自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

畜産システム研究会開催準備会

2017-05-20 13:36:20 | 自然と人為

 畜産システム研究会「システム」として畜産をみるという意味で名づけましたが、広島大学の西条への統合移転を機に地元の方との交流を形に残そうということで1986年5月に広島県福山市で発足しました。この度、その発足の地で畜産システム研究会シンポジウムを開催することになり、研究会の事務局(京都大学)の参加をいただき、準備会を開催することになりました。その実施計画案を関係者の連絡を兼ねて、ここに発表させていただきます。
 参考: 畜産システム研究会報

畜産システム研究会実施計画案
1.日時 2017年10月21日(土) 13時~16時(予約済み)
2.場所 福山市西部市民センター (地図)(自動車道)
3.見学 福山市神村町 大谷山里山牧場 16時~17時
4.懇親会 阿伏兎(鞆の浦 近く) みかど別館 17時30分~20時 
        会費 6500円 送迎あり

検討事項
1.開催時間 午前中も必要か? 発表と集合時間の関係
2.発表 大谷山里山牧場 (安部裕之)、富士山岡村牧場 (岡村千代次
       ふるさと牧場 (動画) (山本喜行) 混牧林経営で公的牧場を目指す
 検討中
3.発表形式  ビデオ紹介、大谷山里山牧場関係者の座談会形式?
4.発表内容
  地域の問題   小さな共同体が自然とつながり、地域に拡げる
  後継者の問題  人生100年の時代(定年後の地域の暮らし)
  畜産の存在意義 資源の管理・利用と畜産物の供給 (酪農を守る)
  家畜管理の問題 牛が喜ぶ牧場、子どもが喜ぶ牧場
  放牧と肉質の問題、経産牛の短期肥育の問題 --- 産肉生理との関係 
5.研究会参加者 100名?
6.懇親会参加者  60名?(みかど別館 6500円)
7.宿泊予定者   30名?(みかど別館 7500円)

畜産システム研究所の新体制について
 畜産システム研究所は研究会で「F1を利用した種雄牛能力の現場検定」を実施するために設立しましたが、その事業は1回実施しただけでした。今回、正式な組織として再発足させる件について検討し、畜産システム研究会役員会(評議員会)に報告したいと思います。
 1)新会長と新理事の選出等
 2)目的 
   大学の自治を最大限尊重して守りつつ、
   大学と連携した現場の教育・研究の充実 NPO化?
   畜産システム研究会の支援(会員拡大、会報発行準備、ブログ管理

検討会日程予定
1.日時 2017年5月27日 13時30分~16時
2.検討会場 福山市西部市民センター
3.集合場所 検討会場またはJR松永駅改札口(参加者と直接連絡)
  連絡用携帯 090-7370-2308(三谷)
4.駐車場 当日は催し物があり駐車場は満杯
  三谷家(福山市今津町3-2-77)の駐車場(参加者と直接連絡)

どのような畜産のデザインを描くのか 2.アメリカのHRMに学ぶ
 牛が拓いた斉藤晶牧場
 牛は資源を循環し、人をつなぐ

自然と生きるシステムの共創~ハイブリッドデザイン
 1)システムに支配されないで、システムを共創しよう
 2)コストダウンとコストゼロの違い~固定観念が生きる世界を狭くする
 3)意識と現場感覚~現場の研究が先端になる時代
 経産牛放牧で肉質向上(中國新聞)

大谷山里山牧場(2)(3)
「ごはんジャパン」富士山岡村牛(2)(3)
ふるさと牧場 山本喜行動画

ニック・マークスが語る地球幸福度指数
再録「100分de平和論」

初稿 2017.5.20 更新 2017.5.23

施行70年日本国憲法~国民の幸福と国家の暴走

2017-05-14 20:00:01 | 自然と人為

 「理想の日本人像を追い求めて」(動画): マル激トーク・オン・ディマンドの「理想の日本人」は素晴らしい言葉だとは思う。でもそれなら理想の中国人や韓国人、さらには北朝鮮人のことも尊重しなければならないが、それを国が求めることは愛国心を過剰に求めることにならないか。
 この「理想の日本人」もその危険性を指摘したものだ。しかし、今の改憲論議で安倍首相は「自由」より「規律」を、日本の独立よりアメリカへの従属を求めているが、このままではそれが「理想の日本人」にされてしまう。
 グローバル化の時代に考えなければならないのは理想の世界人の中における日本人ではなかろうか。理想の日本人を求めることはオリンピックで日本を応援するように、ある意味では愛国心を刺激する。「愛国心」は心理学的には「生の欲動」(動画)だそうだ。過剰な「生の欲動」も破壊や攻撃につながる「死の欲動」も戦争につながる。過剰な「ニッポン万歳!」も戦前の「天皇陛下万歳!」につながりかねない。

  「象徴天皇」と「戦争放棄」が一体になっているのが現行憲法だ。
自衛のための軍隊は必要で、そのために憲法改正が必要だとする説があるが、戦争は国の責任であり、国に戦争をさせないために現行憲法がある。必要なのは「理想の日本人」を教えることではなく、「理想の世界人」のことを考え、教えることではないか。「戦争放棄」と「理想の世界人」を一体にして、現行憲法を世界にゆるぎないものとして定着させねばならない。それは国民一人一人が後世のためにできる仕事だ。
 今年の5月3日は日本国憲法施行70年を迎えたので、私なりに憲法を考えてみたい。貴重な動画や資料を皆様に活用していただければ、私の考えを知っていただくより、はるかに価値があると思う。

 サンデーモーニングの「風をよむ」ではテーマとして、『施行70年 日本国憲法』(動画)を取り上げていた。国民を国家権力から守り、国民としても大切にしたい憲法を、権力者の立場にいる安倍首相自らがオリンピックの日本開催(2020年)を目途に改正憲法の施行の日(録画 サンデーモーニング 2017.5.14にしたいと宣言した。憲法のもとで首相である人間が堂々と改憲を言う。そんなに改憲したいなら議員も首相も辞任して改憲の地下活動をして、「共謀罪?」で逮捕されればいい。現首相の言動も「共謀罪」もそういう類いの問題だ。

 また、首相は教育勅語(2)を素晴らしいとして「瑞穂の国小学校」の建設予定に官房機密費から100万円寄付(2)したそうだが、個人と公人の区別のつかない首相がいて、その意志に官僚が従うのは当然という評論家もいる。その評論家は状況の一面しか説明していないが、まさか公私の区別のつかない官僚も首相も「理想の日本人」だと言いたい訳ではなかろう!? 
 公私の区別のつかない人は官僚になってはいけないし、政治にも関わってはいけないことは、1943年生まれの私達にとって、当時の小学生の常識だったはずだが。

 かつて右翼団体代表として改憲を訴えていた「一水会」元最高顧問の鈴木邦男さんは次のように話しておられる。
 「学生のときから『この憲法がすべての日本の悪の元凶』だと思っていた。そうも言っていた。  でも今はずいぶん変わりました。『憲法が変わって、それですべてが良くなるのか?』と疑問を持ったのと、(日本国憲法)原案を作った時の理想や夢、いろいろ聞いて変わった。今、我々が憲法を変えようとするときに彼らほどの情熱があるか。彼らほどの夢があるか、理想があるか。僕はないと思う。ただ過去に戻るだけ。今の状況だったら『もっと強い国家にしたいそこの中で我々は生きたい』という方向に行く。国家が強くなったら自分も強くなれるような錯覚を持つ。それは間違っている。むしろ国家が強くなって軍隊を持って法律を作ったら、個人個人の自由はもっと無くなるし、弱くなります。」

 ヴォルテールの名言「偏見は判断を持たない意見である」前回紹介したが、鈴木邦男さんは真摯に日本のことを考え続けて自分の考えを大きくされている。一方で自分は愛国者で自分の考えは優れていると根拠もなくエリート意識を持つ人もいる。先日も元首相が年老いてなお、改憲を誇らかに訴えていた。こういう人を元老扱いするメディアがあり、愛国心を吹聴するから戦争もなくならない。自分の偏見の世界に閉じこもるより、鈴木さんのように知らない世界を知ることに感動し、自分を大きくできる人は国民まで幸福にする人だと思う。

 NHKは10年前と今年、日本国憲法を記念した番組を放送している。
焼け跡から生まれた憲法草案(動画)07年2月10日放送 放送レポート編集長 岩崎貞明
憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた, (動画)


 また、朝鮮戦争以来世界の戦争に加担しているアメリカは、日本にも自衛隊(2)を持たせ、湾岸戦争(2)では、アメリカ国務副長官アーミテージなどが、露骨に日本に「ショー・ザ・フラッグ(艦隊を派遣せよ)」「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊を派兵せよ)」等、自衛隊の派遣を求め、自衛隊の海外派兵への道を開いた。これまで軍隊としてアメリカとともに歩む道を阻止してきたのが日本国憲法9条であったが、安倍首相は憲法改正してアメリカとともに堂々と戦う自衛隊にしようとしている。それは彼の尊敬するA級戦犯を免れて首相にまで上り詰めた祖父岸伸介が日米安保条約改定(新安保条約)(2)で、自衛隊がアメリカ基地を守る義務を持ったことに続いて、「安保法制」てアメリカ属国への道をさらに進めるとともに、安保改定60年後の2020年には憲法9条に自衛隊の存在を明文化しようとする安倍首相の愛国心というものだろう。アメリカの属国化と愛国心という矛盾した政策は、日本国の暴走を防いでくれるという安心感が少しはあるとしても、自衛隊はアメリカのためにあるという不安は増す。「自衛隊と憲法」日米の攻防(動画)は、これまでの政府とアメリカとの交渉の苦労を伝えてくれる。
 資料: NHK「自衛隊と憲法 日米の攻防」(動画)
      日本国憲法 70年の潮流~その時、人々は~, (動画)


 憲法を守ることは、いかなる状況に置かれても戦争をしないことと、国民の生存権を含む基本的人権を守らせることだ。公私の区別もつかず、個人と組織の責任関係も分からない首相に国会で民主主義が破壊されても、優秀と言われる官僚は、国民に責任を持つよりも、自己保身して首相に従うのが仕事の義務だと思っている。”核兵器禁止”決議にさえアメリカに気兼ねして反対する。このような腐った社会を後世に残してはいけない。残念ながら今の憲法を守るのは政権与党の議員でもない。彼らにも憲法や民主主義に対する見識はないし、身を犠牲にしても国民を守る気概はない。憲法を守るのは、私たち一人一人が後世のためにできる仕事だ。
 資料: ”核兵器禁止”決議 日本はなぜ反対?(動画)
       ニュースZERO NEWS23  報道ステーション ニュース9


     風をよむ『たいまつとSEALDs』
     風をよむ『最近の国会審議』

初稿 2017.5.14






再録「100分de平和論」

2017-05-09 13:13:18 | 自然と人為

 私のブログは私の主張のためではあるが、TV番組をビデオカメラで撮影して皆様に紹介したいためでもある。NHKは受信料を払っていながら見逃した番組を観るために何故お金を払わなくてはいけないのか。NHKはすべての番組をいつでも観れるように公開しているのか。受信料を払っている人とそうでない人を区別するシステムを導入しているのか。放映した番組をYouTubeに公開することを著作権を理由に拒否できるのか。YouTubeも無料とはいえ、ビデオカメラで撮影して登録している映像を著作権を理由に一方的に削除し、製作者さえも記録をなくす様なことが、サービスとして許されるのか。ここではNHKの貴重な番組がオンデマンドでも観れなくなっているので、多くの方に観ていただきたく、有料のOneDriveに登録して再公開をさせていただく。

 明日 戦争がはじまる  宮尾節子の詩  宮尾節子 ツイート
 NHK「100分de平和論」 プロデューサのこぼれ話

 この番組は平和について考えさせられる4つの課題『戦争と人の心』、『経済と平和』、『江戸の平和』、『寛、容の祈り』について名著を、順番にそれぞれの分野の専門家が解説している。

『戦争と人の心』 フロイト「人は何故戦争をするのか」予備
 精神科医 斉藤環 
 「平和のためにできることは、”対話(ダイアローグ)”である。」

 人間として対話が基本であることには間違いはない。しかし、インターネットの普及で世界の人々の交信が容易になってきている。ネットにも問題があるにしても、語学の壁を破ることでもっと世界の人々が交信して世界を知ることや、自然と他者を大切にし、仕事とは後世にとって良いことを残すことだという道徳教育を義務教育にすることも世界平和のために大切なことだと思う。愛国心は生の欲動、憎しみや破壊は死の欲動、道徳教育で個の過剰な欲動を抑えるとともに、戦争は国の責任なので国の欲動を抑える平和憲法は大切にしなければならない。

『経済と平和』 ブローデル「地中海」予備
 経済学者 水野和夫
 「よりゆっくり より近く より寛容に」

 ヴェネツィアの商業資本主義からジェノヴァの金融資本主義に至る資本主義の推移について、貴重だが分厚い本のブローデル「地中海」を分かりやすく解説している。手形の発明により、ジェノヴァの金融資本主義が発達したことも面白いが、手形は経済のバーチャル化でもあり、欲望は他者の視点のもとに成立する。ワインの生産で繁栄していたイタリアは、ブドウ生産用土地を限界まで耕したが、一方では低利子が続いたことで資本が他の国に移動して衰退したことも、資本主義の源泉は欲望であり、生きる原点の農業以上に人間の欲望は肥大化することをしっかり認識しておく必要があろう。
 参考: 【100分de平和論】ブローデル著「地中海」 <モブトエキストラ>
      ヴェネツィア、--、ジェノヴァ──ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む
      ヴェニスの商人はいかにして資本主義を
      第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
      『資本の帝国』抜き書き(第三章「商業の帝国」)
      水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(要約)(2)
      700年の資本主義の歴史から見ると、金融拡大は、一つのサイクルの最終局面


 この地中海の時代は、14~16世紀のルネサンスと重なる部分があるが、このルネサンスは戦国時代であった。ジョバンニ(1498-1562)は若くして鉄砲で死んだ最後の剣術士であったが、「理なくして剣を抜かず、徳なくして剣を握らず」の日本の武士道に通じる魂を持っていた。その後、産業革命を経て戦争の破壊力は大きくなり、欲望の資本主義はますます肥大化していく。日本もこの時期、豊臣秀吉の朝鮮の植民地化という野望があったが、徳川の鎖国政策によって武士道と平和な時代が明治維新まで続くことになる。
 参考: ザ・プロファイラー「知られざるルネサンス~戦いの革命~」(動画),同左を見て
      イタリア美術と戦国時代
      古典古代の再生運動 ルネサンス
      イタリア ルネサンスの時代


『江戸の平和』 井原西鶴「日本永代蔵」予備 
 法政大学総長 田中優子
 「平和のためにできることは、信頼を作り出し、それを持続すること」

 江戸時代は260年続いた太平の世、封建的だとは言え戦争をしない国の知恵は、何よりも庶民のためになる。永代蔵はいろいろなものを長く保存することで、いろいろなものを持続していくこと。参勤交代は戦争の資金を蓄えさえないと同時に、大名行列でその資金を街道に循環させ、江戸に住まわせることで江戸の町に資金を循環させた。
 「すぎはいは草ばふきの種なるべし」と言うように「生きる方法は草の種ほどいろいろあるものだ」。人が見向きもしないものを大切にする始末とは、「始めと終わりの循環をきちっとする」ことで 節約するだけでなく都市と農村の循環や仕事の循環を第一に考えて多様性のある社会を築いた。そして仕事の継続は信頼にありとしたように、すべてを人間の在り方に求める江戸の社会は、欲望の資本主義の対局にある。

 秀吉の時代が永くは続かず、徳川の時代は後世の我々まで「モッタイナイ」社会、有難い社会をを残してくれたのに、文明開化だと明治維新が日本の始まりかのように高く評価し、植民地化は世界の常識だったと中国、韓国を侵略した誤りを今でも過小評価し、縄文時代は海に囲まれた島国で平和に暮らした13000年の歴史があるのに、資源を求めてアメリカとまで戦った。明治は、日本の負の遺産の始まりでもあったことを忘れてはなるまい。
 参考: 【100de平和論】井原西鶴著 日本永代蔵 <モブトエキストラ>

『寛容への祈り』 ヴォルテール「寛容論」(予備)
 作家、明治学院大学教授 高橋源一郎
 「Pray, and think 祈れ、でも考えよ」
 (すべて人は兄弟であるのをみんなが思い出さんことを

 ヴォルテールはフランス革命前のブルボン朝時代において、人間皆平等であると主張した絶対王政にとっては危険人物であった。「偏見は判断を持たない意見である」(2)等、封建社会や宗教的不寛容などにたいする合理的精神による批判を展開し、18世紀は思想史としてはヴォルテールの時代と呼ばれたりもする。
 カトリックによるプロテスタント迫害の時代、南仏のトゥールーズのプロテスタントで宗教には寛容であった「ジャン・カラスの冤罪事件」があった。ヴォルテールはこれに抗議して闘い「寛容論」を発表した。その一節に夘次の文章がある。
  ある一人の人間が別の人間に向かって、「私が信じているが、お前には信じられないことを信じるのだ。そうでなければお前の生命はないぞ」などどうして言えるのか理解に苦しむ。
 これを高橋源一郎は次のように分かりやすく解説している。 
 「俺は信じているけど、信じないやつは死ね。」宗教家がやっていることはこれだよね。宗教が一番問題。宗教対立が戦争の原因、イスラムとキリスト、カトリックとプロテスタント。キリスト教が一番ひどくない? キリスト教は愛の宗教ではなかったのか。そのことを一から考えてくれというのがヴォルテールの「寛容論」。
 参考: 【100de平和論】ヴォルテール著「寛容論」  <モブトエキストラ>

初稿校正 2017.5.9 更新 2017.12.14

万国同時通訳の夢と後世のための仕事

2017-05-05 15:24:27 | 自然と人為

 国際会議は同時通訳で実施されているが、専門家にできることをコンピュータでどこまで代替できるだろうか。音声の同時通訳まで行かなくても、インターネット交信が同時通訳になる時代はいつ来るだろう。囲碁や将棋のように勝つという目的とルールがある場合は、人工知能がプロ棋士に勝つ時代が来ているが、人間は何をしゃべりだすか分からない。せめて世界の図書館や美術館、そしてあらゆる資料館や公文書館にある資料の全てをネットで公開することから始め、これを英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語に変換する国際計画はないのだろうか。例えば、ヘッケル『一般形態学(有機体の一般形態学)』原典の第2巻のように。ドイツ語は習っているが辞書を引く意欲はもうない。せめて英語なら辞書でも少しはかじろうと思うかもしれないが、これら公開資料を母国語に翻訳するのは各国政府の誇りある仕事にすべきだと思う。

 科学技術の発展が人類を堕落させない希望の一つとして、せめて英語を母国語に、母国語を英語に変換するインターネット翻訳の技術が世界で使えるようになる時代が早く来てほしい。語学の壁は年齢とともに時間的制約も増え、若いときのようには越えられなくなる日が来る。インターネット翻訳で世界の歴史や文化を知り情報交換をすることは、世界の全ての人々に与えられるべき権利だと思う。世界の人々が世界を知る権利を持つことで、世界の人々の相互理解が進み、世界の平和にも一人一人が貢献していける。

 また、全ての人々が自宅にいて様々な勉強をするために、TV番組とネット交流によって、それぞれの道への入門から博士過程までカリキュラムを選択できるようにすれば、学問への道は多様化し、論文博士への道も拡がるだろう。大学は開かれた学問を推進する社会的使命を持つことになる。また、世界の人々のネットを含めた交流が拡がれば、コンピュータ翻訳の技術も向上するし、それを補う語学への関心も高くなり、語学を生かせる道も広くなるだろう。そして、平和憲法を改正してまで義務教育を高等教育まで延長しなくても、世界のインターネト交信の語学の壁が低くなることで、はるかに世界の友好関係の時代を先に進め、世界平和をより確かなものにするだろう。

 戦後70年もすると戦争の悲惨さを経験した人々は少なくなり、アメリカの属国として軍備を増強する一方で、日本のことは日本で守るべきだという矛盾した声が大きくなっている。しかし、核兵器の時代は戦争はできない時代だと冷静に考えよう。戦争放棄を謳った日本の平和憲法は、日本のためだけでなく世界の希望の鐘となる時代だ。しかも、あらゆる国家が国民や世界の人々に秘密の公的資料を持つことは悪とされる時代はそこまで来ている。世界は全ての人々のものであり、情報は全ての人々に開かれるべきで、一部の支配層の考えで秘密にすべきものではない。
 参考: NHKスペシャル 憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた(動画) アドレスバー   
      安倍大嘘をNHKが暴露<本澤二郎の「日本の風景」       をクリックしてEnter


 また、公開された放送番組やネット資料は、いつでもどこでも見れるようにしておけば、国民の勉強のチャンスを拡げるとともに、放送番組とネットでの情報交流の内容は後世まで評価される栄誉も与えられる。放送内容が政府によって歪められたとしても、それは歴史的事実として後世に評価されよう。仕事をするということは、成果を自分で得ることではなく、仕事の成果を後世に残すことだ。そのことで人生100年時代どころか、世界の人々とともに誰でも生き続けることができる。
  
 東京都の豊洲市場移転問題も、ネットにより産地と消費者が直接つながる時代では、産地直送のシステムを念頭に置いて、新しい輸送システムにおける市場の役割を考えるべきであろう。情報は東京に一極集中することはなく、地理的不便を問わず世界を瞬時にして駆け巡る。輸送システムも東京中心だけではなく、地方を中心にしたシステムの可能性も考えたい。

 自然と人、人と人との絆で安全安心で豊かな社会が得られる。東京砂漠で孤独死する寂しい人生よりも、自然豊かな地方で暮らして、生きることの幸せを噛みしめたい。それには、自然と人、人と人の絆を大切にする地方の政治経済が重要だと思う。東京も地方も住民が政治経済の責任者であることを忘れてはいけない。そして地方は自然が身近にある幸せを忘れてはいけない。

 人々は様々な環境で生まれ育ち、様々な考え方を持つようになる。他者を尊重する考え方も、他者を支配する考え方も生まれるが、政治も経済も「実践」で評価される。今日の「欲望の政治経済」では、自己の欲望(考え方)で他者を支配する「実践」が「成功」と見られてはいないか。そして支配される人々には「支配されている」という自覚はなく、支配者と共に時代を考えていると錯覚している様に、私には見える。ネットでいろいろな情報が得られても、そのいろいろな情報を自分の考えで選択して、自分の考える世界に浸り、自分の考えが正しいと錯覚してはいないか。

 人は得られた情報から、それが好きかどうかだけではなく、真実は何処にあるかを考える習性を身に着けなければいけない。それが義務教育に与えられた義務だろう。世の中には様々な考え方があり、表と裏、右と左、敵と味方と2極分離しがちだが、それは物事には2面性があるということだ。少なくとも多くの人の生き方に関係する政治と経済の問題は、どちらが正しいかではなく、自然にとって良いことかどうか、他者にとってはどうなのか、そして後世にとって良いことなのかどうか、判断基準を現世の自分に置くのではなく、もう一つ基準の次元を自然や他者に置く訓練を義務教育ですべきだろう。そのことが義務教育に必要な道徳教育というものだろう。

 真実は何処にあるかを考える材料は沢山あるが、まずは日本人の知識として、動く地球における日本列島の形成日本列島への日本人の移住(2)氷河期の気候変動(2)マンモス等の大動物の移動と人類の移動(2)、日本に定着して自然と一体で暮らしていた縄文人と農耕を日本に伝えた弥生人の関係を地質学や考古学や遺伝子解析等の資料で調べて、真実に近い物語を自分なりに身に着けていくべきであろう。また、古代の歴史である神話をどう解釈するかもおもしろい材料だ。
 ここでは古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~: (動画)を中心に、自然ともっと近い暮らしをしていた縄文時代を考えるブログを紹介しておく。 古代は狩猟採集の時代と馴染んできたが、海に囲まれ山の多い日本では、縄文人は長い年月で育つ巨木の命に神が宿ると敬い、海や川や池の自然の恵みを利用して里山で暮らしていたので、栗の栽培と漁労採集の暮らしをしていたと言う方が実態に近いのだろう。
 参考: 諏訪と縄文(1)~なぜ諏訪が人々を惹きつけるのか
      諏訪と縄文(2)~出雲族とは何か?
      日本史を学ぶなら「縄文」からがおススメ~第1回
      第2回「海洋民としての縄文」
      第3回 舶来志向と工夫思考
      第4回「自然を肯定視した民」
      第5回「共同体社会としての日本」
      第6回 「性は秘めるものではない、開くもの、皆で共有するものだった」


初稿 2017.5.5

人類の自然から人工への道~それは進歩なのか堕落なのか!?

2017-05-01 21:41:09 | 自然と人為

 宇宙旅行を民間会社が考える時代となったが、その一方でアマゾンには「すべてが一つの世界」と考えるメイナク族が暮らしている。
 宇宙旅行が出来るようになることを文明の発達と言うとしても、収入が伸びず将来不安から消費が停滞する一方で、他者との絆より孤立しても個人の欲望を求め続ける「欲望の資本主義」が戦後70年にして騒ぎ始めたと思っていたら、「欲望の民主主義」とさえ言われる時代になってしまった。民主主義に「欲望」? その意味は深くは考えてはいないが、「欲望」が時代を象徴しているということだろう。
 参考: 欲望の世界経済史 序章
      「欲望の資本主義2017 ルールが変わる時」 : (前編), (後編)
      「欲望の民主主義」~世界の景色が変わる時  : (前篇), (後編)


 『いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。』と言うブログ「縄文と古代文明を探求しよう!」がある。私も16000年前から3000年前まで13000年も続いた縄文時代の人々を祖先に持つことを誇りに思う。
 最近の核DNA解析の結果、我々日本人は縄文人のDNAの20%を引継ぎ、その縄文人はアジア人の中でも最も古い時期に分岐したことを示しているそうだ。一つの説としてアジア人の中でも早く日本列島に移住し、ある意味では孤立して暮らしていたから、最も古い遺伝子型が残されたとも言えよう。
 弥生時代に農耕が日本に入って来てから戦いが始まり、3000年で現在に至っているが、国家が起こした悲惨な太平洋戦争への反省から戦争放棄を世界に訴える平和国家として誕生した平和憲法さえ、70年を経て今の政府は変えようとしている。どのような理由があろうとも、戦争は国家の国民に対する最悪の犯罪だ。国が造られる前の縄文時代は自然に生かされていることを敬い、戦いをする必要がなかったからその暮らしは13000年も続いた。科学技術の発達による文明の進歩よりも、科学技術の進歩により他者との絆より孤立しても個人の欲望を求め続ける人間の堕落を、私は憂う。
 参考: 憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた: 動画
      DNA解析で見る日本人のルーツ(動画)
      〔サイエンスZERO〕日本人のルーツ発見!~”核DNA”が解き明かす縄文人(動画)


初稿 2017.5.1