自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

YouTubeの著作権とは? 放送で公表したものは共有財産!

2016-11-29 21:34:23 | 自然と人為

 テレビ番組から得られた情報を皆様と共有して一緒に考える材料にしたいと思い、テレビ画面をビデオ撮影してYouTubeに登録していた。良い番組だと思って登録しても、著作権の問題があり「全国でブロックされました」と警告があることがある。どこが著作権なのかなと思い、著名人が原爆資料館を訪問している場面をカットして再登録てきたこともある。手間がかかるが、テレビ番組をYouTubeに残しておくことは、広く時間と場所を越えて多くの人が番組を共有できることである。それにテレビ放送の影響は大きいので、何をどう放送したのかをいつでも誰でも検証できる方法をテレビ局は提供する義務がある。容易に過去の番組を見れる方法を提供していただければ、視聴者が手間をかけて拡散する必要はない。

 フェイスブックに登録している「牛が拓いた斉藤晶牧場」(動画)は、このブログの原点となっている牧場で、関係協会の了解をえてYouTubeに登録していたが、「著作権侵害に関する第三者通報が複数寄せられたため削除」された。この動画に第三者通報が複数寄せられたとは考えられない。このとき、サンデーモーニング 「風をよむ」の登録は全て削除された。多分、「サンデーモーニング」と「反日」で検索できるブログは多いので、その人たちのクレームによって削除されたのではないか、と私は思っている。安倍政権は意向に沿わないメディアに圧力をかけているので、その支持者の中には特定の国を敵国と思うことが愛国で、平和を語ることは売国だと思う人がいて、サンデーモーニングの番組削除を正義だと思っているのかもしれない。最近のサンデーモーニングは、論者や論点の鋭さがなくなり気になるところではあるが  それはともかくとして、著作権の誤解を与えないためにも、サンデーモーニング 「風をよむ」のコーナーにタイトルだけではなく、録画も掲載して欲しいと要望しておいた。

 著作権、知的財産権については、生命科学分野の有用なデータベースやツールの使い方を動画で紹介するウェブサイト『統合TV』で、 シンポジウム「科学における情報の上手な権利化と共有化」 プログラム>が公開されている。

 7年前の2009年に開催されたこのシンポジウムの趣旨について、高木利久氏(バイオサイエンスデータベースセンター長(東京大学教授,国立遺伝学研究所)が、これまでの科学が仮説を実験や観察で確認する方法(仮説駆動型)から、爆発する現実のデータから仮説を構築するデータ駆動型になっているので、データ共有、統合化、活用の基盤整備が不可欠であることを簡潔に話されている。例として、コンピュータの発達により遺伝子の塩基配列のデータが爆発的に増え人工知能の発達と相伴って、医薬品の開発法の著しい技術革新が進んでいることから著作権の考え方の変化を説明されている。このことは農業分野においても「農学栄えて農業滅ぶ」と古くから揶揄されてきたように、農業の進歩は仮説駆動型で実験室の研究結果を現場に普及することだと信じて疑っていないが、もともと人間が営む農業の現場に情報(データ)があり、そのデータを共有して農業のあり方を考えようと30年前に設立した畜産システム研究会の趣旨とも一致している。

 また、このシンポジウムは「デジタル化時代における著作権」の世界的権威であるハーバード大学ローレンス・レッシグ教授の来日を記念して開催されたが、同氏は古い時代の著作権(象)が今もいることに誰も気が付かないことを、「部屋にいる像は忘れられてしまいがち」と表現している。また、同氏は今年(2016年)の大統領選に「皆で共和国本来の国民の力を取り戻す(動画)ために、選挙資金や選挙権などの政治改革を!」と立候補している。学問の場だけではなく現実の問題を提起され行動されている学者でもある。
参考: ローレンス・レッシグ:法が創造性を圧迫する, 719夜『コモンズ』ローレンス・レッシグ

 著作権は人類の知識の拡大のために本来は共有すべきものであり、デジタル技術が発達した現代では公表したものは共有財産のように公開を原則にするべきだが、部屋に古い象がいても誰も気がつかないように、技術の遅れた時代の習慣がお金で動く時代に当然の権利のように振舞っている。知的財産の保護と活用を国家目標にしたのは、「2002年小泉首相の提言」に始まっているが、「情報の共有と独占について」どうバランスをとっていくのか、発明の保護、著作物の保護、秘密の保護のような特定の切り口から問題にされる必要がある。   一例として、国家戦略としてEUでは政府資金に基づく委託研究の研究成果は国に吸い上げて世界の共有財産とする方向だが、日本政府はこれに消極的だ。共有と独占をどうバランスするかは、何を重視するかで決まってくる。日本は情報をお金だと信じ過ぎてはいないか?

 テレビ番組で放送された報道番組では個人情報保護については公開の段階で解決されているはずで、視聴者がこれを拡散するのを禁止する理由はない。ことに問題提起して、どう考えるべきかを報道する「サンデーモーニング”風をよむ”」は、多くの方に議論を呼びかけることが目的なので、著作権保護よりも著作権放棄の問題だと、私は思う。「YouTube」は情報の拡散をビジネスとしているのだから、著作権の問題はプロとしてもっと厳しく対応して欲しいと思う。

初稿 2016.11.29 更新 2019.10.10


鎖国から幕末へ~「人間の生きる規範」を示す武士団は?

2016-11-26 17:53:58 | 自然と人為

BS歴史館 奇兵隊150年(動画)
 そして幕末、武装集団でなくなった武士団は「人間の生きる規範」を示す武士団に成長していただろうか?
 高杉晋作は武装集団の機能を失った武士の正規軍に対して、尊皇攘夷の為に平民からなる「奇兵隊」を1863年に結成した。1853年にペリーが来航して10年後のことである。

 幕末の高杉晋作を知らない人はいないが、奇兵隊を「民衆に優しい軍隊」にする理想を持った赤禰武人のことを多くの人は知らない。
 「君らは赤禰にだまされている!そもそも武人は土民だ!この晋作は毛利家300年来の君臣!武人などと比べるな!」
 長州藩が内戦に陥るのを食い止めようとした赤禰武人に対して、攘夷の決起あるのみと考えていた高杉晋作はこう言い放ち、無謀と思える戦いに勝利した。裏切り者として処刑された赤禰武人は「真誠似偽 偽即似真」と無念の言葉を残している。
 今の時代でも、「いずれが正しいか」ではなく暴力(多数の力)が理論を征して、勝ったものが正義派として記憶される。だから暴力(武力)が大切だと主張するのは、個人よりは国の権力を尊び、自己も他者も大切にしない人だ、と私は思う。

 保科正之の示した「人間の生きる規範」の武士団は、平和な徳川幕府の下で特権意識のみ増長した武士団に育っただけではないのか? 尊皇攘夷による明治維新という革命は、意識革命ではなく、日本が長い伝統のある選ばれた国であるというエリート意識を増長させて、アジアへの侵略を聖戦とした戦争(動画)につながって行った、と私は思う。
 保科正之のことが世間に知られていないのも、明治政府の国民を大切にしない富国強兵の排外的な国粋エリート主義と会津藩に対する憎しみがあったのだ、と私は思う。
 先の大戦中に鬼畜米英と国民を恐れさせ、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名おめいを残すこと勿なかれ」(戦陣訓 東条英樹 第8 名を惜しむ)と、「捕虜になるよりは自決せよ」と迫った経験があるが、この考えは今でも他国を敵と思う人を「愛国者」と言い、平和を求める人を売国奴と軽蔑する人達の心に残っている、と私は思う。

 1858年に安政五カ国条約が締結されている。このような状況で攘夷を叫ぶのは、外交問題で国内の不安や不満を煽り、暴力的倒幕運動に仕向ける行為に過ぎない。英国のEU離脱、アメリカのトランプ現象には国民の政治への不満があり、国民は投票権を行使することで不満を爆発させた。幕末には戦闘能力をなくした権力に対して「奇兵隊」という暴力装置で倒幕し、倒幕後は「国民皆兵」で国家権力を強化した。長州出身の安倍首相は「奇兵隊」が好きなようだが、大企業中心のTPPに熱心で国民を大切にする政権とはとても思えない。
 明治政府は個人として尊敬されるよりは、国の威を借りて尊敬される日本人を愛した。靖国神社然り、叙勲も然りで、国家を愛する「美しい国」を誇り、国民を愛していない政権が唯我独尊で闊歩している。エマニュエル・トッドは日本の家社会の問題を指摘しているが、今も国民主権の憲法の基本さえも理解しようとしない「意識革命が必要な国」だ、と私も思う。

 長州藩の長井雅楽は、1861年に「航海遠略策」を提唱して藩論として一旦は採用されたが、攘夷派の反発によって藩論が逆転して切腹に追いやられている。理論よりも暴力が勝つ幕末がここにもある。

 坂本龍馬の暗殺の真の背景も我々は知らないが、龍馬が船中八策を説き、徳川慶喜が朝廷に大政奉還の上奏文を提出したのが1867年11月9日、その直後の1867年11月15日に坂本龍馬は暗殺されている。何故、暗殺しなければならなかったのか? 権力者として残った者たちが真相を明らかにしないのは、権力者側に秘密にしたい問題があるからだろう。アメリカのケネディ大統領暗殺事件も、我々から見れば真相は闇の中だ。アメリカの産軍複合体の政治力が批判されることはあまりないが、ビジネスというものはことの善悪よりも利益の追求に走るものだ。 幕末のトマス・グラバー (上)(下) (三菱の人ゆかりの人)は、日本の内戦の激化を予測して、アメリカの南北戦争で使用された武器を大量に購入して備えていたが、江戸城無血開城により破産してしまった。しかし、維新後明治政府と三菱との関係で重宝されて日本で生き抜いた。これは日本の産軍複合体誕生の芽とも考えられよう。

 1776年に英国から独立した13州の合衆国(星条旗に紅白13本の横縞)のアメリカ独立宣言のことはよく知られている。合衆国であるから各州ごとに大統領を選出する代理人を選出する選挙法が今でも採用され、投票総数ではヒラリーが多かったにもかかわらず、トランプ(動画)が勝利したと言われている。トランプはメキシコ国境の壁をメキシコに作らすと言っているが、カリフォルニアはメキシコ戦争(1846~48年)でメキシコから奪い取ったものだ。そこに金鉱が見つかって「ゴールドラッシュ」が起きる。マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)「デモクラシーを広めていくのは明白な天命」という考え方は、アメリカ原住民を虐殺し、太平洋を越えて(実際には南アフリカのケープ・タウン経由で)1853年にペリーが来航することになる。

 今でも欧米には白人至上主義の人が多いが、日本への開国の要求は「日本における薪水食料の供給や遭難者の救助」が主たる名目であった。日米交流の歴史については「通商条約と内政混乱」等の詳しい解説があるが、今では日米同盟を最高の絆と考える政権があるのを考えると、何故、幕末に不平等条約等と騒いで倒幕し、理想ある人たちを死に追いやり、その名誉も回復しないで、保科正之の”経世済民”を無視した明治政府を「文明開化」と高く評価するのだろう。

 今の政治は経済のグローバル化ばかり考えて、国民のこと、地方のこと、自然のことを無視している。TPPには熱心だが、地球温暖化防止のパリ協定には無関心で、核兵器禁止条約の制定には反対した。TPPは関税の問題だけではない。大企業が輸出を増加させたい都合で、それぞれの国の制度や法律を変えさせることまで含まれている。食の安全が守れないTPPが日本の経済成長に欠かせないと、政府は新自由主義に盲目的服従だ。しかし、TPPは政治的には中国敵視政策の包囲網であり、経済活動の拡大には東アジア地域包括的経済連携(RCEP)もある。何故、隣国を大切にしない?

 「人間失格」の太宰治も「人間万歳」の武者小路実篤も同じ人間だ!失格か万歳かの違いはあるが、どちらも人間のことを考えている。文学だから人間を考えて、政治は人間のことを考えなくて良いとは決して言えまい。人間のことを考えないで利益の追求を最優先にする政治は、保科正之の”経世済民”の対極にあり断じて許せない。そんな政権の支持率が落ちないのは、トランプ現象のアメリカ国民の不満を伝えなかったメディアと同じで、日本のメディアにも大きな問題がある。
 人間や現実を考えないで、新自由主義という経済理論を現実だと思うように訓練されたエリート集団(浜田宏一(4)「経済は分かっているかもしれないが、経済学を分からないでしゃべっておられる」)が、学者も政治も報道も支配している。トランプが大統領選に勝利して以来、トランプが大統領になることでTPPが破綻するのは困ったことだと、TPP賛成の大合唱を始めている。物事には様々な視点があり、TPPにも問題点が多い。政治には観客席はないのに、政治を諦めた人たちをスタジオに集めて、タレントと言われる人たちと無責任にバカ騒ぎをさせている。これでは戦時中に「勝った。勝った。」と国民を煽ったメディアと同じではないか。政治とメディアに国民を大切にする視点が欲しいものだ。

初稿 2016.11.26



”経世済民”で世界に誇れる日本のリーダー・保科正之(3代将軍家光の異母弟)

2016-11-20 16:32:42 | 自然と人為

 BS歴史館 今いてほしい!?日本を変えたリーダーたち②
 会津藩主・保科正之~知られざる名君”安心の世”を創る~(動画)

 もしも名君 保科正之公がいなかったら、徳川幕府は4代家綱で危なかったかも? それだけでなく、日本人の体質が変わっていたかも? と言われる程、リーダーによって歴史が変わるだけでなく、集団の体質までも変わる。1611年生まれの保科正之は、1631年に高遠藩3万石、1636年に山形藩20万石、1643年には会津藩23万石藩主となるが、会津藩では「餓死者が出るのは、政治の責任」として藩が米を備蓄して凶作や飢饉に備える「社倉制度」や、誰でも無料で医者に診てもらえる制度を実施し、90歳以上の老人には「養老扶持」として掛け金なしの生涯年金を支給した。
 そして幕府の副将軍格として1657年の明暦の大火により失った民の命と消失した町の復興のために、「両国橋は架けるが、天守閣は再建しない」ことに象徴されるように、藩や幕府は民によって支えられていることを深く知る保科正之は、本心から民のことを考えた。リーダーが正直だから民も正直になり、善政を敷くから民も善人になる。

 保科正之を理解するには、徳川家康から知っておくのが良いと思う。徳川家康は織田信長、豊臣秀吉を経て内戦を終結させたが、その過程で豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)の後、「三河、遠州、駿河、甲斐、信濃から関東への国替え」という地政学的な戦略を選択した。
 また、戦国の世では勝者と敗者の複雑な人間関係が生まれ、それを治めていくことが内戦のない平和な時代を築いていくためには必須であった。この2点が徳川家康の特徴であるとともに、保科正之の誕生と成長にも大きく影響していると思う。江戸への国替えの状況については今後の研究の進展を待ちたいが、明暦の大火で10万人の死者が出たとされていることからすれば、何もない湿地帯と伝えられているイメージよりは伊達の仙台に匹敵する活発な町ではなかったかと思う。
 
 戦国時代、敗者の男の子は処分されたが、女の子は生き延びて女の社会で政治にも影響を与えている。今の時代も男は仕事だと大きな顔をしているが、男を支えているのは女であり、その男の時代も終わりつつあるように思うが・・・。信長の妹、お市の方の娘、お茶々、お江、お初の3姉妹は有名だが、男尊女卑の日本においても権力者の娘はその子供を通して立場が尊重されたようだ。政略結婚等で複雑に絡み合った人間模様の中で、女性はそれぞれの資質を活かして政治の裏方の仕事をしていた。世界に誇れる日本のリーダー・保科正之が生まれ育ったのも、素晴らしい日本の女性達がいたからだと思う。

 徳川家康は20人以上もいた妻・側室から生涯で11男5女の子宝であった。家康の最初の正室・築山殿は今川義元の姪っ子で長男・信康とともに、信康の正室・徳姫の父・織田信長から謀反の疑いがかけられ処分されている。次男秀康は秀吉の養子(人質)に出されていたが、お茶々に子が出来たので関東の結城家に養子に出され、関ヶ原の戦いの後に家康によって越前国(今の福井県)に68万石の領地を与えられている。3男秀忠は家康の側室・西郷局の子であるが、母は28歳の若さで亡くなっているので、大乳母殿を実質的に母と慕って育ったと思う。

 保科正之の実母お静は、その秀忠の乳母の下女であった。お静の父は北条氏直の家臣/神尾伊予栄加であったが、秀吉の小田原攻めで敗れたため、浪人して一家が江戸に出ていたとされている。なお、北条氏直は小田原北条家最後の当主であり、徳川家康の娘・督姫は氏直に嫁いでいる。戦国時代の複雑な親戚関係の中で、秀忠は自分の乳母に仕えていた侍女の、目鼻立ちが整い、しかも非常に利発なお静に心を許し寵愛した。お静は懐妊するが嫉妬深い正室お江を怖れて大奥を下り、兄の神尾嘉右衛門の家で最初の子を堕胎する。しかし、秀忠は、お静のことを忘れられず再び大奥に呼び戻し、お静は再び秀忠の子を懐妊する。これも堕胎しようとしたが、「将軍様の御子を再度まで水と成し奉り候儀天罰恐ろし義」と弟の神尾才兵衛が大反対し、一族に累が及んでも、出産させることにし、その日の夜、姉婿/竹村助兵衛次俊 (神田白銀丁) 宅(貸家)に身を寄せた、とされている。

 一方、武田信玄の次女、見性院は家康に保護されて江戸城比丘尼屋敷に住まいを与えられていたが、見性院の姉は北条氏直の父、北条氏政の正妻であったことから大奥ではお静と交流があったと思われる。お静の再度の懐妊を知った見性院は妹/信松尼を呼び寄せ、家臣/有泉五兵衛夫婦を世話役として派遣し、胎児が安定するまで養生の世話役をさせる。将軍秀忠の4男として生まれた幸松(後の保科正之)は、姉婿/竹村助兵衛次俊 (神田白銀丁) 宅(貸家)よりも、この信松尼が八王子に建てた庵で生まれたと考える方が妥当だと思う。
 信松尼のもとで実母と共に育てられた幸松が3歳になると、見性院がお静とともに江戸城に引き取り、7歳になるとお静とともに高遠の保科正光に預けた。(7歳までの幸松の育ち方は、いろいろな解説からの推定だが、どのような方法にせよ見性院の世話は得ていたと思われる。)
 参考: 伊奈高遠の地が育てた 名君 保科正之 (拡大)
      武田信玄の娘に孫を託した家康の思惑
      会津藩祖保科正之と見性院(詳細)
      会津保科家の誕生は「見性院」のおかげ 
      特集 見性院
      見性院 - 会津への夢街道
      浄光院お静の生涯と保科正之
      歴史の不思議 見性院・お静の方・保科正之公


 幸松が7歳になると武田の忠臣「保科正光」の養子とされたため、実母お静もそれに伴って信濃の高遠城に移り住み、幸松を育てた。
 実母お静も見性院も欲のない女性であった。そのような他者に優しい女性に育てられたこと、天下の将軍でありながら本妻の怒りを恐れて認知をしなかった当時としては大変に誠実で思慮深い父を持つこと、家康の孫に産まれながら家臣に徹したこと、才能に優れ江戸城外で育ったこと等が「保科正之」を育てた、と私は思う。ことに高遠で農家の生活を身近に見ながら、多くの人々の声を聞きながら育ったことが、世界に誇れる「民を大切にし、民の安心の世」を創る”経世済民”のリーダーを生んだと思う。
 参考: 1) 保科正之公の略歴
      2) 保科正之(1)その生涯
      3) 歴史今昔・今なぜ保科正之公か! 高遠町歴史博物館 北原紀孝館長(2009)
      4) 将軍・徳川秀忠の影の女に徹したお静の方


 アイデアは固定観念からちょっとずれたところにある。あんまりずれ過ぎると、皆は採用しない。ちょっとずれたところにあるので、その考えはいろいろな面に影響を与えて一石二鳥、三鳥、四鳥にもなる。
 保科正之のアイデアは、藩の財政を支えている農民を大切にすることことを本気で考えることから生まれていた。鎌倉時代以来、武士は与えられた土地を一所懸命に守ることにより成立していた。しかし、会津藩主・保科正之は、それまで領主から土地を与える知行制から蔵米制に変更した。それは譜代を重要視した当時の常識に反する違法行為のようなのだったが、武士はこれに従い、能力によって仕事が与えられ、仕事も評価されるようになった。武断政治から文治政治へ、保科正之は時代を大きく変えた。「戦う集団」の武士から「人間の生きる規範」を示す武士への変化は、それまでの固定観念を大きくずらすものであったが、その変化は時代の要請でもあったと言えよう。
 参考: 近世の武士と知行
      会津藩の俸禄制度
      会津の歴史 江戸時代


家光と保科正之との関係
 3代将軍家光は乳母、「春日局」に育てられ、両親(秀忠・お江夫妻)は育てた忠長を愛したことから後継者争いが生まれたが、家康の裁定で長男家光が将軍となる。このことで家光は家康を尊敬した政治に力を入れ、家臣に徹した保科正之を信頼するようになる。保科正之は明暦の大火の際や後の復興に顕著な功績を上げているが、高遠城主となり江戸城に参内するのは21歳(1832年)であり、鎖国等の対外政策は家康を尊敬する家光とその重臣により進められたと思う。
南蛮貿易鎖国
 1549年のザビエルの来日以来、西日本ではキリスト教が拡がり、また宣教師のもたらすポルトガルとの南蛮貿易の利益もあって、特に西日本にキリシタン大名が出現した。「霊魂と胡椒」と言われたように、ポルトガルやスペインの東洋進出では宣教師の布教と南蛮貿易の利益は一体であった。
 1616年、家康が死去すると、その後の幕府はキリスト教禁制と貿易統制の強化を結びつけた鎖国政策に急速に進め、同年に貿易港を平戸と長崎に限定した。さらに1624年にはスペイン船の来航を禁止した。なお、イギリスは1623年にオランダとの東南アジアでのアンボイナ事件で衝突して敗れたため、日本貿易からも撤退し、インド経営に専念するようになっていた。島原の乱を1638年に幕府が鎮圧した後(1639年)にポルトガル船の来航を禁止した最後の第5次鎖国令が布告されている。

 そして幕末、武装集団でなくなった武士団は「人間の生きる規範」を示す武士団に成長していただろうか?
BS歴史館 奇兵隊150年(動画)

初稿 2016.11.20

グローバル化の終焉と経世済民

2016-11-17 23:09:10 | 自然と人為
エマニュエル・トッド 混迷の世界を読み解く(動画)

 エマニュエル・トッドは今の時代をこう説明しています。「今、世界は非常に重要な時期にさしかかっています。グローバル化の夢が終わろうとしているのです。もはや、経済のことばかり強迫観念のように考えるときは、過ぎ去ろうとしています。国家も経済だけにとらわれず、もっと重要なことに目を向ける時代を迎えることでしょう。」
   

 「グローバリズムの理想は、世界中の人々が皆平等になることでした。だが実際にグローバル化がもたらしたのは、社会の分断と格差の拡大でした。昔マルクスは「万国の労働者よ団結せよ」と言いましたが、団結したのはエリートでした。だからそれに対抗して、もっと国という枠組みを意識する必要があります。エリートと大衆の断絶をなくし、同じ国の仲間だという意識を持って、ひとつにまとまるべきです。「国という単位でまとまろう」と主張する私が、日本に対して言えるのはここまでです。あとは日本が決めること。」
   

 「中国はGDPにおける設備投資の割合が極端に高く、個人消費が低い。にも拘らず資本を国外に出そうとしている。これは異常なことです。中国は賃金が低いから、アメリカ、EU、日本が進出した。その結果、各国の賃金も引き下げ消費が抑えられ、中国製品の需要も減少するという悪循環がある。」
 中国は国策として設備投資をしているが、資産家の資本や大学出のエリートが国内の充実に回るのではなく、海外に流出している。
   

 エマニュエル・トッドはアメリカは大卒以上のエリート層と中退した中間層に意識の分断があると言う。日本も1960年代以降に大学進学率が急速に増加し、アメリカと同等の大卒以上のエリート層がいる時代になったが、アメリカは「入るは容易で、出るは難しい」と聞くように中退者が多いことが、分断を生むのかもしれない。
 中国の資本とエリートは国内を充実させることなく海外に出てしまうだけでなく、人口増に歯止めをかけるために不自然な一人っ子政策を国策としたことで、急速な老人社会を迎える可能性があると私は考えるが、トッドは国内問題で中国が崩壊することを心配している。
 日本は少子高齢化社会を迎えている。物質的欲望はコマーシャルで生まれるが、これからはお金で買いたい物への欲望から生まれる不満よりも、お金では買えない幸福を求める時代だ。中国の崩壊は世界を混乱に陥らせるので、軍事的中国脅威論に怯えることなく、お互いに協力し合い悩みを共有して、ともに平和に暮らしたいものだ。
   
   

 日本の政治は輸出力の増加による経済成長を強迫観念のように追い、アメリカの先導に従っているのかと思っていたTPP(多国籍企業によるルール)で国の枠組みを壊す政治を日本が率先して推進している。そのことで格差が拡大しても、それは政治の責任ではなく「競争による自己責任」だとしているかのようだ。トランプの「アメリカ第一主義」も困ったことだが、国内のことを考えない安倍政権も酷いものだ。日本の政治も2代目、3代目と世襲になると、世間から離れた生活と人間関係で、北朝鮮と同じように国民よりも自分たちの権力維持に熱心になるようだ。
 しかし、現場の生活や仕事よりも「限界がある理論」を架空ではなく現実だと認識する訓練を受けたエリート集団が、日本でも現場や地方を崩壊させている。「核や軍事による抑止力」という考え方も、他国との関係を客観的事実では説明できない架空の理屈であり、他国の軍事的脅威を煽れば煽るほど、他国を脅威と思う固定観念が多くの人に身につくものだ。「抑止力」は国民を守るものではなく、いずれの国でもその国の権力者を守るために使われる言葉だ。経済学も然り、農学も然り。現実よりも架空の理論で現場を破壊し続けて、さらに次世代を育てる時代ではもうない!
 参考: 岩上安身氏と孫崎亨氏が語り合うトランプ勝利後の世界と日本

 このブログで「マジですごい仕事をしたスティーブ・ジョブズ」について紹介した。YouTubeで紹介した録画が削除されたのは残念だが、どうも最近、著作権を口実に多くのYouTubeの動画が削除されている。こんな危険な時代を許していては、「ものが言えない時代」になってしまう。専門家ではない我々が、ネットで録画をもとに議論できる時代を真剣に守らねばならない。
 ジョブズの仕事を我々はどう受け止めれば良いのか、と考えていたら、政治、経済、社会の諸々のことが脳裏を駆け巡り、まとめようが無くなり、老化現象も手伝って、締めくくりの部分を何回も書き直すことになった。まだモヤモヤしているが、政治が独裁色を強め、若い世代に殺傷事件が広がり、高齢者の自動車事故が多くなっている現代の問題を、「自然と他者を忘れた自己中心の固定観念」と考えて見た。

 アダムスミスは「真の幸福は心が平静であることだと信じ、人間が真の幸福を得るためには、それほど多くのものを必要としない」(堂目卓生著「アダムスミス」)と考えた。アマゾンの先住民やアメリカに住むアーミッシュの人々の「幸福」を我々の多くは理解しようとしない。彼らは人間が自然の一員であるという原点を守り続けているが、我々は文明の進歩した現代人としての自惚れにより人間が社会的動物であることを忘れ、目の先の利便性を追う「自然と他者を忘れた自己中心の固定観念が生む孤立と欲求不満の時代」と、私は感じている。

 江戸時代は利益を追求する「経済」はなかった。政治も経済も「経世済民」、「世を済(おさめ)民を救う」ことであった。
 世界に誇れる「経世済民」のリーダー・保科正之は家康、秀忠、家光の3代にして、家康の孫として生まれた。60年日米安保条約の岸信介の孫である安倍晋三との違いを考えながら、幕末、明治から日米開戦を経て今日に至る過程で、日本人が尊敬するものの考え方や政治はどう変わったのか、エマニュエル・トッドに啓発されて、私なりに次回から考えてみたい。
 BS歴史館 今いてほしい!?日本を変えたリーダーたち②
 会津藩主・保科正之~知られざる名君”安心の世”を創る~(動画)


初稿 2016.11.17 更新(動画)2020.09.30

エマニュエル・トッド 混迷の世界を読み解く

2016-11-13 21:11:38 | 自然と人為
エマニュエル・トッド 混迷の世界を読み解く(動画)

 このブログではTV報道番組を中心に「自然とデザイン(人間の言動の意図)」の関係について考え方を紹介して来た。権限を持つ人は自然と他者に責任を持ち、権威がある人とは、そのことで尊敬を受ける人のことだと思う。しかしある日、突然それらの番組が削除されYoutubeに接続できなくなっていた。メディアは国民に情報を伝える重要な社会的責任があるが、報道番組の紹介を著作権で拒否するとは、物騒で嫌な時代になったものだ。番組の紹介を拒否するなら、メディアは放送した番組に責任を持ち、その番組をいつでも国民が見れるようにする方法を準備しているのだろうか。

 Youtubeに登録するときは、番組によっては全国でブロックされたと警告される。著作権が理由なら公開を拒否すれば良いだけだ。一旦登録を受け付けながら、私にとっては思索のコレクションでもある番組登録を検閲で削除して、私にも見れなくする権限が何処にあるのだろう。新自由主義経済の下では、権限を持つ者は何をしても許されるということだろうか?

 いずれにしてもYoutubeで番組紹介や私にとっての番組コレクションもできなくなってしまった。今後の方法は考えるとして、とりあえずはネットに公開されている動画を紹介しながら、一人でも多くの皆さんと一緒に考え続けたいと思う。物事には様々な見方、考え方があるが、今回紹介するフランスの学者エマニュエル・トッドは、「グローバル化」や「経済成長」の問題に新しい視点と価値観を与えてくれる。私にとっては、貴重な思索との出会いの番組である。

エマニュエル・トッド氏 2009.10.19(動画)
エマニュエル・トッド氏講演 1 (動画)
エマニュエル・トッド氏講演‐2 (動画)
エマニュエル・トッド氏講演 3 (動画)
エマニュエル・トッド氏講演 4(動画)
世界経済危機とアメリカ帝国の崩壊/対談(動画)
日時:2009年10月20日(火),15:00〜17:50
会場:京都大学人間環境学研究科棟・地階・大会議室(吉田南キャンパス)
エマニュエル・トッド氏を囲む会 2011.9.6(動画)

記事:
フランス最大の知性エマニュエル・トッド独占インタビュー「最も愚かなのは、私たちフランス人だ!」
EU離脱を予言したエマニュエル・トッドが語る「『国家への回帰』はなぜ生まれたか」
仏学者エマニュエル・トッドの予言「世界と日本はどうなる?」

経済成長・資本主義の終焉
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『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫さんトークイベント!(動画)

初稿 2016.11.13 更新 2016.11.14