自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

人間として最期まで尊重し合って生きたい

2015-12-23 13:27:21 | 自然と人為

 認知症で町を歩き回るのは、頭がボケたからと一般に認識されているが、本人は本人なりにその場とその時に応じて一生懸命に生きていると思う。NHK 認知症革命「第1回 ついに分かった! 予防への道」(動画)は、意識や行動を脳の神経ネットワークで説明した統合情報理論(動画)が、認知症にも応用されていることを示している。認知症も意見の違いも「脳内ネットワーク」の違いを想像すれば、認知症という言葉が固定観念からくる差別意識であり、意見の違いで争うことも安倍内閣が他者の意見を聞く気がない独裁的な政治認知症と同じで、次元は同じことに気がつくであろう。


脳内ネットワークと認知症(動画)


認知症予防運動プログラム(動画)

参考: NHK 認知症革命 第2回 最後まで、その人らしく(動画)
    NHK「 認知症予防運動プログラム」 (動画)
    NHK「広がる地域の集い~認知症カフェと交流会」(動画)
    NHK「認知症の人 自身の思い」(動画)

 スポーツに熱中することは身体を鍛えると同時に脳を鍛えることであることをラグビーやテニスから教わった。歩くことが健康の基本であることは分かっているが、歩くのが不自由な私はどうすれば認知症を予防できるのだろうか。少し心配だが薬も利用できるようになるらしいので、せめて軽度のボケで留まるよう良い方法を見つけたい。

 人間は独りでは生きていけない。お互いに尊重しながら生きていくには共同体が大きくて、しかもバラバラになり、孤独な個人が増えすぎた。便利さと快適さを求めて、どんどん文明の家畜化になることを進歩だと信じる人々には、自然を大切にして質素に暮らし、共同体を大切に守るアーミッシュの人々のことを敬意を持って知って欲しい。
 キリスト教には馴染めないかもしれないが、自然を大切にする点では仏教も同じだ。

 今日は戦争を悔やみ平和を最も大切にされている天皇の誕生日だ。「天皇陛下、万歳!」とバンザイしたがる安倍政権は、天皇は誕生日に何を語るのか?と危機感を抱いているという。戦争放棄の憲法を持ちながら、これを変えようとしている政治家や官僚等の憲法違反の犯罪者グループが堂々と政権を握ってる。一人の国民としてはいろいろな考え方も許されるだろう。しかし、聖徳太子の時代は憲法十七条が為政者の規範(動画)であった。現代では憲法を守ることは政治家、官僚等の公務員の義務だ。徳川時代は脱藩して勤王の志士となったが、憲法を変えたいなら公務員を辞職して運動すべきだ。そうでなければ独裁者ヒットラーと同じことを許し、やがて独裁者を熱狂的に迎えることになる。そんな日を見たくないので早く死にたいという人もいるが、生きている限り一人一人が憲法を守る責任を果たそうと言いたい。

 野坂昭如は「二度と戦争をしないことが死者への礼儀だ」と最期の平和へのメッセージを残している。現政権は武力による抑止力が平和のために必要だという。しかし、戦争の原点は他者より自己を優れているとし、他者を自己に従わせようとする暴力(武力)にある。ガンジーもキング牧師も非暴力で虐げられる同胞を救おうとして暗殺された。この悲しい重い事実を考えていてブログを作成中に公開してしまっていた。申し訳ありません。これは重い問題なのでもう少し考えさせてください。
参考: 安保法制~政治の劣化の極み(動画)

 ネコとフクロウ (2)は楽しい動画だが、トラとヤギ (2)も仲良くなったそうだ。彼(女?)らの脳内反応を見てみたいが、いかに野生のまま見せるサファリーパークとはいえ生きたヤギをエサとして柵に入れる人間のおぞましいことよ。

初稿 2015.12.23 更新 2015.12.26


縄文文化と里山文化~斉藤晶牧場に学ぶ

2015-12-21 23:46:35 | 自然と人為
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  アジア巨大遺跡 第4集 縄文 奇跡の大集落 追加!


 文明は農耕から始まったとされますが、その文明は富の蓄積により支配者を生み、文明の利器は人間を自己家畜化させ、その文明の家畜化を進歩だと勘違いし、さらには自己孤立化を進め、自己中心主義を育てて格差を拡大し、「憎しみの連鎖」を拡大させ、人類の共同体を崩壊させています。

 日本の縄文人は農耕ではなく自然を畏敬して日本の風土に合った狩猟採集(クリ栽培等や海や川での漁)で、多くて数百人規模の定住生活を2千数百年前まで1万年以上続けてきました。
 2千数百年前といえばギリシャ、ローマ、ペルシャの時代、タレス、パルメニデス、ピタゴラス、ヘラクレイトス、デモクリトス、ソクラテス、プラトン、東洋ではブッダ、孔子、老子、孟子、荘子の時代です。
 我が国は耕地を求めて平地から山に入り棚田や段々畑を作ったと思っていましたが、もともと縄文人は周囲が海の日本列島の海岸近くの里山で暮らしていたのです。

 その縄文文化についてはNHK総合、「アジア巨大遺跡 第4集 縄文 奇跡の大集落~1万年 持続の秘密~」が参考になります。
   アジア巨大遺跡 第4集 縄文 奇跡の大集落
   「縄文文化は偉業(ダイアモンド教授の評価)」

参考:
遥かなる縄文の記憶~科学の目で見た縄文~
三内丸山遺跡1994
中国・韓国にはない縄文人のDNA 日本人のルーツDNA解析
DNA分析で縄文人と弥生人の混血が進んでいたことが判明

 戦後の開拓で山に入り農耕の知識で山を征服しようとして挫折し、酪農で生き残った例は多いのですが、牛を利用した里山文化の原点は縄文文化にあり、自然の恵みのクリ栽培や魚の漁を牛の放牧に変えただけだのような気がします。そして支配者ではなく土偶を崇拝の対象とした縄文文化を遅れた文化とした価値観は、「斉藤牧場」遅れたれた牧場として評価しようとしなかった現代技術と重なって見えます。そこで、現代の平和に自然と暮らす原点として、「斉藤牧場に学ぶ」をもう一度このブログで紹介しておきます。

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斉藤牧場に学ぶ

 「里山は世界に誇れる日本の文化」とケビン・ショートは讃えています。 その里山の豊かさと美しい景観は、農村の人々の生業と暮らしによって つくられ、守られてきました。しかし、農業を軽視する風潮のもとで、 里山の荒廃が進行しつつあります。それは、日本の社会の荒廃と重なって 進行しているように思えます。日本の農業が生き生きしていることが、 日本の食生活を豊かにし、文化、自然を豊かにしてくれますが、 これからは里山に牛を放牧することで、環境と景観を創出し、 地域社会の活性化と教育の再生に貢献していくことができる時代がきました。 そのことを、北海道旭川市の斎藤晶牧場(牛が拓いた牧場)が教えてくれます。 この牧場は石ころだらけの山です。自己中心的にこの山を捉えると、 これ以上はないほどの厳しい環境です。しかし、斉藤晶さんが野鳥や昆虫と同じように山に入り、 山(自然という場)の方から自己を捉えることで、美しい宝の山に変わりました。


JAS旭川C.C フォレスト旭川C.C
斉藤晶牧場(地図)  斉藤牧場ホームページ
身体が目覚める牧場 TRINITY Vol.5 より転載
斉藤晶牧場写真集(撮影:斉藤均、晶さんの弟さん)

 この斎藤晶牧場で、自然の美しさを感じてほしい、人と自然の関係に気づいてほしい。 空の鳥、野の花に気づくとき、そして人が自然とつながっていることを実感できるとき、 人は心を開くことができる。そして理性よりも感性の大切さを、 人間の力の論理より、地球生命体の力の偉大さを確信できる。 競争より共創を尊び、平和への道も見えてくる。 斉藤晶牧場に学びながら、この牧場で見えてくる宝の山を、次の世代に伝えていきたい。 そして、農業を大切にし、農民を尊重しながら、 里山の再生を市民とともに支援し、新しい農村を共創していきたい。 そのような夢を追いながら、「里山と牛ML」を2000年10月に開設し、 2008年から「里山と牛研究会」の活動を開始しています。

詩集 『牧場とともに』 嵯城妙子作より
「放牧」

長い冬の眠りから春の目覚め
白の世界から 緑萌える世界への移行
ドキドキ 胸のときめきを
身体中で感じ
動植物の生きるエネルギーが
身体中に伝わってくる季節
囲いの中から 首繋ぎから 広い大地に飛びだす
早く自由になりたくて
早く外気・太陽の光を浴びたくて
前足も後ろ足も同時に出そうとして
つんのめって前方に倒れこむ
走る 走る 走り廻る
言葉で言い表せないうれしさ
開放感
周囲の危険は全くおかまいなし
一生に一度の生涯
無我夢中になれるなんて
どんなにか幸福だろう

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斉藤牧場の紹介
中野 忠宗(独立行政法人農業者大学校)
いのちあふれる牧場をめざしてPDFファイル)
第14回ヤンマー学生懸賞論文・作文 ヤンマー
ヤンマー株式会社より掲載の承諾をいただいています。
今岡良子さんと斉藤晶牧場
牧場で暮らす日々の楽しさ-環境に溶け込んで
酪農ジャーナルより転載の承諾をいただいています。
北の夢中人と斉藤晶牧場
斉藤晶著『牛が拓く牧場』
野原由香利著『牛乳の未来』
古庄弘枝著『モー革命』
日本草地畜産種子協会/斉藤晶牧場関係資料

初稿 2015.11.16(「斉藤牧場に学ぶ」の再録を含む) 更新 2015.12.21

個人の作る道具としてのパソコンを大切にしたWindows10

2015-12-20 21:03:45 | 理性と感性

 私にとってはWindows7がブログをつくる最後の道具だと思っていたが、ブログのpdfファイルが読めなくなってしまった。Windows8でも読めない。そこでWindows8を無料でWindows10にグレードアップしたら読めるようになった。

 しかし、グレードアップに時間が掛かるので信頼して辛抱強く待つ必要がある。また、新しいWindows10を立ち挙げたが、ウイルス対策ソフトのMcAfeeのスキャンがなかなか終了しない。スキャンファイル数が変化しても終了しないので、画面左下のWindowsマークをクリックしたら電源マークがあったのでこれをクリックし、さらにシャットダウンをクリックして閉じ、再度立ち上げると正常に稼働した。

 Windows10を立ち上げると日付と時間が左下に表示される海岸の洞窟の画面で待っている。画面をクリックしてパスワードを入力するとWindows7仕様の画面となり、左下に通常使用しているヤフーのマークが出る。Windows7に馴染んでいると抵抗なく使用できそうだ。
 ただ、一つ問題にしたいのは、Windows8からpdfファイルを別枠の窓で表示していることだ。iPhoneの操作性は速いので、使う道具としてはWindows10よりはるかに優れている。
 しかし、Windows7に馴染んだユーザーとしてはワープロとかブログでプリンターを接続し、書類作成やpdfファイル等を画像として取り込み、つくる道具としてパソコンを利用している私にはWindows10にグレードアップして最後の道具として利用できそうだ。

 ・・・・ということで、これからはパソコンからiPhoneの時代へ~つくる時代から使う時代ヘと言ったばかりだが、つくる人のパソコンと使う人のiPhoneの棲み分けは、私が仕事をできる間は続きそうだ。

 本日は些細なことのつぶやきとなってしまった。私が今、ブログを書き続ける理由は政治が危ない方向に行かないように、一人一人の力で憲法を守るため。明治維新以来戦争を続けて1945年の敗戦を迎えた。戦後、与えられた憲法で国が守れるはずがないという意見もあるが、米国と戦うために武力が必要だと言うのだろうか。他者を含めた自然を守ることこそ、この国を守ることだと思う。どこの国でも権力の行きつくところは産軍複合体、この権力に弱きものが虐げられないために憲法がある。このブログに立ち寄っていただいた方に次のブログを紹介しておきたい。

将棋の駒<本澤二郎の「日本の風景」(2208)

初稿 2015.12.20

和牛の伝統と牛のハイブリッド生産

2015-12-18 20:11:43 | 自然と人為

 畜産システム研究会を卒業して10年近くなる。研究会活動の一つの柱であったパソコン利用について紹介したが、その記念号を読み直して、牛によるハイブリッド生産と里山管理の構想が未だ実現していない理由を考えてみたいと思う。
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畜産システム研究会の初心
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今いる場所をより良い場所にして引き継ぐ

 日本の和牛を「霜降りの高級肉」として育てた関係者には感謝している。ことに私は日本の和牛の指導者の研究室で育ったので、いつも現場で指導されていて休講の多かった恩師のことは尊敬している。恩師の形見としてスーツも頂いている。ただ、私は家業を継ぐつもりで農学部に進んだので、独りだけニワトリの研究をさせていただいて卒業したから和牛関係者とのつながりは薄い。

 和牛は高級肉として定着したので、子牛価格が高く、繁殖や繁殖肥育一貫経営にとってはメリットが大きい。しかし、そのメリットを生かして和牛飼育は農家から大型経営に移っているのが実情だ。今までは農家の家族の一員であった和牛を農家で見ることはなくなった。ニワトリも豚も牛も農家から消えてしまい、農家も少なくなり、人間だけでなく家畜も住む環境が激変してしまったのだ。

 時代とともに、年齢とともに見える世界が変わって来る。アメリカが目標だった若い頃は規模拡大を疑問視することもなく、追いつき追い越せとアメリカが輝いて見えていた。しかし、規模拡大で農家が激減し、地域が衰退する一方で、強引で自己中心主義のアメリカの世界戦略が目につく歳と時代になってきた。

 戦後の日本の農業のことも防衛のこともMSA協定から動き出した。MSA(Mutual Security Act)とは1951 年,アメリカが制定した相互安全保障法。非共産主義国家に軍事援助を与えることを目的とし,援助を受ける国は自国および自由世界の防衛力強化の義務を負う。
 これは日本に原爆を落としたトルーマン政権の「封じ込め政策」の一環であり、マーシャル国務長官のもとでヨーロッパの戦後復興にマーシャル・プランが実施されたが、朝鮮戦争の勃発で東西冷戦が激化するなかMSAに統合され、1954年、日米MSA協定が調印された。

 日本人は国内で与えられた条件で一生懸命に働いているが、それはアメリカの世界戦略の掌で戦後70年間踊らされて来たとも言えるのではないか。アメリカの余剰農産物の輸入で加工型畜産になったあげく、義理人情もなく穀物は高く買ってくれるところに売ると突き放され、飼料高で経営が厳しい畜産になっている。その一方で地域は疲弊し里山は野生動物の棲家となっている。

 私は「農家のために国産鶏を改良し健康なヒナを届けることにひたむきであった父」の家業を継ぐことが目的で農学を学んだが、アメリカ雛で畜産の事業を拡大することには興味がなかった。自然とデザインの構想はしても事業化しなければただの夢。事業家にはデザインを実現する実力が必要。その構想の一つの「パラダイムシフト時代の乳肉生産システム」をipgファイルに変換しておいた。
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成長の限界とパラダイムシフト
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システムとしてものを捉える
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牛の放牧が生産と消費を直接結ぶ
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里山を管理するために牛を飼う
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パラダイムシフトへの課題
 この論説を読むと、やはり私には事業家の資質はなくパラダイムシフトに重点が置かれ、乳肉生産システムについては具体的なことに触れていないので、ここで少し捕捉したい。

 和牛は耕運機の普及で農家が飼う役割を終えたが、乳牛を国内で飼う役割は残っていてむしろこれからの期待は大きい。まず、脱脂粉乳を輸入して飲むことは考えられず、国産チーズへの期待も大きくなっている。それに人手が無くなって里山は放牧で管理してもらわないと荒れてしまう。しかも、牛のハイブリッド生産は高級肉として世界に知られる和牛がいて、人工授精が常識となっている我が国は乳牛を肉資源として利用する世界最先端の位置にいる。

 乳牛の更新が必要ない種付けに肉質の優れた和牛を人工授精すれば、1頭の雄から年間1万頭のF1を生産できる。この場合の種牛は和牛では使わない小型の種雄牛で十分だ。F1雌牛を放牧繁殖に利用するので、現在利用しているF1雄牛は副産物の副産物になる。F1雌牛にはもう一度和牛を人工授精するが、F1生産用とF1雌牛に交配する種牛の組み合わせを研究しておけば、安くて能力のそろった肥育素牛を生産できる。F1雌牛が妊娠しない場合は3ヵ月程度肥育すれば安全でおいしい牛肉になる。生きものは生まれると必ず死が待っている。生きている間に放牧で暮らすことは、牛にとっては最高の幸せだ。

 この牛のハイブリッド生産に対して「和牛のまがい物をつくる」のは許せないと既存のシステムは反対するが、和牛の霜降り肉をつくることが目的ではないし、”霜降り肉”の和牛神話を壊すつもりもない。
 ”ハイブリッド里山牛”のように明確に和牛とは違うことをアピールするネーミングが必要だ。また、和牛の”霜降り肉”が市場に溢れると”くず肉”になってしまうことも忘れてはいけない。消費者の求めるおいしい牛肉を安く提供するのがハイブリッド牛肉の目的であり、酪農を守ることにもつながっている。世界に売り出せるのは和牛だけではない。人工授精を活用してハイブリッド牛を自動車のように世界に売り出したらいかがか。種を牛耳られたら終わりだと思っていたニワトリも、生産から販売までのシステムでアメリカに進出した「ひよこの伊勢」は生産量、販売量とも全米で1位となった。今は「イセ食品株式会社」となり進化し続けている。

 乳肉ハイブリッドシステムも日本だけでなく世界に進出できると思う。放牧による里山管理は現在、福山の大谷山里山牧場でささやかな実験を続けている。行政と地域と企業がつながるシステムの芽を牧場の方々で育てて頂けば、日本の農業と地域を大きく変える起爆剤になると期待している。

初稿 20115.12.18

日本人とは何者なのか~我々はどこから来たのか?

2015-12-16 17:47:55 | 自然と人為
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 我々の祖先はおよそ10万年前にアフリカを出て世界に拡散して移住したとされている。今後の研究で新たな事実が明らかにされるかも知れないが、ここで考えたいのはいつごろ、なぜ我々の祖先は日本列島に住み着いたのであろうか、1万年以上も続いたとされる縄文文化と聖徳太子に代表される天皇制の始まりはどうつながっているのであろうかという点だ。

参考:人類の出アフリカ 地球史年表
    ~人類の出アフリカとモンゴロイドの誕生~
    日本人の起源と「人類大移動」
    遺伝子の旅 ~先祖が歩んだ道
    特別展「グレートジャーニー 人類の旅」
    対話を通して-:関野吉晴×中村桂子 2. 太古の人々が動いた理由

 日本人の祖先も気候変動下で食物を求めて日本列島に住み着いたと思われるが、ここでは古代人類の旅(グレートジャーニー)を辿り冒険家としても有名な関野吉晴氏が指摘する「戦いを避けて逃れた人々」という視点が刺激になり、そのことを想像しながら書いている。

 最も古い縄文遺跡(大平山元遺跡)は1万6500年前と推定されているので、今のところ考古学的にはこれが最も古い縄文人であろう。縄文時代は1万年以上続いたとされているが、少人数が日本に移り住み、他民族との接触も少なく、稲作よりも里山でクリ等を栽培して争いのない平和な生活を長年維持していたのであろう。

 縄文時代から弥生時代への移行は、中国大陸の春秋戦国時代に逃れてきた農耕民族が、土着の縄文人と争うことなく混血しながら稲作文化を広めて、地方の豪族が出現する古墳時代まで続いたのではないかと思う。国境のない時代であり、静かに暮らす縄文人と中国大陸から移住してきた人々との間には争いもなく、弥生人は平地に居住し保存のできる水稲で富を蓄積して行ったのではなかろうか。
 参考:弥生時代の世界情勢

 弥生時代の平地への水田稲作の普及は水資源の管理の一元化、生産のための共同体を必要とするようになった。土地を基盤とした生産の管理と富の蓄積により地方に豪族が育ち、それぞれの「クニ」が乱立し争うよりも中国大陸との交流で存在価値を高めようとしたと思われる。

 この弥生時代から天皇制の確立した飛鳥時代までの古墳時代は日本という国が成立した時期であるが、考古学的には空白の時代となっている。どの国も始まりは神様の降臨により地球上に初めて生まれたとされ、日本も天孫降臨の神話を生み、戦前はそれが日本の誇りだと神話を歴史として皇国史観の教育をしているが、私は「神の国」より「慈悲の仏の国」こそ誇りにしたい。

 日本の歴史について最初に編纂されたのは、聖徳太子と蘇我馬子による天皇記と国記(620年)と日本書紀に書かれているが、写し等で現存している最古のものが「古事記」(712年)である。平城京遷都(710年)の頃であるが、奈良時代の日本列島の総人口は約550万人と推定され、このうち都の人口は20万人と大都市であったそうだ。

 古事記についてはいろいろな解説があるが、最初の部分は出雲神話で天照大御神が武勇に優れたタケミカヅキを送り込んで大国主に国譲りさせるところまでの物語である。卑弥呼の時代に造られた出雲独自の古墳 島根県「西谷古墳群によれば出雲国はヤマトに協力したと推定しているが、ここで解説のように倭国大乱が起こったしたらそれを卑弥呼が武力ではなくてカリスマ性(呪術性)で鎮めて天皇制への道が始まったと考えることもできよう。物語の後半では天照大御神が日本を支配するために宮崎、日向へニニギノミコを降下(天孫降臨)させて天皇制が始まることになっているので、天照大御神が天皇制の日本を作った神話と受け取れるが、聖徳太子の時代に神話のモデルになったのは卑弥呼ではないか?なお、魏志倭人伝に現れる邪馬台国の卑弥呼は「日本の古文献「古事記」、「日本書紀」の中から探すなら誰に当たるのか? 」という問いは面白く、このブログでは天照大御神が卑弥呼であると推定している。

クリックで拡大! 古事記 第3回 出雲神話という謎(2)

 古事記は日本各地で伝承されてきた神話を集めて日本向けの物語にしたものだが、縄文文化と弥生文化の混合で、北方的、弥生的垂直統合の日本(天皇制)ができたという物語は面白い。蘇我氏は高句麗系の出身なので、聖徳太子を含めた飛鳥時代の支配層への朝鮮半島の文化や仏教への理解への影響は大きかったと思われる。

クリックで拡大! 古事記 第3回(2)「混じり合う世界」
 「日本は大陸から来ても南から来てもどん詰まり、全てが溜まって行き場がないから混じり合うしかない」という縄文文化と弥生文化の混合は、先に紹介したNHK「ドナルドキーンの日本」後編 日本人とは何者なのか」でも、司馬遼太郎氏は同じことを言っている。
クリックで拡大! 司馬遼太郎の言葉

クリックで拡大! 古事記 第4回 古事記の正体とは(1)

参考:NHK 100分de名著 「古事記」
古事記 第1回 世界と人間の誕生(1) (2)
古事記 第2回 文化と農耕の起源(1) (2)
古事記 第3回 出雲神話という謎(1) (2)
古事記 第4回 古事記の正体とは(1) (2)

 参考:卑弥呼の墓と邪馬台国論争
     卑弥呼の時代に造られた出雲独自の古墳、島根県「西谷古墳群

 縄文時代から弥生時代、そして天皇制が生まれる日本の物語を私なりに考えてみた。専門家でないものが無責任なことを言うと叱られそうだが、専門家でないからこそ無責任なことも、いろいろな柵から解放されたことも言える。

 物語には意図があり、戦前の皇国史観などは神話を歴史に塗り替えて、それが日本の誇りだとして世界平和を無視した幼稚な物語であり、日本は慈悲の仏の国であるとし古事記編纂のきっかけにもなったと思われる聖徳太子の方がよほど偉い。私は平安時代まで争いの少なかった日本の歴史を誇りたい。平安末から釈迦の教えの届かない末法の時代となるが、現代においても政治、経済が「何食わぬ顔で弱いものを虐げ」、国民が平成27年度、「今年の漢字」に「安」を求める不安な時代にしている。「安」とは安倍を皮肉った文字だという世間の声も聞こえてくる。


トンイ第33回(1)2分13秒~5分18秒 動画
 「力あるものが何食わぬ顔で弱いものを虐げる理由は何だと思う。
  それが力というもので、権力というものだからだ。


初稿 2015.12.16