自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

韓国における口蹄疫発生とワクチンの効果について

2015-03-20 23:54:43 | 牛豚と鬼
 昨日(19日)、京都での豚の学会への発表の招待をこのブログへの次のコメントでいただいた。

「貴重なご意見かと思われます。ここに記された先生の学説を発表して頂けませんか?今年6月に京都で、豚の新興・再興感染症に関する学会が開催されます。日本学術会議の後援も決まっております。OIEのバラ氏の基調講演も行なわれます。おそらく先生が話したい動衛研の人も多数参加されると思います。そのような学会の場で、是非先生の発表を聞かせて頂きたいです。よろしくお願いいたします。」

 また、「武士道」と「茶の本」にも下記のコメントをいただいている。

「(韓国で)ワクチンを接種しているにもかかわらず、発生が継続している理由を教えて下さい。よろしくお願いします。」

 私は獣医ではなく豚についても現場を知りませんのでお役に立てるかどうか不安ですが、取り急ぎ韓国の最近の口蹄疫発生について調べましたので、「韓国における口蹄疫発生について(2015-03-20 更新)」に追加して私の考え方を述べておきたいと思います。せっかく発表の機会を与えていただけるのであれば前向きに検討したいと思いますが、現在、足が不自由で外出していないことと、参加させていただいてもこのブログで申し上げていること以上のことはご説明できないと思います。しかもなによりも大切なことは、このブログで紹介していることは、私の学説ではなく科学論文が発表されているのに、それを検討もしていないし、採用もしないで、被害を拡大する可能性が高い危険な口蹄疫防疫指針を改正しようともしない農水省の問題点をここでは指摘しています。しかし、ブログだけではなく学会で誰かが発表することは大切なことだと思います。まずは韓国の最近の口蹄疫発生について以下の私の考えをどう評価されますか、意見交換からさせていただきたいと思います。意見交換につきましてはメール(mitani3277@globe.ocn.ne.jp)でも結構ですよ。意見が一致したら私が参加できない場合は連名であなたに発表していただくことも含めて検討させてください。

韓国における口蹄疫発生とワクチンの効果について

 昨年9月(2014-09-21 更新)の段階で「7月24日に韓国で豚の口蹄疫が発生しました(OIE公表農水省)。さらに2件(OIE)発生の確認(合計3件)があり、その後の感染拡大は阻止されているようです」とご報告しました。この2件を含めて、韓国からOIEへの報告が確認できないので不審に思いつつ、韓国の口蹄疫発生が断続的に発生していることはコメントをいただくまでは気がつきませんでした。

 昨年12月5日以降の韓国の口蹄疫発生がOIEに報告され、農水省も韓国の口蹄疫に関する情報の周知徹底をし、2015年3月17日現在の韓国口蹄疫発生状況を紹介しています。最新の韓国からの情報によると、2014年12月3日から2015年3月17日までに、6市・道の31市・郡で合計151件(豚147、牛4)の口蹄疫が発生し、予防殺処分9戸4,374頭を含む160か所の農場で139,061頭の殺処分をしています。

 韓国は2010年12月に口蹄疫ワクチンの予防接種を始めて以来、防疫措置の殺処分は感染畜のみとし、感染農家の全頭殺処分も地域単位の予防的殺処分もしていませんでした。前回、感染が認められた農家はワクチン接種が不十分であったことが原因の一つに考えられていましたが、今回は感染畜の移動等の不正が感染拡大の原因の一つとなっています。不正が確認された農家については全頭殺処分(予防殺処分9戸)しているようですが、生産サイクルの早い豚ではワクチンの予防接種は困難が伴うことが予想されます。香港では全ての種豚及び12 週齢以上の豚に対し、4 か月ごとにO 型口蹄疫ワクチン接種を実施しているようですが、台湾の方法はどうなのでしょうか。韓国についても詳細については知りません。日本の場合は豚が発生源になるケースは少ないと思われますし大陸続きではありませんので、予防ワクチンの必要はなく、口蹄疫発生をしっかり国と県で監視しておき、英国の例のように早期発見と発見後1週間以内に緊急ワクチンを接種できる態勢を準備するのが良いと思います。また、ワクチン接種により感染の拡大は阻止できますので、韓国のようにワクチン接種した場合は感染畜の殺処分だけで良いと思います。

 具体的なワクチン接種法につきましては、備蓄ワクチンは3種混合ワクチン(Asia1型・A型・O型)を国内に備蓄しておき、口蹄疫発生が国内で認められた場合は、この備蓄ワクチンを直ちに接種し、発見後1週間以内に緊急ワクチンを輸入して発生している口蹄疫のウイルスに最も適したワクチンに切り替えるべきでしょう。この点につきましては、備蓄ワクチンと国費の無駄遣いに説明していますし、口蹄疫が発生したら国内備蓄ワクチンを接種することに決めておいた方が混乱がなく予算執行上も問題がないと思います。またそうすることによって口蹄疫の殺処分は感染畜のみと明確にすることができます。

 今回も韓国では途中から口蹄疫ワクチンの効能補完のため、O-3039が含まれたO型(単種)ワクチン(O1-manisa + O-3039)に切り替えています。以前に「豚さん大好き」さんからいただいたコメント(2014-09-06 23:17:47)では、WRLFMD Quarterly Report July-September 2012の「16ページの下段の表(Table C:TypeO)の一番上に、Jpn 01/2010のワクチンマッチングの成績が示されています。O Manisa株に対しては、「N」となっています」とありましたが、O 3039とは「M」となっています。Jpn 01/2010は2010年宮崎口蹄疫の口蹄疫ウイルスですが、このときも備蓄ワクチンはO Manisa株でO 3039株のワクチンを緊急輸入したのかも知れません。この点の事実については公表されていませんが、会計検査で明確にして欲しいものです。いずれにしても韓国では備蓄ワクチンのO Manisa株に問題があり、感染拡大を阻止できなかったことが考えられます。

 なお、口蹄疫発生を早期に発見できる遺伝子検査法(LAMP法)が宮崎大学で確立され、国際学会誌(Journal of Virological Methods 192 (2013) 18-24)にも掲載されていますので、これを一次検査として各都道府県で実施すべきです。

これまで韓国の口蹄疫発生に関して、2014年12月3日から2015年3月17日までの報告を紹介していたが、韓国口蹄疫発生が3月3日~4月28日までの64件で終息したことを2015年6月19日にOIEへ報告している。発生しているウイルスを分析し、緊急輸入したワクチンの効果が明確に認められていることと、ワクチンを接種したので症状の認められた家畜の殺処分だけで感染拡大は阻止できることを実証したものとして、農水省は口蹄疫防疫指針を早急に見直すべきであろう。

参考:
備蓄ワクチンと国費の無駄遣い~誰も責任を取らない中空構造③
口蹄疫のワクチン対策と遺伝子検査

口蹄疫45分で診断 山崎・宮大准教授が開発(2011-04-04 15:45:40 )
LAMP法を用いた口蹄疫簡易迅速診断法の開発と有用性評価
口蹄疫の簡易・迅速・低コスト診断:LAMP法(2011年農林水産研究成果10大トピックス)

韓国における口蹄疫発生について(2014-09-21 更新)

口蹄疫被害最小化のためのマネジメント-遺伝子検査とワクチン接種

初稿 2015.3.20 2015.7.10 更新

韓国における口蹄疫発生について

2015-03-20 13:26:28 | 牛豚と鬼

7月24日に韓国で豚の口蹄疫が発生しました(OIE公表農水省)。
この件に関して質問が寄せられていますので、取り急ぎお答えしておきます。なお、このブログは口蹄疫対策の問題点を論じるために開設しています。私は獣医ではありませんので、専門的な表現に問題があるかもしれません。また、専門的な話に偏ると一般の方の関心が薄れる場合もあるでしょう。なお、このブログ「牛豚と鬼」は、ブログ「自然とデザイン」の中の「牛豚と鬼」のカテゴリーに移行しました。

まず、口蹄疫対策でワクチンを利用するのは、”感染阻止”ではなく、”感染拡大阻止”のためであることに注意してください。農水省の説明は、「口蹄疫はワクチン接種では感染阻止できない」かのように誤解を与えています。しかも世界の口蹄疫ウイルスの抗原は英国を含めたワクチンバンクに保管されているので、早期発見とウイルス株確認、ワクチン製造依頼、ワクチン接種を待機できる体制を早く準備しておくことは防疫対策の鉄則です。

その他、ご質問の件につきましては、「口蹄疫対策に関する最新の科学的知見と国際動向 -殺処分を最小にする世界最先端の防疫対策を準備すべき-(デーリィマン61,44-45,2011.12)」を参考にしてください。口蹄疫が同居感染する時期は非常に短く、症状発症後半日から平均1.7 日間であることが明らかにされています。殺処分が必要なのはこの短い期間であり、抗体産生後の家畜には同居感染の能力はありません。個体の状態はいろいろなので、個体の感染を問題にするのではなく、集団での感染拡大をワクチンで阻止するのです。また、感染畜から排泄されたウイルスは消毒や移動制限等で感染拡大を阻止します。

韓国では3件が確認(下段囲い記事の最初の2行)がされましたが、その後の発生の報告はなく、感染拡大は阻止されているようです。前回の予防的殺処分が被害を大きくしましたので、発生農場においても全頭殺処分ではなく、口蹄疫の臨床所見が認められた家畜の殺処分、埋却、畜舎内外の消毒、家畜車両等移動制限措置を実施しています(1例目2例目3例目)。また、発生の原因はワクチン接種をしていない家畜がいたことが原因と考えられているようです。

日本の口蹄疫対策はワクチンの積極的利用を考えていないし、その一方で、いまだに発生農場の全頭殺処分および予防的殺処分を感染拡大阻止の対策としています。2010年の宮崎口蹄疫対策は口蹄疫に関する特定家畜伝染病防疫指針(2004年12月1日)によって実施されました。この指針については、「少なくとも5年ごとに再検討を加えるとともに、必要があると認めるときは随時見直しを行うこととする。」とあるにもかかわらず指針の見直しはされませんでした。そして今回の防疫指針(2011年10月1日)についても、「少なくとも、3年ごとに再検討を行う」とあります。牛海綿状脳症(BSE)に関する特定家畜伝染病防疫指針の変更については検討が始まったようです。しかし、もうすぐ3年が経過しようとしているのに、口蹄疫の防疫指針についてはいまだに見直しの委員会等は開催されていません。

日本の獣医学は科学的事実や新しい科学的知見に真摯に取り組まず、現場のことには無関心で、現場に権限は持っても責任を持とうとしていません。メディアも国や国と関係が深い学者の言いなりで自ら調査をしようとしません。そのことで正しい口蹄疫対策が国民に伝わらないし、私がこのブログ等で力説しても国が動かない原因です。

学者や政治家は税金で仕事をする公務員です。税金で働き、生活をしている公務員は真実に誠実に向き合い、国民に責任を持つ義務があります。政治や社会の責任と義務の枠組みを決めてあるのが憲法であり、公務員の憲法違反は殺人罪よりも重い罪が問われるべきでしょう。宮崎口蹄疫の調査資料については5年で廃棄するのだそうですが、隠蔽やねつ造がないのであれば堂々と公開すべきです。公務員の管理する情報は国民のものであり、国民には公務員の管理する情報を知る権利があります。

2014-09-01 07:32:15 初稿 2014.9.21 2015.3.20 更新


ウクライナとクリミア、自他分断か?全ては一つか?

2015-03-18 22:33:48 | 自然と人為
 私は言葉で考える理性より、他者を大切に思う感性を大切にしたい。それが人間にとって最も大切なことだと思うから

 我々は全てを知りえないし、言葉では全てを語れない。全知全能の神と言うけれど、私は子供の頃「お天道様が見ているよ」と叱られた「お天道様」の方が「神」より身近に感じる。「お天道様」は天から世界の人々を見ている。世界の人々が「自分こそ正しい」と言って争えば、「お天道様」に叱られる。言葉は自己と他者を分断するけど、もともと全ては一つだったと。
 そう思うけど狭い「世間や自分」を信じる人々、オウム事件のように自分と宗教的絶対者との関係だけに生きた人々、憲法より政治的絶対者アメリカと自己の利益を重視して生きている人々、権力を行使できる立場にいる人々、事実を伝える仕事に責任を持つ人々が、事実と言葉に誠実になろうとせず、自分の感性で得た知と考え方と組織的立場に拘ると、「われ思う、故に我あり」は他者を尊重する「君あり、故に我あり」から容易に自己中心的な「我あり、故に君あり」に変質してしまう。個人の間で意見が対立するのを「まあ、まあ」と収めるのが世間の良識としても、国と国、国と国民の間の意見や利害の対立はどう収めれば良いのだろうか。前者と後者の問題を含む例としてウクライナ・クリミア問題があり、後者の問題としては沖縄基地問題や原発問題等多くの国内問題がある。

 クリミア問題「(日本の対露)制裁が本当に必要か、正しかったかを見たかった」とクリミヤを訪問した鳩山元首相をマスコミ等が批判していることに、「日露関係を少しでも動かしたいという思いが先方には伝わったが、日本には伝わっておらずもどかしい」という鳩山元首相のコメントがある。私は多様な外交チャンネルを無視し、ある時は個人を責め、ある時は個人を守ろうとしない国に、マスコミや民主党を含めて多くの人々が同調する異常で不気味な日本の空気を感じる

 クリミアと言えば第二次世界大戦のヤルタ会談ウクライナはソ連時代は世界の穀倉地帯として有名であり、チェリノブイリ原発事故(1)(2)でも知られ、ソ連崩壊後は「ランドラッシュ 」争奪される肥沃な大地が報道されたように、太字箇所をクリックして読んでいただきたいが、日本にとって貴重な情報を秘めたところである。
 NHKプレミアム ぐるっと黒海4000キロは、トルコのイスタンブールから、ボスポラス海峡を抜けブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、ロシアのソチまでを前編で周り、後編はトルコの黒海沿岸の旅をする。前編のウクライナ南部の農家の言葉は、ウクライナ問題だけでなく、日本の地方や農業を考えるとき重要な示唆を与えてくれると思う。





 この黒海沿岸の国々ではオスマン帝国とロシア帝国の支配に翻弄されながらも「ずっと笑っていてほしいのよ。笑っていれば運もよくなるわ。泣いちゃだめよ。悲しいときでも笑顔でね。」と、強く生きてきた人々に出会います。

15世紀
18世紀

 ウクライナの農家は、「ソ連時代に畑で働いていた人が、ソ連崩壊後土地を分けてもらった。ソ連時代 ウクライナの農民には悲惨な歴史があり、農民は収穫を厳しく取り上げられた」と大飢饉事件(ホロドモール)を語ります。「銃を持った軍人が各農家を廻り、最後の一粒まで穀物を取り上げたのです。抵抗や穀物を隠した人は、差別や逮捕されました。ウクライナに対する大量虐殺でした。」





 しかしソ連崩壊によって独立を果たしたものの、ウクライナ農民の暮らしが上向くことはありません。「ソ連の時は一緒に働いた仲間と、どんな時も皆で一緒に楽しみました。今は近所の人たちのことは何も知らない」とも言う。「じゃあ、ソ連時代の方が良かったと思いますか?」と聞くと、「そうね!そうね!当時は皆、自分のためだけでじゃなく、相手のために何かしてあげた。今は自分のためだけにやっているから不思議。」「その通りよ。今は皆、自分のことばかり考えている。都会に住んでいる人は隣の人のことも分からないでしょう。個人主義ってことね。」「全体的生活は前の方が良かったよ。前は仕事があって給料が出たしね。農民も車が買えた。今は無理だよ」と続きます。

 「ソ連時代が良かった」と懐かしむ場面は、ソ連のソホーズ(国営農場)、コルホーズ(集団農場)は働く意欲を失わせ、「社会主義の国」は自由がないと思っていた私たちには驚きであり、自由と平等、尊厳の問題を改めて深く考えさせられます。農民が飢餓で死亡した歴史は日本にもあり、上杉鷹山が米沢藩の財政を立て直し、飢餓を防ぎ、農民を守ったことは有名で、我々は今でも尊敬し、アメリカのケネディ大統領も尊敬した日本人の一人だと言われています。飢餓や貧困は社会主義であれ、資本主義であれ、どのような体制であれ、為政者やそれに従う人たちの責任だと思います。社会主義ではその人たちの判断と行為がストレートに国民に影響を与えるので社会主義国は自由がないと思い、資本主義はお金を介して生じるので人の問題ではなく自己責任や地域の問題と見られ批判されにくいのでしょう。しかも資本主義では「自由」の名の下にお金が心を支配し、個人主義が当然の世になりますので、地域や家族の絆が薄くなるのは今の日本と同じだと思います。



 さらに「ウクライナは今、EUに加盟したがっているけれど、望んでいるのは首都に住む人だけ。田舎に暮らす私たちは望んでいません。ますます大変になるだけだから」とも言います。

 ウクライナ南部・東部の州の独立を問う住民投票の結果(日経新聞)は、ロシア側(ロシアの声)とウクライナ側(ウクライナ駐日大使)で利害が対立し、言い分が違うでしょうが、国の権力で国民の主権を奪うことが許されて良いのかという問題だと思います。英国のスコットランドやスペインのカタルーニアの独立を住民投票で問う動きがあります。ウクライナやクリミアの場合になぜ住民投票の結果が尊重されなかったのか。投票方法に問題があった等認めたくない力が働けば国の権力は国民の声より強いものになります。

 その国の事情とか法律に詳しくないのでこれ以上の追求は困難ですから、問題を国民と国の関係に絞って考えてみましょう。日本の国と国民の関係は憲法によって定められています。とくに政治家、官僚、学者等の公務員は憲法を守る義務があります。しかしその憲法よりアメリカを大切にする為政者とそれに従う者の声が大きくなってきています。水戸黄門は「葵の御紋」の印籠をかざし、悪代官を「この御紋が見えぬのか」と退治しますが、国民は「憲法」をかざして「公務員は憲法に違反している」と糺すことが、今こそ必要な時代だと思います。

 鳩山元首相は米軍基地を「海外、最低でも県外」への道を切り開いた最大の功労者です。その政策が実現できず謝りますが、政治家としてはなぜ実現できないのかを明言して退陣すべきだったと思います。ただ、自衛隊に日本を守る責任を大きくさせるとは、仮想敵国に対する備えを重視するのではなく、日本や海外の災害救助と復興に対する力量を大きくすることだと思います。仮想敵国は相手を信頼しないことに根拠があり、現実的効果よりも相手の不信感を増幅させたり、日本の軍関係の発言力を増したりといろいろな思惑が入り込みますが、災害救助と復興は現実に求められる即戦力です。福島の原発廃炉作業は科学的知識や技術、ロボット等の装備が必要であり前向きな体制を組む必要があり、下請けや孫請けで命を危険にさらさせ人件費を搾取する方法は止めねばなりません。経済大国アメリカは貧困大国でもあります。アメリカで貧困層の若者を戰爭に駆り出し、PTSDなどの精神障害 や自殺が増大していることと、日本の為政者が目指す経済構造と貧困者の宿命は同じではないでしょうか。

 仮想敵国を想定して二項対立させ抑止力のための軍事体制と軍事力増強という議論は、国民を戦争に駆り出す危険極まりないことなのに、何故か「負けたくない日本」の国民を納得させるようです。日本の国民は世界で働いていますし、ますます交流を増やしていかねばなりません。それなのに国と国を対立させることは国民と国民を分断することにつながり、世界中の為政者にとっても決して認められることではありません。沖縄や原発のような国内問題でも為政者に従う側には補助金を与え、反対派は取り締まる政治は国内や地域を分断して為政者のやるべきことではありません。「為政者は国民の声を聞け」というのが日本の憲法です。日本が世界に発言力を持つということは、「戦争は絶対にさせない」という日本の憲法を誇りとし、世界の人々のために国と国、国と国民の争いを中止させることに貢献すべきだと信じます。

 岡倉天心「茶の本」は英文で世界に発信されています。大久保喬樹訳「茶の本」を参考にして、最初の章の最後の部分で私の気に入っている箇所を抜粋して、私風に訳して紹介しておきます。

 「お天道様」は富と権力を求める世界の闘争によって粉々にされた。強欲な人たちは利己主義と下品な小賢しさで暗闇を徘徊し、知識は邪心によって買い占められ、善行さえも効用を期待している。東と西の国民は、荒れ狂う大海に投げ込まれた2匹の龍のように、人間性を取り戻そうともがいている。美しい天女が「お天道様」を修復してくれるまで、まあまあ東も西も同じ人間、地球という一つの世界の住人ではないか、お茶でも一服して美しくも愚かしいことに、お互い思いをめぐらせようではないか。

新自由主義と子供たちの教育を考える

2015-03-11 14:10:01 | 自然と人為
 現代はお金が心を支配する時代となり、平等な社会よりも個人の自由や市場原理を優先し、政府による介入は最低限にし、公的分野(社会的共通資本)の比重を低めて民間の活力に全てを委ねるべきだという新自由主義がアメリカでも日本でも政治的力を増して来ている。
 しかし、ローレンス・レッシグは「お金が政治を支配する」ことに対して、マイケル・サンデルは「市場が生活を支配する」ことに対して警鐘を鳴らしている。

 新自由主義は、人間の尊厳をかえりみない地域社会を軽んじる経済理論は支持できない。大多数の人々にとって被害が大きいこの新自由主義を、国民はなぜ政治に許すのであろうか。
 新自由主義を主張する人々には小賢しくエネルギッシュで脂ぎった顔が多いが、愚直で清々しい顔は見られない。しかもそういう人達に限って「教育が大切だ」と言う。

 今、子供は幼稚園から受験競争に鞭打たれている。子供だけで遊ぶ世界は大人によって破壊されてしまった。大人は子供をどこに連れて行こうとしているのか。大人が子供にとって大切だと思っている「勝ち組のエスカレータ」は幻想に過ぎない。コンピュータ(日常的にはスマホ)の発達で、記憶や計算や語学に求められる能力は劇的に変化するであろう。目の前のことに追われる大人の世界の今を、子供にも求めることは子供にとって大きな不幸であり、人類の未来をも暗くする。今の知識偏重教育やその成果が求められる受験は、答のある世界をいかに正確に早く多く答えることが出来るかを問うだけである。しかし、社会には指針となる憲法はあっても答えはない。答えのある知識は、「知=権力」。知の目的は【コントロール】することにある。そのような知識の競争をさせると、競争に勝つと「人を支配することが偉くなること」と勘違いするようになる一方で、偉い人に支配されるのは仕方がないと「人生を諦める人」を増やしてしまう。

 しかし、宇宙に1000億個の銀河、1000億個の地球があり、大脳で数百億個、小脳で1000億個、脳全体では千数百億個の神経細胞があるように、子どもの能力には無限の可能性がある。どのような能力を開花させるかは、既知の答えを求める知性よりも自然を含めて他者に感動する感性を磨き、興味に集中して頑張れる体力を鍛錬することにより得られる。創造力は話すこと書くこと、描くこと、歌うこと、弾くことなど、口から指先までの身体を鍛錬することで磨かれる。身近な例ではスマホから得られる情報をどう利用して自分の意見とすることができるか、自分の意見の根拠を明示し、意見を表明するために喋ること、書くことが重要な能力として求められるようになる。キーボードを早く正確に叩く能力も必要だが、日本人なら書道も自分を表現する大切な財産だ。絵画も音楽も身体で表現する作業であり、これらの教育に時間と楽器や器具を与えるべきである。そして教育にとってもっとも大切なことは、様々な能力を持っている仲間が認め合い、協力していくことを楽しみにできるような世界を築いていくことである。

 参考:ケン・ロビンソン: 学校教育は創造性を殺してしまっている
    ケン・ロビンソン卿: 教育に革命を!
    ケン・ロビンソン: 教育の死の谷を脱するには
    ローレンス・レッシグ:法が創造性を圧迫する

 「教育が大切だ」という裏には「道徳教育」を大切にする思いがあるようだが、国を愛するとは「国旗・国歌」を強制する表面的なことではない。支配欲が旺盛で政治家になった人や家業として政治家を継いだ人は、ある党のように地域の支配者層である「後援会」の期待に応えるために、表面的なことしか目に入らないし、表面的な問題にこだわる。国民主権、基本的人権そして戦争放棄の憲法で日本の素晴らしさを教え、それを実践して世界や世間に尊敬される政治家が多く出ることや、自然の中で学び地方を財産と思う子供が多く育つことで、日本を誇りと思う国民も多くなる。それが愛国心であり、愛国心は地域を愛する愛郷心から育つものだ。地域に「憧れの東京文化」を持ち込んでも、東京に憧れ地域を捨てる若者は増えても地域は育たない。それよりも、「茶の本」は日本の文化と精神の深みを伝える書物なので、小学校から大学まで年齢に応じた教養として教えるべきであろう。

 組織も国も「支配を目指す権力」は腐敗する。明治憲法の戦前では戦争に反対すると治安維持法で逮捕された。戦後70年、新しい憲法のもとで、敵を作らず軍需産業を起こさず、平和を守る国として世界に認められてきたが、今では「積極的平和主義」とか「集団的自衛権」という誤魔化しの言葉と態度で、改憲を堂々と目標にする党が大きい顔をして政権に座っている。時代が変わった、今や日本一国では日本を守れないという「積極的平和主義」も「集団的自衛権」も言葉を換えれば「積極的に敵を多く作る」ことであり、他者を尊重しないで自国の民主主義を世界に押し付けるアメリカに追従することは、和を重んじる美しい国日本の文化にもなじまない。先日、ドイツのメルケル首相が来日して講演し、「過去と隣人に謙虚に向き合うこと」「ドイツで原発を廃止した理由」を語った。原爆と原発の被災国でありながら電力供給の重要な電源として原発再稼働を目指す政府を持つことは恥ずかしいことだ。経済成長には限界があり、しかも経済成長は格差を拡大しても人の心を豊かにはしていない。ドイツのように地域自給の電力供給システムを推進すべきだ。「原発はアンダーコントロールしていて海を汚していません」とオリンピック開催を誘致し、英国のウイリアム王子を「福島県産農産物は安全だ」と日本料理でもてなすことも恥ずかしいことだ。安全な福島県産農産物は福島の苦しみを共有するためにも、政府や経産省、東電で個人の負担、責任として買い上げるべきであり、日本の「おもてなし」の心を穢して欲しくない。

 本来なら公務員である官僚や政治家が憲法を守らない行為は憲法違反で厳罰に処すべきことであるが、国が腐敗し立法、行政、司法の3権が癒着して、憲法が彼らを抑える役目を放棄させられてしまった。今は憲法を守ることこそが国民に与えられた最高の道徳であり、国民が目覚めて憲法改正を支持する政治家を選挙で駆逐するしかない。



個人を集団に従わせる日本の『呪縛』と他者を尊重しないアメリカの『呪縛』

2015-03-09 10:36:22 | 自然と人為
 深尾葉子著『魂の脱植民地とは何か』の『まえがき』には、ゲリー・ラーソン(英語)の風刺画(1コマ漫画「レミングというネズミ目の小動物が集団自殺するという寓話」)を引用し、「先に死が待っていても、無表情なまま次々と集団に付き従って、死への行進をする。・・・たった1匹だけ気付いていても、誰かにそれを伝えるわけでもなく、また流れに逆らうわけでもなく、自分だけ助かるように浮き輪をつけながら、見かけ上は集団のながれに歩調を合わせてついていっている。それはあたかも危機を感じつつ、何の警鐘もならさず、みずからの保身のみを図る姿を連想させる。本書の問いは、まさにこの絵に凝縮されている。自分自身の置かれている状況、自分自身のありかた、についてフィードバックがなく、何ものかにとりつかれたように目の前の変化にのみついてゆく。これを本書では『呪縛』と呼び、その状態にある人間を『魂が植民地化された状態』と呼ぶ」としている。

 ゲリー・ラーソン(英語)風刺画
  レミングの集団自殺 (レミングの集団自殺映像

 日本語には主語がない。「吾輩は猫である。」の~はの表現は、主語で始まるドイツ語の翻訳により明治憲法が作成されたことに始まる。
 柳父章著「近代日本語の思想(2004)」には、「漱石の小説『吾輩は猫である』は、どうやら多分に、この近代日本語文体への鋭い風刺を含んでいたようである」とある。「個人」も「社会」も外来語(翻訳語)であり、明治時代も今日でも自律した個人よりも空気に合わせる世間が大切にされる日本である。葵の御紋の印籠(権威・権力)をかざして悪代官を退治する「水戸黄門」が大好きな国民でもある。「レミングの集団自殺」の風刺画は、日本では戦争で経験したように政府やマスコミに煽動されると日常的に起こりうる世間の暴走を連想させる。

 西欧で個人が生まれたのは12世紀ルネッサンス、教会の告白からであった。そのことの言説についてはここでは触れないが、阿部謹也「世間論序説 西洋中世の愛と人格」では、フーコーの言葉「個人としての人間は、長いことほかの人間たちに基準を求め、また他者との絆を顕示することで自己の存在を確認してきた」を引用し、「私たちは今もなお、世間という枠組みを通して、自己の基準を他の人間との関係においていないだろうか」と問い、個人を単位として構成されている社会と日本の世間の違いを指摘している。日本の呪縛は個人を集団に従わせる「世間」というものであろう。

 この「世間と社会」の違いをさらに学びたいと阿部謹也「西洋中世の男と女」を読んでいて、アメリカはヨーロッパの絶対王政から逃れた人々で作られたので、新しい国のようで銃社会や陪審裁判などに中世の文化を色濃く残していることを知った。銃社会は豊臣政権の刀狩りのような強力な中央政権(絶対王政)がアメリカにはなかっただけでなく、むしろ絶対王政から逃げてきた人々によって建国された国なので、個人の自由は個人で守り、政府による平等より個人の自由を大切にするという強い意識(自由主義)がアメリカの建国の精神として残り、銃社会の背景にある様に思う。そしてアメリカの民主主義に従わない国を敵視して、「世界の警察」となり戦争の引き金ともなってきた。アメリカは民主主義の国とされているが、人種差別銃社会、そして「世界の警察」と民主主義はどうつながるのであろうか。フランス革命は自由、平等、友愛を掲げたが、アメリカの独立宣言は、イギリス支配からの独立と自由を大切にするあまりに、原住民であるインディアンや、奴隷として連れてきた黒人などの他者を尊重しないアメリカの『呪縛』が生まれたのであろうか。

参考:揺らぐアメリカ民主主義
   民主的国家:トクヴィルの功罪
   アメリカと今いかにつきあうか―日・米・韓で、今、考えたこと―
   アメリカの歴史:民主主義の発達と領土の拡大(その1)  (その2)
   アメリカ合衆国の歴史
   アメリカの保守とリベラル