自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

曖昧な日本人よ!政財界による「国民支配のうねり」を許すな!

2016-03-29 12:19:12 | 憲法を考える

 戦後35年、高度経済成長によって『ジャパン・アズ・ナンバーワン』に有頂天になった日本は、バブル崩壊後の「失われた20年」で、成長戦略の行き場を無くしたのにもかかわらず、政財界が民を大切にしないで、むしろ権力を乱用して国民の税金を自衛隊の軍隊化や軍需産業の育成に使用するヤクザと化し、「国民支配のうねり」によって生き残りの道を歩もうと蠢きだした。

 欧州では人種差別により居場所を失い絶望した若者が、追い詰められて逮捕されるよりは自爆テロの道に走り、その恐怖により「非常事態」が発動され、さらには憲法改正への動きとなり、国民の自由が奪われ、憎しみの連鎖から抜け出る道を見失っている。
 日本には人種差別はないはずだが、「ヘイトスピーチ」に認められるように、格差が拡大するとその怒りの矛先を人種差別に向ける人たちが出てくる。しかも、「安倍自民党政権がヘイトスピーチ社会を作っている」のも、「国連が問題視する『安倍政権』と『ヘイトスピーチ』の親密関係」も事実であろう。安倍政権はアベノミクスのような格差拡大政策を推進する一方で、格差が拡大した人々の怒りを人種差別に向けようとしている。

 「自由と民主主義」に鈍感な日本人は、安倍首相や多くの自民党議員と同様に『精神的自由』>『経済的自由』の意味を知らない。むしろ「他者の意思」より「自分の意思」を大切にし、自他ともに幸せになることよりも、『経済的自由』により自分の『精神的自由』が得られると考えているのだろう。

 日本は黄門さまが好きな国である。権力が悪代官を懲らしめてくれるのを喜びつつ、自分も権力に守られていると思っている。少なくとも権力に近づくことで利益が得られ、世間の評価も高まり、権力のコネで良い目に合うと、自分は相応の立場にいると安心している。

 その体質は「政治介入を許すメディア(動画)」にも及んでいる。ことに大衆が接するメディアが新聞からテレビに移行するにつれ、メディアに所属することがジャーナリストとしての誇りではなくエリート意識を満足させる時代になってしまった。NHKの報道関係者がBSEに関する研究会の様子を見に来ている時、あまりに真実を報道しないNHKに「我々の情報も使ったら?」と話しかけたら、「我々はすべての情報を持っている」という返事があった。「すべてを知ってあの報道かよ!」と唖然としたことが、今も思い出される。もう一つには電波の割り当てを得る特権を守ろうとして、テレビ局と政治が持ちつ持たれつの関係になっていることもあろう。そしてすべての克服すべき重要な問題が、曖昧にされたまま次世代に残されてしまう。

 私の世代は人によって強弱はあれど、妻は夫に従い、男は女を、AさんはBさんを支配することが男らしいと勘違いしているところがある。
 これからはそんな考えでは孤立すると信じたい。お互いの存在を認め合うことは、お互いの『精神的自由』を認め合うことであり、その『精神的自由』を認め合うことが『民主主主義』の基本である。国民全員に『精神的自由』>『経済的自由』の意味を知って欲しい。

 しかし、安倍政権を支持する人々は自分たちの意見を通すために多数決があり、多数決で勝つために議員数を集めることが民主主義だと思っているようだ。「衆議院の解散権は首相の専権事項だ」と堂々と自分たちの都合の良いときに解散しているが、衆議院の解散は内閣不信任案が可決された時、国民の民意を問うために行うのが『民主主主義』の本筋であることは「自由と民主主義」を理解していれば当たり前のこと。憲法第7条3号に「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」とあり、国事行為の一つに「衆議院を解散すること」とあるのを解釈で「衆議院の解散権は首相の専権事項だ」とするのは、戦前の天皇の統帥権を悪用した軍部と同じこと。「現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題」なのだ。国民は、自分たちの『精神的自由』>国民の『精神的自由』と思うようなヤクザに、『経済的自由』>『精神的自由』と決して騙されてはいけない。

 『経済的自由』を国民が尊び汚職に寛大であるように見えるが、TPP担当大臣であった甘利氏のように、国の将来の道を誤らせる場合もある。繰り返すが、『精神的自由』>『経済的自由』の意味を国民全員が知り、公務員はそれを守る義務があることを知って欲しい。
 
 2016年3月20日のTBS「時事放談」は、遠くで愛犬が吠えてその声が入っているが、撮影のやり直す気力が出ないほどがっかりした。その穴埋めもあってか、翌週の片山・浜氏の発言は安倍政権の問題をビシッと穏やかに指摘している。現政権の問題を下記の録画で比較していただきたい。
2016年3月20日
 TBS「時事放談」 二階・漆原 2016年3月20日
  止まらぬトランプ旋風、「保育園落ちた」
  「年金」、ダブル選挙、憲法改正「在任中」、消費税先送り
  春闘ベア失速、どうする「景気対策」、「高支持率」の一方で
2016年3月27日
 TBS「時事放談」 片山・浜 2026年3月27日
  トランプ暴言、保育園落ちた
  実態と政策の乖離、勉強不足、増税先送り、アベノミクス
  商品券、民進党に言いたいこと

 参考:安倍政権が共産党を「破防法の対象」と閣議決定!
 岸井降板~鳥越が菅の手口を暴く+岸井はメディアの使命=政権監視を強調
 黒田東彦総裁の異次元の金融緩和やアベノミクスは大失敗
 麻生財務大臣兼副総理、自説を展開 『デフレを解決したのは何か? 戦争だ!』
 朝日新聞 日本会議を大特集
 (日本会議研究)憲法編:上 改憲へ、安倍政権と蜜月

初稿 2016.3.29

目的と条件で動く人工知能より大切なのは人間の文化

2016-03-25 19:56:34 | 自然と人為

 人工知能も宇宙人も応募可の「星新一賞」で、人工知能が作った小説が1次審査を通過したそうだ。日本SFの先駆者にして「ショートショートの神様」と謳われた小説家の星新一(1926-1997)には、父の築いた会社、星製薬の後継者として、また父の政治家等の偉業を、日本の戦争前後の時代に踏みにじられたことへの悔しさを語った長編『人民は弱し 官吏は強し』『星新一 一〇〇一話をつくった人』もある。

 星新一のSF風のウィットとしての応募に目くじらを立てるのは失礼かも知れないが、人工知能はワープロ機能を向上をさせても、小説など書けるはずがない。世間が誤解すると困るので断言しておきたい。

 また、囲碁 最強レベルの棋士 人工知能相手にようやく1勝(動画)とメディアは大騒ぎしている。将棋に次いで囲碁もプロ棋士が負けたことで人間の仕事をコンピュータが奪ってしまうという論調だ。

 この対局には囲碁AIの生みの親の天才制作者、デミス・ハサビス氏も立ち会っているが、彼の才能で「囲碁に勝つ」という目的が一つのゲームが出来たことは素晴らしい。しかし、対局者のイ・セドル9段が「機械は囲碁の美学までは理解しない」と言うのは負け惜しみではない。囲碁のルールで交互に碁石を置く10の360乗以上に上るとされている場所のどこに打てば勝てるかという目的が一つの問題にはコンピュータは人間より強いというだけで、このことで囲碁の文化が否定されるものでもない。

 以前、このブログ「「想像する脳」と自然と地球に生かされる人類~我々は何処から来たのか、何処へ行くのか?」で「人工知能と人間」について少し触れたが、目的に到達して最適解を得る方法はさらに進歩するにしても、人間のように様々な目的を持った人工知能などあるはずがない。

 当時は、問題を線形モデルとして扱い、絶対に守らなければならない「制約」を、この程度は守ってほしいという「目的の希求水準」として扱い、各目的の希求水準からの距離の二乗を最小にすることで目的間のバランスを取る方法である多目的計画法で最適解を求める方法を、家畜の飼料配合問題に応用する研究をしたが、「制約」を「目的の希求水準」として扱うことで柔軟な解は求めることが出来るが、その希求水準の設定の根拠がない限り、設定に任意の判断が必要となり組織で使用する場合に「組織と個人」の問題が生じることに気がついた。

 飼料原料の使用量を目的として、その希求水準を設定するには気象情報、収穫量の予想、原料の市場価格、原料の保存量から買い付け時期等の膨大な情報が必要であり、飼料配合問題は自然と社会と経済に及ぶ大型モデルとなる。

 また、この問題をEXCELでソルバーを利用すれば簡単に解くことが出来るが、最適解を求めるソルバーの計算方法は一般に理解するのは困難で、ソルバーのような目的の最適解を求める方法がニューラルネットワーク理論からディープラーニング(1)(2)へと進歩し続けることと、人間の複雑な営みである文化や社会経済を同じ次元で考えることは妄想である。

 人工知能に象徴されるように、世の中は自然の暮らしから人工的世界の暮らしへの移行が進歩だと思うことが常識となりつつある。そのことはその時代に生きる人々の判断が複雑化し、分裂し、人工的世界をリードする人達が尊敬され、その意見に世論が誘導される恐れがある。問題発生から解決までのプロセスの国別比較のイラストも面白いが それぞれの国に特徴があるにしても、いつの時代にあっても忘れてならないのは我々は自然の一員であり、すべて兄弟であること。そのことは人類学的には誰も否定できない。そして自分の自由が尊重されるためには他者の自由も尊重されねばならないという「自由と民主主義」において、曖昧であるが繊細で平和を求める日本の文化の歴史を持つ我々は、「『精神的自由』が『経済的自由』より優越する」ことを毅然として示す社会を目指すこと。それが世界に貢献できる道であると、私は信じている。

 言葉は理性によって紡がれる。日本人が曖昧なのは理性のようで、実は感性で物事を受け止めているからではなかろうか。秋の虫の声を聞き分けるのは繊細な理性だそうだから、繊細な理性に『精神的自由』>『経済的自由』という絶対守らねばならない制約を厳しく設定して、人権問題を解く訓練が必要であろう。

初稿 2016.3.25 更新 2016.3.26






支配者を怒らない曖昧な日本人~精神的自由と経済的自由

2016-03-22 15:37:58 | 憲法を考える

 政府が講師として招いたノーベル賞受賞者スティグリッツ教授が、「消費税率10%への増税は控えるべきだと述べた」(動画)と、NHKがトップニュースで報じたことへの疑問をこのブログで指摘したが、教授の訪日の目的は『シカゴ大学時代(1965年頃)の恩師、故宇沢弘文東大教授の一周忌の記念講演であり、ついで故宇沢教授が共同代表を務めていた「TPP阻止国民会議」での勉強会の講師であった。
 しかし、安倍政権が途中から入り込み、16日に首相官邸で開いた国際金融経済分析会議で、消費税率10%の引き上げに反対意見を述べて大きく報道された』ことが実態のようだ。
 参考:アメリカの碩学の反TPP - スティグリッツ教授の日本へのアドバイス

 教授の訪日の目的は、恩師であった故宇沢先生に敬意を表し、ある意味では「アベノミクス」や「TPP」を批判することにあったようが、「アベノミクスをどしどし批判してください」と報道を意識した首相の見せかけの挨拶も不誠実だが、これに対する教授の反応を取り上げないで、「消費税率10%への引き上げの延期?」の露払い役を引き受けたNHKを含めた多くのメディアもはなはだ不誠実である。
 宇沢弘文先生の志・「心の豊かな社会」を目指して
 人間の心を大切にする経済学~宇沢弘文先生の死を悼む

 故宇沢先生は「現実は経済学者にとって『ある特殊なケース』にすぎない」とし、「市場外の環境や制度あっての市場経済である」とし、人間的な暮らしと社会を保つために『社会的共通資本』という考え方を打ち出し、その実践に協力した。「アベノミクス」を現実の問題ではなく経済学の問題だと指導した学者と『民を思う心』が決定的に違うのだ。

 我々は「自由と民主主義」を知ったつもりでいる。しかし、なんでもかんでも自由であり、なんでもかんでも多数決を尊重するのが民主主義ではない。『精神的自由』が『経済的自由』より優先される、という意味での本当の自由の重さを知らない。個人の自由を尊重することは他者の自由を尊重することだという本当の民主主義も知らない。国民主権とは個人の『精神的自由』が第一に尊重されることであり、集団で意見が分かれたときにはやむを得ず多数決で決めているだけだ。

 集団で自分たちの考え方を押し通すために国会の議員数を確保したり、衆議院で内閣不信任案が可決された時に「解散して民意を問う」という筋を通すのではなく、自分たちの議員数が多くなるために都合の良い時期に、国民が喜びそうな条件を示して解散するのも真の民主主義ではない。

 自由民主党の綱領(新綱領 平成17年11月22日)には、「自由と民主主義」のことが明記されていない。「自由と民主主義」についてのしっかりした考えを持たないで、憲法改正を党是とするとは危ないものだ。一方、日本共産党には「自由と民主主義の宣言」がある。資本主義であろうが、社会主義であろうが個人の人権を大切にする「自由と民主主義」が国の統治の基本であるべきだが、自民党にはそれがない。私は「自由と民主主義」を社会主義では組織で支配し、資本主義ではお金で支配すると考えているが、組織の支配よりお金の支配の方が直接その支配が見えないので安心しているだけで、どちらも国民の主権を認めるために「自由と民主主義」をいかに大切にしているかが日常問われていると思う。

 日本人は戦前、悲惨な戦争へと走った財界等の支配者の責任を問うこともなく、アメリカが反共の砦にCIA等で利用するために保釈したA級戦犯岸信介を首相にまでした。その一方で、戦争に反対した共産党を白い目で見るおかしなところがある。どうも、日本人は『精神的自由』と『経済的自由』の意味が曖昧で、支配者を怒らず、支配者の甘い言葉をすぐに信用してしまう従順すぎるところがあるようだ。

 安倍首相は戦争責任者祖父岸信介の名誉回復にご執心で、「次の世代に戦争責任の謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とうそぶいている。
 安倍首相は任期中に憲法改正をしたいと宣言したが、2016年2月15日の衆院予算委員会で、民主党の山尾志桜里衆院議員との質疑応答(動画)で、「精神的自由」が「経済的自由」より優先されるという憲法の基本の意味を知らなかった。

 また、第一次安倍内閣(平成18年9月26日~平成19年9月26日)の内閣総理大臣所信表明演説において、
 「美しい国、日本」の実現に向けて、時代の荒波に耐えうる新たな国家像を描いていくことこそが私の使命であると述べ、憲法を頂点とした戦後レジームを大胆に見直していくことを表明した。その上で、「美しい国」を実現するには、その基盤として、活力に満ちた経済が不可欠であるとの認識を示し、成長の実感を国民が肌で感じることができる新成長戦略を推進していくと述べた。さらに、「内閣の最重要課題」と位置付ける教育再生では、子どもたちに公共の精神や道徳、地域や国への愛着・愛情などの価値観を教えることが、「日本の将来にとって極めて重要」と述べ、教育の基本にさかのぼった改革を推進し、「教育新時代」を築いていくことを明らかにした。また、教育改革を実効あるものとするため、学力向上に向けた「ゆとり教育」の見直しなど、公教育の再生を行っていくことを強調した。」

 まさに、「精神的自由」より「経済的自由」を優先し、その経済も『民を大切にする』ことを第一に考えず、富が上から下へと流れる財界主導型の「トリクルダウン」という「アベノミクス」を推進し、教育においても「精神的自由」より「公教育の再生」を強調しているのである。
 「戦後レジームの脱却」と「美しい国、日本」とは祖父岸信介が財界と共に支配した戦前の日本に憧れ、戻りたい夢を首相任期中に実現したいと宣言しているのだ。ここまで言われてもメディアや国民は従順に従うのであろうか。

参考:
憲法「精神的自由権」
第2部 第9章 精神的自由権2-表現の自由-
衆議院憲法調査会  参議院憲法審査会

世界史の中の日本国憲法
「民主主義」と「民主主義の敵」
文明の衝突&文明と文化の衝突 文明は文化を駆逐して良いのか?

スティグリッツ氏のTPP批判も訪日目的も伝えぬマスコミ
国谷裕子さんの降板に寄せて
古舘伊知郎・渾身の改憲策動批判に拍手
TPPは貿易協定ではない。

集団的自衛権合憲論の妥当性を問う
安全保障関連法案に反対する学者の会(動画) 学者の会からのお知らせ

初稿 2016年3月22日

「地位ある人」に現場と他者を思う心がないと社会悪を生む

2016-03-20 16:17:38 | 憲法を考える

 世の中にはいろいろな考え方がある。いろいろな考えを言うことが許されているのが「自由」な社会だ。しかし、自己の自由が認められるのは他者の自由も認められるからである。自己の自由を認めて他者の自由を認めないことは「差別」と「支配」を認めることになる。それを「暴力」で認めさせるのは「地位」という権力であり、「法律」であり、「お金」であることもある。

 稲盛氏は「人生の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力」で表せるとし、考え方がマイナスなら人生もマイナスになる、プラスにするには利他的な考え方で仕事をすべきとした。なかでも政治家や官僚等の公務員は「法律」という暴力を行使できる立場にあり、国民に代わって「法律」をつくり実践する立場にあるので、他者を尊重する誠実さが必須である。公務員が利己的に行動することは、その人の人生をマイナスにするだけでなく社会に弊害を与える「社会悪」だ。縄文時代から自然と一体である他者を尊重する遺伝子が受け継がれ、公務員が利己的に行動することは恥だという文化が「美しい国日本」にはあったはずだ。

 今、世界は国境のない世界に向かって歩んでいる。少なくとも個人一人一人にとって男女平等と同じように、国境によって自由が制限されない世界が理想である。ヨーロッパ統合の思想的指導者ジャックアタリは難民問題に対しても一国よりもEUで対応すべきであり、国を閉じることよりも開放することを原則とすべきだと言う。これからはEUや国連から、さらに国境を無くして実質的に機能する「地球会議」を展望する時代に入っていると言えよう。
 差別と支配と暴力のない理想の世界をめざして~我々は何処へ行くのか?

 これに対して安倍政権は利己的で他者の考えを否定し、自分の考える国を目指して憲法を改正すると言う。それまでは憲法解釈を変更してこの国を自分の考える「美しい国」にするのだろう。しかし、誠実であれば憲法のどこに問題があり、どう改正したいのか真摯に国民に問いかけるべきだ。国民の命を守るためと言って、「個別的自衛権」を「集団的自衛権」に拡大解釈し、「日米軍事同盟」の約束事を日本の憲法より優先的に実施しようとしている。憲法を解釈で自由に変えることは憲法を無視することと同じだ。

 安倍政権はすでに言論統制を始めている。前回は政府の圧力で番組を降板したNHK「クローズアップ現代」の国谷弘子キャスターキャスターの最後の放送(動画)を紹介した。また、「ノーベル賞学者が消費税増税を否定」というNHKの報道(動画)に対して、「報道ステーション」は学者に直接取材して(番組への出演は断られたらしい)その見解を報道した。この点について「サンデーモーニング」(2016年3月20日)は、「政治の問題~大臣の答弁と元大臣の態度、消費税増税(動画)」と報道している。まだ頑張っているメディアもある。

 安倍政権の議員の劣化は議員の緊張のなさというより、そのような議員を登用した安倍首相の体質の問題であり、政治の劣化をメディアが取り上げるのも安倍政権の民を無視した政治に対して世間の風当りが強くなってきたということではなかろうか。
 安倍政権の報道統制に対してメディアの反骨精神に期待し、その実態を皆さんにも知っていただくために、政府の圧力で降板する古舘伊知郎氏の「報道ステーション」を降板される日までは追って、必要と思えば紹介したい。

 朝日テレビ「報道ステーション」(2016年3月18日)で報じられた「核兵器の保有も使用も『憲法上禁じられていない』(動画)?」という考え方も憲法解釈の問題だが、国を守るために核兵器を使えば守るべき日本も核兵器で攻撃され壊滅状態になることは、少し考えれば分かること。核兵器は日本を守るためにも絶対に使用してはならないし、使用しないものは所有する必要もない。これを所有することは抑止力にはならず、北朝鮮と同じ自滅の道を歩むことになろう。

 同じ日に報道された「教科書検定~政府の統一見解を反映」も、政府による放送支配と同様に教育支配による国民支配の意志を感じて恐ろしい。また、安倍内閣には衆議院の解散を自分たちの有利な時に実施することは憲法違反であるという自覚がない。国会議員定数削減にも消極的だし、国の政治には裁判所は口出しをしないという統治行為の法理も三権分離ではなく三権癒着の温床になっていて、誠実な政治家なら憲法改正を言うなら検討すべき問題だ。

 これらの危険な憲法解釈と憲法改正の動きがある不誠実な安部内閣には、引き返せなくなる前に退陣して欲しい。本日は、安倍政権が考えている憲法改正がなぜ危険かということを指摘した朝日テレビ「報道ステーション」(2016年3月18日)の特集「ワイマール憲法からなぜ独裁がうまれたのか」を紹介しておく。
 憲法を「緊急事態条項」から改正しようとしている危険性(動画)
 「緊急事態条項」の必要性は首相判断、必要なら法律で対応できる。(動画)

追加(2016年3月20日)
 2016年2月15日の衆議院予算委員会にて放送法4条「政治的公平」について安倍総理に重要な質問があったことを、ニュース・コメンタリー (2016年2月20日)「安倍政権が放送局への介入を躊躇しない理由が判明した」で知りましたので、引用し紹介させていただきます。
 2016年2月15日の衆院予算委員会 山尾志桜里衆院議員(動画)
 「憲法において表現の自由や信仰の自由などの『精神的自由』が、財産権や営業・契約の自由のような『経済的自由』に対して優越的地位にあると解される理由は、精神的自由が維持されていれば、仮に統治権力によって経済的自由が侵害されたとしても、われわれはその事実を知ることができ、またそれを批判したり、それを投票行動によって改めさせたりすることが可能だが、精神的自由が侵害されれば、われわれは統治権力に対してそれを改めされる機会を失うばかりか、そもそも自分たちの権利が侵害さていることを知ることさえできなくなる恐れがあるからだ。」

 民主党の山尾志桜里議員は検察庁出身で、安倍首相や首相の答弁を求めているのに、しゃしゃり出て説明する総務大臣、さらには野次を飛ばす自民党議員よりはるかに論理明快であり、これに対して日本の「地位ある人」の多くがいかに民主主義の知識的根拠が希薄かを思い知らされた。山尾志桜里議員のような人材が政界で活躍されていることを知り、私も政治に希望を持つ元気が出てきた。

 日本人は「民主主義と自由」を敗戦により与えられたが、その知識的根拠は安倍首相なみに成熟していない。これが「優しい」日本人が愚かな政治を怒らない大きな原因だと気づかせてくれた質疑であった。

初稿・更新 2016.3.20

子育て、若者そして老人! 民を大切にしない日本死ね!!!

2016-03-19 00:20:12 | 自然と人為

 「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログを安倍首相は匿名を理由に無視してお母さんたちを怒らせた。一方、NHKクローズアップ現代(2016年3月17日)は、政府の圧力で番組を去る国谷弘子キャスターの最後の放送であったが、「 未来への風~”痛み”を越える若者たち」は、「失われた20年」から動き出した若者(動画)や、地域をつなぐ新たな風(動画)を紹介し、利己主義で社会から正義を奪った大人の社会に絶望していた若い世代が、自ら考え行動を始めたことを教えてくれた。国谷弘子キャスターを失う番組制作の皆さんの前向きな抗議に敬意を贈りたい。
 NHKクローズアップ現代(2016年3月17日)「未来への風~”痛み”を越える若者たち」
 「失われた20年」から動き出した若者(動画)
 地域をつなぐ新たな風~国谷弘子キャスター最後の挨拶(動画)

 その前日(16日)、NHKニュースウオッチャー9では消費税増税問題について政府広報機関の露払いのように無批判にトップで報道していた。映像は正直である。いつも官邸に入るときの記者団?に対する敬礼はヒットラーの様で薄気味悪い”バカ殿様”を連想していたが、一瞬ではあるがノーベル賞受賞者スティグリッツ教授を招いた席に安倍首相が着席するときの態度はゴマ擦り商人のようにとても腰が低かった。それに挨拶で「アベノミクス」についてもスティグリッツ教授の評価を求めている。通訳が英訳をしたのかどうか分からないが、メディアとしては「消費税増税」よりもこの点こそ報道すべきことであろう。

 翌日17日に、報道ステーションで降板が決まっている古舘キャスターが明確にスティグリッツ教授の発言(コピー)を紹介している。「日本でも格差は確実に拡大している。法人税減やアベノミクスが目指すトリクルダウンで成功した国はない。消費税ではなく温暖化を防ぐために炭素税を導入し、炭素排出量の多い企業に高い税金をかけて企業に社会的投資を促すべきだ。また、財政出動で需要を創りだす必要もあり、子どもたちの貧困、高齢者の貧困などの対策に使うべきだ」とした。

 私のブログで「経済は金儲けのためではなく、民を救うためにある」と指摘したように、民のための政治、経済を目指すべきだと教授もズバリ指摘している。金融工学もゼロサムゲームから「世のため人のため」の経済を考え出した。経済成長と利益追求がすべての時代ではもうない。「報道ステーション」を録画していないので皆様にお知らせできないのが残念であるが、NHKとの報道姿勢の違いを際立たせていた。

 また、このブログで270年も平和で世界一の江戸の街を築いた徳川幕府の基礎をつくったのは、家康が将軍職に任じられて54年後の「明暦の大火」の復興で「民を大切にすること」を重視した保科正之の業績が大きいことも紹介している。新しい政権が出来て50年もすると腐敗が始まるものだが、3代将軍家光の腹違いの弟として生まれ、民の生活を見ながら育った保科正之を副将軍的立場に迎えたことは、徳川幕府にとっても日本にとっても幸せなことであった。

 戦後70年は高度経済成長の50年とその後の「失われた20年」と続くが、今の日本では50年もすると体制は腐敗し考え方も硬直化して、経済は「民を救うこと」ではなく成長と利益の追求を優先するためには何をしても良いと「地位ある人々」は思っているらしい。
 ことに今年の春闘で賃上げが抑えられた(動画)ことに対して、経団連榊原会長まで「賃金引き上げの勢いが継続されたことは、今後の日本経済を明るくする」と民を無視した官僚的な発言をして平然としているのは驚きだ。さらに、NHKは衆議院・参議院の委員会の国会中継に多くの時間をさいている。ここで目立つのは自民党議員が国民の代表として誠実に質問しないで、党の代表の安倍首相の説明不足を補うような質問が多いことである。こんな国会議員はいらない。自分たちの都合で国会議員の削減に抵抗したり、衆議院を勝手に解散したり、税金と時間の無駄遣いばかりする公務員はいらない。

 江戸時代も100年立つと農民を思う慈悲と幕府・藩主への忠義の両立は難しくなっていたようだ。NHK番組 英雄たちの選択「富士山大噴火 現場指揮官・復興への葛藤」は、富士山大噴火という未知の世界で、農民が土地から離れないで生きていけるように懸命に頑張ったが、現場に責任を持たない周囲から冷遇され切腹?した関東代官伊那忠順の話だ。現場を知ったものと知らないもの、マクロ経済学とミクロ経済学、いろいろ考えさせられる番組なので、皆さんにもぜひ知っていて頂きたいとここに紹介しておいた。天災を人災にしないためにも、東京一極集中ではなく首都機能の分散が必要だと思うがその話は別の機会にしよう。

 士農工商と農民は武士についだ地位に置かれているが、実際は一番下層ではないかと思っていた。しかし、鎌倉幕府は開拓農民の政権だと思えば一所懸命の農民を大切にする考え方は徳川の武家諸法度にも受け継がれ、「領主は当座のもの、百姓は末代のもの」とし、亡所(そこから離れること)は絶対だめで、農地を離れると人権を失うと言う説明に納得した。
 NHK番組 英雄たちの選択「富士山大噴火 現場指揮官・復興への葛藤」
 1707年 富士山大噴火 徳川綱吉と天変地異」
 噴火と被害 その状況と将来予測 武士と農民 幕府と藩主」
 農民を救う慈悲と幕府・藩主への忠義 関東代官伊那忠順の悩み」
 我この民を救わん 現場を大切にし民を救った伊那忠順は孤立化(切腹?)

初稿・更新 2016年3月19日