自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

10分で語る[我々は何処から来たのか?何処へ行くのか?]

2017-09-30 15:40:50 | 自然と人為

 2017年10月21日(土)に開催される畜産システム研究会のテーマ「自然と地域につながる肉牛生産」について一般の方にも理解していただくために、次の4本の動画

 森の哲学者 メイナク族 (37分)
 牛が拓いた斉藤晶牧場(北海道旭川)(19分) 斉藤晶「おん牛と営農 」
 「アインシュタインからビッグヒストリーへ」 
  E=mc2 エネルギーは物質の質量に光速の2乗をかけたものに等しい
 E=mc2 ~アインシュタインと世界一美しい方程式~
 E=mc^2~アインシュタインと世界一美しい方程式~
 TED日本語:ビッグ・ヒストリー(デビッド・クリスチャン)18分

「我々は何処から来たのか?何処へ行くのか?」と題し説明したい。

表1  
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 当日は5分程度で説明しなければならないので表1を中心に話すが、大切なことを言い忘れないように表2については、「TEDのビッグ・ヒストリーの話し」より短く10分でここに語っておきたい。

表2
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 「我々は何処から来たのか?」は神話から科学で説明できるようになった。138億年前のビッグバンの宇宙の誕生から始まるビッグヒストリーでは、20万年前に人類が誕生し、1万年前から農業を始めたことになる。そして、人間は家族と小集団で地域に生きてきたが、機械化、分業化、都市化、グローバル化と生きる環境と生き方を変えながら、一方では生物のおかげで蓄積された石油を浪費して異常気象を発生させ、一方では核分裂や核融合の最先端技術と誇る原発や原爆、水爆の放射能で地球を住めなくして、現代の我々は「何処へ行くのか?」の問題に直面している。それは一人一人の生き方を問うと同時に、集団としての人間のあり方が問われる時代になったということだ。

 生活が便利になれば個人で生きていけるかのように、人は利己的になる。一方、個人の自由な発言は組織化が進むにつれ、組織を意識した窮屈なものにもなる。
 小集団の一人として必要とされる幸福から、集団が大きくなるにつれ個人の幸福を考えるのが常識ともなる。

 人類は集団で生きてきたので、将来においても個人と集団の関係は変わらない。ただ、その関係が曖昧であり、生物としての本能を拭い去り、集団として悟りの境地に至ることはできないかもしれないが、「個人の尊厳」は「他者の尊重」と同じであることを深く認識することが、人類の未来を幸福にするかどうかの重要な鍵となろう。

 最も重要な話はこれだけだ。しかし、「神話から科学へ」の話のためにも、宇宙の話のためにも、そして原発や原爆、水爆の話のためにもアインシュタインが欠かせない。彼はこれまでの100年を変えた20世紀の偉大な科学者となったが、物事を深く追及する若い才能は誰にも認められず、大学卒業後にスイスの特許庁にやっと職を得た。それでもずーっと光とエネルギーのことを考え続けた。我々は想像で物語を語るが、物語を数学で考え表現し、筆と紙さえあれば何処にいようが考え続け、表現することが出来るのは稀有な才能だ。

 原爆の開発はユダヤを迫害したナチスドイツの原爆開発を恐れてアインシュタインがアメリカに提言した。7月16日の原爆実験成功の際にはドイツは降伏していたので原爆投下に反対する声もあったが、実験から一ヶ月も経たないうちに、8月6日に広島、8月9日には長崎に投下した。宇宙の理解に貢献した理論は人間社会で実用化されると究極の競争である戦争に利用される。今も抑止力を理由に使えないはずの核兵器を持ち続け、小型化、高層圏爆発化と多用途に使える兵器にしている。

 北朝鮮も日本も政治が2代目、3代目と私物化され、思想の近交退化で国民を忘れた独裁政治が敵を理由に国民を鼓舞させる。戦前は純粋な愛国少年がいたが、今ではアメリカの植民地化政策に賛同する変な民族主義者が、アメリカとともに戦うことを国粋主義とする矛盾した国になってしまったものだ。これも現実だと言うのだろうか。
 参考:敗戦から70年 日本とドイツの異なる戦後

 現在の近代化とグローバル化は人類の競争がもたらした進歩であり、必然であると教えられて来たし、それが現実であると考える人は多い。しかし、その現実が問題を引き起こしていることこそが現代病なのだ。例えば石油や石炭を燃やすことから発生する炭酸ガスが地球温暖化をもたらすので、原発エネルギーに依存せざるを得ないという。石油か原発かの論議は、夜遅くまで輝くネオンの生活を前提にし、国際競争力のために日夜働き続けて電力を消費することを肯定する現代の常識が前提にある。

 「規模拡大によるコストダウンと競争力の強化」という神話は工業から商業、そして農業までも常識とされている。それが現実だと多くの人が思っているが、それはビッグヒストリーから見れば一瞬の出来事だ。でもその一瞬に人は人生を賭けている。人類としては破滅に向かって走っていても、人それぞれの立ち位置によっては、破滅ではなく希望の道に見えるのだろう。

 人間の集団はものごとを右か左かの論理で判断するが、私は中心に自然を置き、自然を大切にするかどうかを判断基準にしている。人類は自然の一員だからこの判断は難しいことではない。ビッグヒストリーにおいても考えられる基準だ。これが基準でないとすれば、人類はいつから人間から脱却したと言うのだろう。

 私の話が現実的でないと思われる方に、日本の政治の現実を紹介しておこう。
小池百合子に騙されるな! 極右に「希望」などない.(現在:検索不能)
保守・極右の小池百合子都知事が「希望の党」代表とは喜劇か,民進党との野合は日本の政治全体をさらに安倍晋三「化」させる
 LETERA「小池百合子に騙されるな! 極右に『希望』などない」.
小池は第二の安倍か<本澤二郎の「日本の風景」
日本国民よ!今度こそ騙されるな!安倍晋三と小池百合子と前原誠司と橋下徹は皆裏でつながっている!
山尾志桜里衆院議員の応援集会、漫画家・小林よしのり氏と山尾氏がそれぞれトーク


 政治家が国民を軽んじ馬鹿にするのは、政治家を会社や大学の裏口入社や入学に利用できる人という程度にしか考えていない国民が、選択に迷ったら自民党に入れる伝統があるからだろう。そう思っていたら「感情的な日本人」を心配する精神科医に教えられた。感情的とは理性的でないことで、周囲に同調して「現状維持バイアス」がかかり、自分の感情を殺すことと解釈したがどうだろう?
 参考:解散は詐欺師の手口 和田秀樹氏が懸念する感情的な日本人

 ここで少し政治の話に入ってしまうが、今回の小池劇場は政治家の本音が見えて参考になる。安倍内閣には退陣してもらいたいが、政治手法としては希望の党に合流するのは稚拙だ。改憲派の保守一色になるのは危険なので、民主リベラルには頑張っていただきたい。新しい党を立ち上げることには賛成だけど、立憲民主党は明治を連想させてセンスがない。真面目で愚直なことは評価するが、大衆は小池劇場に踊らされているのだから、小池さんに安倍内閣を倒してもらい、中身は愚直だが看板は「平和党」のように近寄りやすいものにして、排除ではなく憲法を守る野党連合で1/3以上を取れるよう必死で頑張っていただきたい。今回の勝敗の決め手は1/3にある。
 参考:リベラル新党が政権選択!<本澤二郎の「日本の風景」

 それにしても、現代はサラリーマンという組織人間が多くなり、機械だけでなく人間もロボット化することを懸念していたが、自分の感情を殺すことがストレスとはならず、日本人の美徳として社会的には賛美されるようになるのだろうか?   
 いずれにしても、競争が社会を進歩させるという現実は、日本人を幸せにはしないと思う。「現実からのスタートではなく、現実からの脱却」こそが日本には必要だと、私は確信する。

初稿 2017.9.30 更新 2020.9.12


第31回畜産システム研究会のご案内(最新版)

2017-09-27 17:38:33 | 自然と人為

 2017年10月21日(土)に開催される畜産システム研究会について御案内します。「システム」とは簡単に説明すると要素と要素をつないで「機能をつくる」ことで、我々は社会、経済、工業と様々なシステムをつくり働いています。「つくる」を「創る」と書けば発明になります。研究会はそれぞれの創意工夫を語り合い勉強する場ですが、「専門細分化」が進むと「農学栄えて農業滅ぶ」になりかねません。

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 広島大学が福山から西条に移転する際に、日ごろの現場の方々とのつながりを形にして残そうと始めたのが、この畜産システム研究会です。現場のことは研究だけでなく実践が必要です。ある事業を研究会で実施するために、畜産システム研究所も作りました。しかし私は歩けなくなり、現場にも行けなくなりました。そんな時に研究会の発祥の地で研究会を開催していただき、研究所の組織化も考えていただくことになりました。そこで専門家だけでなく一般の方も参加していただけるように、テーマを「自然と地域につながる肉牛生産」とさせていただき、牛による里山管理を始めて地域の繋がりを強くされている大谷山里山牧場の安部さん、酪農の副産物を利用しておいしい赤身肉を生産されている日本のトップランナー、静岡の富士山岡村牧場さんにお出でいただき、TV放映された録画を含めて自然と地域につながる牧場のことを紹介していただくことにしました。

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 午前9時から開始し、畜産システム研究会会長挨拶に続き今回のテーマ「自然と地域につながった肉牛生産」に関係した3本の動画「我々は何処から来たのか? 何処へ行くのか?」を上映します。
 動画:「森の哲学者メイナク族」 (37分)
      牛が拓いた斉藤晶牧場 (19分)
      「アインシュタインからビッグヒストリーへ」 (33分)

 なお、ビッグヒストリの最後の現代の問題点の部分の映像がこのブログでは止まると思いますので、TED日本語 - デビッド・クリスチャン: ビッグ・ヒストリーを参考にしてください。

 この3本の動画については、それぞれの印象があるでしょう。しかし、「何故アインシュタイン?」と思われる方も多いと思います。これはNHK放映のものやらいろいろと切り貼りしていますので、忙しい動画になっています。時間があればもっとゆっくり観ていただきたいのですが、このブログで上映の意味を少しでもご理解いただければと思います。

 現代人は野蛮な土人、遅れた農業という偏見を持ち都会生活に憧れます。また、「個人の幸福」を常識としていますが、地域で助け合い、必要とされなながら生きている人々にとって、「小集団の幸福」が「個人の幸福」なのです。分業化、サラリーマン化が普通となった現代では地域の協力関係で生きる幸せが薄れてしまいました。それぞれの生きる世界が違うので、それぞれが想像する世界も好む物語も違い、地域での交流は負担となっているケースが多いと思います。

 里山も荒れて管理が大変です。自然が近い地域に住む人は、条件が悪いのではなく、恵まれていることに気が付いて欲しい。「規模拡大によるコストダウン」が農業までも常識となってしまいました。経済を動かすお金だって客観的な流通に疑問を抱かないでしょうが、通貨発行はごく一部の人が管理しています。しかもビッグヒストリーから見ればこれらは一瞬のことです。人々が一瞬のことを常識と考え、我々を生かしてくれた環境を放置または破壊して何処へ行くのでしょうか。都会どころか地球は住めなくなったと言って宇宙に棲家を探すのでしょうか。農業は人間が生きる原点だということに気付いて欲しい。そこからいろいろな要素をつなぐ物語を想像し、語り合い、幸せに生きることを考えて欲しい。鹿児島の南の硫黄島の暮らしを紹介する「日本のチカラ~WILDLIFE 硫黄島」は、「地域で幸せに生きる」ということを教えてくれます。(参考:「人が『幸福』を感じるとき」)。
 動画:日本のチカラ~WILDLIFE 硫黄島

 今回は上映の話をしましたが、次回から講演要旨をご案内する予定です。

畜産システム研究会開催準備会
旧畜産システム研究所ホームページ

初稿 2017.9.27

市会は市民のため、県会は県民のため、国会は国民のために!

2017-09-23 21:39:00 | 自然と人為

   差別と支配と暴力のない理想の世界をめざして~我々は何処へ行くのか?

 「市会は市民のため、県会は県民のため、国会は国民のために!」これは小学生でも常識のはずだが、自分ファーストの政治屋3悪人が世界を戦争の不安に陥れている。北朝鮮と日本の3代目支配者とトランプ大統領だ。
 日本の安倍首相は「森友・加計問題」等の政治犯罪を犯して、追求を逃れるために国会を解散するという。メディアが伝える解散権は本当に総理の専権事項なのか? 日本国憲法第7条には、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」とあり、国事行為としては、3項に「衆議院を解散すること。」とある。「7条解散」は「すべて総理大臣が自分でやりたいと思って解散をしたケース」だが、今回も解散の理由は後付けされるだろう。

 しかも、「内閣の助言と承認により、国民のために」実施する「衆議院を解散する(国事行為)」ではなく、憲法違反である。少なくとも仕事を始めていない内閣は、閣僚が辞職を拒否する大義があり、首相の独断で解散はできないはずだ。それでも解散がされた場合は国民からの信頼を失い、自民党崩壊の始まりか、国民の自由な発言が出来なくなる北朝鮮のような独裁国家の道を歩むのかどちらかであろう。

 それにしても「森友・加計問題」等の政治的犯罪隠しが疑われる常軌を失した解散は、象徴天皇制を侮辱するとともに、国民を馬鹿にするのもいい加減にしろと罵倒されてもおかしくない。彼の地盤は山口県と言われるが、官邸ではなく東京都の私邸に住む正真正銘の東京都民だ。何故、山口から出馬できる? 政治権力を私物化して悪用し、外交では戦争を挑発する危険な政治家は、是非とも山口県選挙区第4区(下関、長門)で、県民のためではなく国民のために追放してもらいたい。戦争を挑発しているのは北朝鮮だと言うかも知れないが、喧嘩言葉はどっちもどっちだ。喧嘩と戦争を抑止する知恵と見識を持たないものは、政治家として最も不適格で選挙に出馬する資格はない。

 1年前のブログも「何を大切に生きているのか?~政治家の見識を問う」を投稿している。当時はサンデーモーニングの「風をよむ」をYutubeに紹介していたが削除されてしまった。修復可能かどうか検討してみたい。

 この秋の連休を楽しみにされている方は多いと思うが、私たちも10月21日には全国規模の研究会を予定している。私のブログで研究会開催のお知らせを「我々は何処から来たのか? 何処へ行くのか?」「人が『幸福』を感じるとき」等でしてきたばかりだ。
 馬鹿な外交の為に政府専用機を乗り回し、衆議院選挙には600億円もの無駄な税金を使うだけでなく、投票所のために公的機関の会場や駐車場が使えなくなる。
 参考:室井佑月の連載対談「アベを倒したい!」第7回ゲスト 前川喜平(前編)(後編)
      安倍解散は憲法違反<本澤二郎の「日本の風景」>
      森友・国有地払下げ事件の焦点<本澤二郎の「日本の風景」>
      特集1.「大義なき解散」の陋劣、森友・加計隠しに北朝鮮(9題)



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 「我々は何処から来たのか。 何処へ行くのか?」を今回の研究会で取り上げたのは、ビッグヒストリの瞬間に生きる我々にとって、その瞬間が我々の一生の問題だから。人類が農業を始めたのが氷河期が終わった1万年前、すなわち重要視されない農業は人間の原点であることから話を始めたい。我々は様々な意見を持っているが、それは話題の対象となる要素をそれぞれが選択してそれぞれの物語を作るからだ。小集団で生きる人間が分業化、都市化、グローバル化と歴史が進行するにつれ、集団と個人の関係が生まれてきた。我々は個人の幸福から問題を考えるが、分業化が進まない時代や場所では集団の幸福がまずあったし、今もある。分業化が進み利害が対立しても、否、対立が進めば進むほど、「個人の尊厳」と「他者の尊重」は同じことで、そのことに目覚めることが人類の幸福であることに変わりはない。それが社会の常識となるためにも、政治の社会的責任は非常に重い。
 近代化とともにロボット化が進む。それは機械だけではなく人間も組織化の中で自由な発言が出来なくなることを示している。政治家こそ自分ではなく国民のための仕事をするのが当たり前だろう。 

2017.9.23 初稿 2017.9.25 追加更新

人が「幸福」を感じるとき

2017-09-19 20:44:33 | 自然と人為

 人類は集団で生きてきたので、「集団的学習」も重要な進化の要因だと思う。このことはTED デビッド・クリスチャン「 ビッグ・ヒストリー」(動画)で教えられたが、「場と集団的学習」については学会でも研究課題とされているようだ。  参考:場と集団的学習 - 日本国際情報学会(Adobe PDF)

 70年前の私の幼少期の地域は、下駄の町の家内工業と農業と八百屋さんの記憶しか残っておらず、会社に勤める人は不思議な人種だと思った記憶がある。町の道路が舗装された時も若者が大喜びでローラースケートを楽しんでいた印象も強烈に残っている。だから70年という人類にとっては短い期間でも、我々の町で生きる感覚はずいぶん変わった。近代化、組織化、グローバル化と人類は生活の場を変えながら、脳の学習効果も変えてきた。これも人類の進化なのだろう。

 我々は「個人の幸福」を常識としているが、地域で助け合い、必要とされなながら生きている人にとって、「集団の幸福」が「個人の幸福」でもあるのだろう。アマゾンのメイナク族には我々の使う「幸福」という言葉がないのは、個人が集団と強くつながっているから、我々の言う個人の幸せという言葉を必要としないのだろう。鹿児島の南の硫黄島の暮らしを紹介する「日本のチカラ~WILDlife 硫黄島」がそのことを教えてくれた。
 動画:「森の哲学者メイナク族」
 動画:日本のチカラ~WILDLIFE 硫黄島


 「森の哲学者メイナク族」を作った元TBSディレクター 森谷博氏によるとメイナク族の集落は200人たらずだそうだが、硫黄島の人口も131人と200人を切っている。

 硫黄島は鉱山が1964年に閉鎖され、農業もできないので主な産業は漁業と畜産で、警察も一人で、必要な作業は全島民で手伝い合う。役場も本土にあるだけで、鹿児島市からフェリーで40分、週4便なので島から本土へ通勤することもできない。「島でお互いに必要とされることが幸せ」と語る女性から「メイナク族の幸せ」の意味を教えられた気がする。

 近代化、組織化、グローバル化の過程で人は地域の集団で生きる場を失い、人間の孤立化、ある意味ではロボット化が進んでいるが、これからは個人の確立と同時に他者の尊重が益々重要な時代となっていくだろう。  

 今回の畜産システム研究会は「自然と地域につながる肉牛生産」がテーマだが、「大谷山里山牧場」(2)(3)は、地域をきれいにするために始めた草刈り隊10人のつながりが、牛を放牧することで牛も喜び地域の人も喜び、地域資源が人も薪も草も有効に循環的に使われることで、大谷山山麓にある共有林を含めて公園化の夢も膨らむ。
 動画:シルバー世代がつくった里山牧場
 動画:赤身肉の富士山岡村牛


 日本は土地が狭く、肉牛生産=和牛の高級肉生産という常識があるが、肉牛生産の原点は広大な土地の放牧による有効活用にある。日本も狭いながらも共有林があり、管理を必要とする里山がある。問題は里山の私的管理と公的管理と牧場経営を今後どうつないで行くかだ。静岡の「富士山岡村牧場」は酪農の副産物の利用のための肉牛生産をしている。乳牛の肉質を改善するために和牛を交配するF1生産が常識となっているが、富士山岡村牧場はF1雌牛を放牧繁殖している日本で唯一の牧場である。赤身肉も乳牛の赤身肉とは全く異なる交配方式や飼育管理を工夫し、「牛が笑う牧場」を目指していると言う。
 参考:和牛の伝統と牛のハイブリッド生産
 
 富士山岡村牧場の課題は、F1雌牛を放牧する土地が個人経営では限られていることだ。放牧による土地管理と生まれた子牛の肥育をどのようにつないで行くか。私的経営と公的な土地管理の問題をどう解決し、得られたデザイン(案)を誰がどうシステム化して行くのか? これは一牧場の問題ではなく、日本の問題だと思う。



    我々は何処から来たのか? 何処へ行くのか?
       (改題 神話から科学「アインシュタインからビッグヒストリー」へ)


 私が牛の放牧の価値に目覚めたのは北海道旭川の「牛が拓いた斉藤晶牧場」(2)(3)と出会ってからだ。研究会の当日「上映と解説」で動画:「山地酪農 北日本編(斉藤晶牧場)」を紹介する予定だったが、「森の哲学者メイナク族」と斉藤牧場の話をつなぐために動画:神話から科学「アインシュタインからビッグヒストリーへ」を上映したら時間が足りなくなってしまった。残念だがこのブログで紹介しておく。また、今回の研究会で新たなデザインが得られることを期待しつつ、これまで牛の放牧について考えてブログで紹介してきた記事をそのまま紹介しておく。
 参考:牛の放牧によるイノベーションとソーシャルビジネスの提案
      牛は資源を循環し、人をつなぐ
      牛が拓く未来 ― 牛の放牧で自然と人、人と人を結ぶ
      里山資本主義と市場原理主義



初稿 2017.9.19 訂正 2017.9.20
 

我々は何処から来たのか? 何処へ行くのか?(改題 神話から科学「アインシュタインからビッグヒストリー」へ)

2017-09-17 16:59:25 | 自然と人為

 2017年10月21日に開催されます畜産システム研究会に、全国の会員とともに一般の皆様のご参加を呼び掛けていますのは、今回のテーマが「自然と地域につながる肉牛生産」で、畜産の一つの部門である肉牛生産を自然と地域にどうつなぐかを市民の皆様とともに考えたいと思っているからです。
 学問がどんどん細分化していきますと、現場から研究教育が離れ「農学栄えて農業滅ぶ」となりかねません。学問を現場とつなぎたい。「システムとは要素をつないで機能を創ること」ですが、肉牛生産を自然や地域とどうつなげば市民の皆様にも喜んでいただけるシステムが出来るかを皆様とともに考えたいと思っています。


参考:自然と生きるシステムの共創  システムからデザインへ

 ある問題について考えるとき様々な要因があり、人それぞれの関心によって要因の選び方や要因のつなぎ方が違い、意見が分かれることが多いのですが、ここではまず、人間とは何だ!をテーマに放送された「森の哲学者メイナク族」(2)をご覧いただき、個人の幸せと家族や皆の幸せとは何かについて考えていただきたいと思います。アマゾンに住むメイナク族には「幸福」とか「不幸」と言う言葉はないそうです。彼らにとって「幸せ」とは何でしょうか?皆さんで見つけてください。

動画:森の哲学者 メイナク族(動画 37分)


図をクリックすると拡大します。

 また、この映画の冒頭で、村の村長さんが子供たちに「太陽とともにこの世を創った神『クワンタム』の神話」を聞かせます。古代から皆は「神話」でこの世の創成を語りました。今は皆を納得させるのは「科学」です。神話に替わる科学として宇宙論があり、この世の始まりのビッグバン、インフレーション、ブラックホール、マルチバースはアインシュタインの相対性理論から生まれた現代の神話です。

 ビッグバンは宇宙背景放射の観測によって宇宙が138憶年前に生まれたことが明らかにされていますので、神話ではなく科学的事実とされていますが、インフレーション、ブラックホール、マルチバースは数学的予測です。ただ、数学は私の最も苦手な分野ですし、ここは宇宙論を語る場でもありません。ここで「アインシュタインからビッグヒストリーへ」を上映するのは、古代の神話からの問いである「生きる原点」を畜産システム研究会の原点としても問いたいと思ったからです。

「アインシュタインからビッグヒストリーへ」

参考:宇宙と地球と生命の誕生~我々の存在を考える原点

 アインシュタインはエネルギーと質量、時間と空間について、我々の常識を大きく変えてくれました。彼の一般相対性理論は、宇宙が加速膨張していることは知らなかった彼を含めて多くの科学者によって宇宙論を科学として発達させています。
 「生きる原点」を考える場合に、人類誕生から考えるか、哺乳類の繁栄をもたらした恐竜絶滅からか、地球誕生からか? 地球も我々生物や生命の源である元素は星の死、超新星爆発によって生まれますので、宇宙誕生から語ることが問題の核心を外さなくて良いと思います。規模拡大の経済学的理由なんて、宇宙から見れば一瞬の出来事で語ることさえ出来ません。

 「死にゆく恒星の内部では核融合反応がどんどん進み、周期表の元素の大部分が作り出される。こうした元素が超新星爆発によって星間空間に撒き散らされ、地球や生物の原料」となった。

 20万年前に誕生した人類は、氷河期の終わった1万年前から農業を始めました。農業は人間として生きる原点です。牛の放牧も動物の仲間と暮らすことと考えれば、畜産の考え方も変わるでしょう。しかし、進化した人間は組織や国のためと称して、大量殺人の武器や原爆(核爆発)水爆(核融合)を開発してしまいました。文明開化は進歩ではなく、機械化、都市化、組織化の過程で人間は孤立化、ロボット化しているように見えます。理性は進化したのかも知れませんが、豊かな感性は退化し人間性も退化しているのではないでしょうか。また、世間のことについては科学のようには証明もされないのに、我々は頑固に自分の考えに固執し、他人の考えに耳を傾けないのも如何なものでしょうか。

 「アインシュタインからビッグヒストリーへ」は次の動画を利用させていただき、映像を切り貼りして33分にまとめました。
    E=mc^2 ~アインシュタインと世界一美しい方程式~ フル(1時間47分)
    TED デビッド・クリスチャン「 ビッグ・ヒストリー」
 これにNHKのコズミックフロント☆NEXT「宇宙に満ちる謎 ダークエネルギー」「ついに見た!? 宇宙の始めより インフレーション」スーパープレゼンテーション「18分でたどるビッグヒストリー」を撮影して切り貼りして使用させていただきました。真実を伝えるためには著作権のことは許していただきたいと思います。

初稿 2017.9.15 更新 2017.9.17