情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

全てのジャーナリスト必読の書「戦う石橋湛山」~読まずに戦争・軍備について書くべからず

2008-01-13 13:26:06 | メディア(知るための手段のあり方)
 いやぁ、先日の新特措法通過の際の心境を書いた記事がネタばれするので、本当はもう少し後で書こうかとも思ったのですが、少しでも早い方がよいかと思って紹介することにします。半藤一利さんが書いた「戦う石橋湛山」、戦前のメディア状況を取り扱ったこの本を読んでいたから、あんな文語調の文句が頭の中をぐるぐる巡ったんですね。結構、影響されやすいようでお恥ずかしい…。

 で、本論は、この書の中身です。タイトルのとおり、「満州放棄論」を唱えた石橋湛山が、戦前の好戦的メディアの中で孤軍奮闘した状況が書かれているのですが、その対比として書かれている当時の大メディア(朝日、毎日などの大新聞)の主張の変遷ぶりがすさまじい。ジャーナリスト必読の書であり、これを読まずして、戦争や軍備について書くことは対中国戦争、第二次世界大戦で亡くなった「英霊」や苦労をされた方々を冒涜することになり、「非国民」とのそしりを受けても仕方ないと思う。

 具体的に少し触れると、戦前、昭和5年(1930年)のロンドン軍縮会議までは、新聞社は軍備・対中国政策について冷静な記事を書いていた。ロンドン会議に関連して、軍備に関し政府が交渉することは統帥権に関する補弼機関である軍令部をないがしろにするものであるとする「統帥権干犯」問題が持ち上がったときも、毎日新聞(当時東京日日新聞)は、「憲政の癌といわれる軍部の不相当なる権限に向かって、真摯なる戦いの開かれんことをわれらは切望する」と軍部を「癌」呼ばわりして批判している。また、朝日新聞は、「軍令部条例のいかなる条項も、根本法たる憲法第55条の国務大臣の補弼と対抗して、当然に重要国務たるべき兵力量決定に関し、別途の意見を有しうべき理由はない」と論旨を明確にしている。

 しかし、この時、大新聞によって叩かれた軍は、新聞対策に努め、各紙は、わずか1年後の満州事変(昭和6年9月18日)においては、まったく異なる論調に走ったのである。

 実は満州事変勃発の1カ月前には、朝日、毎日、同盟通信の編集責任者が、外務省官僚らとともに陸軍の幹部らと面談し、陸軍の今後の方針について聞いていた。席上、小磯軍務局長が「満州国の独立の必要性と必然性」について述べたところ、朝日新聞の緒方編集局長は、時代錯誤も甚だしい、そんなことに今の若い者がついていくとは思えない、と反論した。1カ月前ですら、このような情勢だったのである。ところが、この緒方発言に対し、小磯は、「日本人は戦争が好きだから、火蓋を切ってしまえばアトはついてくる」と不気味な発言をした。

 ちょうどそのころ(昭和6年8月4日)、陸軍大臣南次郎大将は、陸軍軍縮を批判し、満州における武力活動をほのめかす発言をした。そのとき、新聞社は、緒方編集局長の上記発言のとおり、「軍人たる陸相の口からかくも堂々たる満蒙論を吐かせて、それで果たして政治の綱紀は乱れないものであるか」(朝日)、「国防と直接軍備とを同一視して、天下国防に関心するもの軍部のみと称するがごときは、あまりに厚い自家陶酔の殻に籠ったものである。その『国家の元凶に盲目なる』謬論はこれを是正せねばなるまい」と陸軍大臣の発言をとがめていた。

 しかし、陸軍大尉がスパイとして中国軍に捉えられ、殺害された事件が8月17日に発表されるや、新聞各紙は、論調を一変し、8月18日朝日新聞は、「支那側の日本に対する驕慢の昂じた結果であり、日本人を侮蔑し切った行動の発展的帰着的一個の新確証である」と居丈高となったうえ、9月8日には「解決は平和裏には期待されぬかもしれない」と戦争を事実上許容した。毎日新聞も「支那全く誠意なし 軍部いよいよ牢固なる決意 最後の対策をも協議」と同調した。

 この流れの中、9月18日、満州事変が勃発した。日本軍は、柳条湖付近で満鉄の線路を自ら爆破した上、これを中国軍の攻撃であるとして、対中国戦争を開始した。
 
 外務省は、現地から「事件は全く軍部の計画的行動に出たるものと想像せらる」と報告を受け、閣議では、若槻首相が陸軍に戦火を拡大しないように伝えた。

 ところが、9月19日午前の号外で、各紙は現地関東軍の発表をそのまま伝え、事件について「支那側の計画的犯行である」と書いた。その翌日には、日本は正当防衛だとの主張が各紙に展開された。

 これによって、いったんは、戦線拡大を断念した関東軍が一気に息を吹き返し、次々と戦線を拡大し、ついに昭和7年3月1日、中国東北部に満州国という傀儡政権を設立するに至った。

 では、新聞社は騙されたのか、と言えば、そうではない。現地の記者の中には、満鉄爆破は日本軍の行為だと見破っている者がいたのである。そのうちの1人、大阪毎日新聞の野中成童記者は、事変4日後の9月22日、満州に行き、10月2日に帰国した。帰国後、満州事変が日本軍によるものであることを友人に語ったことを憲兵隊が聞き及んで調査し、報告書を挙げているのである。毎日新聞社内では、「毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争」などと揶揄されたというから、新聞社内では事実がはっきり認識されていたのだろう。

 しかし、大新聞は、これら事実を無視し、ただ、関東軍の発表のみに頼って、戦線拡大を煽る記事を書き続けたのである。

 その途上、関東軍が上海で自ら中国人に金を払って中国人を暴徒化させ日本人僧侶を殺害させて、満州のことから目をそらせることまで行っているが(上海事変:昭和7年1月)、その事実が暴かれることもなかった。

 昭和7年10月2日、満州事変に関して、「日本軍の軍事行動は正当化できない」とする国際連盟のリットン調査団報告が発表されると、新聞各紙は一斉にこれに反発し、朝日は、「錯覚、曲弁、認識不足」と批判したり、イギリスやアメリカが植民地支配をしているのになぜ日本の満州における権利を否定できるのか、などと批判した。毎日は、憶測も甚だしい、ユートピアの内にいるとしか思えない、と筆を尽くして批判した。

 そして、国際連盟でのリットン報告書審議を前に、朝日新聞は、「売られる喧嘩なら買う」という代表部の談話を好意的に報道し、審議開始後の12月19日には、新聞社132社連名で、「満州国の厳然たる存立を危うくするがごとき解決案は(中略)断じて受諾するべきにあらず」とする声明を発するに至ったのである。

 この流れの中で昭和8年3月27日、日本は国際連盟を脱退した。

 ドイツでヒトラーの独裁体制が確立したのは、わずか2日前の25日、ドイツが国際連盟及びジュネーブ軍縮会議を脱退したのは10月14日であった。もし、日本が国際連盟を脱退してなければ、ヒトラーはもう少し慎重に行動せざるを得ず、場合によっては第2次世界大戦を避けることができたかもしれない…。

 連盟脱退後、陸軍は一気に満州から中国本土に兵を進めようとしたが(4月11日)、天皇がこれに対し、「関東軍に対し、その前進を中止させるよう命令を下してはどうか」と侍従武官長に伝えることでストップをかけた。

 昭和8年5月31日、日中停戦が成立し、満州事変は終了した。しかし、その中断は、新たなる対中戦争、そして対米戦争を防ぐものとはならなかった。

 …どうでしょうか。満州事変開始わずか1カ月前までは冷静な記事が書けていたのに、日本兵士がスパイ容疑で殺されたと軍が発表したことを契機に一気に論調が変わり、新聞は戦争を進めるためのプロパガンダに成り下がった。…どこかで聞いたような話ではないでしょうか。拉致事件報道、攻撃ミサイル実験報道、核(偽装?)実験報道…。

 この事実経過を全てのジャーナリストが学ぶべきであり、これを知らずして戦争、軍備について触れてほしくない。

 自分が書いているこの記事は、政府の発表に乗ったもので勇ましいが、もしかしたら、この記事によって、世論が冷静に判断することを妨げ、イラクの無辜の子どもたちが殺される現状を長引かせてしまうかもしれない、日本を攻撃の対象とさせてしまうかもしれない、無駄な軍備費を使わせてしまい真に助けを必要としている人たちを見捨てることになるかもしれない。自分の記事には、客観的な事実がどの程度入っているだろうか、単に政府の発表を書いているだけではないだろうか。自分は、いま、イラクでアフガンで何が起きているか、インド洋で何が起きているか知っているだろうか、政府はそれらの情報を公開しているだろうか。公開させるよう自分は努力しているだろうか。そもそも、9・11が起きた原因は何なのか、いま仮にアフガンやイラクでの米国の活動を停止したら、本当に「テロリスト」による攻撃が激しくなるのだろうか…。

 そういうことを考えもしないで、政府発表記事を書いているとしたら、あなたは、真の意味で「非国民」だ!

 えっ、記者も会社員だからどうにもならないって…。社内で議論をする場もあるだろうし、もっと言えば、情報を流す方法はいろいろあるでしょう。もちろん、行動には一定の危険を伴うが、職を賭す覚悟も場合によっては必要なはずです。

 半藤一利さんは言う、「言論の自由を守るとは、石橋湛山のように、命懸けにならなければ駄目ということである」と。

 せめて、この書を読んでほしい。

 そして、市民の側は、メディアががんじがらめにされているシステム(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/59df2623d2dbe2c0c3569bd9862508df)を多くの人に伝え、これを改善するよう世論を盛り上げましょう!







★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。
なお、現在、こちらで(←クリック)、350円、1000万人寄付運動を展開しています。ぜひ、ご覧のうえ、行動にしてください。バナーは、SOBAさんの提供です。ご自由にお使い下さい。手のひらに何も乗っていない猫の手には、実は、知恵、呼びかける力など賛同するパワーが乗っているということです。まさに、今回の運動にぴったりですね。
   
1月17日にはNPJ/PEOPLE’S PRESS設立記念集会を開催します。吉岡忍さんの講演など…。詳しくは上のバナーをクリックして下さい。 

 



最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ヤメ蚊先生ってば、ご謙遜。 (田仁)
2008-01-13 15:23:28
一寸読んだ位で文語調が使いこなせるなんて、頭が良い証拠じゃないですか。
ソレはさて置き、「ヤラセと戦争」と言えば!イラクの大量破壊兵器の他に、コッチも要注目の様ですよ!?将来的な意味で。
暗いニュースリンク:米マクラッチー紙報道:「北朝鮮のドル紙幣偽造」はガセネタ?!
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2008/01/wtf_1334.html#more
昨年の、ドイツ紙報道に続き、ツイに米紙が報道した模様で、是非ご一読ください。
返信する
文語調も納得 (志村建世)
2008-01-13 16:39:43
今日の解説を読んで、一昨日の文語調も納得しました。私は石橋湛山氏の首相就任祝賀会で、ご当人の講演を聞いたことがあります。総理をやってみて欲しかったと、改めて思いました。この本を読んでみます。昨今のイラク派遣法の解説を見ても、本当に必要なことが論じられていない、もどかしさを感じます。
返信する
齢… (ヤメ蚊)
2008-01-14 07:20:13
それはさておき、偽ドルの情報面白いですね。

それもさておき、石橋湛山氏が長く総理をやっていたら、日本は随分違う国になっていたでしょうね。本当に残念です。
返信する
ついでに (田仁)
2008-01-14 15:39:58
浦澤直樹の「PLUTO」も宜しくどうぞ。
日本の比較的若い層の、声なき声はコッチ側って事で、一応。
漫画に対して「プライドが…」とお思いの際は、ネタばらしになりますが、下記はウィキペディアによる解説です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/PLUTO
返信する
石橋湛山はマンチェスター・リベラリズムの系譜 (ゴンベイ)
2008-01-22 16:19:08
石橋の主張には非常に魅力を感じています。しかし、マンチェスター・リベラリズムは欧州における第一次世界大戦の発生で、この主張は敗北したとされます。第一次世界大戦後の国民国家ナショナリズムが更に隆盛していく時代、東アジアにおいて石橋の構想の実現性と説得力はいかほどのものであったのか。また、現代のネオ・リベラリズムは国家と一体化してナショナリズムを操るものに変身しており、これを打ち破れるリベラリズムと構想が可能なのかどうか。見上げる壁の高みは見えそうもない。


経済の用語辞典: マンチェスター学派
http://keizaijouhou.com/2006/03/post_2057.html
19世紀前半、マンチェスターを中心に経済的自由主義、特に自由貿易を主張した古典派経済学の一派。コブデン・ブライトなどを指導者として、穀物法に反対した。(※穀物法:穀物生産者を保護するために穀物の輸出入を制限したイギリスの法律)

マンチェスター学派リベラリズム (Manchester School Liberalism)
http://cruel.org/econthought/schools/manchester.html

佐藤清文『石橋湛山』 第二章:小日本主義、第二節:小日本主義の系譜
http://eritokyo.jp/independent/satow-ishibashitanzan7.html
返信する