自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

利己的であるから利他的にもなれる~他者尊重のための訓練

2016-04-07 12:11:02 | 自然と人為

 「ウルグアイのムヒカ前大統領来日」に関する報道を探しているが、NHKや民放の報道部は彼の来日の価値を理解していないようだ。むしろ曖昧な日本人は、徹底した批判者に対して「彼は共産党だ!」とよく言うように、その言動が徹底した経済成長批判にあるので、現体制に対する徹底した反対派だと警戒して無視しているのかもしれない。

 日本ではダーウインの自然淘汰説を否定する人はいないであろうが、人間が自然を支配する経済成長を当然とし、それを進歩だと信じている人は多い。しかし、人間も自然の一員であり、自然を支配しているつもりで、環境破壊や環境汚染を続けていると自然からのしっぺ返しは大きく、人類も自然淘汰されて絶滅するかも知れない。

 動物行動学者の故日高敏隆先生(動画)は「動物はいろんな生き方をしている。例えば、アゲハチョウは紫外線で見ている。人間とは見えている世界が違う。人間の主観だけを客観だと思うことは間違い。人間は自然を支配しているが、自然も反作用で反応する。支配の仕方を考えないといけない。人間がどういう動物か真剣に考える時期ではないか、そうしないといつまでも環境破壊が続くし、戦争も紛争も何時になっても絶えないのではないか」と警告している。

 ダーウィンの『種の起源』(1859)は、「個体は、自己に似た個体を子として生むことを目的とし、そのために遺伝子を利用する」としたが、「利他的行為の働きバチ働きアリのように繁殖に関わらない個体が生き残るのは何故か」という問いには答えられなかった。利他的行為の意味については、100年以上を経て集団遺伝学の見地から新しい説ハミルトンの「血縁淘汰(選択説)」が提唱されたが、この説を発展させて、イギリスの進化生物学者・動物行動学者であるリチャード・ドーキンスは、「遺伝子は、自己に似た遺伝子を増やすことを目的とし、そのために個体を利用する」とする利己的遺伝子説(1976年),(2)を提唱している。

 これを思想として扱うには、「利他的行為に見えても実は利己的行為だ」とか、「人間は本来利己的動物ではあるが利他的行為もする」とか、その人の立場でいろいろな使い方をする利己的動物なので注意が必要だが、ドーキンスは「唯一われわれ(人間)だけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できる」と言っている。同じ動物行動学者の日高敏隆先生が、「人間がどういう動物か真剣に考える時期ではないか」と警告しているように、自然や他者を支配したがる利己的行為に歯止めを掛けることも人間の意思でしかできなし、そうしないと人類の滅亡は救えないであろう。

 一方、「アメリカの33%は進化論を信じていない」そうだ。共和党に多い熱心なキリスト教徒が進化論の広がりに抵抗している。白人の福音主義プロテスタントの64%と黒人の福音主義プロテスタントの50%が進化論を否定し、「人間ははじまりから現在の姿だった」と回答しているそうだ。

 アメリカは銃社会であり、オバマ大統領の銃規制に対して、「アメリカで銃を規制するのは自由を奪うのと同じだ」、「憲法が武装権を支持している」、「銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ」等の反対が多く、大統領が規制を叫べば叫ぶ程、銃の販売量は増えるという。

 共和党大統領候補でドナルド・トランプを追いかけるテッド・クルーズは、国民皆保険(オバマケア)や銃規制に反対なのはもちろん、LGBTや妊娠中絶、障害者権利に反対、進化論や地球温暖化も否定している。

 排外的な演説で国民の支持を集めるトランプ氏もキリスト福音主義のクルーズ氏も、アメリカの利己主義の象徴であろう。「銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ」と言うのなら、武器製造を禁止するか利他的な人間になるかどちらかだ。両方を目指して貰うしかないが、本来が利己的な人間が他者を尊重するということは、いろいろな考え方を理解できる寛容という訓練が必要だ。
 
 これは日本も含めて人類救済のために全世界共通に求められることだが、本来利己的な人間に愛国教育はいらない。道徳教育には他者を尊重できる寛容の訓練が必要だ。ウルグアイのムヒカ前大統領の言動を学ぶことは、今、日本だけでなく全世界に求められている。
 「ムヒカ前大統領の来日は価値ある重要なニュースである」ことに報道機関者は目覚めて欲しい。

参考:動物界の競争原理 日高敏隆
    司馬遼太郎「21世紀に生きる君たちへ」(動画)

初稿 2016.4.6 更新(動画訂正)2016.4.7


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