牛を選抜すれば容易に作出できよう。

 しかも、受胎しなくなったF1雌牛を3カ月程度短期肥育すれば、こんな牛肉を食べたかったと皆が思う程美味しい。F1雌牛を放牧して搾乳し、廃牛を短期間肥育して牛肉を販売する方法をシステム化すれば、日本の畜産は様変わりするであろう。これからは人間も家畜も男ではなくて女の時代だ。さらに、酪農は乳製品の原料を提供し、チーズの副産物のホエーを豚に飲ませれば、これもまた美味しい豚肉となる。放牧地は親子の遊びや教育の場とすれば、里山で育った自然の知恵を次の代に伝えることもできる。これからは固定観念を打破し、個人中心ではなくて地域で自治体を含めて共同体でシステム化し、自然を2番ではなく1番に考えれば、農業と畜産の可能性は楽しいほど拡がるであろう。

 さらに、BSEや口蹄疫の発生に関して、メディアからは必要な情報が得られず、国の施策にも問題が多いので、現場の人達とこれらの情報を共有しようと牛豚と鬼「命と自由を守る民間ネット」も立ち上げた。その反応が、次のブログ『宮崎口蹄疫事件 その101 「口蹄疫対策民間ネット」について』に紹介されている。情報はメディアから与えられると思うな。現場の情報は現場で仕事をする人々が持っている。現場の情報を現場で共有することが大切だし、そのことが可能な時代になっている。

 日常の論理は利害が伴い、科学的に正しいかどうかを皆で判断することは難しいか出来ないので、日常の判断は強い側の論理か採用されることが多い。しかし、それは利害の対立を生むので、利害に関係なく多くの人が幸福になれる道を選ぶべきであろう。
 「あなたが幸福であれば、私も幸福になれます」と言うと、若い恋人の甘い言葉だと笑われるかも知れないが、この言葉は利他的で純粋である。他者に対する利他的行為は、部分では恋人を奪われるかもしれないが、恋人達が幸せならばそれでいいじゃあないか。あなたも恨まないで恋人の幸せを祝えば、あなたも報われ皆が幸福になれる。
 人は一人では生きられないので、利害が一致する人だけとの関係よりも、多くの人との関係を利他的に生きることで、生きる世界が拡がりお互いに幸福になれると確信している。

 自然は他者と言うより我々全人類の共通の生きる基盤である。しかし自然は、われわれの周囲に当たり前にあるので、タダだと思い皆は有り難がらないし、むしろ自然の破壊や汚染を平気でしてきた。自然あっての我々なのだと気がつけば、自然にとって1番良いことは皆にとっても1番良いことだと気がつくだろう。日常の判断を難しいい論理で論じるよりも、その言動が自然にとって1番良いことかどうかで判断していくことが、皆も理解し報われる方法だと確信している。

初稿 2016.9.17 更新 2016.9.19

強者の論理よりも自然を愛する感性を!

2016-09-14 13:11:02 | 自然と人為

 「あれが見えないの?」と不思議に思う程よく見えていた私の眼は、高卒後1年の浪人生活で近眼になってしまった。子供の頃は野球少年だったので、大学に入ったら楽しみにしていた野球部に入ったが、ノックの球が見えなくて退部した。50mが5秒9で高校の体育の先生が信用しないのかもう一度走れと言われた脚力であったが、私にとっての短距離は50mで、100mは12.3秒もかかる中距離のようなものであった。しかも、大学の体育の時間に自慢で走った100mが15秒もかかってしまった。高齢化ではない。大学入試の若い1年間に運動をしないと体力はこんなにも落ちてしまうのかとガックリしたのを思い出す。逆に若い時期に体力を鍛えておけば身体能力は向上するので、若い時期の体力の低下と向上の差は大きい。

 日本では答えの準備された論理や英語、したがって記憶が中心になる学習が大切にされるが、記憶はスマホ等のコンピュータがやってくれる時代が来ている。若いときには実利的な論理や英語よりも感性と身体を鍛えることの方がその人の可能性を大きくしてくれると思う。
 毎年、アマゾンの先住民の支援に行っている南研子さんから、感性について教わったことがある。先住民の若者は遠くのものが良く見え、危険を素早く感じるが、研子さんも東京ではボーっとしている感性がアマゾンに行くと研ぎ澄まされると言う。ボーと暮らしている私は、愛犬から感性の違いを教わっていたが、人間も環境によって感性の育ち方が違うのだ。

 私がアマゾンに興味を持ったのはTBSテレビ番組「人間とは何だ!?」で、「森の哲学者メイナク族」(動画)を観てからで、その後アマゾンを支援されている南研子さんと広島の仲間たちを知り、ドキュメントの森谷博ディレクターを知る幸運(必然?)に恵まれた。広島の仲間たちの活動で「自然という書物」を求めて旅をする石川仁(カムナ葦舟プロジェクト)さんにもお会いし、旭川の斉藤晶牧場にご一緒したことがある。石川仁さんは斉藤晶さんを「小学校の同級生にあった気がする」と言われていたことが忘れられない。考えて見れば家業の孵化業を継ぐつもりで、苦手の理科系の受験勉強をした私だが、いろいろな人々との出会いがあり、いつのまにか人間関係より信頼できるし、信頼するしかない自然との関係を大切にする道を歩んでいた。

 我々はケプラー、ガリレオ、デカルトそしてニュートンなどの17世紀の科学革命以来、論理によりもたらされる科学を最高の知性として尊敬してきた。ことにデカルトの要素還元主義は科学研究の専門細分化をもたらし、仕事の分業化とともに、孤立する個人を生み続けている。
 しかし、科学、は観察や実験により仮説を真理として確認できるが、人間の想像力は更なる仮説を生み、観察や実験でブラッシュアップされていく。科学は観察や実験により仮説を検証するlことで信頼されているが、人と自然と農業の関係は実験室で確認できるものではない。農学を実験室で発展させていると思うのは科学の思い上がりであり、農業は現場で学ぶしかない。
 また、日常的に繰り返している我々の論理は、その仮説が第3者で検証されるよりも、多数決や権力により支配されることが普通であり、論理は利害で対立することが多い。ことに政治や経済の世界では他者を尊重しなくて、自らが正しいと利己的な主張になりがちである。

 日常的な論理には利害関係が絡むので、一般の人達は強者に従うしかないと思うかも知れない。しかし、強者も利己的なので口では甘いことを言いつつ我々を利用したり、自分たちが支配者であり続けていたいめに、我々に嘘を平気で言ったり、最悪の場合は政治家が我々を戦争で地獄に突き落とすかも知れない。政治や経済で他者を愛し、利他的な行動をすることが、いかに大切なことかを、我々はよくよく考えねばならない。
 
 民進党の蓮舫議員が「二重国籍」で騒がれている。国際化の時代には国際結婚が増えて、父方と母方の両方の国籍を持つ方が人間として自然の愛だ。「尊皇攘夷」の明治維新が日本を守るためという「論理」のもとに「侵略戦争」を始めたことに、多くの人は気付いていない。二重国籍は「先進国」では常識だが、「首相」や「大統領」になれないという決まりは、二重国籍の人が自国に忠誠を尽くさないというバカげた排他主義だ。父も母も日本人の政治家が、日本の自主性のためにアメリカと闘っているのか?「二重国籍」の子が政治的に生きる自由を束縛されるよりも、国際化に貢献できると評価すべきだ。むしろ人類皆兄弟なのだから、「二重国籍」は「首相」になれないという日本の法律を変えるために民進党は闘うべきだ。政治に他者を愛する心の芯があれば、その政党は国民に信頼される。そのような政党を信頼しない国民がいるとすれば、それは人類の平和を無視した人たちだ。

 我々は自然の一員として生かされているので、自然の一員として日常的な論理も考えることが大切だ。私がメイナク族アーミッシュの人々を尊敬し学びたいと思い、皆さんに紹介している理由もそこにある。牛が拓いた牧場の斉藤晶さんは、自然の中で生活をしていれば世の中が良く見えると言われる。文明の発達が人類を必ずしも幸福にはしてくれない。地球を汚染して異常気象等で住みにくい場にしながら、宇宙に進出することを進歩だと喜ぶ時代ではもうないだろう。
 人類は自然の一員であり、人類皆兄弟だ。競争や支配につながる論理よりも、自然を愛する感性を育てることこそが、世界に共通する第一の教育の義務だと思う。

初稿 2016.9.14

戦争は政治家の責任~平和を守る政治家を求めるのは国民の責任

2016-09-12 16:43:24 | 自然と人為

 最近はテレビ番組がつまらない。特にNHKは北朝鮮や中国の脅威ばかり報じて、まるで戦時中の大本営発表の「勝った、勝った!」を「危ない、危ない!」と言い換えているだけのようだ。国のことは政治に真面目な対応を求めたいが、これでは国民に強い日本の政治家を求めさせて、オスプレイ17機と関連装備、総額推定3600億円を購入することに誰も意義を唱えないだろう。そんな雰囲気さえも感じる。
 「国を守る」とは日本でもアメリカのように「産軍複合体を守る」ことに繋がってきたようだ。国民の間に「国を守る」雰囲気が大きくなることは、国に軍拡競争の税金の無駄遣いをさせ、その一方で国民支配が強くなることを忘れてはいけない。

参考:「指導者の経済感覚」(動画) サンデーモーニング "風をよむ" 2016/9/11

 北朝鮮が核やミサイル開発に熱心なのは、国土を汚染し国民を疲弊させて馬鹿げたことだが、国の支配者で居続けたい人々にはそれなりの対立の論理がある。その対立を信頼の方向に持っていくことそ国民に責任を持つ政治家の外交の義務である。中国や北朝鮮を非難しているだけでは政治家として何も仕事をせず、むしろ対立を煽るだけでは無責任で危ない行為だということも忘れてはいけない。

北朝鮮が軍事的に強硬な理由(動画:サンデーモーニング 2016/9/11)

 世界で一番国民を愛しているホセ・ムヒカ ウルグアイ前大統領は、次の通り語っている。
 「・・・世界中で毎分200万ドル(約2億円)が軍事費に使われています。1分毎に200万ドル、どうかしてますよね。」
  (それを他のことに回せば もっと豊かになれる。)
 「そうそう、その通り、その通り。多大な財産を捨てているのです。北朝鮮でミサイルを撃っているのを御覧なさい。その分、ジャガイモを植えればいいものを・・・。」

                「指導者の経済感覚」(動画)より引用
 日本はGDP(国内総生産)の1%が軍事費の目安にされ、日本の軍事費は世界5位である。現在(2015年)の世界の軍事費が年間170兆円、1年は365日×24時間×60分=52万5,600分なので、毎分3.24億円が国による殺人、破壊とその訓練のために使われていることになる。

 オバマ大統領は、「核の先制不使用宣言」を断念したそうだ。しかも、広島、長崎の被爆者の願いを無視して、安倍晋三首相は「核先制不使用」に反対の意向を米軍司令官に伝えたそうだ。日本は国連の核兵器禁止条約にも賛同していない。「人類を破滅させる核」を抑止力と考え、「核の先制不使用宣言」を断念すると、戦争の抑止力になるよりは北朝鮮をさらに刺激し、北朝鮮人民をさらに苦しめることになろう。抑止力の名目で国家的犯罪の戦争を準備するとは、外交能力に欠けたなんと愚かな政治であることよ。

 戦後の「公職追放」は戦争犯罪者が追放されたと思っていたが、戦後初の総選挙で第一党となった党首、鳩山一郎(1883年1月1日 - 1959年3月7日)もGHQにより公職追放され、吉田茂(1878年9月22日 - 1967年10月20日)が、戦後初代の総理大臣となり、それ以来、日本の政治はアメリカに従順に従う政府により統治され現代に至っている。

 特にA級戦犯容疑者の岸信介までが首相となり、今では3代目の安倍首相と麻生副総理が政権を握り、戦争への反省はないようだ。選挙を経て政権を握っていることは国民がそれを許していることになるが、米国追従の日本の政治に主体性はなく、国民支配の体質だけは北朝鮮と変わらなくなっているではないか。米国は世界の警察と言われているが、実は戦争の好きな産軍複合体が国を支配している。その米国に追従して岸信介は戦争への責任を免除され、その孫の世代は口先だけの「日本の美と伝統」で、米国に密着した右翼的言動が日の丸、国歌を強制していることは、日本の伝統を愛し、「里山は世界に誇れる日本の文化」だと誇りにしている私には『とても変な国、日本』になってしまったと思っている。
 日本は米国に従順に従う政府と、支配者に従順に従うことを美徳とし、支配者を批判することを嫌う伝統に育った国民が多い。高齢化と少子化により地方や町の共同体が崩壊しつつある日本は、他者を尊重することを忘れ、利己的に生きるようになると、これからどのような共同体を維持していくのだろうか。

 なお、日本の首相を2ヶ月余り経験して病に倒れた石橋湛山は、「指導者の経済感覚」を語る上で忘れられない人だ。経済も政治も他者を愛し、救うことが原点であることを彼も教えてくれる。彼は「平和・民権・自由主義を貫いた言論人」であり、政治家としては戦後の国家予算の3分の1を占めた進駐軍経費の負担額を2割削減させたが、これが嫌われGHQにより「公職追放」されている。
 GHQに押し付けられた憲法の改正を自民党は党是としているが、憲法を押し付けられたと言うなら、GHQに育てられ核兵器を戦力として積極的に肯定する自民党こそ解党することが、国民にとっては幸福と言えよう。
 参考: 昭和宰相列伝5 鳩山一郎、石橋湛山(1954-1957):動画
      その時歴史が動いた・石橋湛山①:動画
      その時歴史が動いた・石橋湛山②:動画
      その時歴史が動いた・石橋湛山③:動画
      湛山回想~松岡正剛の千夜千冊
      石橋湛山に対する公職追放に関する一考察
      リベラルの源泉・石橋湛山の言説
      「戦う石橋湛山」~読まずに戦争・軍備について書くべからず


 アメリカは15年前の9.11同時多発テロ以降、「国を守る」雰囲気が強くなったが、そのことで空港の検査体制が強化されたのはまだしも、産軍複合体を強くし、膨大な政治資金で動く政治に対する不満が、【米大統領選2016】での怒りとなり、民主党ではサンダース、共和党ではトランプの票につながったとされる。共和党のトランプは自分の金で大統領選を戦っていることを自慢する一方で、「強いアメリカ」を強調して人気を得ている。国民が他者を尊重せず、自己の強さを求めることは人類の未来にとってとても不幸なことだ。

初稿 2016.9.12