自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

「個ー集団ー国」と自然の関係~内山節とスノーデン

2017-01-28 23:27:58 | 自然と人為

 我々は自然の中で集団で生きてきたし、今でも自然と国の中で生きている。人が生きることの意味を自然との関係で考え続けているのが内山節氏で、国の中における個人の尊重を何よりも大切にしているのがスノーデン氏だと思う。私は日本人とは何かを問い続けてきたが、その問いに自然との関係で答えてくれるのが内山節氏で、これまでそこまでは考えなかった個人の尊厳について教えてくれたのがスノーデン氏だと言っても良い。

 人は様々な価値観を持って生きている。それが個人を大切にする時代になると、人と人の関係がバラバラな社会になるのではと心配な面もある。一方、政府の方針で周囲を敵視した愛国心に国民が煽られるのも心配だ。「この国のみっともない政府は自国の弱者には目も向けない」ことを、私も声を大にして叫びたい。
 個人を尊重することは他者を尊重することでもある。我々の未来を考えることは、自然との関係と他者との関係を想像することでもある。
 ここに内山節氏の「自然と人間の共同体、伝統的な生き方」等を考える「未来についての想像力~農ある世界への構想」と、自らの自由と命を危険にさらしてまで内部告発をしたスノーデン氏に関するWeb資料を紹介したい。

内山節氏に関するWeb資料: 
 「地域とは何か」内山節(哲学者、立教大学大学院教授):  (動画)
 内山 節「経済のゆがみ、社会のゆがみを正していく時代」 (動画)   講演レジメ
 「WISE FORUM 2016」
 シンポジウム『日本の希望』:基調講演『日本人の希望』内山節 (動画)

 戦後70年、生活スタイルはサラリーマンが普通になり、農業や自営業で生活する地域社会は急速に変貌していった。個人より集団を大切にする我々は、地域社会(世間)から会社(組織、団体)に従属するようになった。他者を尊重する個人の人格が育たないままに、競争の中で育ち組織の人間として利己的に自分の立場を考えるようになった。地域共同体という関係性を失った個人は、組織の中のポジション取りに生きがいを見出すようになった。かつては社会を監視することに誇りを持ったジャーナリストまでも、組織の中でエリートを意識する職業になった。

 我々人類はアマゾン先住民の「すべてが一つの世界」のように自然との共存の生活から始まり、18世紀の生活を維持し電気も自動車も生活から排除したアーミッシュの人々が一部残ってはいるが、文明の利器に憧れる一方で協働で生活システムをつくることを忘れ、社会から分離した経済の勝者によるシステムに支配されることを当然と考え、そのシステムが変わったら困るという意味で保守的になった。バラバラになった生きる世界から、我々は一つになって生きる社会をつくれるか? 自分の生活をどうデザインするか。バラバラになった要素をデザインしていくという意味で、農民はデザイナー。自ら何かを作る、モノづくりからシステムつくりに参加することが、生きるという意味で大切なこと。地域の生活を自然との関係で守るのは、行政だけでなく住民参加のNPOの仕事。幸せとは自然や他者や死者との了解可能、納得可能な関係のことで、お祭りや年中行事が維持されていることは、死者を含めた地域の関係性が健全な証拠。お金は劣化しないで増えるので、現代人にとっては魅力ある交換手段。お金に支配される経済から生命循環の社会に戻すことができるか。利益の追求が目的ではなく、社会的役割を仕事とするソーシャルビジネスが一部では始められている。しかし、社会的に人々がバラバラになることで、現代社会の目標としてきた自由、平等、博愛や議会制民主主義の建前の世界の限界も見えてきた。私たちの生きる社会をどうつくるか。自然を含めた地域関係性のある社会を作っていくデザイン力が問われている。
 参考: カール・ポランニー :経済人類学、経済が社会に埋めこまれている。経済の起源には言語にも見られるようなソーシャル・コミュニケーションの本質が関与している。
      シルビオ・ゲゼル :お金は増殖する商品 お金に特殊な権威を与えない
                  劣化するお金 --> 地域通貨
      玉野井芳郎 :経済を生命循環に戻す
      レヴィ・ストロース(2)(3) :文化人類学者 居場所の無い現代人


スノーデン氏に関するWeb資料:
 亡命中エドワード・スノーデン氏、日本の危機を生中継で指摘
 あなたも監視されている~スノーデンの暴露とは
 スノーデン独占インタビュー・小笠原みどりさん帰国講演会(1)講演 講演資料
 スノーデン独占インタビュー・小笠原みどりさん帰国講演会(2)質疑応答
 オリバー・ストーン監督が明かした“衝撃情報” 2017年1月18日23:38
 アメリカはスパイプログラムを日本のダム、駅、病院、原発、銀行などに組み込んだ!
 スノーデンの暴露 𝟐𝟎𝟏𝟒 映画 フル
 ビン・ラディンはCIAの保護下で生きている!スノーデン氏が暴露
 スノーデンの暴露本,やりたい放題の米国、スノーデンの暴露本の内容


 内山節氏の講演はバラバラになる人の生活を自然との関係で一つにしようという話だった。スノーデン氏の内部告発は、バラバラになる人の社会で情報のグローバル化が進み、人の情報を知らぬ間に一方的に集める米国NSA(国家安全保障局)の監視システムが世界に張り巡らされていることを警告した。テロ対策を口実にテロとは関係ないNSAの盗聴。スノーデンは怒っていた。日米関係は、米が日を指導する立場。日本社会は個が育っていないので、文化的にも歴史的にも監視が働きやすい素地がある。
 「プライバシーは何かを隠すためにあるのではない。プライバシーは何かを守るためにある。それは個です。個人には自分が信じることを決定して表現するまでに他人の偏見や決めつけを逃れて、自分自身のために考える時間が必要だ。そういう意味でプライバシーは個人の権利の源なのだ。プライバシーがなければ表現の自由は意味をなさない。プライバシーがなければ言いたいことを言い、あるがままの自分でいることはできない。プライバシーがなければ、自分は個として主張することはできない。プライバシーは個人の権利の源だ。(スノーデン)」
 彼の内部告発の動機は、オバマ大統領はこの諜報活動にブレーキを掛けると期待したが、全くそのような動きをしてくれなかったことによるそうだ。どの国でも、いつの時代にも支配者は支配している大衆の逆襲を恐れている。監視システムは支配者の保身のために使われる。バラバラになる人の社会では、国の支配者は国民の為に働かないで自分たちの利益と保身のために制度をつくり運用する。

 米国NSA(国家安全保障局)の監視システムとは
1. グーグル、マイクロソフト、ヤフー、フェイスブック、アップル、スカ
イプ、ユーチューブなど大手IT企業9社のサーバーから情報転送
2.テロを止めることができないのに、監視プログラムはなぜ存続するのか? 答えはテロ対策以外のことに役立つから。
 外交スパイ、経済スパイ(ターゲット・トーキョー)、世論・社会心理操作、調査報道/ジャーナリスト・内部告発の妨害、私的濫用。
 「監視は最終的に、権力に抗する声を押しつぶすために使われていく。反対の声を押しつぶすとき、僕たちは進歩をやめ、未来への扉を閉ざす(スノーデン)。」
3. 米国のユニラテラル(一方的)優位のための監視システム
 ターゲット・トーキョー(被害者としての日本政府)、欧州首脳への盗聴。「特定秘密保護法は、実は米国がデザインしたもの(スノーデン)」米国の監視システムの共犯者となっていく日本政府=日本の市民にとっては二重の災厄。

初稿 2016.1.28 

意識と現場感覚~現場の研究が先端になる時代

2017-01-23 23:18:49 | 自然と人為

 シンポジウム「これからの日本、これからの福井~豊かな森と動植物から考える~」が福井県のNPO「ブータンミュージアム」4周年記念事業として開催された。その中で進士五十八氏(016~31:13)は「環境福祉時代の福井は如何に!」で、多様性が自然、社会、経済、文化の持続性を守ると語られ、養老孟司氏(31:20~55:40)は、「日本社会、このままで大丈夫?」で、「同じにする」ことが進歩をもたらしたが問題も孕んでいると、違いを見つける昆虫少年らしい軽妙な講演をされている。
 「多様性」は「同じにする」ことの逆(「多様性」=「同じではない」)であり、物事は見る視点で異なって見えたりするので、ホリスティックに見て考えることが大切だとも言えよう。また、人間は自然の一員であり、自然なくして生きられないだけでなく、人間だけの生活よりも花鳥風月の自然を含んだ生活の方が安らぎを与えてくれる。このシンポジウムは「これからの日本、これからの私の町」を考える示唆に富んでいる。

1.環境福祉時代(進士五十八氏)からのメモ
 人間の幸福=福祉:Welfare,Well-being
 保護と開発を調和させる
 細分化すると本質が見えなくなる
 里山の外側(外山)は放牧地
 緑:green-> ghra(ガーラ)-> 成長の意

 多様性が地球の持続可能性を支える
  1.地球自然(自然的環境)の持続性 -> Bio diversity
  2.地球社会(社会的環境)の持続性 -> Lifestyle diversity
  3.グローバル経済(経済的環境)の安定と持続性 -> Economy diversity
  4.地球風景(文化的環境)の持続性 -> Landscape diversity

2.「日本社会、このままで大丈夫?」(養老孟司氏)からのメモ
 講演の冒頭で、英国のEU離脱(Brexit)や米国の大統領選の話題に触れ、メディアの予測が誤った、と言うよりもメディアは逆のことを言ったのに、投票の結果が逆になった。両者にはグローバル化の国という共通点がある。英国は大英帝国時代から米国も皆さんが知っているように「情報」でグローバル化の先頭を歩んで来た。そのグローバル化を進歩だとメディアは言ってきたが、それが逆に動いた。私は、これは当然だろうと思っている。そうなる違いないので、先ほどの進士先生の話は多くの人、世界中の人の本音に近い。「暮らしていて、このまま行って良いのだろうか?」という不安がある。皆の中に、いわゆる進歩、グローバル化に対する疑いがある。農家は「自家用に作っている農作物は安全だ。」と思っているが、売らないものは統計に載らないので国としては大切に扱わないし、メディアも重要には取り上げない。現実と報道のギャップはそれに近い。トランプが当選した後、ヒラリーを応援したニューヨークタイムズが言い訳をした。どんな言い訳をしたのかという問題よりも、それは日本の報道でも経験した。戦時中は1億総玉砕と言い、戦後は1億総懺悔と言い訳したのと同じだ(、と私は思う)。

 メディアはどうして間違えるかというと、「同じにする」から。同じになって行くことが進歩だと思っている。「同じにする」ということの意味は、一般には考えないが奥が深い。同じだと考えられるのは人だけだ、と動物の唯脳論に入っていかれる。
 チンパンジーはカメラアイと言って見たものをそのまま覚える。人間でもそれえができる人はたまにいるがいるが、他のことは大抵何もできない。同じにすることは、人間しかできないが、そのことに自分でお気づきですか。
 同じだという時代を逆手にとって「違いが分かる男」とコマーシャル、「世界にたった一つの花」という歌。人も花も、それぞれはたった一つなのに、世界は同じ花や人ばかりだと思っている。ここにおられる人はみな違うけど、人として同じにしている。これは動物は絶対できない。「同じだ」とする典型がメディア。それがメディアの体質だ。
円安、輸出企業(日本のGDPの13%)が良くなる。87%には関係ない。
株高、株の60%は外国人が持っている。つまり日本人には関係ない。
多くの日本人には関係ないのに、メディアは「円高」を大変とし「株高」を喜ぶ報道をする。

 同じというのは意識、違いは感覚。「同じ」という能力を持ったことで言葉を持った。3+3=6の=は動物には分からない。A=Bが分からない人もたまにはいる。A=Bは交換の法則。これは動物には分からない。お金は等価交換の道具、等価も交換も=があり、動物には分かるわけがない。だから猫に小判。黒で白と書いても白、赤で青と書いても青。感覚の1人称(心理学の1人称)を無視するように教育を受けている。感覚を無視するのが大人で、 感覚に近づくほど子供。
 同じときに生まれたチンパンジーと人を一緒に育てた実験がある。3歳まではチンパンジーが能力は上、4歳から違いが出てくる。3歳は自分の認知がすべて、5歳は他者の立場で考えることができる。他者の立場で考えることができることで、民主主義の根本、平等が理解できる。人間は「同じ」と意識に依存して進歩してきたが、その欠点を誰も指摘してくれない。人間は意識を尊重してきたが、感覚の問題に気が付いても良いのではないか。
 参考: 日本語は環境で変わる一人称

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 私は意識と感覚の問題を意識と現場感覚として捉えたい。現場感覚を無視した研究を基礎研究とし、応用研究の基本とする傾向がある。試験研究機関が研究をして成果を一般に普及するという考え方もある。それは違う。意識も感覚も閉鎖的な、ある場合は人工的な世界に閉じ込めることなく、それぞれが仕事をし生活をしている現場感覚を重視した研究でありたい。そのような現場のビッグデータが研究をリードする時代は始まっている。1秒間に1京(1万兆回)の計算ができるスーパーコンピュータ「京」は2011年に日本で開発され世界一のスピードを誇っているが、それでも巡回セールスマン問題のように、30都市の経路の最短経路を見つける最適化問題は10の30乗の組み合わせがあり、「京」でも1000万年以上かかるとされている。このような最適化問題を短時間で計算できる量子コンピュータの実用化が進んでおり、20~30年後にはコンピュータにより社会の仕事は様変わりするのではないかと予想されている。
 一方、トマ・ピケティ「21世紀の資本」のように、1800年から20ヵ国の税金等の公的資料により、格差問題を実証的に解明している仕事もある。これからは公的資料を含めて現場のビッグデータを分析することが時代の先端の研究となろう。

 安倍政権は1億総〇〇と平気で言うが終戦前後を知っている者にとってはゾッとする言葉だ。それにも拘らずマスメディアは性懲りもなく、無批判にそのまま報道している。アベノミクストリクルダウンTPP特定秘密保護法、共謀罪・盗聴法・マイナンバー安保法制憲法改正は多様な暮らしをしている国民を守るためではなく、一部の者の国民支配の政治だということをマスメディアは批判しない。ことにアベノミクスやトリクルダウンの政策の妥当性についてトマ・ピケティに判断を求めている日本記者クラブのNHK記者の質問は、今ではエリートとなったジャーナリストの恥ずかしい姿を露見させている。マスメディアは国民のためにあることを間違えているというより、いつも本音では国民の支配者の側にいたいのだろう。

 なお、次の解説を追加しておきたい。英国のEU離脱も、米次期大統領にトランプ氏が当選することも、予想を的中させたという菊池氏は、「両方が意味するのは反新自由主義。『新自由主義というのは国民を幸せにしない。政府のエリートたち、わかっているのか?』ということを国民投票で証明した」と解説した。

 参考: 創薬技術と医薬品の進歩 | バイオ医療コース | みんなのバイオ学園
      スーパーコンピュータが解き明かす生命の不思議(動画)
      超高速 夢の量子Computer(動画)
      量子コンピュータ授業 #8 量子コンピュータの歴史

  
 日本記者クラブ 著者と語る トマ・ピケティ「21世紀の資本」
  パリ白熱教室NHK白熱教室ソリーズ
   パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第1回(動画)
     第1回「21世紀の資本論」~格差はこうして生まれる~
   パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第2回(動画)
     第2回「所得不平等の構図」~なぜ格差は拡大するのか~
   パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第3回(動画)
     第3回「不平等と教育格差」~ なぜ所得格差は生まれるのか~
   パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第4回(動画)
     第4回「強まる資産集中」~所得データが語る格差の実態~
   パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第5回(動画)
     第5回「世襲型資本主義の復活」~19世紀の格差社会に逆もどり?~
   パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義 第6回(動画)
     第6回「これからの資本主義」~再分配システムをどうつくるか~


初稿 2017.1.23 更新 2017.1.27

「牛が笑っている牧場」富士山岡村牧場が、朝日新聞に紹介されました。

2017-01-15 22:38:31 | 自然と人為

 今年は10月21日(土曜)、畜産システム研究会を広島県福山市で開催する準備を進めていたら、新年早々良い知らせが入って来た。朝日新聞静岡版に「牛が笑っている牧場に」と大きく富士山岡村牧場が紹介されたと言う。A4版には入らないので、全体と前後の計3枚にして紹介させていただく。
図をクリックすると拡大します。
2017年1月4日 前部
2017年1月4日 後部

 以前、このブログ「牛は資源を循環し、人をつなぐ」で「忘れていませんか? 牛は本来、自然の中で自分で生きていける動物だということを」と申し上げたことがある。牛は草食動物なので、自然の中で放牧すると草を利用するバクテリアが第一胃内に増加して、必要なタンパク質や脂肪酸を草から生産してくれる。中でも共役リノール酸は抗アレルギー作用があり、北海道旭川にある放牧で里山を管理している斉藤晶牧場に、牛乳アレルギーのある子供さんと「ここの牛乳は飲めるから」と、絞りたての牛乳をわざわざ買いに来られていた。穀類を多給した牛は第一胃内の異常発酵が起こり易い。自然の状態に近い飼い方をした牛乳や牛肉は食べ易く健康にも良い。これからの畜産の目標を見直す必要があろう。
 
 人はそれぞれの価値感を持っている。価値観のようなまとまった考え方ではなくても、同じものを見る視点はそれぞれ違う。家畜を見る視点も人それぞれだろう。このブログのプロフィールに座っている愛犬「ジョーイ」には、人間と同じものを食べさせるのが愛情と思い、人間と同じ食事をさせて腎臓を患い、食べれなくなって痩せて、1週間ほど毎日点滴に病院通いをしたが、私の腕の中で息を引き取った。人間と同じ生活をすることは、家畜にとって迷惑なことかも知れない。

 牛も畜舎で生活をすることは迷惑なはずだ。だから、「牛が笑っている牧場」を目指す富士山岡村牧場は、牛の立場で牛のことを考える試行錯誤の毎日だったろう。科学の発達した今日では、牛は誰でも同じ様に飼えると思うかもしないが、牛を見る視点は人それぞれ違う。ことに牛を収入源と考える経営でコストを考えるのは常識であるが、その常識が判断を狂わす。例えば、乾草は値段ではなく最も良く食べてくれるものを買う。子牛の小屋(カーフハッチ)の子牛の状態は居間から何時でも見れるようにして、牛舎は牛の立場から清潔でアンモニア臭がしないように敷科に気をつける。

 家畜の飼養管理を家畜の立場で考えることは、当たり前のようでなかなかできるものではない。さらに、この富士山岡村牧場の最も大きな特徴は、和牛の霜降り肉の生産を目標にするのではなく、富士山麓の酪農地帯で乳牛から生まれてくるハイブりド牛を利用して、軟かくて誰でも食べやすく美味しい赤身肉の生産を目指していることだ。F1メス牛を放牧して子牛生産をして、受胎しなくなったF1メス牛を短期肥育すれば最高に美味しい肉ができる。それを実践している日本のトップランナーでもある。

 一方、福山市神村町にある大谷山里山牧場は1.5haに牛2頭飼う、世界で1番小さな牧場である。「草刈りをしないで荒れている地域は治安も悪い」という話題が町内の自治会で出て、子供の通学路の草刈りをする10名の草刈り隊が発足し、自宅周辺の草刈りを始める人たちも出て来た。以前は、農家には牛がいて周辺の草は大切な資源であったが、牛や鶏が農家から消えて行くとともに里山の管理をする人がいなくなっていた。その話を聞き、牛の放牧で里山の管理をしたらと提案したことから里山に牛が入った。

 日本の里山は人手がなくなり野生動物の棲家になりつつある。一方で荒れていく里山があり、一方では経営として牛を放牧する土地がない。この瑞穂の国で、荒れる里山を牛の放牧で守る方法をどう定着させて行くか。個人の土地所有と経営体における放牧と住民ファーストをどう繋ぐか? 今、日本の農業と地方における自然と牛と人の関係は、歴史的転換期にある。

 ブログ「アメリカのHRMに学ぶ」でアメリカのバージニア州にあるサルトン氏のポリフェイス(多くの顔を持つ)牧場を紹介したことがある。「Salad Bar Beef」や「Pastured Poultry Profit$等の著作も多いが動画でも多く紹介されていることを知った。英語だが今後の勉強課題として記録に残しておく。
Polyface Farm - Salad Bar Beef - Part1-7
人気の動画 - Polyface Farm

初稿 2017.1.15 更新 2017.5.12

今から100~150年前、夏目漱石に見る日本人の精神

2017-01-10 21:02:28 | 自然と人為

 昨年は夏目漱石の没後100年を迎え、記念行事やNHKの紹介番組が多かった。録画はしているがNHKは有料化して収入増を重視したのか、Youtubeが著作権を口実に放送された動画の掲載を拒否し、皆さんと共有できなくなったのが残念だ。なにしろ私は専門家としてブログを書いているわけではない。一般に提供されている放送番組を資料(根拠)にして、私の考えを論じているだけだ。そのことで、私の解釈が間違っているのか資料に問題があるのか、皆さんが判断できることに意義がある。悔しいし、危険な時代を予感するので何度でも言う。デジタル化の時代、「公開されたものは共有財産」であり、公開までの問題は問われるにしても、放送された動画には著作権はない。むしろ広く公開に協力することは、制作関係者にとっては名誉なこと。著作権を口実に名誉よりお金を稼ぐのが目的なのか、否、情報統制の始まりだと私は危惧する。NHKは受信料を払っている視聴者に、過去の放送番組をいつでも見れるようにすることこそ、信頼のために優先すべき課題だ。それは技術的には、現在の番組予告表と放送済み録画を連動させれば簡単に出来ること。
 ところで今年は夏目漱石の生誕150年だ。私は夏目漱石について詳しいわけではないが、明治維新の混乱期(1867年2月)に生まれ、幼少時は養子に出され、1900年(明治33年)に英国に留学している彼が、どうして利己主義でもなく自己犠牲でもなく、他者の「自己」も尊重する「自己本位」と「則天去私」という境地に至ったのか、江戸時代から今日に繋がる日本人の精神を覗いてみたいと思った。
 参考: 夏目漱石作品集@Adobe Readerで読む日本文学
      『私の個人主義』夏目漱石
      『文芸と道徳』夏目漱石
 感想: 夏目漱石の言語生活
      文芸はいかに道徳的であるべきか その3(品下る時代に)
      「文明批評家としての夏目漱石」


 夏目漱石 『文芸と道徳』(1)(2)(3)(4)ロマン主義と自然主義(2)の関係に、維新前後の道徳についての考えが見られるが、現代に通じる個人のあり方を文芸との関係で論じている点は考えてみれば文学者としては当然のことなのだが、江戸から明治に繋がる日本人の精神を読み解く資料として歴史の物語を期待した私には新鮮ではあるが戸惑った。漱石にとって歴史は「世間」の考え方の変化の中にあった。儒学の影響を強く受けていた漱石にとって英国留学は精神衰弱になるほど居心地が悪かったが、英国留学で学んだ義務を伴う個人主義の裏側に日本の封建制の遺物「世間」があり、それは未だに我々の無意識を支配し続けているのではないか。その悩みが現代にも通じる個人の問題を提起してくれている。

 ロマン主義は自己犠牲しても他者に尽くすのを良しとするところがあるが、江戸時代の武士道は、権力者が支配する者に強く求める道徳である点で、漱石はこれを否定している。しかし、自己犠牲を求心力としながら他者の「自己」も尊重する「自己本位」と「則天去私」という境地に至った点で、西洋の個人主義と東洋の儒学の対立の中で漱石はこれを一段上に止揚させた。何よりも日露戦争の勝利に浮かれる日本人が『夏目漱石』も愛したことに、私は日本人の文化的深さを見出したように思う。
 「明治の人間」を我々は一時代前の人間として空想するが、私の父は漱石が留学した1年後の19001年に生まれ、幼児期に日露戦争を経験しているが、父の考え方は柔軟で明治の人間だと思ったことはなかった。一方、江戸時代の名君「保科正之」のことを多くの日本人は知らない。どうも歴史の物語は、意図的に創られたかどうかは別にして、我々の想像の産物のところがあるようだ。

 「私の個人主義」の次の個所が漱石自身の言葉として解りやすい。
 「第一に自己の個性の発展を仕遂しとげようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴ともなう責任を重おもんじなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。」
 だから、政治・経済の指導者は人格者でなければならない。今でも問われる問題だ。

 また、国家と個人の道徳について次のように指摘している。
 「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺さぎをやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘あまんじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。」

 「悪貨は良貨を駆逐する」、利他的な生き方は利己的な生き方に駆逐される。個人の道徳が国によって駆逐される。時代の空気は70~80年で変化するというが、ある意味では利他的と利己的の間を揺れ動く振り子の様なもの。個人でも振れることがあるが、技術や制度の変化と世代の交代による集団の揺れもあろう。いずれにしても嫌な時代に戻らないように、それぞれの考え方の根拠を問い直す姿勢が必要であろう。少なくとも漱石の悩みのように、我々も次の時代を一歩でも止揚させねばならないが、未だに漱石の悩みに気が付かず「世間」にどっぷり浸かっているのではなかろうか。

初稿 2017/1.10 更新 2017.1.11

池上彰の世界を変えた本/現代史講義/その他&トマ・ピケティ「21世紀の資本論」&神戸大学「現代と経済」

2017-01-04 23:53:51 | 自然と人為

 科学技術の発展により、これからの生活は今までよりスピードアップして様変わりするかもしれない。人の考え方は様々であることは認められねばならないが、組織の責任者、ことに政治家は利己的ではなく利他的な言動に責任と義務を持つ訓練が必要だ。様々な考え方はあろうが、我々は自然の一員であり農畜水産物によって生かされていることは大切にしたい。地域社会も大切にしたいが、家を大切にする日本の文化が男尊女卑の社会に繋がっていることにも注意が必要だと、最近、考えるようになった。私自身が3人の姉を持つ末っ子の跡継ぎとして育ち、家業を継ぐのは当然だと思い、苦手の理系の大学に進学した経験がある。女性は女神だと若いころから思っていたので、男尊女卑という意識はなかったが、無意識のうちに男は仕事をしていれば良いと家事のことは任せっぱなしだったと今頃になり反省している。これからは家中心から個人中心の社会となり、女性の働く環境を社会で整備する必要がある。それには地方ではなく国が福祉と教育に責任を持つことが大切だ。子育てと老人を含めて様々な手助けを必要とする人々の支援に社会が責任を持つことを常識としなければいけない。それには自律した個人の絆で他者と幸福に生きる物語が必要だ。いつの時代も人々は物語によって生きている。幸いにも、私はWEBで様々な資料を見つけることができる。ここに私自身の考えを整理し深めるために、今回は経済の関係について集めてみた。これからじっくり勉強するつもりだが、情報は人類の宝として皆様とともに利用させていただく。神戸大学、池上彰氏、トマ・ピケティ氏とその講義をWEBに公開していただいた各位に感謝申し上げたい。

池上彰の世界を変えた本
第一回 「聖書」
第二回“経済書の古典”カール・マルクスの「資本論」
第三回 マックス・ウェーバー 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
第四回 ケインズの「雇用、利子および貨幣の一般理論」
第五回 ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」(動画なし)
 参考: 池上彰解説①フリードマン著「資本主義と自由」新自由主義経済とは?
      池上彰解説②フリードマン著「資本主義と自由」ティーパーティと政治

第六回 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」
第七回 チャールズ・ダーウィンの「種の起源」

池上彰の現代史講義
チェルノブイリからフクシマへ/池上彰の現代史講義 第1回
東西冷戦とベルリンの壁崩壊/池上彰の現代史講義 第2回
ソ連の誕生と崩壊/池上彰の現代史講義 第3回
中国と台湾の対立/池上彰の現代史講義 第4回
朝鮮戦争とその後/池上彰の現代史講義 第5回
中東戦争とその後/池上彰の現代史講義 第6回
ベトナム戦争と日本/池上彰の現代史講義 第7回
カンボジアの悲劇/池上彰の現代史講義 第8回
キューバ危機と核開発競争/池上彰の現代史講義 第9回
中国 「大躍進政策」と「文化大革命」/池上彰の現代史講義 第10回
中国 天安門広場が血に染まった/池上彰の現代史講義 第11回
石油が武器になった/池上彰の現代史講義 第12回
ひとつのヨーロッパへの夢/池上彰の現代史講義 第13回
9・11そしてイラクとアフガニスタン/池上彰の現代史講義 第14回

池上彰の「聖書とはなにか。その歴史と現在」
池上彰解説 イスラム教ってなに? ビジネスチャンスになる !
池上彰解説 なぜ世界から格差はなくならないのか? 

NHK パリ白熱教室 トマ・ピケティ講義「21世紀の資本論」講義一覧
第1回~「21世紀の資本論」~格差はこうして生まれる~
第2回「所得不平等の構図」~なぜ格差は拡大するのか~
第3回「不平等と教育格差」~ なぜ所得格差は生まれるのか~
第4回「強まる資産集中」~所得データが語る格差の実態~
第5回「世襲型資本主義の復活」~19世紀の格差社会に逆もどり?~
第6回「これからの資本主義」~再分配システムをどうつくるか~

講義「21世紀の資本」(日本語字幕) — 東大TV

現代の経済、現代と経済 神戸大学
「経済のしくみ」編
第1回 経済学とはどんな学問なのか?:市場とGDPのお話し
第2回 お金のお話し
第3回 アダム・スミスという人のお話し
第4回 経済をコントロールするお話し:マルクス、ケインズ
第5回 再び「経済自由化」のお話し:フリードマンとTPP
「日本経済の問題」編
第6回 インフレとデフレのお話し:アベノミクスとインフレターゲット
第7回 政府と日銀の経済政策:財政政策と金融政策と国債
第8回 日本経済の諸問題:円高と年金問題
「世界経済の問題」編
第9回 世界経済の重要性
第10回 貧しい国と豊かな国

初稿 2017.1.4 更新 2017.6.3(動画アドレス修正)