自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

私の訪問した”農の哲学者”アーミッシュの村

2015-08-12 12:29:52 | 自然と人為
 私はアーミッシュのことは全く知らなかったが、アメリカのHRM協会の案内でオハイオ州のアーミッシュの村(コミュニティ)を3日程訪問し、貴重な体験をさせていただいたことがある。写真を撮ることは禁じられていると聞いたので(アーミッシュ社会内の生活で禁止されているだけかも知れないが)、写真はそーっと撮り、強烈な印象は記憶に残すことにした。あれから20年にもなるが、3日間の強力な印象を資料を引用しながら書き残しておきたい。

 私の訪問したアーミッシュの村 (クリックで拡大)

 質素な生活を良しとし、文明が幸せな生活を破壊しないように、電線を自宅に引き込むことは禁止されている。私の訪問した農家は搾乳にミルカーを使用していたが、電源は発電機(ホンダ製)を使用していた。電気を使わないのではなく、多用途に無制限に便利な電気を使わないようだ。また、緊急なときに必要な電話のために電話ボックスが道路沿いに置いてあった。
 自動車も人を遠くに運び地域の交流を疎にする恐れがあるので禁止され、馬車(バギー)が移動手段となっている。ただし、自家用車を持たないだけで、バス等は利用する。農作業も馬を使い、トラクターは固定してサイロへの牧草の吹上の動力源に使用していた。
   

 これらの理由は宗教的戒律によるものと説明されているが、私には宗教により強制された生活には見えず、むしろ傾斜地の作業はトラクターより馬車が適しているので、機械化よりも自給自足の農業で自然とともに生きる生活を重視し、近場の人と人との密な交流で地域コミュニティを守る自然と人間にやさしい合理的な生活に思えた。それは戦後10年、貧しいけど地域に温かい目を感じながら育った幼少期と同じ感触であった。皆が貧しいので子供の世界では貧しさを感じることはなかった。地域で協力して自給自足の生活をするとお金より人と人の関係が大切になり、格差も大きくならない。私はアーミッシュを宗教ではなく、アマゾンのメイナク族の人々を”森の哲学者”と呼ぶように、”農の哲学者”と呼びたい。

 農作業は5軒の農家が手伝い合い、住宅の建築も村人が協力して行う。村人は大工であり木工に優れた伝統もあるので家具調度品も立派であった。教会が権威となることを嫌い、ある意味では無教会主義で、拝礼は各家庭を持ち回りで行うために1階に集会ができる大きな部屋のある邸宅に住んでいる。野鳥観測で自然の動態を知るために、野鳥用の巣箱が半端でない大きさなのにも驚いた。質素を良しとするには理由があり、生活は豊かで、自給自足の農家がこんな広い屋敷と大きな邸宅に住んでいるとは想像できないであろう。
   
         上図右端のトウモロコシを運ぶ馬車
   
    

 学校教育も市町村が提供する公的教育ではなく、コミュニティ(村)が実施する教育を受ける。教師は村で育った未婚女性が担当する。コミュニティを幸せにする教育はコミュニティが責任を持つので、大学等の高等教育で進歩や競争を目指すことは共同体にとって有害でこそあれ、必要はないのであろう。彼らにはコミュニティ教育を終えた後、コミュニティから出て自由奔放に生きる時期が許されている。その後にコミュニティに帰るか出て行くかは各自の判断で決めるが、放蕩したものは帰り、本などの情報で新しい世界を知ったものは出て行くそうだ。放蕩で欲望を開放すると、愛情にあふれるコミュニティの生活を経験していると、さらに欲望を求めるようにはならないらしい。コミュニティに帰る若者とコミュニティから出て行く若者のどちらに関心が向けられるかは人それぞれであろうが、コミュニティに残る若者の方が多く、アーミッシュの人口は増加しているそうだ。そして、洗礼を受けてキリスト教徒の大人になる。
 アーミッシュの教育と生活を考えると、我々の公的教育は戦前は軍国主義教育、そして今も若い人の文明の自己家畜化に積極的に貢献しているように思える。

   
              アーミッシュの学校

 葬儀に参列するアーミッシュの少女ら
アーミッシュの銃撃事件と赦し 
 これは2006年の事件だが、犯人が銃を持って学校に押し入り人質とされたとき、最年長13歳の少女マリアンは年下の子供たちを守ろうと立ち上がり、「私を最初に撃って」と言ったという。
 参考:赦(ゆるし)のもたらす癒(いやし)の力 アーミッシュの赦し
        
 村で必要な農機具等の資材は頻繁に開催される市場で取引され、必要なものを村で交換する役割りがあるので中古品が多いのも特徴だ。ニワトリも1羽単位で売っていたのには驚いた。
 1960年代にイブ・サンローランのパンタロンは自由で独立した女性のユニホームとなったが、アーミッシュは質素な服装で男性は結婚したらあご髭を生やすなど決まりがあり、我々のように個人の個性を競うことはない。
   
   
 酪農を30頭規模で飼育し優秀な農家とされる方に、「これからどうされますか?規模を拡大しますか?」と聞いたら、牛ではなくて酪農家を増やすと即答された。私たちは共同体の幸福よりも個人の幸福を考えることが普通だと思っているが、何事も村の共同体を大切にすることを第一に考えて、300年も暮らしている人達がいる。これは共同体を大切にする自給自足の暮らしが300年も維持できる証であろう。

 自然に依存し、あるいは文明を拒否して生きている人々のことは、我々の世界とは違った世界にいるという程度の印象かもしれないが、我々は自然がなければ生きていけないし、人と人の絆がなくて幸せになれない。その自然と人との関係について、我々はそれぞれの人々が置かれた文明の環境にどっぷり身を任せて、競争的な自己責任を求められ、文明の自己家畜化をしながら生きている。アーミッシュの生活は300年の歴史で守られてきたが、我々も自己は他者によって生かされ、他者を愛することで幸せになれるということが生活の常識となれば、もっと多くの人が幸福になれると思う。

参考: 
動画解説:雨藤敦司(USOYAJI)の解説:アメリカのアーミッシュ事情
       町山智浩 コラムの花道:
       宗教集団「アーミッシュ」の実態を詳細解説
ブログ:アーミッシュの生活をご存知ですか?
     アメリカ人とアーミッシュ アーミッシュの人々から学ぶこと
     アーミッシュ村を訪問して 
     門徒とアーミッシュ 浄土と仏を考える
     アーミッシュの伝統的農業の維持に関する研究

初稿 2015年8月12日 2015年8月14日 更新(サンデーモーニング引用追加)

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