自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

コストダウンとコストゼロの違い~固定観念が生きる世界を狭くする

2016-09-17 15:08:13 | 自然と人為

 経済においては「コストダウン」が常識とされて、「コスト」という固定観念を身に着けさせて、限りなく「コストダウン」を目指す方向が当たり前だと思わせている。「コスト」という意識が生まれたのは分業化によるもので、これは部分の意識であり知識にすぎない。最近は、「ゼロベースで見直すコスト削減戦略」が注目されるようになったが、これは部分ではなく全体を見ろということだ、と私は思う。
 「すべてが一つの世界」は、コスト意識とは無縁の世界だ。だから昔に帰れと言うのではない。私は、これを全体を見ろ、ホリスティック (2)な経営をしろ、さらに言えば自然を尊重する生き方をしろと受け取っている。全体を見ればやることが一杯見えてきて、生きる喜びも大きくなる。

 私の専門の農業の分野でもやることが一杯残されているのに、利益を追求できなくて廃業していく農家が多かったし、これからも「コストダウン」を常識としている限りは、農業に未来はない。これまでの農政の「選択的規模拡大」も、現在、「地方創生」として求められている農業の「国際競争力の強化」も、部分しか見ない「コストダウン」や「利益」を追及する経済の「固定観念」がもたらす必然の道だ。また、多くの人が必然の道だと信じるコストダウンと利益を優先することで、東京都中央卸売市場の豊洲移転問題や福島の原発事故等を引き起こして、農業問題以外でも莫大な被害と損失を与えている。自然を含めた全体を見なければ、産業の衰退どころか、我々は住む場所さえ奪われていく。

 前回、「強者の論理よりも自然を愛する感性を!」で「人と自然と農業の関係は実験室で確認できるものではない。農学を実験室で発展させていると思うのは科学の思い上がりであり、農業は現場で学ぶしかない。」と申し上げた。また、「農学栄えて農業滅びる」という横井時敬の言葉は、今も科学の細分化を警告する言葉だと指摘したこともある。「人と自然と農」の関係は、農業の現場で学ぶしかないと「畜産システム研究会」を現場の同志を中心にして今から30年前に立ち上げたが、その20周年を記念した会報30号(2006.7)に、研究会設立に対する思いを語っている。
 図をクリックして拡大 (畜産システム研究会報第30号 p.1)
 図をクリックして拡大 (畜産システム研究会報第30号 p.2)

 この研究会では先輩の佐々木義之先生から聞いたイギリスにおける酪農の交雑利用をヒントに、乳牛に和牛を交配したF1生産を大学農場や現場で実施したものをまとめて「F1生産の理論と実践」 (通販)を発行した。この本の発行は、農林水産省図書資料月報(2000/4)に紹介していただいているので、ここにも残しておきたい。
 図をクリックして拡大 農林水産省図書資料月報(2000/4)
 なお、当時は「F1生産」ではなく「ハイブリッド生産」のタイトルを要望したが、農水省の使うF1(交雑種)が認知されやすいと採用されなかった。現在ならハイブリッド車が人気なので受け入れられたかもしれないと少し残念な思いが残っている。

 「F1生産」を私の業績だと褒めていただくこともあるが、私はイギリスの酪農における交雑の例を仮説として、日本の和牛を交雑に利用して現場で実証しただけで、F1に実力があったから普及定着しただけだと思っている。ただ、実証試験の段階では、酪農界からは泌乳能力が世界一優れたホルスタインに和牛を交配することを批判され、和牛界からは肉質が世界一の種雄牛の精液を酪農界に提供したと批判された。肉質の優れたまがい物の「和牛」を語って市場を混乱させてはいけないと、「里山牛」の名称を提案をしてきたが、「里山」の伝統のない北海道では「北の国黒牛(北海道産交雑種)」という名称を使われているケースもある。和牛と乳牛の交配は「和牛のまがい物」を造る様な「ちまちました目的」ではなく、人工授精を利用した世界一の資源利用型ハイブリッド生産の確立が目標なのである。

 乳牛は牛乳の生産能力の向上、和牛は農耕用から「霜降り肉」を造った先人の功績を守ることが酪農界と和牛界の「固定観念」となった。和牛界と酪農界にあった「固定観念」が両者の交配を認めなかったが、今では高泌乳を追及する酪農と「霜降り肉」を追及する和牛生産のいずれも耐病性と経済性、それに自給飼料の利用性のいずれにおいても問題点が指摘されるようになった。両者の交配はこれらを克服できる新しいシステムを提案でき、その新しいシステムが日本の農業の可能性を大きくしてくれると思うが、「固定観念」が邪魔をして、未だに本格的なシステムの構築の動きがないのが残念で仕方がない。現場での情報交換を目的とした「畜産システム研究所」が、その能力をさらに発揮できるように研究所所長を瀬野豊彦氏にお願いして、今後の活躍に期待している。 

 品種間の交雑は近親交配により劣性遺伝子がホモ化する近交退化を防止して遺伝子の組み合わせをヘテロ化する雑種強勢(ヘテローシス)と品種間の能力を補完する補完効果を利用する。
 参考: 家畜育種学(ネブラスカ大学リンカーン校)
      近親交配があぶない!(ホルスタイン通信2001 8 月号抜粋)
      自給飼料をめぐる情勢(平成16年4月 生産局畜産部畜産振興課)


 したがって、品種間交雑は自給飼料の利用に適した雌牛に求められる繁殖や泌乳能力を人工授精で生産するには最も優れた方法である。例えばアメリカの広い牧場で泌乳能力の高いホルスタインを放牧したが、放牧方式には適さないのでジャージー種を交配している牧場があったが、人工授精で能力を変えるのは品種を入れ替えるより容易なことは想像できよう。放牧で酪農をしている北海道の斉藤晶さんの牧場では、体高が低くがっちりしたホルスタインだが乳量は1日15kg程度と低い。それはその土地の条件に適した牛を斉藤晶さんが残して改良したということだ。乳量が1日15kg程度の方が放牧に適しているなら和牛を交配したF1雌牛を放牧して搾乳すれば、肉牛としての利用価値も高くなる。私が大学時代に肉質の優れたF1雌牛を搾乳したときには1日乳量が10~15kg程度であったので、15~20kg程度のF1雌牛は和牛の種雄牛を選抜すれば容易に作出できよう。

 しかも、受胎しなくなったF1雌牛を3カ月程度短期肥育すれば、こんな牛肉を食べたかったと皆が思う程美味しい。F1雌牛を放牧して搾乳し、廃牛を短期間肥育して牛肉を販売する方法をシステム化すれば、日本の畜産は様変わりするであろう。これからは人間も家畜も男ではなくて女の時代だ。さらに、酪農は乳製品の原料を提供し、チーズの副産物のホエーを豚に飲ませれば、これもまた美味しい豚肉となる。放牧地は親子の遊びや教育の場とすれば、里山で育った自然の知恵を次の代に伝えることもできる。これからは固定観念を打破し、個人中心ではなくて地域で自治体を含めて共同体でシステム化し、自然を2番ではなく1番に考えれば、農業と畜産の可能性は楽しいほど拡がるであろう。

 さらに、BSEや口蹄疫の発生に関して、メディアからは必要な情報が得られず、国の施策にも問題が多いので、現場の人達とこれらの情報を共有しようと牛豚と鬼「命と自由を守る民間ネット」も立ち上げた。その反応が、次のブログ『宮崎口蹄疫事件 その101 「口蹄疫対策民間ネット」について』に紹介されている。情報はメディアから与えられると思うな。現場の情報は現場で仕事をする人々が持っている。現場の情報を現場で共有することが大切だし、そのことが可能な時代になっている。

 日常の論理は利害が伴い、科学的に正しいかどうかを皆で判断することは難しいか出来ないので、日常の判断は強い側の論理か採用されることが多い。しかし、それは利害の対立を生むので、利害に関係なく多くの人が幸福になれる道を選ぶべきであろう。
 「あなたが幸福であれば、私も幸福になれます」と言うと、若い恋人の甘い言葉だと笑われるかも知れないが、この言葉は利他的で純粋である。他者に対する利他的行為は、部分では恋人を奪われるかもしれないが、恋人達が幸せならばそれでいいじゃあないか。あなたも恨まないで恋人の幸せを祝えば、あなたも報われ皆が幸福になれる。
 人は一人では生きられないので、利害が一致する人だけとの関係よりも、多くの人との関係を利他的に生きることで、生きる世界が拡がりお互いに幸福になれると確信している。

 自然は他者と言うより我々全人類の共通の生きる基盤である。しかし自然は、われわれの周囲に当たり前にあるので、タダだと思い皆は有り難がらないし、むしろ自然の破壊や汚染を平気でしてきた。自然あっての我々なのだと気がつけば、自然にとって1番良いことは皆にとっても1番良いことだと気がつくだろう。日常の判断を難しいい論理で論じるよりも、その言動が自然にとって1番良いことかどうかで判断していくことが、皆も理解し報われる方法だと確信している。

初稿 2016.9.17 更新 2016.9.19