自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

自然と科学と幸福を考える~②人間と人工世界、どっちが大切? ホーキング博士

2017-11-28 11:47:33 | 自然と人為

 今年(2017年)2月27日、「システムに支配されないで、システムを共創しよう」で紹介したスティーヴン・ホーキング博士は「価値観が富に偏重した文明は、必ず滅びる」と言っています。物理学だけでなく社会的問題にも関心が高い学者だと思いました。しかし富の偏重だけでなく核戦争や人工知能ロボットの暴走等で地球が滅びると予言し、彼の専門分野の研究では太陽系外の惑星への移住を考えている様です。

 最近、太陽系外の惑星の発見(2)に注意が向けられ、1995年以来4000個も見つかっているそうです。2016年8月に発見された太陽系からわずか4.2光年で、太陽系に最も近い系外惑星であるプロキシマ・ケンタウリb(2)(3)に移住する研究が進められていることをNHK番組 コズミックフロント*NEXT「ホーキング博士の提言 100年以内に宇宙へ(2)」で知りました。
 
 失礼ながら専門分野で科学的研究をしている人は、専門にこだわり全体が見えなくなるようです。ここに前回紹介した宮沢賢治との関心の違いが見られます。ホーキング博士の専門的仕事を問題にしたいのではなく、どちらが人間の幸福を考えて仕事をしたか、しているかの問題です。火星や太陽系惑星外へ行く研究は、真剣で真面目な好奇心であるにしても、地球滅亡に備えた移住の研究までは考えられません。75億人になろうとする世界の人口をどう移住させるのでしょうか。動物と人との関係も考えている宮沢賢治なら、「動物も連れて行け!」と言うでしょう。地球の自然や世界の人々のことを考えない科学技術は、人類を幸福にすることはできません。

 移住ではなく、太陽系外惑星に行くことを考えて見ましょう。現在の化学燃料ロケットで地球の引力を脱出して月や惑星に向かうには、秒速11.2km(時速40320 km)の速度が必要です。しかも燃料は発射してまもなく燃え尽きるので、太陽系惑星の引力を利用して速度を向上させます(加速スイングバイ)が、この最高速度に達するまでの時間を無視して計算してみます。

 太陽から発した光は、どのくらいで地球に届くのでしょうか? 地球と太陽の距離は1億4960万km、光速は30万km/秒(地球の円周4万kmを7廻り半)ですので500秒(8分20秒)です。1光年=60×60×24×365×30万km=約9兆4千6百億kmとなり、地球に最も近い太陽系外惑星プロキシマ・ケンタウリbの距離は4.2光年:39億7350km、最低秒速11.2kmなら年間の飛行距離は11.2×60×60×24×365kmとなり、11万2千5百年で到着します。

 番組では、現在の化学燃料ロケットでは概算で10万年必要と解説していました。往復では20万年、これは人類が地球に誕生してから現在までの時間となります。しかも、この速度では太陽系外に行くことはできないとして、電気ロケット技術(2)の研究を紹介していました。番組で紹介されていた3年以内に実用化を目指しているプラズマロケットは時速16万km以上だそうですから、秒速は最低でも44.4kmになります。これは太陽系外に出るスピードの秒速17kmは超えていますが、この最低秒速のままでは到着まで2万8350年必要なはずです。いろいろな惑星で加速スイングバイすれば2000年で行けるのでしょう。ホーキング博士は、この2000年を「何世代もの人々が世代交代できるような宇宙船を作れば快適ではなくても行ける」時間だと言っていました。

 このロケットは火星まで2ヵ月で行けると言っていましたから、44.4km/秒で火星まで何ヵ月で行けるか計算してみました。火星までの距離は近日点:2億670万km、遠日点:2億4920万km、平均距離:2億28000万kmと時期により大きく変化しますが、太陽より遠く近日点なら1.76ヵ月となります。

 なお、NASAは2006年1月19日に人類初の冥王星を含む太陽系外まで飛行可能な無人探査機「ニュー・ホライズンズ」を載せた化学燃料ロケットであるアトラスV 551型を地上から16.2km/sの最速で打ち上げ、78日で火星を通過、13ヶ月(2007年2月28日)で木星に到達してスイングバイによって4km/秒近く加速して23.1km/秒以上に達しています。その後、2016年10月には冥王星のデータを送信し、ロケット発射後13年の2019年1月には太陽系外縁天体「2014 MU69」に接近した後に、太陽系外に出る予定です。観測器だけなら現在のロケットで太陽系外に行ける能力はあるようですし、人間が行かねばならない理由は見つかりません。
 
 また、太陽観測のためのロケットは1974年12月10日にヘリオス1号が打ち上げられていて、ヘリオス2号の速度は252,800 km/hで秒速70.22 kmとなっています。2つの観測衛星は水星より太陽側を回り続けていますが、太陽の引力を利用しているので太陽系外に出るスピードとは意味が違います。なお、日本の太陽観測衛星「ひので」は今も観測データを送って来ています。観測衛星は太陽でも木星でも素晴らしい仕事をしてくれています。
 参考:観測ロケットで切り拓く太陽物理の最先端研究への道
     NASAの木星探査機ジュノーの観測写真(2)

 現在研究されている最もスピードの速いロケットなら光の速度の20%は出るそうですが、それでも片道20年は必要です。その20年間、放射線と無重力の世界で生き続けなければなりません。光の速度で4.2年もかかるプロキシマ・ケンタウリbに人工物を送り込むことは考えられても、人間が行く理由は何でしょうか?

 2017年8月1日、NASAは「プロキシマ・ケンタウリbには大気が存在できない?」と発表しました。地球だって最初から酸素があり生命があったわけではありません。宇宙138億年、地球47億年の歴史において宇宙的災害があったにしても、巨大な隕石の落下によって恐竜が滅亡したことが予測されていますが、その後に哺乳類の繁栄がありました(生命の誕生と40億年の進化)。 地球から火星や太陽圏外惑星への移住の理由は、過去200年の人類の科学技術がもたらした自然の破壊だとしたら、反省しながら不可能な移住を考えるのではなく、今後100年間に戦争のない世界や自然を破壊しない科学技術を確立し、「個人の尊厳」=「他者の尊重」を人類の真実にし、「真実は勝つ!」ことを常識にすることこそ、人類に求められていると思います。

 ここで光速についてチョット一服! 「光速で移動するロケットに乗れば時間の流れがゆっくりになる」と最初に提唱したはアルベルト・アインシュタインですが、スティーブン・ホーキングはその実現性について次のように説明しています。
 「光の速度に到達するにはフルパワーでも6年かかるでしょう。最初の2年で光速の半分の速度に到達し、太陽系のはるか外側に到着します。次の2年で光速の90パーセントに到達。さらに2年をかければ光速の98パーセントに到達し、ロケットの1日は、地球における1年に相当するようになります。その速度では銀河の端まで行っても、乗っている人間にとってはたったの80年でしかありません。」
 太陽の光なくして生きていけませんが、光速の実態を考えると頭が混乱します。74歳にして、アインシュタインの相対性理論を理解出来る日が来るでしょうか!?
 参考:なぜ光速を越えられないのか
    最新 光速 とは?
    相対性理論における「特殊」と「一般」の意味

 宮沢賢治を文学や歴史ではなく、世界の人々を幸福にするために世界の小学校から大学での必修科目にしたらどうでしょうか。高校から大学までは「科学入門A,B」として、「科学のあり方」を考える教材にします。これまで人類がやってきた科学技術を本気で反省するなら、人類の幸福を本気で考える教育制度を本気で確立しましょう。
 さらに、宇宙138憶年、地球46憶年の歴史を語る「アインシュタインからビッグヒストリーへ」(33分)(2)も高校、大学の教材として利用して欲しいものです。この動画は30分44秒から正常に動きませんので、(2)を観るかTED日本語 - デビッド・クリスチャン: ビッグ・ヒストリーで確認してください。なお、アインシュタインの相対性理論はNHK番組コズミックフロント『宇宙に満ちる謎 ダークエネルギー』から、インフレーションからビッグバンまではコズミックフロント『ついに見た!?宇宙の始まり インフレーション』を利用させていただきました。これらの番組は教育材料として、是非公開して欲しいと思います。

初稿 2017.11.28 更新 2017.12.10

自然と科学と幸福を考える~①宮沢賢治の自由な心の深さと大きさと強さを知る

2017-11-20 16:05:32 | 自然と人為

 私は「個人の尊厳」は他者によって認められるので、「他者の尊重」が「個人の尊厳」と同じだと思っています。それは個人と個人の関係においては論理的に簡単に説明でき、人間が生きる原点だと思います。
 先日の『英雄たちの選択「本当の幸いを探して 教師・宮沢賢治 希望の教室」』(2)で、本当の幸せとは「迷いない自己犠牲の献身」であると解説していました。他者の尊重と自己犠牲は少し違うと思いますが、現代という時代は自己犠牲をしなければ他者の尊重はできないということでしょうか。

 それはともかくとして、最初はチェロを弾く自由な教師であり、政府の圧力が大きくなり自由が失われた時代には、結核で死が近い身体のことも思い、教師という仕事で教えることよりも農民として生きた宮沢賢治の自由を求める心の深さと大きさと、自分の思いを伝える強さを教えていただいたような気がします。

 恵まれた環境で愛情豊かに育ったから、そのことを気にする感性を一方では持ちながら、自然や人間社会が素直に見えたのが宮沢賢治の本質であったと思います。最初から農業をしたのではなく、ふるさと岩手の農業で地元の人たちが生きていくために土壌学や肥料学を学び、科学を信じて農業を教える教師の道を選びました。しかし、時代に自由な空気が失われ、教育による効果ではなく自らが農業を実践する道を選びました。

 当時の東北では長男しか農業で生きる権利は与えられず、次男、三男は家を出て農業以外の職を見つけなければなりませんでした。それは青年にとって結婚さえできないかも知れない暗い将来でした。農業なら家庭を持てるけど、他の職業には希望がないという現代では想像もできない地方の時代があったのですね。

 人間は個人と個人の関係だけでは生きられず、個人と集団の関係で生きる動物的本能も持ち合わせてます。動物的本能として支配欲、集団を支配する欲望、女性を支配する欲望があると思います。欲望から解脱するために宗教があると思いますが、その宗教自体が個人の欲望の解脱を説きながら集団の力を利用する支配者を生みます。

 集団の生活に責任を持つ仕事として政治があります。しかし、政治を私物化し一部の利益に政治を利用する政府もあります。今の日本の政府は宗教団体と一緒になり、「アベノミクス」で「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる」という嘘の「トリクルダウン」学者や日銀総裁により正当化(2)して経済政策にし、国の財政を危うくし貧富の差を益々大きくしています。

 また、政治の私物化の典型である「森友・加計問題」ではダンマリと逃げの一手で「北朝鮮問題」で国民を煽り、最もしてはいけない戦争の準備と好戦的なアメリカに従属して戦争が出来る国にするために、国民に災害援助で信頼のある自衛隊を戦争放棄の9条に追加することで憲法を改めようとしています。

 祖父岸信介以来アメリカの手先として生きることで与えられた政治的道で首相まで上り詰め、庶民の生活と心を知らない我儘な人間のこの放蕩行為について、「安倍は日本を破滅させる!」と自民党の福田康夫元首相でさえ言っています。同じ人間でありながら宮沢賢治の歩いた道とここまで違うのかと今の日本の異常を悲しみます。

 集団の支配者が必ずしも教養豊かで心が深くなくても、メディアも含めて周囲は国の持つ財政や警察や軍隊により力を持つ者の言動になびく人間の動物的本能と「長い物には巻かれろ」という日本人の処世術の危なさを悲しみます。集団を構成するのは個人なのですから、本当の幸福は「他者の尊重」であることを常識とする時代はいつ来るのでしょうか。

初稿 2017.11.20

里山管理が日本の肉牛生産の原点になる~特殊と普遍。

2017-11-15 22:41:14 | 自然と人為

動画:シルバー世代がつくった里山牧場
    大谷山里山牧場
    自然の力とチームの力~地域を豊かにし次の世代に伝える
    発想の転換~砂漠化を防止し、気候変動を抑える反芻動物
    「自然と地域につながる肉牛生産」について論じる

 大谷山山麓にできた13区集落の人口は、自然発生的に集落ができる大きさです。今では地域外にサラリーマンとして勤務する生活が普通になりましたが、昔は農業を中心にした共同体でした。
 
 この集落の通学路や休耕田は雑草が覆い、マムシやイノシシの棲家になりかけていました。町をきれいにすることは町の人の気持ちをきれいにし、子供を守るだけでなく防犯対策にもなります。しかも日頃会う機会も少なくなったので、町のつながりをつくるために草刈り隊を作りました。

 山林や休耕田を草刈り隊だけで管理することはできませんが、大谷山山麓の南側は放牧適地ですので、牛を放牧すると素晴らしい景観が生まれるでしょう。地域の人々と牛の関係者や公園管理の関係者をつなげば、里山管理のシステム(機能)が生まれます。

 アメリカやオーストリアの広大な土地は砂漠化を防止するために、牛を移動して適度に草を食べさせ糞尿を土地に還元させます。広大な土地ですから牛と人との関係が薄れ、牛は半野生化して捕獲が困難になります。そこで乗馬して牛を移動させ、ロープで牛を捕まえるカーボーイの出現です。しかも広大な土地に放牧されているのは繁殖牛であり、雄牛(去勢牛)はフィードロットで肥育されています。アメリカやオーストリアの肉牛生産の原点は繁殖牛による土地管理なのです。

 日本は雨量が多いので、砂漠化の心配はいりません。放置すれば山に戻ってしまいますので木を少なくとも30%は残し、木陰を作り土砂崩れを防止しながら牛を放牧します。放牧面積もアメリカやオーストリア程広くはなく、昔から牛は家族の一員として飼ってきたので野生化の心配もありません。山がきれいになり牛が放牧されている風景は、人の心を癒す公園ともなるでしょう。

 広島県福山市神村町にある大谷山里山牧場に関連して、これまで紹介してきたものをまとめました。アメリカもオーストラリアも広大な土地の砂漠化防止が肉牛生産の原点でした。日本の里山は草が生い茂り、放置していると人が入れない山になってしまいます。日本では里山を維持管理するための肉牛生産がこれからの原点になるでしょう。

 一方、肉牛は和牛、乳牛は酪農というのが日本の常識です。和牛は市場があるので、これを飼育するには生産から販売までのシステムは必要ありません。酪農と肉牛生産の両方を支援する技術が和牛と乳牛の交雑(F1)ですが、和牛と乳牛をつなぐシステムがないので特殊な生産だと考えられています。また、一般に肉牛というと発育が良い雄牛(去勢牛)の肥育が第一に考えられますが、子牛を生んでくれる雌牛こそ里山を管理してくれる大切な資源です。

 F1雌牛は1産取り肥育の例はありますが、これまで繁殖にあまり利用されていません。ある経営ではF1雌牛の腹のみ借りて和牛の受精卵移植に利用されているようです。和牛=霜降り肉の市場に依存しているとF1雌牛の遺伝的能力は使う必要がないと考えるのでしょう。和牛の受精卵移植で双子を生ませるのが先端技術だと思われているようですが、それは特殊な技術であり里山を雌牛に管理させるという普遍的な技術にはなりません。

 2017年10月21日に開催された畜産システム研究会では、和牛の繁殖牛とF1雌牛による里山管理の例(講演要旨2 ( 安部、岡村 ))を紹介しました。和牛は霜降り肉の生産が目標となっていますが、ハイブリッド牛(F1およびF1雌牛の子牛)では「おいしい赤身肉」の生産が目標です。赤身肉と言ってもモモ肉にサシが入るようなジューシーな肉です。料理の番組で紹介される程おいしい肉の子牛をF1雌牛は生産できるのです。霜降り肉は日本の伝統の和食で重宝されますが、おいしい赤身肉の市場は食生活の変化を考えると将来有望だし、特殊ではなくてむしろ普遍的な肉牛生産だと思います。

 動画:赤身肉の富士山岡村牛
  「牛が笑っている牧場」富士山岡村牧場が、朝日新聞に紹介されました。
  「ごはんジャパン」富士山岡村牛(テレビ朝日系列)の録画
  予告!「富士山岡村牛」の食材の魅力(ごはんジャパン|テレビ朝日)

 ここでハイブリッド生産について、これまでの紹介記事を紹介させていただきます。
  自然と生きるシステムの共創~ハイブリッドデザイン
  畜産のハイブリッドデザイン
  エコロジー的なものの見方が農業と地域を救う
  システムに支配されないで、システムを共創しよう

初稿 2017.11.15

様々な支配欲と人としての生き方

2017-11-10 12:03:40 | 自然と人為

 今日、集団における人間関係が劣化し、様々な事件が世を騒がせている。2017年10月31日のニュース「座間9遺体事件」では、「8月下旬以降9人殺害」し、バラバラにしてアパートに隠していた。人間はこんなことまでできるのかとゾッとする。社会の習慣やルールで生きることができない人間が、日常生活において支配欲が満たされないから、ネットという開かれた空間における1対1の密室の関係において、殺人という究極の支配に向かったのかも知れない。それは普通の生活をしている者にとっては地獄の道だが、犯人には最も安易な支配の道だった様な気がする。孤独な現代人の生き方には天国と地獄がカオスになっているのだろう。

 集団で生きる人間は、動物の本能として支配のために競争の世界をつくる。究極の競争は集団の支配者による戦争だが、その支配者の見識とモラルも低次元になっている、即ち人より動物的となっていることが気になる日米だ。もともと文明が発達していない200人以下の小集団では、個人の意識も他者の意識もない。皆が一つ(動画)だ。集団が大きくなって人間であるとは個人の尊厳が認められることであり、個人の尊厳を認めるのは他者であるので、他者を尊重して生きれることが人間だと私は思っている。日米の支配者は他者の尊重が出来ず、国民を大切にしないで自己中心的に生きることを当然とする言動が顕著だが、それを批判しない「多様な視点を失ったメディア」の存在とともに不安な時代を予見させる。

 2017年1月5日~7日、日本の支配者トランプ大統領が戦争ヤクザの悪臭を撒き散らしながら来日した。朝鮮・満州侵略A級戦犯であった祖父岸信介がアメリカの手先となり日本の支配者となったが、その3代目安倍首相が先頭に立って、贅沢だが中身はゾッとする程空虚な歓迎を演出した。中身が空虚なのは両支配者の頭脳が空虚で支配者にとって究極の競争は戦争であるとしか考えず、平和の価値が国民にとって最も重要なことを理解していないからだと思う。ことにアジア蔑視のトランプにとってアジアから利益を収奪することには熱心でも、アジアの人民が戦争で苦しむことへの躊躇はない。

 トランプ大統領はハワイに立ち寄り、「リメンバー・パールハーバー」とつぶやいた。そして横田基地に到着後にアメリカ兵と自衛隊に「敵の心に恐怖心食らわす」と演説したという。
 歴代アメリカ大統領の来日に米軍基地が使われた記憶はない。オバマ前大統領は羽田に着いた。日本が警備するには最適だと思うが、日本の警備体制よりも米軍基地を信頼するだけでなく、米軍は日米地位協定により日本の法律には従わない(動画)が、大統領も日本支配を誇示したかったのであろう。しかも彼の関心はアメリカの軍事的利益のみであり、武器売りつけ、北ミサイル迎撃強要(2)(3)等の日本の軍備拡大をメディアは問題視しない。

 しかも、「トランプ大統領来日反対デモ」(2)は日本ではなかったのかのように、必死で来日反対をしている場面は報道せず、むしろ歓迎かと思わせる静かで反対の雰囲気のない画面でお茶を濁し、トランプ大統領の日本訪問歓迎一色でトランプの危険性をメディアは全く指摘しなかった。メディアが一方的な報道をすると国民を誘導することになるのを、戦後70年も経てば忘れてしまうのか。敗戦により身に着けた平和の国、日本の自負心は何処に行った?他国の脅威を煽り軍備拡大を許すことは必ず国民を不幸にすることを、もう忘れたのか!

 核兵器は使えない兵器だ。大国がこれを使うと世界が破滅し、小国がこれを使うとその国は破滅するだろう。国民を大切にしないで、使えない張り子の兵器の開発に熱心な支配者を持つ北朝鮮は愚かで悲しい国だが、核兵器を大量に所有する大国が自国のことは棚に置いて、これだけ大げさに小国の核保有をよくも非難できるものだ。日本もアメリカも北朝鮮をだしにして、国民生活の向上よりも軍事費を増加させ軍需産業を潤している。国民を大切にしない点では北朝鮮も日米もどっちもどっちだ。

 トランプ大統領は韓国でもアメリカ軍基地に降り立ち、最初に米軍や韓国軍に挨拶をしたことは同じだが、韓国の「戦争反対」のデモと日本との落差が大きすぎる。これは両国民の意識の差だけではなく、日本のメディアがトランプ大統領来日で何を伝えようとしたのかの問題だ。日本のメディアはアメリカでさえ支持率が低いトランプが何を言おうがお客様扱いに徹する一方で、韓国は戦時中の慰安婦を大統領に合わせたとか、竹島のエビを料理に出したとか大騒ぎをしている。過ちはお金で償えるものではないし、料理の問題を領土問題にするのは、悲しいことだが日本のメディアの根性が卑しい。

 トランプの中国訪問で中国はどう対応するか注目していたが、米中関係(2)においては、北朝鮮問題はトランプの犬の遠吠えに過ぎず、中国の世界覇権への野望が大きくクローズアップされたと思う。韓国の大統領は韓国なりの意志を示したが、トランプの腰ぎんちゃくを喜んで演じた日本の首相は、アジアや世界にどのような印象を与えたのであろうか。否、他国の動向よりも、憲法を変えてアメリカとともに戦う自衛隊にさせようという動きが民進党分裂の背後にあったこと、民主党時代にもあったことを国民は知らなければならないと思う。

初稿 2017.11.10 更新 2017.11.12