自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

欲望と孤立~これからの自然と人工の世界の関係を考える

2018-02-16 16:15:43 | 自然と人為

 「欲望の資本主義」とか「欲望の民主主義」と言われるように欲望が欲望を生み、高度成長時代と言われた消費生活の国内拡大から、金融が支配する経済のグローバル化時代に向かい、経済が社会を分断していく時代に、民衆の希望は生まれるのか?
  
 デモクラシーとはデモス(民衆)のクラティア(支配)のこと。「資本主義が民主主義を食い尽くす」(TED)、ザックリ言えばお金(資本)が政治を食い尽くすという、前ギリシャ財務大臣・経済学者のヤニス・バルファキス氏の講演は本質を突き、分かりやすくて面白い。

 社会の動きは集団とそれを構成する個人の考え方により生まれ、人が作り出す人工の世界と自然との関係で変わる。
 欲望は、集団や他者を富や権力、場合によっては暴力によって支配したいと思う利己主義から生まれ、利己主義が肥大化した集団や個人は上から目線で下を見る。人の上に立ちたい欲望から、上を仰ぎ見て頂きに登りつめる者もいようが、一般に時間が経過すると富や権力は血縁で引き継がれ、やがてかつての貴族のように地盤が強固な集団を生み、民衆を支配してデモクラシーは無視される。

  
 利己主義は、「ドーキンスの利己的遺伝子」のように人間の性なのか。神によって授かった王権や教会の下に民衆の秩序があるとされていた当時に、ホッブス『リヴァイアサン』は、「万人の万人に対する闘争」から脱却するために民衆と国家(国王)との契約が必要であるとし、その後のルソーの社会契約説につながっていく。

 利己的集団と政治との関係をただ嘲笑うしかないものは孤立するしかないのか。利己的集団と政治との関係に怒る者は「ポピュリズム(衆愚政治)」,(2)(3)(4)に流され分断の道を歩むのか。それとも新しい革命はあるのか。その前に心に留めておきたいのは、私を認めるのはあなたであり、あなたを認めるのも私だということ。このブログのテーマである「他者を尊重して生きる」こと。私とあなたはどういう関係で生きていきたいのか? ここでは下記の紹介を兼ねて、私なりに考えて見たいポイントを示して置く。

 欲望の資本主義―ルールが変わる時 Kindle版
 欲望の資本主義2017 ルールが変わる時 (動画1)(動画2)
 「欲望の資本主義2017  ルールが変わる時」をみて
 欲望の資本主義2018 闇の力が目覚める時(動画1)(動画2)
 NHK 欲望の経済史~ルールが変わる時~(全6回)
   1/6 時が富を生む魔術~利子の誕生(動画:29分)
   2/6 空間をめぐる攻防~グローバル化と国家~(動画:29分)
   3/6 勤勉という美徳~宗教改革の行方~(動画:29分)
   4/6 技術が人を動かす~産業革命からフォーディズムへ~(動画:29分)
   5/6 大衆の夢のあとさき~繰り返すバブル~(動画:29分)
   6/6 欲望が欲望を生む~金融工学の果てに~(動画:29分)

 欲望の経済史 ルールが変わる時 特別編 前編後編
 「異色すぎるNHK経済番組」は、こう生まれた
 NHK番組「シリーズ 欲望の経済史」内容・感想まとめ

 欲望の哲学史序章~マルクス・ガブリエル、日本で語る
 欲望の民主主義 分断を越える哲学 (幻冬舎新書) Kindle版
  『欲望の民主主義 世界の景色が変わる時』
  1.フランスの誤算
  2.アメリカの憂鬱
  3.パクス・アメリカーナの終焉
  4.アメリカ、未来へのシナリオ
  5.内なる敵、外なる敵
  6.2つの革命
  7.今、民主主義とは?恐怖を超えて
  最終章 世界の景色が変わるとき

  『欲望の民主主義 世界の景色が変わる時』をみて
  単なる欲望の衝動に従うことは奴隷状態だ
  自然状態から社会状態への移行
  その時、本能と正義が、欲望と権利が入れ替わり
  自分のことだけ考えていた人間は、初めて理性の声を聞く
                       ルソー
 『社会契約論』
 
  理性の声を聞いた人間は、「一般意思」の存在に目覚める。
  個人の欲望を抑えて常に公共の利益を目指すのだ。
  主権とは、「一般意思」の行使に他ならない。
  「一般意思」を求めて、絶対王政下の市民たちは反旗を翻した。
  アンシャンレジーム、即ち当時古いと思われていた王の支配
  の体制を変革、近代国家を誕生させたのだ。

  戦争は人と人との関係ではなく
  国家と国家の関係なのであり
  そこで個人は人間としてではなく
  市民としてでさえなく
  ただ兵士として偶然にも敵となるのだ
         「社会契約論」 ルソー
 参考:第7章

 マルクス・ガブリエル(独 哲学者)
  
  民主主義とは「反対派の共同体」です。
  異なる意見を意見として認められれば、あなたは民主主義者です。
  民主主義が機能するのは、普遍的価値を受け入れた時だけだと
  認識すべきです
  他人や他の種の動物の苦しみを理解する
  人間の度量にかかっているのです。
  自分があの人だったかもしれないと認識すること、
  地中海で溺れている女性や飢えている子どもは、
  自分だったかもしれない・・・
  それがすべての倫理観の原点です。

  決して忘れないでください。
  科学、技術、信教の自由の時代に、私たちは生きています。
  もし民主主義の価値観が世界で崩壊したら、
  かつてない規模の戦争を目撃することになります。
  民主主義を守る価値は、確実にあるのです。
  今のところ(民主主義は) 
  人間がみんなで生き残るための唯一の選択肢なのですから・・・

  民主主義は、欲望の経済と明らかに関係しています。
  私たちは、この恐怖の経済を乗り越えなければなりません。
  どうすれば乗り越えられるか・・・
  <民主主義の最大の価値>を思い起こせば、
  乗り越えられるはずです。

 マルセル・ゴーシェ(仏 政治哲学者/編集者)
  
  民主主義は人類による文明の最高の形態です。
  人類とは、いろいろな種の人々から成り立っています。
  民主主義とはそれを克服する手段なのです。
  違い 対立 矛盾 根本的な多様性から、
  想像的なものが生まれるのです。
  それが人生の魅力です。その結果 文明は発達し、
  私たちを集結させてくれるのです。   参考:最終章

 この番組では、「第6章 2つの革命」でフランスの「五月革命(1968年)」のことを取り上げていた。私は1967年に大学を卒業しているので、過激になる前の「全共闘世代」であり、学生時代によく議論もし、デモにも参加した記憶がある。全共闘運動安保闘争とベトナム戦争も関係し、70年安保・学生運動、若者が闘争した時代だったが、この番組では「五月革命」とフランスも関係したべトナム戦争については触れていない。ベトナム戦争については現代を知る大きな歴史的事件だが、この番組の主張を別の視点から語ることになるので、その歴史的考察は別の機会に回したい。
 参考: 東大紛争
     東大安田講堂事件(1969年1月)
     1969年の東大入試中止事件

 民主主義は確定してそこにあるのではなく、他者を尊重する個人の確信の中にある。この番組でも民主主義の説明がいろいろな知識人からされているが、マルクス・ガブリエル氏の説明「異なる意見を意見として認められれば、あなたは民主主義者です。民主主義が機能するのは、普遍的価値を受け入れた時だけだと認識すべきです。他人や他の種の動物の苦しみを理解する人間の度量にかかっているのです」が、すんなりと心に入ってくる。
 個人と社会との契約についてはルソーの『社会契約論』(岩波文庫)が古典となっているが、私は小さな活字は読めなくなったので、社会契約論/ジュネーヴ草稿 Kindle版でゆっくり勉強したい。

 科学技術が発達しロボット化や人工知能化が進むと、民衆の仕事が奪われるのか? 仕事が無くなると賃金が無くなり生きていけない。消費が無くなると資本主義も消失する。ロシアや中国は人間が共同体として生きていくための共産主義が資本主義を吸収している。それでも気まぐれに主権である投票権を行使して、お金(資本)に政治が食いものにされるよりもましではないか。民衆の主権が奪われると、北朝鮮のように国民の生活を犠牲にして、使えない核兵器やロケットを開発する馬鹿な支配者を生む。大切なのは支配者の「下から目線」であり、その様な支配者を生むためには、他者を尊重する度量の大きい個人が普通になる必要があろう。

 フランス革命後に生まれたヴィクトル・ユーゴー(1802年2月26日-1885年5月22日)の今から200年近くも前の作品『ノートル=ダム・ド・パリ』(2)が今、100分de名著でタイムリーに放送中である。
 参考:ヴィクトル・ユーゴーの名言
 また、プロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神 Kindle版も参考のために紹介しておく。

 なお、以前(2016-12-05 )、「メディアは、なぜ真実を伝えないのか? 我々は知らぬ間にメディアに洗脳されている~アベノミクスの誤りを例にして」をブログに書いたことがある。以下の資料と合わせて、再度じっくり勉強したい。
 資料:円の支配者(日本語字幕・シャンティ・フーラオリジナル翻訳)
     ドキュメンタリー映画 <中央銀行の真実 - Princes of the Yen >
   家族の絆 〜夫婦(105):信用創造・金細工師の預かり証〜
   黒田日銀総裁の再任を安倍自民が提示 「金持ちのための量的緩和政策」を継続・・・
   ロスチャイルド『世界革命行動計画(1774年)』(2)
     今の世界情勢や歴史の本質を理解する鍵
   「金融バブルと相場操縦の歴史」(動画:1時間49分)



初稿 2018.2.16 更新 2019.2.19(動画)


人類の移動と地球と太陽の活動~真実を求めて

2018-02-10 20:00:02 | 自然と人為

 日本の歴史を欧米の歴史と関係づけて調べ始めたら、地中海消滅:(動画復活)を知り、ゲルマン人の大移動から人類の移動にまで興味が拡がった。74歳の手習いで時間があるからいろいろ調べることもできるが、人類の移動とマントル対流(動画:29分)による大陸移動や海が蒸発したり凍結して陸地との関係が変わる地球の関係から、太陽の活動が関係すると言われている地球寒冷化の影響まで、人類の移動の原因さえも何が真実かも含めて知らないことだらけだ。

 地球外からの物質が生物の進化に大きく影響した事件として、メキシコのユカタン半島(地図:チクシュルーブ・クレーターに6500万年前、巨大隕石が衝突し、恐竜が絶滅して哺乳類の繁栄につながったとことは知っていたが、その隕石の直径は約12kmだったという。40億年前は直径400kmの隕石(0-8回)で全海洋蒸発(2)したと考えられている。
 生物進化の遠い昔の話はNHKスペシャル「地球大進化~46億年・人類への旅~」をYouTubeに公開していただいているので、感謝を込めて私の学習のためにここに紹介させていただく。
  第1集 生命の星 大衝突からの始まり(1:33:48)
   第2集 地球全球凍結(1:25:01)
   第3集 大海からの離脱(1:37:13)
   第4集 大量絶滅 (1:29:21)
   第5集 大陸大分裂 (1:08:58)
   第6集 ヒト 果てしなき冒険者(1:47:44)
   第7集 - 最終回 そして未来へ..(1:13:48)


 科学的に明らかにされていることも知らないことだらけだし、今後科学的に明らかにされることも多いだろう。人間の無知の問題を「この世界は仮想現実である」と量子論まで持ち出して益々難しくしなくても、個人が真実を知って行動できる範囲は限られているし、物事の見え方はそれぞれの立ち位置によって異なる。マスメディア情報も政府の影響等により、何処に重点を置くかで伝え方も伝わり方も異なっている。しかも真実ではなく、多くは想像の世界を現実だと思っている。そんな仮想現実の世界で他者に対して喜んだり怒ったりしていないで、戦争という人類同士の争いを馬鹿げたことだと卒業するために、他者を尊重することで真実を大切にする時代に早くなって欲しいものだ。それはともかくとして、あれこれ考えていると分からないことばかりで、ブログを書くこともストップしてしまう。取り敢えず人類の誕生と移動について調べて前に進んでみよう。

 人類とは二足歩行する猿人以降の動物のことを言うと「人類の誕生」(動画:10分)は分かりやすく解説してくれる。ただし、人類(猿人)の誕生は500万年前と思っていたら、最近の教科書では700万年前とされている様だ。サイエンスZERO「700万年の歩み」~人類進化の謎を追う(動画:43分)という番組もある。それにしても、人類誕生の地が猿人、原人、旧人、新人(ホモサピエンス)のいずれもアフリカとされる根拠は何か? 女性のミトコンドリアDNA分析から、約16±4万年前にアフリカに生存していたと推定されたイヴ仮説もアフリカ単一起源説を支持する有力な証拠とされている。
 我々の祖先、ホモサピエンスと4万年前までは生きていたと思われるネアンデルタール人絶滅した謎も気になるところだが、その原因がホモサピエンスに殺されたのではなく、人口が大きくなかったのでホモサピエンスに同化されたと考えたい。
 参考: 種ヒト(ホモ・サピエンス)の誕生まで
      ヒトの進化はアフリカ限定だった!
      人類の出アフリカは18万年前?定説覆す化石発見
      ドキュメンタリー イヴ仮説 最初の女性『ニューズ・ウイーク』(1988年1月11日)
      ネアンデルタール人と人類の出会いに新説
      ネアンデルタール人はゆっくり成長した、研究成果


 ホモサピエンスの出アフリカは約6万年前とされ、この時期に大移動があったにせよ最近の研究では12万年(2)18万年前の遺跡が発掘されている。人類がアフリカを出て氷河期のベーリング海峡を渡り、南米最南端に移動したグレートジャーニーのことは良く知っているが、太平洋を真ん中にした地図では気が付かないが大西洋を真ん中にした地図なら、海が浅かった氷河期ならアフリカからブラジルに直接渡ったことは容易に理解できる。
   
  参考: 世界遺産1万年の叙事詩先史(動画:7分)セラ・ダ・カピバラ国立公園
 「日本人はどこから来たのか」についても、シベリアのバイカル湖近辺に住んでいたブリアート人(マリタ遺跡2万3千年前)(動画:49分)が北方より来ただけでなく、南からの黒潮の民(動画:49分)もいた。

 まだまだ勉強したいことが一杯あるが、YouTubeに公開していただたテレビ録画を私の学習のために、感謝を込めて掲載させて頂いた。
「研究室」に行ってみた。国立科学博物館 人類史研究グループ 海部陽介(解説)
第1回 人類進化の「常識」を覆した“小さな巨人”、フローレス原人
第2回 3Dプリンタでフローレス原人の脳サイズを測定
第3回 次の「未知の人類」もアジアから発見される!?
第4回 アジアに来たとき、ヒトは何をしていたのか
第5回 実は世界の最先端だった旧石器時代の日本列島
第6回 人類進化から見る、いまとは違うヒトの世界
NHKスペシャル「日本人はるかな旅」
第1回 マンモスハンター シベリアからの旅立ち(49分)
第2回 巨大噴火に消えた 黒潮の民(49分)
第3回 海が育てた森の王国(49分)
第4回 イネ 知られざる1万年の旅(49分)
第5回 「そして”日本人”が生まれた」(49分)
DNA解析で見る日本人のルーツ(10分)
サイエンスZERO 縄文人のルーツ(11分)


初稿 2018.2.10 動画更新 2018.2.20

歴史から日本を学ぶ~400年後の真実:支倉常長とガリレオ

2018-02-02 21:40:05 | 自然と人為

 経済、政治、個人の関係をもう一度、歴史的に学び直す為に、ヨーロッパの市民社会が成立した『啓蒙の世紀』と呼ばれる18世紀ヨーロッパから資料を集め始めたが、日本と欧米との関係をもっと実感を持って学ぶには、最近NHKで放映された「400年後の真実 慶長遣欧使節の謎に迫る」が良いと思い、「400年後の真実」で検索したら、「ガリレオ裁判 --- 400年後の真実」(解説)に出会い、視界をさらに拡げることが出来た。
 前者は伊達政宗が貿易を求めてメキシコ、スペイン、ローマに派遣した支倉常長の慶長遣欧使節団、後者は「それでも地球は動く」で有名なガリレオの宗教裁判。いずれも同時期にヨーロッパで起きた歴史的事実だが、知識が時間的にも地理的にも、さらに今の時代まで立体的につながることは、人それぞれの関心により同じ立体像は作られないにしても、学ぶことは楽しいものだ。

左図クリックで拡大 
     
常長は前列左、ソテロは前列右。 後列4名の日本人は、常長とともにローマ公民権を与えられた、山城の滝野加兵衛、摂津の商人・伊丹宗味、尾張の野間半兵衛、奥州の小寺外記だと考えられる。
慶長遣欧使節(32-89分)(45-53分)【動画】 伊丹宋味と4人の日本人

 支倉常長の慶長遣欧使節団のメンバーの動向については、鎖国以来明らかにされて来なかったが、キリスト教徒の伊丹宗味から家康がフィリッピン(スペインの植民地)等の情報を入れていたことや、伊丹宗味の招きにより来日していた宣教師ペドロ・バウティスタが1597年、秀吉により日本で最初に長崎・西坂の丘で殉教させられた日本二十六聖人の一人であったこと等をこの番組で明らかにしている。
 さらに使節団の一部はスペインに留まり、コリア・デル・リオにはその子孫と思われる700人を超えるハポン名の付く人々が暮らし、日本に帰国後長崎の山村で暮らした松尾大源の子孫・高見三郎氏が長崎大司教(九州・沖縄地区)を務めていること等、現在につながる歴史まで明らかにしてくれている。

 1615年に慶長遣欧使節の支倉常長らがローマ教皇パウロ5世に謁見した翌年に、ローマ教皇庁によるガリレオの地動説を異端とする宗教裁判(1616年、1636年)があったが、ヨーロッパは最後の宗教戦争「三十年戦争(1618~1648)」もあり、中世から近代への過渡期にあった。イタリアはローマ帝国やルネサンスで良く知られているが、イタリア王国として統一されたのは1861年のことである。その翌年に、ローマ教皇として最も長い32年も在位したピウス9世 は、イタリア統一運動の中で古代以来のローマ教皇領の存続が困難(ローマ教皇領占領(1870年))となったこともあり、宗教の強さを訴える意味もあったのか、日本では幕末であった1862年に「日本二十六聖人」を列聖している。これを記念して「パリ外国宣教会フューレ神父は、1863年に長崎の外国人居留地に隣接した現在地を入手」し、1864年末に国宝 大浦天主堂が俊工している。
 参考: サン・フェリペ号事件
      教皇ピオ9世の生い立ちと公会議招集までの歩み p.120 日本26殉教者の列聖式
      チヴィタヴェッキアとローマ:400年前の慶長遣欧使節団の軌跡を辿る
      サンタントニオ・ダ・パドヴァ教会(2)


 黒船ペリー来航(1854年)に端を発した開国と薩長派遣の留学生(1865年)は、アメリカと英国が日本の明治維新に大きく関係していることを示している。黒潮大蛇行(動画:3分)で「鳥島」に漂着したと思われるジョン万次郎はアメリカの捕鯨船によって助けられ、アメリカで勉強したのちに1851年に琉球に帰国、それから約2年後(ペリー来航の前年)に土佐へ帰国しているが、後に「直参旗本として重用され翻訳や通訳、造船指揮にと精力的に働き、また藩校の教授にも任命」された。
 1858年、日米修好通商条約を締結しているが、1860年にはその批准書交換のために幕府が派遣した海外使節団の一人として、咸臨丸に艦長の勝海舟と同行している。

 尊王攘夷の明治維新は、大政奉還(1867年)に始まり慶応4 (1868) 年の五箇条の御誓文で形式的に明治に移行したと思うが、改元の詔書が出されたのは明治天皇の即位(1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日))による改元で、新暦慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定め、明治時代が始まる。それにしても、1858年に日米修好通商条約を締結しているが、八月十八日の政変(1863年)池田屋事件(1864年5月)寺田屋事件近江屋事件(1867年、坂本龍馬暗殺)は何のためだったのだろう。
 
 一方、秀吉や家康の頃は大西洋に面したイベリア半島のポルトガルやスペイン、「江戸時代の日蘭交流オランダと長崎出島との関係」は良く知られているが、これも世界の覇権争いが日本と外国との関係に大きく影響していたことを教えてくれる。
 地中海と大西洋をつなぐジブラルタルは、現在は英国領となているが、1462年 - 1713年にはスペイン領であった。フェリペ2世時代(1556年 - 1598年)はスペイン王国は全盛期であったが、支倉常長の慶長遣欧の頃(1614年~1617年)はフェリペ3世、フェリペ4世16世紀後半から衰退が始まっていた。

 ポルトガルとスペインのイベリア半島は歴史的にも地理的にも面白い地域である。この地域はローマ帝国(地図)の支配下にあったが、その東西分裂(395年)後、ドナウ川越境(375年)から始まるゲルマン人大移動により418年、西ゴート王国(地図)が成立した。一方、アラブのイスラーム国家でカリフを最初に世襲にしたウマイヤ朝(661年-750年)は、シリアのダマスクスを都として西アジアを支配、さらにその版図を中央アジアや北アフリカ、さらにイベリア半島まで勢力を拡大し、711年にキリスト教国の西ゴート王国を滅亡させた。この8世紀に始まるイスラーム支配に対するイベリア半島のキリスト教徒によるレコンキスタ/国土回復運動は、11世紀に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)がセルジューク朝との戦いに敗れ、イェルサレムがイスラム王朝に占領されたことによる十字軍運動とともに活発となり、コロンブスが新大陸を発見した1492年、スペイン王国はイスラーム教国ナスル朝の最後の拠点グラナダを陥落させ、イスラーム勢力は北アフリカに後退し、レコンキスタが完成する。
 参考: 10世紀後半のイスラーム帝国
      イスラーム帝国の領域      
      東ローマ帝国・前編後編「世界史の目」


 15世紀から16世紀にかけて展開され17世紀の中頃まで続く、大航海時代は、次の要因で活発化し、近代への扉を明けた。
 1.ヨーロッパにおけるアジアに対する知識の拡大
  13世紀のモンゴルの侵入マルコポーロ
 2.羅針盤・快速帆船・緯度航法など、遠洋航海術の発達
 3.ヨーロッパでの肉食の普及にともなう香辛料の需要の増大
 4.レコンキスタが進行して、キリスト教布教熱が高まっていたこと
 5.オスマン帝国の進出で東方貿易が困難となる。

 ヨーロッパとアフリカの14キロメートルの幅で地中海と大西洋をつないでいるジブラルタル海峡は、7世紀にはアラブ人のウマイヤ朝がアフリカから渡ってきたが、人類誕生前の600万年前にはヨーロッパ大陸とアフリカ大陸のプレートがぶつかり陸となる地中海消滅の時代があったと言う。しかし、530万年前に堤防部分の地盤が下がったことにより、7分で東京ドームを満杯にするナイアガラの滝の40万倍の大西洋の海水を幅10km、高さ1200mから2年間注ぎ込み地中海は復活したと言う。その後は地中海消滅は起きていないが、今も大陸は年間4~8mm接近していて当時の海底は隆起して山となっているので、再び地中海消滅が生じても不思議ではない。地球は生きている。人類同士が戦う馬鹿を早く卒業し、地球災害への備えを世界で協力する時代が早く来ないものか。
 

初稿 2018.2.2 更新 2019.9.4