思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

美しいもの・よいものへの憧れを抱き続ける思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

わが白樺大学クラスのメンバーだった荒井達夫さん(参議院元職員)の見解が、朝日新聞社説に。

2016-07-26 | 学芸

  数年前まで、長いこと誰よりも熱心な白樺教育館の「ソクラテス教室・大学クラス」の生徒(社会人参加)であった荒井達夫さんの見解が、朝日新聞社説に載りましたので、ご紹介します。とても嬉しい!
  わたしが、参議院の行政監視委員会調査室で職員の方に講義することになったのは、当時、行政監視委員会調査室の首席であった荒井さんの頑張りによります。
  また、参議院行政監視委員長(当時)の山下栄一参議院議員は、公務で国会から白樺教育館に来館し、対談しましたが、山下委員長の行政監視の報告本には、わたしの公共思想が、国会からの行政監視を支える中心哲学として載せられました。これもとても嬉しいことでした。

※なお、参議院調査室におけるわたしの活動、および、荒井達夫さんの記事は、白樺教育館ホームの公共思想の項にたくさん掲載されていますので、ご参照ください。

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員ー国会職員に「日本国憲法の哲学的土台」を講義」)




 

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「日本の悠久の歴史は、天皇制による」(安倍晋三)ーもちろん真っ赤なウソです。

2016-07-24 | 社会思想

 神話上の神武天皇(126歳の長寿)を初代とする天皇国の日本こそが、世界に誇る悠久の歴史をもつニッポン、と主張するのが「日本会議」ですが、その主要メンバーである安倍首相も自著(「美しい国」へ=改訂版は「新しい国へ」)で「天皇制こそ日本の歴史の根幹」と書きます。

 はたして、ほんとうにそうでしょうか?

 神話の世界までをも現実だとする戦前の「天皇現人神」(現代の言葉で言えば「カルト」です)の思想を喧伝する「日本会議」の主張が正しいと仮定しても、その悠久の歴史とは、わずか二千数百年に過ぎません。

 彼らは、律令政治の始まり(645年の大化の改新ー701年の大宝律令)ではなく、そこから遡ること1300年以上も前から天皇の時代だった、と主張をするわけですが、それは、稲作文化の弥生時代と重ねたいからです。天皇家の中心行事は大嘗祭や新嘗祭ですが、この稲作儀礼が「みな一緒=同調」をつくる象徴行為ですので。

 しかし、もし、日本の「悠久の歴史」を語るならば、それは弥生時代ではなく縄文時代であることは、どなたもが義務教育で習い知っているはずです。

 1万年以上にわたり平和のうちに生活し、土器に代表される驚くべき高い芸術性をもち(弥生とは比べものにならない)、エコロジカルな生活をつくった縄文文化は、いま、世界の研究者から称賛されています。とりわけ、彼らが稲作技術を知っていたにも関わらず、それが大規模な自然破壊をもたらす(森林伐採)と判断して、稲作中心ではなく栗栽培を柱とする森林文化を守り育てたことは世界に例をみないと言われ、行き詰った現代文明を救うヒントになるとさえ称されます。

 時間的にも日本史の大部分を占める縄文時代とその文化を外して、その後の稲作中心の弥生以降を強引に天皇=皇室と結びつけ悠久の歴史とするのは、あまりにも狭隘な思想です。今また戦前のカルト思想を広めて何をしようというのでしょうか? 
 古代において王政による律令政治を支えた天皇という存在を、過去にも未来にも引き延ばして「永遠化」しようとする試みは、明治維新政府の中心思想でしたが、それにより全国民を縛る国家宗教=天皇教は、太平洋戦争で無惨な結末を迎えました。その歴史の事実を反故にして、再び、真っ赤なウソを広めるのは、おぞましい犯罪行為というほかありません。歴史・現実的にはウソを、思想的には稚拙な言説を広める先頭に首相が立つ国とは、「醜い国」「旧い国」でしかありません。

 おぞましい想念に憑りつかれ、すぐカッと熱くなり子どもじみたな言辞を弄するのをやめ、少しは冷静で明晰な理性を持たないと、国が滅びます。いまは、21世紀の近代市民社会なのですから。



 ※なお、物部氏の「神道」を排して「仏教」による国づくりを宣言した聖徳太子の17条の憲法の意義については次に書きます。明治維新政府の「廃仏毀釈」とはアベコベ。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員ー国会職員に「日本国憲法の哲学的土台」を講義)


国会内の売店で売られている歴代天皇の一覧カップです(神武からはじまる神話上の天皇の名前も列挙されていますが、そもそも壬申の乱で勝利し天皇制をつくった天武天皇673年即位が最初の天皇であり、それまでは大王と呼ばれ天皇という呼称さえ存在しませんので、これも真っ赤なウソです)



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ヴァント・ベルリンフィルよりずっと魅力的なノット・東響のブルックナー交響曲8番

2016-07-23 | 芸術


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当日に感動の演奏評を出しましたが(ノット・東響 ブルックナー交響曲8番 横須賀芸術劇場 解放感あふれる見事な演奏。)、それでは足りないので(笑)再度、賛辞です。

7月17日の横須賀芸術劇場(前日はサントリーホール)でのブルックナー交響曲8番。
わたしは、こんなに面白くかつ感動するブルックナーの演奏は聴いたことがありません。

比較にいま、21世紀初頭のギュンター・ヴァント・ベルリンフィルの3楽章・4楽章を流していますが、まったく面白味のない演奏です。緻密で正確ですが、まるで「お勉強」のクラシックです。神経質でせせこましく愉悦感がありません。

ジョナサン・ノット・東響の演奏は、はるかに豊かな音楽で、エロースに溢れ、自由で自発に富み、まさに演奏芸術!の醍醐味でした。

マタチッチ・N響の野暮さがなく、オケも東響の方が上手いですし、音楽の解釈が普遍的で、かつてのカラヤンのように自分の美学に従わせるのとは逆に「民主的」で洗練されています。ほんとうの意味で頭のよさを感じさせ、とても魅力的です。

また、チェリビダッケの荘厳な宗教儀礼のような一面的な音楽ではなく、多色で多面的ですが、全体はみごとに一つです。とても現代的で美しい演奏ですが、偏りがありません。

あえていえば、面白味ではヨッフム(より知的ですが)のようであり、8番の歴史的名演として知られるクナッパーツブッシュ・ミュンヘンフィルを現代的で都会的にしたような演奏ですが、色気があり、ずっと魅力的でした。すごい演奏会に一聴衆として参加でき、ただ感動!

これからノットさんは、21世紀にふさわしい新しいクラシックの金字塔を次々と打ち立てそうな予感がします。ドキドキです。契約延長で10年間も東響で聴けるのはとても幸せですし、秋の欧州演奏旅行ではウイーン学友教会でも演奏会がありますので、ウィーンの聴衆の反応が見ものです。

直前には欧州プログラムでの演奏会もありますが、う~~ん、ノットさんの選曲のよさに改めて脱帽します。

欧州プレコンサート(1)は、10月9日(日)東京オペラシティで、
武満徹・弦楽のためのレクイエム      ドビュッシー・海       ブラームス交響曲1番。

欧州プレコンサート(2)は、10月15日(土)サントリーホールで、
ベートーヴェンヴァイオリン協奏曲   ショスタコーヴィチ交響曲10番。
(ヴァイオリンはイザベル・ファウスト)


武田康弘

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よく躾けられ、勉強もスポーツもよくできる。それが日本人の価値。でも、人間はいない。

2016-07-20 | 教育
よく、上手に、「躾」られ、
両親の言うことを素直に聞き、
よく勉強して、いつも高得点を取り、
進学塾の長時間勉強にも不平を言わず、
けっこうスポーツも得意。
「エリート」人生のためにひた走る快感!!
 
世間からは「優秀ね!」と言われ、
マイナス評価などされたこともない。
 
これでまともな人間になれるなら、フィロソフィなど無用ですし、
文学には意味がありませんし、芸術は飾りものとしての価値ということになります。
 
心、内的世界、内面宇宙、精神などとは程遠く、外的価値だけで見事に埋まる人生です。人間の形をした「優秀」な自動人形ですが、やはり人間なので、欲望をもちます。
 
内的世界に乏しい人のもつ欲望とは、なんともおぞましく即物的な欲望でしかなく、ソクラテスのいう「善美をめがめる欲望」とは無縁です。
 
このように両親と進学塾の利害に合わせるおりこな子どもには、結局、人生そのものがありません。人生の失敗ですが、通常の方法では救えません。こういう人には強い宗教が必要なのでしょうが、大人は、そうならないように自身の価値観を見直したいものです。
 
こどもはいつでも犠牲者です。犠牲となった子は、悪循環を生み出し不幸を再生産します。上手に躾け、型にハメ、都合のよい子を育てます。人間はいない。


実存の苦渋も冒険もない受験勝者の東大生は、わいせつも組織化ー女性をモノ化


武田康弘
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実存の苦渋も冒険もない受験勝者の東大生は、わいせつも組織化ー女性をモノ化

2016-07-19 | 社会批評

 わいせつを目的としたサークル=誕生日研究会なるものをつくる。
女性を主体性をもった人間ではなく、ものとして扱い、幼稚な言動と共に、暴力とわいせつを繰り返していた東大生のグループ。
 逮捕され、裁判で明かされる内容は、評することばが見つからない低レベルです。

 かつて、わたしは以下のように書きましたが、まさに自我の内的成長に失敗した人たちです。

 金泰昌さんとの哲学往復書簡30回(『ともに公共する哲学』所載・東大出版会ー2010年刊)

2007年5月23日 武田康弘  

    学校序列宗教=東大病の下では、自我の内的成長は不可能.
    ドレイがドレイを管理する社会

金さん、「私」が生かされない日本の現状を解明するための「問い」に感謝します。早速お応えします。

まず1について。
結果的には、両者は「相互強化的」であるわけですが、そのはじめの原因は、「反・哲学的な教育」にある、と私は確信しています。
また、日本の現状が「非・哲学的な環境である」というのはその通りですが、「日本人は元来哲学や思想が嫌いで物をつくることや実際経験したりすることを大事にする」というのは、ひどいウソとしか思えません。日本人の学者や文筆業者からこういう意見が出てくるのは、彼らが人々の「黙せるコギトー」の声を聴く耳を持たず、ただ活字化・映像化された情報に頼ってしか「現実」を見ることができないからでしょう。

次に2について。
「上位者の何に従うのか?」ですが、
まず、【下位者の「私」は上位者の「公」のために徹底的に抑圧・排除・犠牲になってきた】という現実を変えるための金さんの凄まじいまでの奮闘努力に深い敬意を表します。
お応えします。
日本における「上位者」とは、ほとんどの場合、「私」としての意見を持たない・言わない人です。そうでなければ上位者にはなれません。彼らは、自分の考えを鍛えるのではなく、上位者たるにふさわしい態度を身につけ、周囲にうまく合わせる言動に磨きをかけるのが生き方の基本形となっています。上位者となった人は、既成の価値意識とそれを支えるシステムの維持・管理を自己目的化し、通常それ以上のことはしません。
このように内実を追求せず、カタチのみを追うというのは、意味論や本質論としての学習・学問がなく、単なる事実学に支配される知のありようと符合していますが、そうだからこそ、出身学校名による単純な序列主義が成立します。ほとんどの日本人は、キツい言い方をすれば、東大を頂点する「学校序列宗教」の信者だと言えますが、この〈序列による意識の支配〉が「私」の発展を阻害してきました。哲学の命である自由対話が成立しないからです。

しかし、私は子どもが好きで教育を仕事としていますが、子どもの多くは、どうして?なぜ?と考えることが嫌いではありません。「事実学」を効率よく習得するために不都合となる【質問と対話】を嫌がる親や教師の意向に従わされ、変えられてしまうまでは。
結論を言えば、このようにカタチ・結果を優先し、序列に基づく統治が行われている社会では、「上位者」に従うのは、上位者の「何か」(内容)には関係なく、それが上位者であるからだ、という事になるわけです。序列主義の想念は、中学生がよく言う「先輩の命令には逆らえない」という言葉に象徴されています。
以上は、最後の問い―天皇制の問題と結びついています。

キムさんも強調されるように、狭い「私」=エゴを越え出るためには、徹底的に「私」につくことが条件となりますが、失敗と試行錯誤を嫌がり、決まった型に早く嵌(はめ)ようとする教育の下では、自我が内的には成長せず、「私」が「私」にはなれませんから、合意形成の作業がはじまらず、「公共」という意識も生じません。こういう社会では、上からの命令=「公」(既存システムの維持に必要な権力者の集合意志)だけがある、というわけです。
日本の「エリート」のほとんどは、受験知に囚われ、システムが命じる価値意識に従うだけで、失敗を重ねながら自我を成長させる生き方をしてこなかった人々ですから、かれら自身が、既成制度のドレイでしかなく、そういう意味では、日本とはドレイがドレイを管理する社会だ、とも言えます。中身・内容の進展ではなく、制度の維持それ自体を目的とするシステムの中では、具体的な現実問題に対しては誰も責任は取らない・取れないということになり、現場にいる人間だけが出口のない状況に追い込まれて苦しむのです。こういう無責任性の体系=集団同調主義による社会システムの最上位に天皇という存在を置くわけですが、それも個人としての人間ではなく、天皇制というシステム内人間=現人神です。したがって、現実に対する責任は取れません。グルグルと堂々巡りで、どこにも誰にも責任はなく、結局はなにごとも自然災害のようにしか意識できず、「しかたなかったんだ」ということになるわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下省略)

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ノット・東響 ブルックナー交響曲8番 横須賀芸術劇場 解放感あふれる見事な演奏。

2016-07-17 | 芸術

 とても気分がいい!
いま、遠く横須賀芸術劇場(京浜急行線の汐入)から帰宅。
ノットさんのブルックナー8番の見事な名演に心身が解放され、とても爽やか。

 それにしても、東京交響楽団の充実ぶりには驚く。弦の透明で美しく明るい音は、日本の他のオケからは聴くことがない。
弦のみならず、ブルックナーでのホルンや4本のトランペットとトロンボーンもよく、全体の流れも滑らか、強奏になっても品位が高く、粗野や野暮とは無縁。
いま、間違いなくノット・東響は、技術のみならず音楽性の豊かさにおいても世界レベルと思う。こんなに凄い演奏していいの?(笑)。



 ノットさんの指揮、わたしはまだ二度目ですが、この人の解釈の普遍性と現代性は抜きん出ている、と思います。
4月に聞いたブラームスのドイツレクイエムにしても、晦渋や重さ、ドイツ的地方性とは異なるコスモポリタンな普遍性のある演奏でしたが、それは味が薄まるとか軽さとは無縁で、現代に生きる見事なブラームスでした。頭も感じる心も身体もすべて優秀でなければなしえない演奏で、心底、感動しましたが、

 今日のブルックナーも同じで、特定のコアなファン向けの演奏ではなく、万人に開かれた豊かな音楽でした。輝き、大きな自信にあふれた演奏は、ほんとうに見事でした。快感!
 彼の演奏を聞いていると息が楽になります。どこにも無理がなく、テンポも解釈も自然で気持ちよいのです。音楽が塊にならず、解放感にあふれ、大曲なのに聞き疲れするどころか元気になります。
 頭脳明晰なノットさんは、細部までよく考え抜いていますので「独創的」なはずですが、まったくそうは聞こえないのです。実にスムースで、のびやかです。

 素晴らしい指揮者との出会いで、いま、東響は黄金時代を迎えているようですが、今秋には70周年でヨーロッパ演奏旅行をするとのこと、ますます目が(耳が)離せない!


 最初のモーツァルトピアノ協奏曲20番は、ソリストの内面性が乏しく、音の外形ばかりでまいりましたが、小編成の東響の弦の美しさはため息が出るほどで、心に染み入りました。ノットさんのモーツァルト解釈は明解で現代的ですが、心からの歌があり、今年12月の演奏会形式による「コジ・ファン・トゥッテ」が楽しみです。秋からの演奏会は、全部買いました。




 なお、写真のように、オケが引き上げてもなお拍手とブラボーが鳴りやまず、ノットさん一人がまた舞台に。

 

ヴァント・ベルリンフィルよりずっと魅力的なノット・東響のブルックナー交響曲8番



武田康弘

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国にだまされるな!みんな簡単にだまされる。『暮しの手帖』編集長ー東京新聞夕刊

2016-07-13 | 社会批評

  東京新聞夕刊一面です。
NHK朝ドラでいま話題の『暮しの手帖』編集長のキツ~~イ「紙つぶて」です。

  市民的公共(みなの公共)からズレた国家の公(おおやけ)があるとする【国家主義者のつくる政府】は、ここに書いてある通り、いつも常に「だまし」ます。
騙すのが本業なのでしょう。

  いつかは、市民の良識に基づき、市民的公共を実現するためにのみ存在するほんらいの政府、ふつうの市民の市民による市民のための「市民国家」をつくりたいものと思います。
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   戦前の話であれば、「国」でよいのですが、主権者が天皇から国民に替わった現憲法下(主権在民の民主政)では、ほんとうは、「国」ではなく「政府」というべきです。 しかし、いまの自民党政府は、主権者の意思とは無関係に9条の解釈改憲→自衛隊法などの改定をする存在で、昔の国体政治の様相をもちますので、「国にだまされるな!」という言い方に強いリアリティが生じます。 民主政では、【主権】は政府や役所にあるのではなく、市民・国民にありますので、政治権力は、主権者の「一般意思」に従うときにだけ正当性をもつわけです。 
   官府(官僚政府)にだまされるな!!は、今も昔も大事な心構えです。



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昨日のアクセスー23万人で1位でした。ただ驚きですし、みなさまに感謝です。

2016-07-12 | その他

昨日のblogへのアクセス数は、1位(255万blog中)でした。

なんどか2位ということはありましたが、1位ははじめてです。それに、なんともすごい数! 読者のみなさまに感謝です。ひろげて下さったみなさま、どうもありがとうございます。

わたしのblogがこんなことになるとは、はじめた時には夢にも思いませんでした。フィロソフィ(恋知)と教育と社会批評、それにクラシック中心の音楽話題のblogなので、とても話題になるとは思っていませんでした。

読んで頂き、ほんとうに感謝です。

武田康弘

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堺市と大阪市の自民党女性候補が訴訟。「ムサシ」の読み機のありえない仕掛け。

2016-07-12 | 社会批評

ここでの証言は、あまりに衝撃的です。

票読み取り機の最大手の「ムサシ」の機器は、バックドアが設けられていて、遠隔操作ができ、実際に堺市選管の機器が開票中に4台すべてが不具合を起こし(他社のリース品の不具合はゼロ)大阪から遠隔操作されました。操作を行ったムサシ下請けの社長の証言は、録音されているとのこと。

バックドアが設けられて裏口からコンピュータに入れるというのは、ありえない話で、それなら、いくらでも改ざん可能になります。

ここまで、具体的詳細に証言され、開票結果に対する重大な疑義が出て裁判になっているのですから、マスコミは取上げなければいけませんし、政府は「公正」を規すために行動しなければなりません。

選挙への疑義という民主政の基盤をゆるがす事件なのに、裁判で訴えられても再開票しないのは、あまりにヒドイ話です。

公正-公平な選挙がなされないなら、すべて崩れ去ります。

ユーチューブの40分からが遠隔操作の実際の話です。
https://www.youtube.com/watch?v=T8i4rNuPjiU

 

武田康弘





 

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三宅洋平さん、ますます闘う!!東京新聞・カラー写真でインタビュー記事。

2016-07-11 | 社会批評

すばらしい闘い!!

内容豊かできわめて明快、納得のビジョンを示し、多様性に富み、徹底した民主的倫理につく。新たな時代を開く希望の星。

三宅洋平という逸材に「東京新聞」(今日の朝刊)も注目です。

 

武田康弘

 

 

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参議院選挙の残念な結果と希望の誕生。未来に向けて新しい政治文化つくりましょう!!

2016-07-10 | 社会批評
千葉では小西さん(安倍首相を憲法問題で追いつめた若手)が当選してよかったですが、
東京は、期待の新星ー三宅洋平さんが入らず、とても残念です。
 
また、はじめから無理を承知で選挙に臨んだわたしの親友ー福嶋浩彦(鳥取・島根)は、安倍政権の危険性と新しい参加型の自治政治を訴えて、意味深い闘いでした。夏子夫人の死から1年半が立ち、沈んでいた当人の人生にも大きくプラスする選挙選だったと思います。鳥取、島根のみなさまに感謝です。どうもありがとうございました。
 
ーーーーーーーーーーーー
 
自民党、公明党は予想通りの強さで、改憲を狙える議席に達しそう。
 
次の課題は、自民党の改憲案がいかに時代錯誤で、「個人」という概念を消す思想が近代市民社会の現実に合わないものであるかを明瞭に示すことです。
 
それは、思想ーフィロソフィの深い次元での闘いで、今までの日本にはなかった有意義な営みです。日本全体を人間味あふれる世界に変えることにそのまま繫がっています。
 
民主政=市民自治を進める改憲案を出すために、みなで憲法を勉強し、考え、新しい「日本市民憲法」の核心点を明確にし提示するのは、素敵なこと。創造的公共=公共的創造です。
 
政治があらたな時代に突入したのは、三宅洋平さんのような若くクリアーな平和主義者=共生主義者の演説でよく分かります。豊かな希望が生まれました。未来に向けて新しい政治文化を拓く闘いは見事で、勝ち負けを超えて燦然と輝いています。三宅さんに感謝です。どうもありがとう!!
 
国家主義ではなく、シチズンシップに則った民主政を生むのは、これからです。市民が主役という参加する民主政は、まだ国レベルでは実現したことがありませんので、息長く、楽しみながら、試行錯誤して、市民的公共世界=市民国家をつくり出しましょう。
 
みなさま、ぜひ共に!!



武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員ー「日本国憲法の哲学的土台」を国会職員に講義)

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恐ろしい事態になりましたが、それを止め、変えるのは、わたしの投票行為だと思います。

2016-07-10 | 社会批評
マスコミや教育への干渉&締め付けを行い、憲法違反の法律を次々と通す独裁的な政治の現政権に対して、
 
選挙に行き、野党側に投票する。これは、公共性をもつ市民として最低限の義務ではないか、わたしはそう思います。
 
与党側に票を入れる人は、独裁的政治を容認することになります。
 
そのようにして、戦前の日本でもドイツでも自由のない冬の時代ー戦争の時代をむかえたのでした。
 
棄権することは、安倍政権に一番有利な状況をつくることになってしまいます。それを望む政権の意向を忖度し、選挙期間中、テレビ局は選挙の話題を伝えず、討論番組もありませんでした(他の民主制国家ではありえない異常な事態です)。
 
いま、反対意見を表明する自由ー政権を批判する自由が奪われています。ほんとうに恐ろしい時代になりました。再び「戦前思想」への回帰ですが、それを許さないために、わたしは選挙に行き、野党側に投票します。一番安倍首相が嫌がるであろう候補にね。
 
わたし(あなた)の投票という行為に未来がかかってる、今度の選挙ほどそれを感じることはありません。



武田康弘
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日本国のほんらいの伝統とは、フィロソフィー釈迦の思想です。

2016-07-09 | 学芸

 
        (女性と対話するソクラテス)                       ( ブッダ)


  人間が人間としてよく生きるには、

親や先生や、だれか偉い人?とかの言う通り、ではなく、
「私」が自分の日々の体験をもとに、自分の心で感じ、自分の頭で考えたことに従うのが何より大切です。

それがソクラテスの言うフィロソフィ(「哲学」ー正しい訳語は「恋知」)の最大の基盤です。

自分自身の心と頭をよく用いて、豊かな愛のある生き方、深く納得できる考え方を育てつつ「私」が生きるのですが、そういう生き方が最も魅力ある人間をつくります。

釈迦の根本思想である「天上天下唯我独尊」=「自帰依・法帰依」とは、そういう意味です。

魅力的な個人がとても少ないわが日本は、「私」からはじまるよき生を歩む人が少ないことの証左でしょう。

ーーーーーーーーーーー

元からチェンジしないと、明治維新政府がつくった気味の悪い亡霊=天皇現人神というカルト宗教から抜けられません。

聖徳太子は、神道によらず、仏教による国づくりをしたのです。日本の国の伝統を言うのなら、物部氏の神道ではなく、ブッダの思想を言わなくてはなりません。

 

武田康弘

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なんと素晴らしい若者、驚き・感動! わたしは、三宅洋平という人に心打たれた。

2016-07-06 | 社会批評

三宅洋平というミュージシャンが東京選挙区から出ているのを、fbの友人がシェアしたユーチューブで知りました。

はじめて見、はじめて話を聞きましたが、これほど内容のある選挙演説は聞いたことがありません。情報も豊富ですが、完全に自分の血肉となり、その解釈も的確です。

これほど優れた若者(38歳とのこと)が日本にいたとは!!驚きと悦びを隠せません。

真摯で、求心力があり、よきカリスマ性も持ちます。

三宅さんを政治家とし働かせなければ日本の損失、というより、彼は、日本の政治を変える【希望の☆】だと思いました。

それにしても、山本太郎さんは、たいへんな逸材を発掘したものです。

わたしは、手放しで応援します。神田生まれ・育ちのわたしですが、今は都民でないのが残念です。

どうしても当選させなくては。



三宅洋平さん

https://youtu.be/ErtSgf5s8wQ
ユーチューブ



武田康弘

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われわれの積立金=年金を安倍首相がばくち経済に投資ー10兆円の大損!(東京新聞)

2016-07-05 | 社会批評

安倍首相は、われわれが積み立てている巨額の年金を、株式投資に使い(24パーセントだった株式運用を50パーセントに変えた)、昨年度は5兆数千億の損失。今年もすでに5兆円の損失と試算されています。

株式投資は、株価の乱高下で、プラスとマイナスの差が大きく、それらに大金を投じるのは、「博打(ばくち)」の側面を強くもちます。

われわれの出したお金を、首相が、安定した国内債券で運用するのではなく、株式の売り買いという博打経済に用いるのはあまりに非常識で、常軌を逸しているといわざるを得ないのですが、

なぜ、われわれ主権者の権力を預かる総理大臣が、このような「イカれたバカ息子の道楽」のような真似をしているのでしょうか?

そもそも特定銘柄を買う・売るという株式運用に、極めて多額(140兆円の50パーセントで70兆円)の資金を、実際上、安倍首相の意向で決めるというのは、独裁国家の経済運用というほかありません。ヒトラーの「国家社会主義」の思想と同じで、日本版「国家資本主義」です。

日本中が、官僚も経済人もテレビ局もみなこの簡明な事実さえ認識しようとしません。みなで狂えば怖くない、狂っている人が正常で、健全な理性をもつ人が異常となります。まるで戦前の日本と同じです。集団同調する無思想な者がよき日本人となるわけです。

アベノミクスという極めて政治的・人為的な経済政策は、人間活動の物質的基盤としての経済を、政治的操作で動かせると思う妄想の上に成り立っていて、元から嘘でしかないのです。人々が健康で働きやすくする環境をつくる、人間性の豊かさを広げる経済思想をつくる、従業員のための企業活動を促進する、民主的でみなが参加できる会社経営をサポートする、一口で言えば、「一人ひとりの人間のための経済と企業活動」を生みだす条件整備をするのが、ほんらい、国家政治が行うことなのです。人為的な株価つり上げの政策は、必ず失敗し、国民みなを疲弊させます。「一部の大金持ちや大企業の利益のために国民は存在する」という非人間的な経済の代名詞がアベノミクスです。

必ず失敗する博打経済=アベノミクスを救うには、一つだけ方法があります。
特定の国の脅威という意識を国民に植え付け(テレビ操作で簡単にできます)、戦争への備えを当然と思わせ、実際に戦争を起こすことです(戦場は海外)。戦時経済は、健全な国民経済を破壊すると同時に戦争特需を生みだすからです。いま、政権はこの路線を模索しているとしか思えません。

 

安倍政治は、まず、NHK会長と経営委員を安倍晋三の息のかかった者とし、民放にも政治批判番組をつくらせないように圧力をかけ、

「国交回復40周年」目前で深まる日中関係を阻止するために石原慎太郎都知事(当時)が放った「尖閣列島の東京都買い取り」という秘策に乗り(民主党の元野田首相は同罪)、戦前思想の復活をめがける安倍首相は、関係を悪化させたのです。第二次大戦を日本の正義とした祖父の岸信介を敬愛する安倍晋三、彼のもつ靖国思想による帰結ですが、この敵対関係は彼が意図する「日本の国権強化」に役立ちます。

同時に、学校教育で愛国心を養い、こどもたちを「個人」ではなく、少国民とする(戦前の思想)改革です。ここでは、上からの子どもの型ハメで国民意識を持たせる=ニッポン人教育が柱となりますが、安倍首相の親友で「反人権宣言」(筑摩新書)の著者・八木秀次麗澤大学教授が登用されました。また、森(元)首相も明言する通り、オリンピックもナショナリズム高揚のために利用する、「君が代をしっかり歌わない選手は問題とする」
というわけです。

国際的には、親アラブの政策をとってきた歴代自民党内閣とは逆に、わざわざ戦時のイスラエルを訪問し、タカ派で知られるネタニヤフ首相と固い握手を交わし、ユダヤ教の帽子を被り親密な写真を撮り、反アラブを鮮明にしました。「テロとの戦い」という名目で、パレスチナ難民への無差別爆撃を支持し、多額の資金援助(われわれの税金)を約束し、武器の共同開発も1年前から始まっています。その結果、過激派に今までは狙われなかった日本人も、欧米のキリスト教者と同類とされ、危害を加えられることになりました。



自民党憲法案が通れば、天皇は元首となり「個人」という言葉はすべて消されます。いよいよ「第二次国体思想によるニッポン国」の誕生です。公共とは自立する市民による共同ではなく、おおやけと呼ぶ国家思想を体現すること、となります。結局、明治維新の国権主義に戻るわけですが、それを許すか、許さぬかは、われわれ一人ひとりの意志です。

話がそれたように見えますが、アベノミクスとは、政治力で人為的に経済を動かせるという妄想によるので、すべては一続きのことがらなのです。
なぜ、巨額の年金を株式投資に回してしまったのか(これは犯罪的な行為です)は、もうお分かりのことでしょう。人為的操作のために資金が必要だからです。ありえないこと、してはならぬこと、必ず失敗することをしているのが、いまの安倍政治です。すべてが終わってからでは遅いです。選挙に行きましょう!!


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員)

 

 

 東京新聞・7月5日朝刊一面






 

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