自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

日本では誰にも歌えないストレートな歌~ロック歌手、忌野清志郎

2015-08-31 20:26:05 | 自然と人為
ロック歌手、忌野清志郎は無口で大人しい感受性の豊かな人だった。歌を通して自分の考えや気持ちをストレートに発信し、何事もあいまいにする日本の常識に挑戦し続け、58歳の人生を完全燃焼させた。
 彼の交流関係は広いが竹中直人は「自分のエネルギーを一生懸命、表現していた方。誰にも優しくて。だから何て言うんだろう、爆発しちゃったんじゃないですかね、気持ちよく。」と哀悼し、富沢一誠(音楽評論家)は、「ロックは時代の刺激剤であるという信念のもとに、ロックは反骨心であるということを身をもって表現したと評価している。

  ラストデイズ「誰にも歌えない歌~忌野清志郎×太田光

 「今、この日本で政治がどれほどの影響力を持っているというのだろうか? 自分が投票しても、あるいはしなくても 普段の生活に変わりがないとハッキリ言いきれるならば・・・ 選挙に行かない我々の態度は正解なのではないだろうか」
             太田光「TV Bros.」1999年10月30日号
 「それまで爆笑問題を好きだったんだけど あれを読んでガクッと来てね 政治に無関心でいいなんて言っていると・・・ 君の息子なんかが戦争に行っちゃうわけよ」
             忌野清志郎「TV Bros.」1999年12月25日号

  

清志郎は実の両親の顔を知らずに育った。父親は戦死し、3歳の時母親とも死別、親戚にも馴染めず、大人と口がきけない寂しい幼少期を過ごした。そんな清志郎がのめり込んだのは音楽。無口でおとなしい少年はやがて時代の寵児へと駆け上る。しかし、過密なスケジュールでバンドの人間関係にも不協和音が響き、清志郎の心と体は悲鳴を上げ始めた。

「こんなもんだったのかなと思ったよね。やっぱり売れるということは
こんなつまんねえことなのかなと思ったよ。
肝臓が悪くなっちゃってさ、医者に行ったら
『もう一生治らない』って言われてね。」

新たな道を踏みだそうとしていた清志郎
遺品の古いアルバムが見つかり母との出会いが その背中を押した

帰らざる人とは知れど わがこころ
なほ待ち侘びぬ 夢のまにまに --- 母 富貴子(享年33)

彼女は激しい恋をして そして、彼氏と結ばれた
ペラペラの薄っぺらな紙に 夫の戦死が書かれていた。
彼女はもう諦めていたのかもしれないけど
あっちこっちに行ったり
帰ってきた夫の仲間に 消息を聞いて回ったり
夫の無事を祈っていたんだ
彼氏のことを想って 歌を詠んだりもした

忌野清志郎「偶然とはいえ、血のつながりというか感じました。
       そういうことも歌っていかないとなあと思いました。」

1986年の秋、35歳の清志郎はロンドンで初めてのソロアルバムのレコーディングをした。

バンドキーボード「清志郎とは楽しい思い出が沢山あるよ。兄弟みたいなもんさ。互いの文化は違うけど、ロックンロールを通じて心はすぐに深くつなっがったのさ。」
バンドギター僕たちのいる歌の世界ではどんなことを歌ってもいいんだと、清志郎は気付いたと思うよ。
太田光「清志郎さんがあんたたちに会ったことで完全に悪影響だと思う。」
バンドキーボード「そんなことはない。清志郎は日本では見つけられなかった何かをこの国で見つけたんだと思うよ。」

チェルノブイリ原発事故(1986)
1988年デビューの「爆笑問題」太田光はライブハウスで時事問題を皮肉った過激なコントを演じていた。太田光「世の中の話題といえば原発だった。どれだけ反発があるかというのは、オレもそのネタをやっているし、いかにテレビでできなかったかということも分かるし、その中で唐突に、ど直球、どストレートに来るというのは、あんなに言葉の幅を持っている人がなんでこんなストレートなことをやっちゃうの。」

 忌野清志郎「自分の考えていることとか、自分の気持ちはガンとして外に言ってないとダメだなと思ったの。すごく(イギリスは)面白かった。だから分岐点ですよ。僕の人生の。」

 「風に吹かれて」が新しい旅立ちの歌となった。反原発の「サマータイム・ブルース」もアルバム『COVERS(カバーズ)』で発売する予定であった。「サマータイム・ブルース」の曲中には、「原発とは・・・」と長々とセリフを清志郎とは高校の同級生三浦友和が語ってる。

 多くの仲間がアルバム『COVERS(カバーズ)』に協力して参加したが、表現がストレートすぎるので、「そういう方向に行くのは良くない」と反対した者もいる。太田光も「言葉をオブラートに包んで作品性を高めるのがマットウな表現」だと考える。しかし、それは人にやさしいこと他者を尊重することと、権力者や支配者に気を使うことを混同しているのと同じだと私は思う。太田光は「政治家よりは忌野清志郎の方が影響力は大きい」と言うけど、忌野清志郎は権力者や支配者が我々庶民の生活にどんな影響を与えているかに敏感なのだ。やさしい感受性の高い清志郎には権力者や支配者の暴力への怒りが生きるエネルギー源になっていたと思う。やさしさと権力の暴力への激しい怒りは根っこが同じで、どちらも演技なんかじゃあない。本気なのだ。私は彼の厚化粧と派手な歌う態度に近寄れなかったが、あれはロックスターであることを演技していたのであり、この番組で彼の真のやさしさと権力への怒りを知り、そのことを多くの方にも伝えたいとこのブログを書いている。

 しかし、1988年、東芝EMIより発売予定だったシングル「ラブ・ミー・テンダー」とアルバム『COVERS(カバーズ)』が、収録曲の歌詞の問題で発売中止となる。清志郎の思いは打ち砕かれた。

「呆れましたよ。なんでだよ・・・ どうしてだよ。たかが歌だろ。
 それが企業にとってどうとか
 そんなふうに捉えられちゃうっていうのは
 ちょっと心が狭いんじゃないか・・・
 それが日本の常識ってやつか・・・」

その後、謎のバンド「THE TIMERS」が出現、あくまで新人だと言い張り、各地のイベントなどに乱入した。清志郎はあくまで歌という手段で社会を問い続けた。時代と共に大きな矛盾を抱えながら自分だけの歌の道を行く清志郎。

しかし、55歳、喉頭癌で活動を一時休止し、その2年後(2008年2月)に復活のコンサートで頑張ったが、2008年7月、左腸骨への転移を発表、2009年5月2日、日本の常識を問いつつ燃え尽きた。

参考:
反原発!今になってわかる忌野清志郎のスゴさ!
国会議事堂前に反安保デモ35万人!(2015年8月30日)
ロック界のスーパースター・スティングと「ザ・ラスト・シップ」

初稿 2015,8.31 更新 2018.9.8(リンク先修正)

今、時代が壊れ、「庶民の情報」という時計が狂い始めている

2015-08-28 16:14:00 | 自然と人為
 原爆投下・原発とアメリカの意向 ビデオニュース・ドットコム (2015年08月22日)

 今、時代が壊れ、私には「庶民の情報」という時計(指針)が狂い始めているように見える。「庶民の情報」を狂わす犯人の一つとしてNHK報道関係の変質があげられる。チームプレーからヒーローを讃える高校野球 (2006年~) 「ももいろ(吐息じゃあなくて)クローバー」に何故かNHK (コピー)は熱心だが、真面目だと思う「制服向上委員会」 (2) を真面目だという評価のあるNHKは何故か取り上げない。官僚王国の日本では政府に嫌われると情報やお金が入ってこず、場合によっては潰されるかもしれないと思う部分が内部にはあるのだろうが、時代がそうだというふりをしてNHKが時代を誘導しようとしてはいないのか。公共放送を自認するNHKは他のメディアとともに戦時中は”戦争を煽り”、今も報道で庶民の生活にはあまり関係ないと思われる中国、北朝鮮の脅威 (2) を煽っている。

制服向上委員会インタビュー「彼女たちは操り人形なのか!?」(前)
制服向上委員会インタビュー「彼女たちは操り人形なのか!?」(後)
橋本美香&制服向上委員会

 「占領軍」を「進駐軍」と言ったように日本はストレートな表現を嫌い、責任を曖昧にする文化があるようだ。田中角栄型「利益の分配」は今は大衆にではなく株主へ、そして大衆には雨漏りのようなトリクルダウンをと格差拡大政策をストレートに公言し、アベノミクスの評価を金融政策はA、財政政策B、成長戦略はEとし、A,B,Eと評価した浜田氏に対し安倍首相は私のABEをもじったものだと平気で国民をバカにする。そういえば最近、安倍首相に利用された浜田氏をメディアで見ることはない。逆の立場で「I am not ABE」と言った 古賀さんメディアから追放されている。今や情報は支配者の都合に合わせて報道され、その偏りようが異常なことに十分に注意をしてマスコミを見て欲しい。

日本の軍需産業と戦争法案について
山本太郎議員、国会で米国の戦争犯罪を糾弾

 不況が続くと産業界は国民の税金を戦争に使用するよう政治に求める。銃や武力で市民社会や国を守るアメリカが民主主義の騎手であり盟友だという日本の政治家、官僚、メディアは「庶民の情報」という時計を狂わしている。「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」という全米ライフル協会の詭弁は「日本国民の命と幸福を守るため」に「集団的自衛権の抑止力」が必用だという安倍政権の詭弁と同じだ。

 真珠湾奇襲攻撃は戦争を止められなかった「日本の責任と失敗の本質」ではあるが軍事施設の攻撃であった。戦争それ自体が犯罪ではあるが、東京大空襲のような市民の無差別爆撃や広島、長崎への原爆投下はナチスのホロコーストと同様に人種差別を含む重大な「戦争犯罪」だ。今では自国の軍を守るためと言って無人機攻撃を躊躇しない殺人をしている。戦争によって安住の地を追われ世界を漂流し、無惨にも死に至る人々も多くいる。戦争は悲惨だ!

 アフリカ・ウガンダの内戦で反政府勢力司令官の一人であったオディム・チャールズ氏(37才)は、「どんな戦争においても片方が正しいという戦争はないと思っています。世界の人たちは戦争にうんざりしている。しかし、現在、超大国が武器を製造し、いつか戦争を起こそうと狙っています。私は戦争を経験したからこそ彼らにお願いをしたい。世界にこれ以上戦争を生みださないでくれと。」

 銃の溢れているアメリカの銃社会では銃を否定することができないという「ナッシュ均衡」説米上院が銃規制強化法案を否決したのも考える前提が現状肯定にありおかしい。現状肯定には現状の政治的力関係が反映される。彼らは次世代の若い人たちや、人類の未来に何も責任をもたないのか。

参考:
 市場の倫理と統治の倫理
 銃で民主主義を守るアメリカと民主主義崩壊を放置する日本
 私の訪問した”農の哲学者”アーミッシュの村

初稿 2015.8.28

ポール・セザンヌとグリゴリー・ペレルマン~その純粋な生き方

2015-08-26 09:27:04 | 理性と感性
毎日新聞(2015年04月)「村上春樹さん:時代と歴史と物語を語る」((a)(b)(c))で、村上春樹氏は「欧米におけるロジックの拡散」について指摘している。「今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていることです。テロリズムという、国境を越えた総合生命体みたいなものが出来てしまっている。『テロリスト国家』をつぶすんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけです。僕はイラク戦争のときにアメリカに住んでいたんですが、とくにメディアの論調の浅さに愕然(がくぜん)としました。『アメリカの正義』の危うさというか。長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウンです。それはベルリンの壁が壊れたころから始まっている。・・・・・これは西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題です。ロジックという枠を外してしまうと、何が善で、何が悪かがだんだん規定できなくなる。欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウンです。」
 
 私はこの「論調の浅さ」については、日本のメディアも同じだと思う。私たちはロジックの拡散したこの世界で、時代遅れの「世間の評価」を求めて忙しく生きている。時代とともに移ろう「世間の評価」ではなく心から湧き出る感性の表現を求めてひたすら生きたポール・セザンヌや、考える道具の数学や物理学で輝かしい成果を上げながら受賞という名誉を辞退し、「世間というノイズ」を避けてひたすら考え続ける生活に浸っているグリゴリー・ペレルマンの純粋に生きる価値を皆さんにも知って欲しい。

巨匠たちの肖像 セザンヌ・革命を起こした隠者 削除! 
数学者はキノコ狩りの夢を見る
 ①「数学界のノーベル賞」も100万ドルの賞金も辞退したペレリマン 削除!
 ②ポアンカレ予想とは 削除!
 ③ポアンカレ予想に取りつかれた数学者達 削除!

「セザンヌ(1839-1906)。生前は世間から認められず、南仏の故郷に引きこもり、新たな絵画技法の開発に明け暮れた。西洋絵画に革命をもたらし、遠近法を破壊し、多視点を導入し、塗り残しや余白が多いことを特徴とする絵を描いた。番組では、求道者であり偏屈者でもあったセザンヌの人間性を描くとともに、画期的な技法の秘密を探る。」
「果物籠のある静物」 サント・ヴィクトワール山
「近代絵画の父」セザンヌ
「セザンヌ」みすず書房
「私は無垢なる世界を呼吸する。さまざまな色調に対する鋭い感覚が私に働きかける。自らが無限のあらゆる色調で彩られているのを感ずる。私はもう絵と一体でしかありえない。」

この文章は東田直樹さんの次の詩と重なる。
 「絵具で色を塗っている時、僕は色そのものになります。
  目で見ている色になりきってしまうのです。
  筆で色を塗っているのに、画用紙の上を自分が縦横無尽に
  駆けめぐっている感覚に浸ります。
  物はすべて美しさを持っています。
  僕はその美しさを自分のことのように
  喜ぶことができるのです。」
 参考:NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」 動画

数学者はキノコ狩りの夢を見るポアンカレ予想・100年の格闘(2007年放送)
16歳で国際数学オリンピックで満点で個人金メダル。1996年(30歳)ヨーロッパ数学会賞(辞退)、2006年(40歳)、100年の難問であったポアンカレ予想を解決した貢献により「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞(辞退)、100万ドルのミレミアム懸賞も辞退し、実家で母親の年金で生活しているとされる。
グリゴリー・ペレルマン博士の現在 Grigori Perelman
数学を伝えるという“難問”~ポアンカレ予想取材記~

後世、セザンヌは「近代絵画の父」と讃えられているが、ペレルマンは「数学という精神世界の父」と讃えられるであろうか。それより今の彼の声が聞けないのはもったいないことだと思うが、彼の隠遁生活について次の解説がある。

ハーバード大学教授であるヤウは、中国政府に国立の数学研究所をつくらせ、中国数学会の学会誌を創刊して編集長になり、そこに自分の弟子がペレルマンの証明を丸写しした論文を(査読もすっ飛ばして)「ポアンカレ予想の最初の証明」と題して載せ、フィールズ賞を共同受賞させようと画策したのだ。「数学界では倫理基準を破った人が批判されず、私のような一匹狼は追放される」というペレルマンの言葉が、彼の引退の理由を暗示している。しかし私などは、これぐらいえげつなく「中国は数学でも一流だ」とアピールし、世界の学界のリーダーシップを握ろうとする中国人の迫力に、むしろ感心してしまう。

「中国人の迫力に感心する」のもその人の価値観ではあるが、ペレルマンの純粋さをそのような価値観で評価して欲しくない。日本人として残念だ。

初稿 2015.4.29 更新 2015.8.26 削除動画 2018.9.26




人間の心を大切にする経済学~宇沢弘文先生の死を悼む

2015-08-25 09:34:21 | 自然と人為
 2014年9月26日の朝刊に、経済学者宇沢弘文先生が亡くなられていたことが報じられた。27日の毎日新聞の「余録」では、「現実は経済学者にとって『ある特殊なケース』にすぎない」とした宇沢さんが、「市場外の環境や制度あっての市場経済である」とし、人間的な暮らしと社会を保つために打ち出した『社会的共通資本』という考え方を紹介し、「その知的営為を問題解決に用いなければならぬのは私たちである」としている。

  あの人に会いたい 宇沢弘文(1928年 - 2014年)

 28日は日曜日なので、先生の死を悼む特集記事が各紙面を埋めることであろう。NHKは特別番組を放映するのであろうか、マスメディアの心を知りたいと思う。私は「経済学と人間の心(2003年、東洋経済新報社発行)」を先生の遺言として、改めて読ませていただいている。

参考:子どもを粗末にしない国にしよう~社会的共通資本の視点~

 一般に経済学に人間の心が入ることは許されないこととされ、経済現象、モノと貨幣との関係を客観的(数学的)に説明する学問であることが経済の関係学会では常識とされてきた。農業においても、農業を生活から切り離した生産と考えることが専門とされ、生産費という概念を導入して規模拡大によるコストダウンを目標とすることが常識とされてきた。しかし、その理論が農業を破壊し、地方を疲弊させている。

 経済という言葉は、古くより中国では「経世済民」の意味で使用されていた。日本では江戸時代に太宰春台が『経済録』(18世紀前半)で、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としているそうだ。民を救うための経済が、貨幣経済の進展により民を切り捨てる経済となってしまったことに、異議申し立てる民は少ない。

 また、9月26日の毎日新聞の「余録」では、「世間ずれ」の言葉の使い方が、「世間の表裏に精通し、悪賢くなること」の意味から、「世の中の考えから外れている」の意味と考える若い人が圧倒的に多い(10代後半で85%、20代で80%)ことが指摘されている。 「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」と夏目漱石が言う住みにくい「人の世」を世間と思っていたが、今の若い人は世間を世の中の規範と考えているのであろうか。

 「地方創生」と言われるが、地方はビジネスだけでは創生できない。行政とビジネスと地域共同体をどう絆いで、「すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保できる経済(社会),宇沢弘文」を構築できるかが問われる時代となっている。その社会の規範については憲法に示してある。「余録」の心配に追加すれば、すべての人々を幸福にする社会の構築を目指すことが我々に与えられた責任と思う。このブログでその思いをこれからもつぶやかさせて頂くが、ここでは宇沢弘文先生著「経済学と人間の心」を読んでいただきたいので、その一部を簡単に紹介させていただく。

 「昭和天皇と人間の心」
文化勲章受賞者と文化功労者を昭和天皇が招かれた講話の場で、
文化勲章受賞者(建築家) 超高層ビル設計の講話
昭和天皇「君、地震のときは、上の階にいる人はたいへんだそうだよ」
文化勲章受賞者「建物は大丈夫です」
昭和天皇「建物は大丈夫でも、人間はたいへんだそうだよ」
文化勲章受賞者「建物は大丈夫です」
 このようなやりとりが3回ほど繰り返されて、昭和天皇はとうとう諦めて、黙ってしまわれた。

文化功労者(宇沢弘文 1983年:文化勲章は1997年)
         社会的共通資本等の経済学を講話
昭和天皇「君!君は、経済、経済というけど、人間の心が大事だと言いたいのだね」
 昭和天皇のお言葉は、経済学に人間の心を持ち込むのはタブーとしていた私(宇沢弘文)にとって、コペルニクス的転回ともいうべき一つの大きな転機を意味していた。

 講話の後、昭和天皇を囲む食事の場で、宇沢弘文先生の旧知の入江侍従長が隣席で、「今日は宇沢くんのペースで飲みすぎてしまったよ」と言われたのに対して、「天皇陛下はなかなか魅力的な方ですね」と申し上げたところ、入江さんがすかさず言われた。「君、あれを育てるのに千年かかったよ!」私たちのこの会話を、昭和天皇は終始にこにこしながら聞いていらしたのである。

「ローマ法王と人間の心」
 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から、21世紀を迎えるにあたり新しい「レールム・ノヴァルム」の作成への協力を求められた。(宇沢 弘文 東京大学名誉教授 著「始まっている未来 新しい経済学は可能か」より)

 20世紀を迎えるときの基本的な考え方は、「資本主義の弊害と社会主義の幻想」であったのに対して、21世紀への展望を考えるとき資本主義とか社会主義という経済学のこれまでの考え方では決して解決できない。そこで、「社会主義の弊害と資本主義の幻想」こそ新しい「レールム・ノヴァルム」の主題にふさわしいと躊躇なく答えた。

 そしてヨハネ・パウロ二世に直接ご進講する機会を与えられ、社会的共通資本の管理はどのような基準にしたがっておこなったらよいかという話題になったとき、「それぞれの職業的専門家の集団が、職業的規律と専門的知見にもとづいておこなうべきである」という持論をお話した後、次のような意味のことをヨハネ・パウロ二世に申し上げた。「いま、人々の魂は荒廃し、心は苦悩に浸されている。この世界の危機的状況のもとで、あなたは倫理を専門とする職業的専門家として、もっと積極的に発言しなければならない」
 ヨハネ・パウロ二世はにこにこしながら、言われた。
 「この部屋で、私に説教したのは、お前が最初だ」

初稿 2014.9.27 更新 2015.9.17

理性と感性~脳卒中と自閉症が教えてくれること

2015-08-24 18:52:23 | 理性と感性
 理性は言葉で物語を紡ぐが、その物語には意図的であれ、無意識であれ嘘が忍び込む。その物語(自己主張)が対立を生み、生きにくい世界を作り出している。したがって、我々凡人が幸せに穏やかに生きていくためには、自他分離の理性より自他同一の感性を大切にしたい。それがこのブログ「自然とデザイン」のテーマである。

 左脳の脳出血から8年のリハビリを経て日常生活に復帰したジル・テーラーに生まれた自他同一の感性は、NHK総合番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」(動画)でも認めることができる。脳機能はあらゆる生きていく機能に関係しているので、脳卒中と一言に云っても脳出血や脳梗塞の場所や範囲によって症状が異なるように、脳の言語機能の障害に関係する自閉症についても様々な症状があろう。これを「知的障害」とか知能指数と一言で論じるのは、知識社会に浸っている我々の偏見だと思う。

 NHK総合番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」は、東田直樹さんが中学生の時(2007年)に書いた「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」をアイルランド在住の自閉症の息子さんがいる作家デイヴィッド・ミッチェル氏が翻訳(2013年)して世界に知られるようになり、今年、2014年8月にNHKで放送された。
 その中で東田直樹さんが気持ちのままに、あるがままに書かれた2つの文章が紹介されている。文章と言うよりこれは自他同一の感性溢れる詩だ。

 「僕は飛びはねている時、気持ちは空に向かっています。
  空に吸い込まれてしまいたい思いが僕の心を揺さぶるのです。
  空に向かって体が揺れ動くのは、そのまま鳥になって
  どこか遠くに飛んで行きたい気持ちにつながるからだと思います。
  どこか遠くの青い空の下で、僕は思いっきり羽ばたきたいのです。」

 「絵具で色を塗っている時、僕は色そのものになります。
  目で見ている色になりきってしまうのです。
  筆で色を塗っているのに、画用紙の上を自分が縦横無尽に
  駆けめぐっている感覚に浸ります。
  物はすべて美しさを持っています。
  僕はその美しさを自分のことのように
  喜ぶことができるのです。」

 東田直樹さんは言葉を話すのが苦手だが、感性の動きを素直に言葉にする能力は秀でている。それは言葉を話すブローカ野と言葉を理解するウェルニッケル野をつなぐ弓状束に障害があるからだそうだが、私には自他分離の言葉(理性)が自他同一の感性を邪魔していたのが、その障害によって取り除かれて、あるがままの感性が自由に溢れ出ているように思える。

 障害と個性の堺はどこにあるのだろう。自他分離の理性は、ときには争いや支配の凶器となる。自他分離の理性と自他同一の感性のバランスをとるよう、「君あり、故に我あり」と毎日を送りたいものである。

参考:
 東田直樹オフィシャルサイト 自閉症の僕が飛び跳ねる理由
 テンプル・グランディン: 世界はあらゆる頭脳を必要としている 動画
 ロージー・キング: 自閉症がいかに私を解き放ち、私らしく感じさせてくれるか 動画

初稿 2014.9.1 更新 2018.9.8(動画)