自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

国や組織に主体があるのではない。個人に主体があり、主体は他者への感謝から生まれる。

2015-08-08 16:31:56 | 憲法を考える
 国や組織に主体があるのではない。個人に主体があり、それぞれの個人が個性や能力を十分に発揮できるようにするのが組織や国の責任である。この場合、組織や国にも主体があると考えるとしても、個人が一人では生きていけないのと同じように、その主体は他者により生かされていることに感謝する心Ubuntu:ウブントゥから生まれるものでなければならない。

 なぜ、武力が必要なのか。武力による抑止力は他者を考えない幻想にすぎない。今では武力の暴発は人類を滅亡させる危機にさえあることを知ろう。しかも武力は全てを破壊するだけでなく、武力による抑止力より、抑圧による憎しみの方が人の反抗のエネルギーを大きくさせる。スポーツでは勝ち負けを競うが、勝ち負けを支配と抑圧につないではいけない。自由な競争が枯渇していくと、国民の幸福と生命を守ることを口実にして、国民の血税と生命・尊厳を自由に操るために武力による支配が蠢き出す。

 人が人を殺すことは許されないのに、市民が銃を持つことを禁止できないアメリカは野蛮な国だ。国が人を殺すことを認める戦争は絶対悪だが、アメリカは武力で世界を支配しようとしている。武力に関係した産業で潤う者はいても、武力で安住の場を追われる悲惨な人々がはるかに多いこと忘れてはいけない。武力により平和がもたらされるという神話に惑わされてはいけない。

 憲法の根幹である国民主権、基本的人権、民主主義、平和主義の思想は戦前の日本では育たなかった。戦後70年、憲法改正を党是とする自民党政権によって憲法や民主主義が教育の根幹とはされず、日本のグランドデザインの下敷きにもならなかった。そのことが、あるときにはエコノミックアニマルと揶揄され、あるときには国粋主義者を生む。日本に憲法を基盤としたグランドデザインがないことは大きな不幸だと思う。

 18歳以上に選挙権を認める今日においてさえ、義務のはずの憲法や民主主義の教育に「政治的に中立?」であるべきだと及び腰だ。しかし、皮肉なことに自民党政権の目論む「解釈改憲」によって、若い人たちが「憲法」に目覚めつつあるようだ。国民主権ではなく国民支配のために働く政治家や官僚は公職追放しなければならない。

 人は様々な環境で育ち、様々な物語を生きている。物語は人それぞれの関心と感性と経験で紡がれるので、その物語が正しいか否かを誰かが判断できる性格のものではない。自分の物語が正しいと頑固に主張するのは他者の物語を無視しているにすぎない。
 デカルトの「我思う、故に我あり」が科学的考え方(要素還元主義)を発達させたとしても、一人で全てを知ることはできない。また、個人主義は他者を尊重することによって実現できるのに、デカルトを「我あり、故に君あり」と勘違いして、これを「信念に生きる」と考えて集団より個人、真実より自分の考えの勝ち負けを重視する人たちが増えている。

 人はその場の自分と他者との関係を瞬時に感じているが、そのとき右脳は境界を感じない。瞬時に感じているモノの多くは左脳に刻印された記憶の作用が多いことをテイラー博士の”復活した脳”は教えてくれる。道徳教育で支配者に服従することを教えるのではなく、科学教育で自然を支配することを進歩だと教えるのでもなく、自然を含めて他者に生かされているのが自分、自己であることを教えよう。

これまでの関連ブログ:
1.憲法違反の「安保法制案」に賛成した議員の被選挙権剥奪の国民運動を開始しよう!
2.立憲主義と平和主義が危ない~寄らば大樹と知らしむべからず
3.戦争(明治政府)と平和(徳川幕府)~多様な視点と国民を守る憲法
4.国民主権ではなく、国民支配の政治を始めた自民党
5.18歳までに憲法をしっかり勉強しよう
6.憲法の価値を実現する
7.人生の結果 = 思想・哲学(倫理) × 熱意 × 能力
8.自衛隊活動の拡大を問う~憲法を考える
9.失われて気づく日常~憲法を考える
10.憲法を考える~成立の経緯にどのような問題があるのか?
11.銃で民主主義を守るアメリカと民主主義崩壊を放置する日本
12.新自由主義と子供たちの教育を考える
13.個人を集団に従わせる日本の『呪縛』と他者を尊重しないアメリカの『呪縛』
14.世間と社会~誰も責任を取らない中空構造⑤

初稿 2015.8.8

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