自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

アインシュタインの見た「日本人」と「日本という国」

2016-07-14 21:06:09 | 自然と人為

 『自分にとっては敗戦というのは何ていいますか、ショックでした。なんとくだらない戦争をする、そしてくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたんだろうと。一体こういうばかなことをやる国というのは何だろう。そういうことが日本とは何か、日本人とは何だということの最初の疑問になったわけであります。』
 これは司馬遼太郎の疑問であったが、私は「どうして、日本という国は馬鹿な支配者を生むのだろう?」と思っている。「日本人」と「日本という国」の間に何が存在するのだろうという疑問だ。

 戦前の大正時代に日本に来たアインシュタインは、日本人と日本の国のことをどう思っていたのだろう。ここでは、中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)の「アルベルト・アインシュタインと日本」を引用させていただく。

 「アインシュタインは、雑誌・改造社が企画した日本講演旅行を承諾し、1922年10月8日、妻のエルザとともにマルセーユで日本郵船の北野丸に乗船した。彼がまだ香港から上海に向かう船上にいた11月10日、1921年度のノーベル物理学賞が彼に授与された。このニュースは、相対性理論という神秘的な学説を樹立した世紀の天才物理学者に対する日本人の熱狂的崇拝をいやが上にも高めた。」

 「アインシュタインの日本人に対する第一印象は、その『非個性』と『共同体と国家に対する誇り』である。これは、欧米人と比較して日本人の特色としてあげられる集団主義に、彼が最初に違和感をいだいたことを示している。しかし彼は、ヨーロッパ中心主義的に、それをすぐさま否定的評価につなげることはしなかった。彼は事実は事実として冷静に観察している。日本人と日本文化により深く接触するにつれ、彼は『非個性』の背後にある純真なものに気づいていくのである。」

 「日本人は欧米人に対してとくに遠慮深いということです。我がドイツでは、教育というものはすべて、個人間の生存競争が至極とうぜんのことと思う方向にみごとに向けられています。とくに都会では、すさまじい個人主義、向こう見ずな競争、獲得しうる多くのぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるのです。・・・
 しかし日本では、それがまったく違っています。日本では、個人主義は欧米ほど確固たるものではありません。法的にも、個人主義をもともとそれほど保護する立場をとっておりません。しかし家族の絆はドイツよりもたいへん固い。・・・」

 「日本では、自然と人間は一体化しているように見えます。・・・この国に由来するすべてのものは、愛らしく朗らかであり、自然を通じてあたえられたものと密接に結びついています。かわいらしいのは、小さな緑の島々、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。」(杉元142~3頁)

 しかし、日本を去る時の記者会見では日本の軍国主義化を危惧し、欧米化の潮流の中で日本が伝統的な美質を失いつつあることも、次のように指摘している。
 「日本にきて特に気になるのは、いたるところに軍人を見かけ、平和を愛し平和を祈る神社にも武器や鎧が飾られているのは、全人類が生きていくのに不必要なことと思います。それからもう1つは、大阪の歓迎会では会場が日本とドイツの国旗でうめつくされていて、日独親善の気持ちは感謝しますが、軍国主義のドイツに住みたくないと思っている私には、あまりいい気持ちはしませんでした。」
 「また、いたるところで外国のものにかぶれているのは、日本および日本人のために好ましくありません。着物は非常に優美だが、活動に適していないので、これからは洋装になっていくでしょう。とにかく日本の風習の中で、保存すべきものまで破壊しようとする気風には感心しません。」

 なお、このブログはアインシュタインが1922年に来日した時のメッセージとされた「アジアの高峰【アインシュタインの予言】」の出所由来について調べたものである。ここにアインシュタインも以下に紹介されているように不思議に思った「日本人」と「日本という国」のギャップというか関係を考える手がかりがあるように思う。
アルベルト・アインシュタインと日本(2)
 改造社社長の山本実彦氏は、日米開戦の前年の昭和15年=1940年にプリンストンのアインシュタインを訪ねている。そのとき、アインシュタインは山本に、
 「日本人は個人としては正直でもあるし、親切でもあるが、国家的に仕事をするときにはあまりにかけ離れたことをする、そのコントラストがひどすぎる、なぜ、国として動くときそんなにも他の国々に嫌はれる様なことをせなくてはならぬか。」
と語っている。ここには、満州事変以降の日本の対外侵略、国際連盟からの脱退、そしてナチス・ドイツとの同盟などに対する批判が感じられる。

 中澤英雄はアルベルト・アインシュタインと日本(3)で、「【アインシュタインの予言(レファレンス事例詳細)として知られている言葉は元来、アインシュタインのものでもシュタインのものでもなかった。国体思想家・田中智学に由来するものであった」とし、

 「ただしそこには、大戦争のあとに日本が世界平和のために重要な使命を果たすであろう、という思想が含まれていた。それは、国土を焼き尽くされ、戦地と本土で多くの肉親を失い、広島・長崎には原爆を投下され、骨の髄まで戦争の悲惨さを体験し、心の底から平和を希求した戦後の日本人の心に強く訴えかけたに違いない。それが、愛国心の鼓舞とアインシュタインの名声ともあいまって、この「予言」を人口に膾炙させた秘密なのであろう。田中智学の「予言」は、彼の予想とはまったく異なった文脈で日本人の心をとらえたのである」としている。

 アインシュタインの日本人に対する『非個性』と『共同体と国家に対する誇り』という第一印象に政治が絡むと、純粋な『非個性』は「内向きの集団主義」となり、『共同体と国家に対する誇り』が論理なき集団の宗教的熱気となり、侵略することへの大義の路が一本道となったのではなかったか。
 「日本会議」の源流、村上正邦が参院選後に語る「改憲」は、占領軍に与えられた憲法を変えて日本の精神を引き継ぐ明治憲法に近いものにしようという動きと考えられるが、自衛隊を国防軍にすることと戦前の軍隊はどう違うのか。戦争で紛争は解決できないし、戦争に大義も理もない! さらに、仮想敵国を必要とする抑止力は、軍需産業には必要であっても国民には必要ない! 憲法違反の自衛隊をどうするのかという問題は、自衛隊を国防軍にするという古い考え方ではなくて、国際災害救助隊にすれば世界に貢献できる。また、個人の基本的人権よりも家族や国を大切にする戦前の『非個性』と『共同体と国家に対する誇り』を大切にしようとしても、一方でグローバル化で地域や家族を崩壊させながら、精神論だけで憲法を考えることの矛盾をどう考えるのか。しかも「基本的人権」を守ることは、世界の民主主義国家の原点ではないか。

 東京都知事選が告示された。国政と地方自治は違うと言うが、国政と地方自治はその方針において一体である。アベノミクスは格差を拡大して国民や都民の99%の生活を不安にしている。都知事選挙は人気投票的な要素があるが、アベノミクスを肯定するかどうかは国政の問題だけではなく地方自治にも大きく影響する。
 選挙の争点を明確にし、地方自治の問題を解決していく方法として、アメリカの大統領選のように都知事選も副知事とセットで争ったらいかがか。考え方の論争だけでなく都民の生活のことを真剣に思い、都議会の傍聴もされてきた宇都宮健児氏は党派を超えて副知事に適任だと思う。セットで争わなくても、都知事に当選したら宇都宮氏を副知事にすることは出来よう。

初稿 2016.7.14 追加修正 2016.7.16



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1 コメント

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Unknown ()
2020-05-02 19:10:01
間接的とは言え、アメリカに核を造るよう進言し未曾有の大殺戮を日本にもたらした人間。後に謝罪はしたようだが、あまりにアメリカを信用しすぎた。
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