自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

未来への責任~「自然とデザイン」 ライブラリ NO.5

2014-08-21 20:36:22 | 自然と人為
「自然とデザイン」ライブラリの回覧にライブラリNO.5を追加しました。内容は以下の通りです。

1.ストラディヴァリウス~磨製の楽器 300年の物語
2.ウフィツィ美術館~ルネサンスの光と闇
3.京都迎賓館「極める!京都の技とおもてなし」
4.SWITHインタビュー 達人達「石川さゆり×千住博」
5.ドキュメンタリー夫婦「甲斐性なしと静かなる女優」
6.ETV特集「ひとりだ でも淋しくはない 詩人・加島祥造」
7.ラストデイズ「忌野清志郎×太田光」
8.B1スペシャル「人生をやり直す“魔法のレシピ”」
9.NHKスペシャル「狂気の戦場 ベリリュー~忘れられた島」の記録
10. B1スペシャル「オリバー・ストーン~被爆、そして沖縄で何を語ったのか」
11. コズミックフロント・スターズ「ハッブル宇宙望遠鏡 銀河の謎に挑む」
12. コズミックフロント・スターズ「マゼラン星雲の正体を探れ」1
13. コズミック・フロント「超新星1987A~星の最期を目撃せよ」


君が僕の息子について教えてくれたこと
が、2014年9月13日(土) 午後3時05分~4時05分に再放送されます。
復活した「脳の力」〜テイラー博士からのメッセージ〜の再放送を待って、共にライブラリーに収録したい番組です。

「生物科学の雑記帳」をブックマークにリンク

2014-08-20 23:29:43 | 牛豚と鬼
山内一也先生が生命科学の雑記帳予防衛生協会)にエボラ出血熱に関連した記事を掲載されました。先生は人獣共通感染症に関して専門的なお話を分かり易く解説していただいているので、このブログからもリンクさせていただきました。

先生にはブログ「牛豚と鬼」のメール対談:「口蹄疫との共生」を考えるにも協力していただいたことがあります。

なお、先生は国際的に活躍され貴重な情報を提供していただいていますが、BSEの諮問に関して、プリオン専門調査会の委員への再任要請がなく、「プリオン専門調査会の6委員が辞任」と報道されたこともあります。

審議会や専門委員会等の委員は学問的見識があり誠実に科学的に諮問に応えようとする委員よりも、政治的に諮問に応える委員により構成されるのが世の常のようです。


風化する8月15日

2014-08-16 19:46:54 | 自然と人為
 今年も8月15日が来た。毎年、政府の主催で実施される全国戦没者追悼式の式辞で、首相は「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。」と挨拶をする。昨年もそうだった。「貴い犠牲」ではなく「地獄のように惨い犠牲」ではないか。そして「犠牲」の上に、「いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」と続いているが、「戦没者の犠牲」と「平和と繁栄」とは、論理的にどうつながるのであろうか。日本語は曖昧で、涙を誘う美しい話だと思っているのかも知れない。そうではなくて、国民に「犠牲」を強いた国の責任を懺悔し、「2度と過ちを繰り返さないこと」を論理的に誓う場ではなかろうか。さらに、「近年の歴代首相が使用してきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたとする『反省』を昨年に続いて踏襲しなかった」そうで、自己満足の挨拶に他者への反省は忘れてしまったようだ。

 言葉を紡ぐということは、その人の感性や関心事に影響されるので、様々な物語が生まれる。自他分離の理性からは、自己と他者の間で自己主張が強ければ強いほど合意は生まれない。自分さえも「絶対矛盾的自己同一」、すなわち矛盾だらけなのである。だからこそ、自他同一の感性を大切にしたい。個人でもそうなのだから、国はなおさら相手を警戒する「抑止力」を前面に出さないで、自他同一の感性を大切にして欲しい。

 今年の「終戦の日」にはNHKスペシャル「戦後69年 日本の平和を考える」しか、NHKの特別番組はなかった。しかもこのテーマと進め方は昨年と同じで、平和への不安を煽るNHK報道部の姿勢に、安倍政権になって変わったようだ。

 2012年の同じ時間帯は、「終戦 なぜ早く決められなかったのか」であった。終戦を早く決められないから原爆やソ連の参戦を含めて、国民の犠牲は大きくなった。このことを追求した優れた番組である。しかし、NHKオンデマンドでは観られない。市民が大切な番組として紹介しても、著作権を理由に削除される。ありがたいことに、晴 天 と ら 日 和に番組の録音が残されていた。

 「終戦の日」は昭和20年8月15日、天皇が国民に終戦の詔勅-玉音放送-で内閣や軍部にポツダム宣言を「受諾することを通告するよう下命した」ことを知らせた日であり、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で受託の調印をした9月2日をもって、世界史的には「敗戦の日」と言うべきであろう。

 この歴史的事実を背景にして戦後の日本国憲法は制定された。武装解除による戦争放棄と国民の基本的人権は、日本の政治からは自主的には生まれなかったろう。アメリカに押し付けられたというよりは、このことこそ「戦没者の犠牲」の上に生まれたと言うべきである。


関連したブログを追加します。(8月17日)

戦没者追悼式演説に見る安倍首相の歴史認識(ビデオニュース・ドットコム)

NHK『ニッポンの平和』に見る偏向番組の作り方(植草一秀の『知られざる真実』)

佐藤清文「演説の使い回し」

NHKスペシャル「狂気の戦場 ペリリュー~“忘れられた島”の記録」




「自然という書物」を求めて旅をする石川仁(カムナ葦舟プロジェクト)

2014-08-11 08:05:05 | 理性と感性
 デカルトは、文字による学問を放棄して、自分自身のうちに、あるいは「世界という大きな書物」のうちに見つかるかもしれない学問を求めてヨーロッパの旅に出た。 そして、近代化への扉を開けた。

 近代の終焉(ラストモダン)を迎えている今、石川仁は「自然という書物」を求めて旅をする。近代化の先端にあるアメリカ、アメリカの母体であるヨーロッパ、文明の発祥の地インドと歴史を遡る旅の後、 人間の生まれる前を想像する場所としてアフリカのサバンナに行き、ついには何もない場所、サハラ砂漠をラクダとともに2700キロの旅に出た。
 それは、死の恐怖と生の喜びを体感する旅であり、ときどきラクダに「オマエなー」と呼びかけ、いつまでもついてくるハエに「ウルサイなー、どこかへ行けよ」と語りかける以外に仲間はない。そこは、自分と対話することで、自分の歴史を振り返り、本当の自分と向き合える場所であったという。

 それで旅は終わらない。空の青と茶色の砂以外は何もない砂漠の次は、白一色のアラスカの世界、さらに南米コロンビアのジャングルの川を下り、 高い山々のアンデスを旅し、チチカカ湖で葦舟と出会う。葦舟の古代船を復元したマタランギ号で古代の「海の道」を検証する旅に加わり、今は、日本で建造した葦舟で太平洋横断の実験実証の旅に出る夢を育てる。 その夢は、太古の智慧を尊ぶ心から湧き出でる。太古の智慧とは、自然と共に生きること。それが旅の辿りつく場所。

 現代では「常識」を意味しているコモン・センスという言葉は、もともとアリストテレス以来、五感を統合する根源的能力を意味する「共通感覚」という言葉として使用されていた。石川仁の旅は、デカルト以来「知識」という殻に閉じ込められてしまった「共通感覚」を呼び覚ます学問の旅だと、私は思う。

 デカルトは「世界という大きな書物」のうちに見つかるかもしれない学問を求めたが、結局は理性と感性を分断し、「書かれたもの」を通じての理性の学問を肥大化させた。 しかし、石川仁は「書かれたもの」を残そうとしない。葦舟をつくり、それに乗ることで、自然とのつながりを実感し、「自然という書物」から得られる感性を伝えようとする。

 デカルトにより肥大化したプラクシス(意識的行為)に石川仁のプラティーク(無意識的行動)を重ね合わせることで、脱近代への学問の扉が拓かれるように私には思える。

三谷克之輔(2008.5.24 更新)

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■旅するときは風にのる :石川 仁(いしかわ じん)■
    『Open-J BOOMERANG』vol.363 2003.8.4より転載

 葦船は人が行きたい場所に自由にいける乗り物ではない。 かといって、自然によって勝手に運ばれるかって言うと、それじゃ漂流物といっ しょ。葦船は、自然と人が話し合って行くべき場所にたどり着く船なんだと思う。

 僕は、都会で生まれ育った。でも何かが違うんだって思ったとき、すでに旅が始 まっていた。理由はいつも後からついてくる。理由は存在してればいいんだと思う。だから、気づいたときにはアメリカにいたしヨーロッパにいたし、インド の土の上に居た。

 インドはみんなが言うように、何かを変えてくれるところだと思う。もうちょっと正確に言うと自分が閉じこもっている「殻」を割ってくれるところ。インドには手ぶらでいった。先入観を持たないために、地図もガイドブックも見 ない旅だった。(そんな自分に酔っているところもあったんだけど) それはさておき、感じたんだ。

 漁師のおじさんの家に連れてってもらったときのこと。 彼の家は椰子の葉っぱでできていて、床は土、その上にゴザを敷いてランプをともして家族五人が住んでいた。カレーをご馳走してくれたんだけど、皿なんかなくてもぎたてのバナナの葉っぱの上にご飯を盛ってカレーをかけて右手で食べる。

 歯のかけたお父さんと、黄色いサリーを着たおかあさんと、ちっちゃい子供がニコニコして、僕がうまそうにカレーを右手で食べるのを見ている。もちろん言葉 んて通じない。言葉はね。そのとき感じたんだ。

 豪華な家でも食事でもないし、学歴なんて言葉もないこの場所で、心地よい時間と空間が僕の周りをゆっくりとながれているのを。 そして、そのときに「じゃあ、一体この心地よさはどこから来るのだろう?」

 そのシンプルな疑問が、頭に浮かんだとき、僕の周りにあった「殻」にひびがは いった。

 「便利なものがあれば、お金があれば、地位が上がれば幸せになれる。」と教え られてきた殻が。それから、僕の時間をさかのぼる旅が始まった。カバンの中には、「幸せって何だろう? 文明社会って何だろう? お金って何だろう? いいこと 悪いことって何だろう? 人間ってなんだろう?」 なんて言葉が詰まっていたかどうかは知らないけど、気づいたらアフリカで野 生動物を目の前にウットリしている僕が居た。

 「人間が、この地球に生まれる前ってこんな風だったのかなぁー」 キリンが地平線を優雅に歩いているのを観ながら、サバンナが奏でる自然のハー モニーを心で聴いていた。

 その次、ハッ!と気づいたらサハラ砂漠をラクダといっしょに一人で(すごく暑 いのに)歩いていた。 「幸せって何だろう?」 そうだ!「いま、生きているだけで幸せだ」と、感じることができること。

 それだったら、一回「死」を体験してみよう。 生と死のボーダーラインの上を歩いて、死の恐怖と生の喜びを体感したい。 バカだよね。 こうして一人で半年間、サハラ砂漠をラクダの「ダン」とともに2700キロの 旅に出た。 砂漠は、簡単に本当の自分と向き合える場所のひとつだと思う。

 毎日毎日、瞳に写るのは、「青」と「茶色」の非常に単純な世界。 しかも、「死ぬかもしれない!」なんていう、大げさじゃないプレッシャーが肩にはいつも乗っている。バカ暑のなか歩きながら、バーっとある星を眺めながら、 歌える歌はすべて歌った。思い出せる過去の記憶はすべて思い出した。想像できる将来のことはすべて想像した。とにかく、時間だけは、無限にあったから。

 ほかには何にもなかったけど、僕の心の中は果てしなく広がっていた。 「地球の始まりって、こんなだったのかなー」なんてことも何度か、「フッ」と思った。

 砂漠での半年の間に、歌える歌は全部歌って、思い出せることは全部思い出して、 想像できる将来は全部想像した。心の部屋の中を大掃除するみたいに。 ゴールに着く当日、「あと三時間も歩けばいいんだ、もう、水のことも、食べ物 のことも、死ぬことも心配しなくていいんだ。僕は生きている。」 そう思ったとき、「からっぽ」になった。

 そして次にふと気づくと白い世界に居た。アラスカの一番北の町でイヌイットの人たちと暮らした。上も下も右も左も前も後ろも、真っ白な氷の上に一人で立ったときのこと。「地球」が一人の友達みたいに思えてついつい話しかけてしまった。

「地球さん、環境が汚れちゃって大変じゃない?」 「そう言う君も、いろいろ大変そうだね」 「でも、うれしいこともあるんだよね」 「そうそう、うれしいこともあるんだよね」 「これでいいのかもね」 「これでいいんだよ」

 ジャングルを丸木舟で河下りするまで死にたくない! マラリアが発病し高熱で頭がヘンテコリンになりそうなとき(ちなみに日本で)、その思いだけが絞り出てきた。そして、幻覚が現実になったとき、コロンビアのジャングルの中にいた。

 緑の世界は、何百万の種類の、植物、動物、昆虫、菌類、魚がうごめいている。 一歩間違えば大混乱を招くような、生き物のオンパレード。でもそれが、不思議と美しい。ちょうど、ありとあらゆる楽器を持ちよったオーケストラが、ひとつ のシンフォニーを奏でているような。

 ジャングルの中を一人で歩いたり、寝たりするのはすごく怖いけど、その音楽が 僕の深い何かと共鳴するのがとにかく心地いい。 茶色い水の流れの上をカヌーでスーっと進ませると、川イルカが遊びに来て水を かけたりもした。何百万年も変わらないハーモニー。意味もなく涙がこぼれた。

 僕は葦船って乗り物がすごく好きなんだ。 何千年も前の古代船に揺られて、魚を釣りながら毎日過ごしていると、何かが変 わってくる。もちろん最初の1、2週間は陸のことを思い出したり懐かしんだりもする。 でもそれが過ぎると船の上だけが僕らの世界になっていく。

 昼飯を食べた後(マグロの刺身と味噌汁と白米が基本)、ごろりと竹でできた甲板でねっころがって雲なんか見上げていると、すごい昔、航海してた人たちと何 にも変わんない生活のなかにいる。タイムマシーンに乗ったみたいに、いきなり縄文時代にトリップしたみたいな感覚。

 生活自体は毎日同じことの繰り返し。船の舵を取って、食べて、寝る。 ただ、それだけの毎日が続く。

 そうすると、心の深いところが、働き始めるような気がする。 そのときに、人が船とひとつになり、船が海と空と風がひとつになる。その心地よい感覚が自然との一体化なのだと思う。

千葉FMラジオ局Bay FM(2004.02.29放送)/ゲストトーク・リスト/ザ・フリントストーン

カムナ葦舟プロジェクト

石川仁さんインタビュー



大切にしたい自他同一の感性~命の輝き伝える人々

2014-08-10 14:49:16 | 理性と感性
 このページ「命の輝き伝える人々」は、斉藤晶牧場の写真集「いのちの輝き感じるかい」から借用し、これまでお会いすることがあり斉藤牧場にご案内したことがある方々を紹介している。

1.牛が拓いた斉藤晶牧場

2.「すべてが一つの世界」 映画監督 森谷博

3.「自然という書物」を求めて旅をする石川仁(カムナ葦舟プロジェクト)

4.「自分の道は足もとからひらかれる」 宮嶋望(共働学舎新得農場)

5.南研子さんとアマゾンをつないだスティング --- 心のつながり

 これまで、「命の輝き伝える人々」とどうしてつながったかは説明してこなかったが、記憶が薄れる前に簡単に紹介して、自他同一の感性でつながった記録として残しておきたい。

 畜産システム研究会の事務局を引き受けていたころ斉藤晶さんの牧場と出会い、それから毎年、牧場で「斉藤晶牧場に学ぶ会」を開催していた。退職に当たり発行した会報30号は森谷博さんの話もあり思い出が詰まっているので、100部買い取り希望者にはお分けしている。退職後は「里山と牛研究会/えんの会」として、自他同一の感性でつながりたい方々に呼びかけて気ままに会を続けている。南研子さんが広島に来られる機会に、この会として私の愛する松永でも講演していただいた。

 石川仁さんも広島の方々と「葦舟をつくる会」のご縁でお会いした。お会いした感動はこのブログに紹介しているが、斉藤牧場にご案内した折に、斉藤晶さんのことを「昔の同級生にあった気がする!」とはしゃいでおられたのをよく覚えている。しかし、つい先日、カムナ葦舟プロジェクトの活動の様子をTSSテレビ広島で放映したことは知りませんでした。
 残念!! 残念!!

 宮嶋望さんには「共働学舎」を数回訪問し、含蓄のあるお話を楽しく長時間聞かせていただいた。オーストリア国ウィーン郊外にある国際応用システム解析研究所(IIASA:International Institute for Applied Systems Analysis)および米国テキサス大学ディック・リチャードソン教授と日本の中山弘隆教授らとの国際共同研究で、平成10年(1998年)10月12日に斉藤牧場を訪問した際には、宮嶋望さんには大変お世話になりました。Richardson教授が斉藤晶さんに「先生、ありがとう!」と握手を求めていたのも忘れられない。なお、これを機会に「斉藤晶牧場に学ぶ会」を毎年1回、私の定年退職まで9年実施した。

 スティングは南研子さんをアマゾンにつないだ人、そして南研子さんとアマゾンのメイナク族がつながり、さらに「すべてが一つの世界」を映画監督森谷博さんから伝えてもらい、私の考える原点となっている。森谷さんも生き方を変える確信となったと言う。

 なお、中山弘隆教授には「しなやかなシステムズアプローチ」多目的計画法などの数学の世界を教えていただき、ウイーンのIIASAで研究発表もさせていただき、私の貴重な財産となっています。その研究の成果の一部を問題設定と論理的な解を考えるに紹介しています。


移転 2015.3.5 更新 2016.5.17