自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

経済、政治、個人の関係をもう一度、歴史的に学び直したい。

2018-01-27 18:34:07 | 自然と人為

 歩くことも書くことも不自由な74歳となり、現場に行く体力も気力も無くなったが、畜産システム研究会開催という公的な仕事をいただき、これを最後の仕事と全力投球をすることが出来た。今は、記憶が急激に衰えているという恐怖の自覚から、認知症予防のためにも、政治家の嘘に騙されず個人個人の力で、孫の代、次の代、その次の代と、いついつまでも平和を守り続けるためにも、生きてる限り考え続けたい。

 「こころの時代『父に問う 今と未来を知るために』」動画(全編60分)で、「歴史は相似的に反復する」と教えてくれた辺見庸に刺激され、ブログ「組織か個人か? 国家か国民か?~歴史は相似的に反復する」を年末に武田泰淳の紹介も兼ねて書いたが、「考える」ことは多様な解釈を伴う。
 参考:「戦後日本社会の欺瞞と天皇制の闇を暴く!」
     特別対談:『1★9★3★7』著者・辺見庸氏×ジャーナリスト・小笠原みどり氏


 多様な解釈があるにしても、「自然とデザイン」について考え続けることは変わらないし、アマゾンで200人たらずの先住民族が生活するメイナク族の「すべてが一つの世界」を教えてくれた森谷監督の映画
「森の哲学者メイナク族」
が、考える原点にあることも変わらない。

 しかし、これまでのブログをザッと読み直すと、似たような考えをくどくどと感じたまま書いている。そこで、ネットで資料を集め、もう一度私の考えを整理するために経済、政治、個人の関係を歴史的に学び直したい。このブログは私の主張のためにあるのではなく、多様な解釈を整理するための資料を集め、皆さんと共に考えることに意義があると、今では考るようになった。

 人口が増え、文明によって人工物が増えるにしたがって、人はバラバラとなり、支配に伴う争いが絶えなくなった。文明とは欲望を限りなく肥大化させるものなのだろうか?文明が進んだ国に住む我々は、アマゾンに住むメイナク族と随分、価値観の違う世界に来てしまった。

 我が国を守るためと言って政府は軍事力を強化しているが、戦争をしなければ戦争放棄した我が国に軍隊はいらない。自衛隊は災害救助のために国民に信頼されているのであり、軍隊にするための憲法改正は必要ない。防衛のためという詭弁には、戦争を必要悪とする気持ちが常に隠されている。政府の詭弁に誤魔化されてはならない。16~18世紀、ヨーロッパの専制君主の時代には重商主義植民地支配が国を繁栄させると考えられ、これを支えるために軍備を増強させた。それは現代のアメリカの産軍共同体と重なり、アメリカの植民地としての戦後の日本とも重なる。アメリカに従うための軍はいらないし、アメリカから解放されるためにも軍はいらない。戦争放棄の日本の憲法は平和を守るための世界で最も進んだ憲法のはずだ。もう少し、そのあたりの資料も集めて、皆様と共に考えたい。それが平和を守るために、私個人として出来る仕事だと思っている。

 資料を集める前に、気になっていた保守主義を自認する西部邁を追悼するネット上の2つの番組から「政治」を考えて見たい。
 追悼: 西部邁流、保守主義のすすめ 動画
 追悼 【平成29年 年末特別対談】西部邁氏に聞く[桜H29/12/29]
 前者の対談は11年前のものであり、建前としては否定できるものはない。「本来保守が最も警戒する急進主義的構造改革を保守主義者が擁護するという今日の日本の捻じれた現状を、西部氏は表がいつのまにか裏になっている『メビウスの輪』に例える。では西部氏の考える保守のあるべき姿とはどのようなものなのか。そもそもヨーロッパにおける保守主義とは、フランス革命が掲げた自由、平等、博愛の精神に対し、人間の浅知恵で先人たちが永々と築いてきた歴史や共同体を軽視するべきではないとするエドマンド・バーク(2)に代表されるイギリス型保守思想に端を発している。さらにヨーロッパには、古代ギリシア時代から、一筋縄ではいかない世の中の矛盾に苦悩しながら、理想と現実のバランスをとるための英知を蓄積してきた保守主義の歴史的系譜が存在するという。これに対し、アメリカではそもそも国の成り立ちが、ヨーロッパでは急進主義と位置づけられるような個人の自由や科学の合理性を重視することからスタートしているため、そのアメリカ的価値を守ろうとするアメリカの保守主義は、ヨーロッパのそれとは正反対の立場となる。」

 後者の対談では、「北朝鮮はアブノーマルに侵略的な国だ。しかし、アブノーマルに侵略的な国はアメリカもだ」と対談者同士で同調し合い、「世界はならず者国家だらけだ。北朝鮮への制裁は戦闘行為」だという認識も、アメリカを動かしているのは産軍共同体だという認識も対談者同士で一致している。だから日本も武装しろと言うが、そこには論理の飛躍がある。
 西部氏はモダニズム、近代化の危険性を指摘し、「モダニズムの追求は人間を浅薄にし、国土も荒廃させることにヨーロッパは産業革命で気付いたが、アメリカは南北戦争後に一斉に駆け込んだ」とも言う。その認識は前者の対談でも触れられているので、次回にでも資料で確認して論じたいが、解釈の一致と論理の飛躍がどこから来るのか、死を前にした飛躍なのか私には分からない。これからは解釈、認識、論理の飛躍についても意識しなければならないようだ。

 ただし後者の対談は死の直前のものだし、対談の相手も違う。後者は「この国は嫌だ、死にたい」という本音の対談だと思う。対談の中で三島由紀夫の言葉「これからの日本は、のっぺらぼうで価値中立的で食えれば良いだけの国になるだろう。国をなくすだろう。そういうことを何ら心配しない日本人とは口を利きたくない」を引用して、『僕は口をききたくないだけでなく骨になりたい』と言っている。

 後者の対談の43分40秒からの本音こそが、西部邁に与えられた命と能力を燃やし尽くす価値のある仕事だったと私は思う。
 「多くの女性は日常性、恒常性に生きている。
  公の場に立たず、日常に生き、黙って死んでいく。
  彼女たちこそ、庶民こそ
  日々同じことを繰り返しているので知恵があり、
  深いところからものの哀れ、
  真実を見抜いている。」
多くの女性も一般庶民も戦争を心の底から嫌っている。しかし、三島も西部も戦争を忌避せず、思想や知識に殉じる上から目線の人達だと思う。彼らこそモダニズム妄想の被害者だと思う。彼らに知識ではなく、自然と生きることの幸せを知る機会があったらと思う。彼らは日本の歴史を大切にしているが、その歴史を憲法に、今に生かすとはどういう状況を想定したら良いのだろう。

 あなたや私の存在を認識するのはあなたや私だとしても、あなたや私が一人では生きていけないように、あなたや私の存在をどう解釈するかは他者である。人口が少なかろうが多かろうが、他者と一体であるとき我々は幸せであり、他者と一体が常識の世界に生きるとき、我々は幸福だとか不幸だと言う言葉さえ必要としなくなる。


初稿 2018.1.27 更新 2019.9.5

自然と民族、国家と国民~何を重視して生きるか?

2018-01-21 16:50:52 | 自然と人為

 ニーチェの言葉『事実はない。存在するのは解釈だけだ。』がある。 解釈できるのは我々が言語を持つからだが、動物も鳴き声や小鳥のさえずりのように簡単なコトバを持つ。狭い日本でも鹿児島弁や津軽弁があるように、言語は物まねで習得する。子供には自分たちの意志を伝えるために、クレオール語のように言語を補って作る能力があるそうだが、これらの点については「ダイアモンド博士の”ヒトの秘密”」(予備:終わり)(動画:第2回 動物のコトバ、ヒトの言語)が分かりやすく解説してくれる。
 いつも私を見守ってくれていた愛犬「ジョーイ」とも鳴き声や表情、行動の反応で心は通じていた気がする。

 現在、世界の言語は7000ほどあるが近い将来に200程に減少すると思われている。言語が失われることは、文化が失われることだ。
 ブラジルのメイナク族は「すべてが一つの世界、皆が一緒の世界」に住んでいるので、「自然」とか「宗教」という言葉も「幸せ」とか「不幸せ」という言葉もないと言う。文明が発達すると人それぞれの立ち位置によって解釈も異なり、対立さえする時代になってしまった。

 かつてこのブログで『人間の集団はものごとを右か左かの論理で判断しますが、私は中心に自然を置き、自然を大切にするかどうかを判断基準にしています。人類は自然の一員だからこの判断は難しいことではないし、ビッグヒストリーにおいても考えられる基準です。これが基準でないとすれば、人類はいつから(自然の一員である)人間から脱却したと言うのでしょうか』と申し上げたことがある。民族はこの地球に生まれた同胞であり、自然の一員であるので、グローバル化の時代にあって日本民族だけを特別視する考え方は古い。古いかどうかもその人の解釈次第だが、少なくとも他者に要求すべきことではなかろう。右か左かの論理も「上から目線」か「下から目線」かで考えれば、庶民の生活を理解でき、評価しやすいはずだ。

 自由と民主主義は歴史によって築かれたものであり、広大な国である中国もロシアも国民の生活が共産主義により抑圧されるものではないはずだ。問題があるとすれば、支配者に「下から目線」が失われることによるもので、自由主義国でも同じ課題を抱えている。北朝鮮 金正恩は国民の生活を犠牲にしてまで使用できない核兵器とロケットを開発する馬鹿な行為に熱中しているが、これは共産主義とは関係ない。

 アメリカファーストのトランプ大統領も支持層を維持できると考えての言動であり、アメリカは大量の核兵器を保有しながら、持たない国が核兵器を所有することを恫喝している。アメリカの核兵器大量保有も大統領個人の考えではなく、アメリカの世界支配システムの掟に大統領が従っているだけだと思う。これも自由と民主主義とは関係ない。

 日本の安倍首相の森友・加計問題も主義主張の問題ではなく政治を私物化した民主主義違反の問題で、国民の代表の政治家として許されないことだ。また、70年安倍首相談話の記者会見の質疑応答の最後に、「今回の法制によって日本が危険にさらされたときには日米同盟が完全に機能する、このことを世界に発信することによって、紛争を未然に防ぐ力はさらに強くなっていく、高まっていく。日本が攻撃を受ける可能性はより低くなっていく」と言っている。
 
 しかし、北朝鮮問題をメディアで強調することは、日本人を恐怖に陥れ反北朝鮮感情を増加させるだけで、日本のJアラート(2)も何ら効果はなく、ハワイの誤報NHKの誤報のように、ミスが戦争を引き起こす恐れが高くなっている。日米共同軍事演習も仮想敵国を刺激するだけで、戦争防止の役割は果たさない。ましてや戦争が始まって日本を守るとしても、それは戦争肯定であり戦争防止には全然ならない。日米軍事同盟は百害あって一利なしだ。自衛隊は災害救助隊として世界に貢献すべきだ。
 参考: アメリカが日本を守るって!?
      日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増し、一国だけで平和は守れない?
      「米軍は日本を守らない!」という事実が米公文書によって明らかに!


 何を重視するかで解釈は異なるが、その自分の勝手な解釈で相手を攻撃したり支配したがる態度は、文明が進めば進むほど危険になる。今は有限な条件で優れた結果を出す人工知能が発達する一方で、無限な条件で解を求める人間の能力が時代に追いつけなくなっている。支配者が謙虚な気持ちを失うと、その国は道を誤る。

 日本民族の誇りを大切にし、共産主義が嫌いな人々が安倍晋三 70年談話(録画:24分 その後・記者質疑【全42分】)を高く評価している座談会がある。私もこの記者会見の質疑応答を文字情報として残したが、聞き取り難かった記者の名前の一部は、この座談会から引用修正させていただいた。そのこともあるが、この座談会は「70年安倍談話」に関する彼らの解釈を知る良い資料だし、安倍談話の裏側というか内側も理解しやすい。ただ、沖縄を含めアメリカの軍事植民地化(日米地位協定)を平気で受け入れている安倍晋三の談話と日本民族の誇りと、どう整合性が取れるのだろうとは思う。しかし、解釈はどこに重点を置くかという解釈する本人の責任であり、これを知ることは有益であったが論評するつもりはない。「70年安倍談話」に批判的な論評と共に資料として紹介しておく。
 参考: 【戦後70年】安倍談話を考える[桜H27/8/18] (1)(2)
      追悼 【平成29年 年末特別対談】西部邁氏に聞く[桜H29/12/29]
      追悼: 西部邁流、保守主義のすすめ
      「安倍首相の戦後70年談話は日米合作だった!」
      安倍首相の「戦後70年談話」に潜む「植民地」への優越感
      あなたは日本が米国の『完全植民地』であることを知っていますか?


 安倍談話では「あの戦争には何ら拘りのない私たちの子や孫、その先の世代、未来の子供たちが謝罪を続けなければいけないような状況、そうした宿命を背負わせてはならない。」と述べている。戦争は、相手だけでなく自国の国民も悲惨な目に合わせる絶対悪である。自国の未来の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせないのではなく、お互いの国民と政治家が相手を尊重する時代に向けて努力する責任がある。それが今を生きる我々に与えられた使命と責任である。

 安倍内閣は韓国の慰安婦問題は政治的に決着済みだと言う。慰安婦像さえ撤去しろと言う。日本には長男を大切にする「男尊女卑」の文化が永く続いているが、慰安婦問題は女性の人権問題であり、政治的に決着できる問題ではない。韓国の女性や市民の立場に立ち、日本政府の批判の板挟みにあっている韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は民主政治に誠実だと思う。一方、国民や女性のことを大切にしない安倍政権を、危険で恥ずかしい政治家だと思う。

 何を重視するかで個人関係だけでなく、国際関係も大きく左右される。自由と民主主義の国に生まれた我々国民に出来ることは、他者を尊重し誠実に生きることであり、民主主義政治に与えられた一票を大切にする仲間を一人でも増やしていくことだと思う。


初稿 2018.1.21 更新 2018.1.22

戦後70年を過ぎ、日本の政治は何処に向かっているのか?

2018-01-16 21:49:51 | 自然と人為

 多くの人にとっては常識だったかも知れないが、私は74歳にして武田泰淳の偉大さを知った。私が辺見庸や武田泰淳から学んだように、一人でも多くの人に「『人間を大切にすること』、『戦争をさせないこと』を、個人一人でどれだけできるか」を私とともに考えていただきたいと思い、これに関連してネットから得られる様々な情報を提供した。資料の準備に時間が掛かったが、私の疑問点を指摘しながら、出来るだけ賛否両論の資料を集めるようにし、私自身の判断材料にもしたい。

 『事実はない。あるのは解釈だけだ』としても、ここに示した見解や資料をどう解釈するかは、あなたの問題であり、判断基準として「差別と戦争」を「絶対悪」としない人はいないはずだ。もし「差別と戦争」を「必要悪」とする人がいれば、その根拠を聞かせていただきたい。

 昨年、「歴史は相似的に反復する」と辺見庸に教えられ、「南京虐殺事件 1937年12月は明治維新から70年、安倍首相の「戦後70年談話」のように70年もすれば統治機構は腐敗」すると申し上げた。ここでは、安倍晋三 70年談話の録画(24分 その後・記者質疑【全42分】)があるので、まず初めにこれを資料として考えて見たい。

 この安倍首相の談話は閣議決定として残され、「産経ニュース」にも全文掲載としながら、談話の録画(24分)にある冒頭部分と最後の部分で、「談話の作成に当たっては『21世紀構想懇談会』を開いて有識者の皆様に率直かつ徹底的なご議論を頂きました」と繰り返し強調し、質疑応答でもこれを「歴史の声」だと強調しているが、「談話」資料(文字情報)からはこの文言が何故か削除されている。
 参考: 21世紀構想懇談会報告書

 この安倍首相70年談話の記者会見の質疑応答を文字情報として残して置いたが、このうち幹事社との質疑応答をピックアップしておく。
司会 それではこれから質疑に移ります。---初めに、幹事社から
   ご質問を頂きます。
質問 幹事社の共同通信の杉田です。
   総理は戦後70年談話を世界に発信すると位置付けているが、
   国内外への特に伝えたいメッセージは何か? また、
   過去の村山談話や小泉談話と違う形で、お詫びや侵略の文言
   を入れた理由は?
首相 日本が目指すべき国家像を描くという意味で、より幅広い国民と
   メッセージを共有する。こういう観点からは一部だけを切り取って
   強調することよりも、談話全体としてのメーセージを受け取って
   いただきたい。侵略という言葉については、今回の談話は、
   21世紀構想懇談会の有識者のが共有した認識、その報告書の
   上に立って作成した。その報告書の中にもあるが、中には侵略と
   評価される行為もあったと思う。だから談話では、事変、侵略、
   戦争という言葉を挙げ、いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争
   を解決する手段としては二度と用いてはならないことを、先の
   大戦への深い悔悟の念と共に誓ったと表現した。かつて日本は
   世界の大勢を見失い、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使
   によって打開し、あるいはその勢力を拡大しようとした。その
   事実を率直に反省し、これからも法の支配を尊重し、不戦の誓い
   を堅持することが、今回の談話の最も重要なメッセージである。
   その上で具体的にどのような行為が侵略であるか否かについて
   は歴史家の議論に委ねるべきである

司会 それでは幹事社の方もう一社、どうぞ。
質問 東京新聞の望月と申します。
   総理は2009年ですが、月刊誌の対談で村山談話について--
   村山談話以降、政権が変わるたびにその継承を迫られている
   ものであり、まさに踏み絵です。村山さんの個人的な歴史観
   に日本がいつまでも縛られることはないと述べてる。
   これらの発言と今回の談話の整合性について分かりやすく
   説明してください。
首相 村山談話につきましては、これまでも全体として引き継ぐと繰り
   返し申し上げてきた。同時に私は政治は歴史に対して謙虚である
   べきであるとも申し上げて来た。その信念のもと、今回の談話の
   作成に当たっては、21世紀構想懇談会を開き学者、歴史家を始
   め有識者の皆様にお集まりを頂き、20世紀の世界と日本の歩み
   をどう捉えるか大きく世界と時代を超えて俯瞰しながら、議論を
   頂き最終的に一定の認識を共有できた。私はこの21世紀構想
   懇談会の報告書を歴史の声として受け止めたい。
そしてその
   報告書の上に立って先の大戦への道のり、20世紀という時代を
   振り返りその教訓を胸に刻んで、日本がどのような国を作り上げ
   て行くべきか、戦後70年の大きな節目に当たって談話として
   取りまとめた。

 質問している記者の所属が聞き取れないので、記者クラブ一覧を調べてみたが、内閣記者クラブ、衆議院記者クラブ、参議院記者クラブの会員は非公開となっている。国民の代表の言動に責任を持つ記者クラブの会員一覧を、何故、非公開にするのか? 質疑応答で首相はメモにしばしば目をやっている。閉鎖的な記者クラブで質疑応答にもルールがあるとしたら、質疑応答が儀式となり、そのリアルタイム(実時間)が政府によって支配され、ある種の政府独裁が拡大していく。
 アメリカの大手メディアと独立系ジャーナリストの攻防が、「すべての政府はウソをつく(動画1)」(2)に示されていることを昨年末紹介した。それが動機となって日本の政治に関する資料を集めているが、日本でも支配システムの一部となった記者クラブ制度の弊害は大きい。

 戦後70年安倍首相談話と記者会見から気になることは、安倍首相の国家意識の強さと「侵略」を政治家として認めたくない姿勢である。戦争は国の責任であり、政治家の責任である。首相はどのような行為が侵略であるか否かについては歴史家の議論に委ねるべきであるとして侵略のことに言及するのを避け、「21世紀構想懇談会の報告書」を歴史の声として受け止めたいとしているが、任意に選出した有識者の報告を「歴史の声」と堂々と言えるのも独裁者の資質が十分なことを示している。「かつて日本は世界の大勢を見失い、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって打開し、あるいはその勢力を拡大しようとした。その事実を率直に反省」しているが、率直に認めた事実こそ「侵略」ではないか。国民に率直でない政治家は道を誤る。
 
 「戦後70年総理談話に関する歴史家、国際法学者、国際政治学者の声明」会見 2015.7.17 声明文でも、「日本が1931年から45年まで遂行した戦争は、国際法上違法な侵略戦争であったことは国際社会で確立した評価であること、もうひとつは「村山談話」や「小泉談話」を「全体として継承する」という安倍首相に対し、具体的な表現によって明らかにするよう求めている。」

 戦後70年首相談話で注意すべきことは、2000年1月に小渕恵三首相の委嘱による懇談会が発表した「21世紀日本の構想<」に一言も触れていないことである。その報告書は「来世紀に向かう日本の課題と方策を中長期の観点から整理し、広く国民の論議に供しようと意図している。--- ここには21世紀に向かう日本が備えるべき新しい理念や組織、15年から20年後に到達することが望まれる日本人の姿、および、それに至る道筋が述べられている」とある。小渕首相は、第145国会終了後の記者会見(1999年(平成11年)8月13日)の最後の部分で、「私は、「21世紀日本の構想」懇談会を設け、先般も私自身 合宿に参加するなどして、鋭意検討を進めてきているところでございます。新しい千年紀 (ミレニアム)、新しい世紀を目前にする歴史的な大転換期にありまして、引き続き国政を お預りする者として、国家と国民のために貢献し責任を全うしていきたいと強く念じているところでございます」と述べている。

 また、「21世紀日本の構想<」懇談会の第1回懇談会(1999年3月30日)の小渕首相の挨拶は、物と心、「利己」と「利他」のバランスのとれたものの考え方の必要性を強調し、「私自身、かねがね、他人にやさしく、美しいものを美しいとごく自然に感ずることのできる社会、また、隣人がやさしく触れ合うことのできる社会、そして何よりも住みやすい地域社会を建設することが必要であるとの考えを持っておりました。こうした考えに立ちまして、21世紀における日本のあるべき姿として、経済的な富に加えて品格あるいは徳のある国、物と心のバランスのとれた国、すなわち「富国有徳」の国家として、世界のモデルとなるよう目指したい、と考えております。世界のモデルというのは、必ずしも我が国がこのことをひけらかしてやるという意味でなく、他の国から顧みて真に尊敬に価する国となることだと考えております」と述べている。この懇談会への小渕首相の真摯な姿と比較すれば、偏狭で利己的に過ぎる安倍政治の劣化は明らかであろう。
 参考: 「二十一世紀日本の構想」懇談会全体合宿における内閣総理大臣スピーチ

 安倍首相の「戦後70年談話」と小渕元首相の「21世紀日本の構想」との断絶は、政治が一人の人間の資質により大きく変化することを明らかにしてくれる。政治家の資質よりも政治の世襲が政治的人間関係を強固にし、国民の為と口では言うが、上から目線の偏狭で利己的な政治家に活躍の場を与える。
 この安倍首相関連政治情報は多すぎるので次回に廻したいが、いずれにしても他者を尊重し平和を守るために我々個人に出来ることは、選挙や国民投票の時だけで良いから、仕事を離れて冷静に誠実に人間としてあるべき票を投じることしかない。そのような人を一人一人増やすしかない。
 
初稿 2018.1.16 更新 2018.1.17

1943年~私は戦時中に生まれました。

2018-01-10 21:50:24 | 自然と人為

 私の父は明治34年(1901年)生まれだから、私が生まれたときは42歳。当時は幼児死亡が多かったが、最初に生まれた長女は自動車事故、長男は生後2週間で亡くなっているので、末っ子の長男として育てられた。戦時中だけど戦争に行かなくて、母とともに私を生んで育ててくれてありがとう。徴兵制があっても戦争に行かなくて良かったのは、一つには年齢であろうが、若い時にお祭りで山車の事故で足を怪我して丙種合格だったことも理由かも知れない。今だから戦争に行かなくて良かったと感謝するが、戦争で狂った「実時間」(動画)の当時は肩身が狭かったことだろう。

 辺見 庸の父は1922年生まれで、1943年10月21日、学徒壮行会後に兵役を課せられ戦場に行かされた。辺見 庸は1944年(昭和19年)9月27日生まれなので、出兵直前に両親は結婚したのだろう。その『辺見庸の父に問う』番組(動画)があることは、年末にこのブログで紹介している。またこの番組で紹介された武田泰淳(1912年2月12日生まれ)が1937年の中国の戦場の鬼畜日本兵の事件を作品に残した「汝の母を!」(2)(1956年8月作)は強く心に残っている。その武田泰淳が1943年に武田泰淳『司馬遷 史記の世界』(2),を残してくれている。
 参考: 武田泰淳が語った戦争  伊藤 博子(2)
      『司馬遷 史記の世界』(2)
      太宰治と武田泰淳(2)(3)


 ここでは、辺見庸に感謝し、武田泰淳の人間に残してくれた偉大な作品を学ぶために、手始めの資料を残しておきます。私は今年、75歳。残りの隠居の仕事として、人間を大切にすること、戦争をさせないことを、個人一人でどれだけできるかを考え続けて生きたいと思います。

 参考: 司馬遷と武帝(動画20分)
      武田泰淳と司馬遷(動画、上記の一部3分)


初稿 2018.1.10

世界の深層~支配システムに操られる支配者

2018-01-06 18:57:23 | 自然と人為

 昨年末のブログで、「組織か個人か? 国家か国民か? 今、世論操作がメディアによって行われ、個人より組織、さらには国家が大切なのは当然とする雰囲気が作られつつある」と申し上げた。
 年始早々「貴乃花」の理事降格が決定し、池坊評議員会議長から発表された。解任の理由は、「相撲道は礼に始まり礼に終わる」が、著しく礼を欠いていたと言うものだった。貴ノ岩の処遇については一言もなく、相撲協会(組織)に礼を欠いたことが相撲道に反すると言う。華道は権力に咲く徒花か!それとも池坊氏自身が衆議院文部科学委員長、文部科学副大臣、衆議院青少年問題に関する特別委員長、公明党女性委員会副委員長等権力の支配者になりたいからか?

 また、同じ日のブログで「アメリカの民主党は国民を大切にし、共和党は国家を大切にする」とも申し上げた。トランプよりはオバマが人間的だとの印象からの発言だが、紹介した「すべての政府はウソをつく」(2)は、アメリカの支配システムがアメリカの支配者を支配しているのであって、アメリカ大統領の人間性でアメリカが支配されているのではないことを教えてくれる。しかも、大手メディアも支配システムに支配されている。いずれのシステムも支配者のイスに座りたい人を洗脳し、我々庶民が大手メディアに洗脳される。(動画) 

 システムとはその時代の雰囲気というよりも、軍事システムを含む世界の支配者であり続けるための掟のようなものだ。アメリカは世界中で戦争をしている。「戦争で儲け、戦争で世界の問題を解決する」と言うのも掟なのだろう。戦争で問題が解決できるはずはないが、何時までも続く戦争が、アメリカの利益になっているのだろう。人間の良心の力よりも、アメリカの欲望システムの力が大衆を巻き込むほどに大きくなってしまった。それがアメリカに従属する安倍政権の日本にも及び出した。そういう時代になってしまった、ということだろう。

 私が批判し続ける安倍首相も、「私の憲法改正の考え方は読売新聞に書いてある」と国会で答弁している。祖父・岸信介以来、アメリカに従うことで日本の支配者であり続けているので、アメリカは能力ではなくシステムが支配する時代になっていることには詳しいのだろう。
 参考: ジャーナリスト大賞●田崎史郎(時事通信社特別解説委員)
      本家御用の地位はゆるがず、安倍首相が憑依する「イタコ」化が進行
      安倍首相が年頭所感で“明治礼賛”!
      明治維新150年キャンペーンで長州支配と大日本帝國憲法復活を煽動
      安倍首相が極右ネット番組に登場!
      沖縄ヘイトの我那覇真子などネトウヨ女性陣におだてられ信じがたい暴言も
      安倍首相出演『ワイドナショー』はまるで接待番組だった!
      松本人志は「おじいちゃんが守ってきた国が好き」の迎合発言


 「ポスト・トゥルース時代にメディアは何をすべきなのか。」では、ニーチェの言葉を引用し『事実はない。あるのは解釈だけだ』という。現場を知らないものにとっては、『事実はない。あるのは解釈だけだ』と言われても何もないのと同じだ。「だからひとりが好き」の議論の「プラットフォーム」を提供していただいても、著名人の意見が参考になるだけ。
 すべての政府はウソをつく(前 動画 )(後 動画)は、アメリカの真実を公表しようとしない政府と、独立系ジャーナリストの攻防がテーマだが、日本も同じ状況にあると考えたら、独立系ジャーナリストの存在が日本でも大きくなるよう祈りたい、応援したい。

初稿 2018.1.6 更新 2017.1.7