自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

経世済民~政治も経済も「情報」である①

2018-09-27 22:50:20 | 自然と人為
 人間は動物であり五感の反応により生きているが、「人類は、その誕生の時点から社会的であり、”個人”であったことなどない」。道具を使い、他者へ意思を伝える「話す」、「書く」ことで人間となった。この「話す」、「書く」を他者と繋がる「情報」とすると、人間は動物+道具(機械)ではなく、動物+道具(機械)+情報=人間なのである。
 道具は物理的に実在するが、情報はそれぞれのモノの見方であり想像で成立する。複雑な言葉と言葉の通じない他民族との出会いが、想像力を大きく育てたのだろう。人間は想像することが出来るから、論理的(数学的)、物理的、生物学的に実存する科学を発達させてきたが、もう一方では「人間の尊厳」を土台としなければ、政治も経済にも真実に対する根拠がなく、競争により人間関係の権力争いに陥っていく。

 道具を使い、他者と繋がることで人間となったが、そのエネルギーは、道具や他者への好奇心と想像力と欲望ではなかったか?
 ゲームに夢中になると人が変わる例があるが、これはゲームで遊んでいるつもりが、ゲーム(機械)に遊ばれて脳の回路がおかしくなることである。天才数学者・ペレルマン「ポアンカレ予想」(2)の解(動画1)(動画2)を得たいと夢中になって、世間に興味を失ってしまった。しかし、論理的数学的に実在する問題なので、彼の仕事は「フィールズ賞」の価値があると世界的な評価を得た。彼が世間に興味を持ち辞退している「フィールズ賞」を受賞して、世間的に幸せな余生を送ってもらいたいと思う。

 経世済民(2)という言葉は「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意味であり、「政治」と「経済」は分離されていない。集団が大きくなるとこれを治める力が必要であり、権力は武力から生まれたのではなかろうか。「政治」にあたる西欧語は、「ポリス(都市国家)に由来したところから、政治をポリスの業務、すなわち国家の仕事として考える見方が広まる」が、世界の見え方は個人で異なるので、政治は集団生活のルールを決める情報処理の一つと考えられよう。 「経済」の語源となった経世済民は、東晋葛洪の著書「「抱朴子」にある「經世濟俗」に由来しているそうだ。「抱朴子」の「内篇は仙人になるための修行方法について記し、外篇はそれ以外の雑多な事柄を記し」ている様だが、「經世濟俗」がどこの文章にあるのか、私には分からない。いずれにしても、政治と経済は私たちの見える世界での集団としての振舞い方であり、世界という全体はなく、世界の集団の見方は、多くの個人の見方が重なり合うだけだ(動画)。したがって、政治と経済には真実というものはなく、競争で自分達の立場を有利にしているだけだ。競争して人間として破滅しない為には、政治も経済も「人間の尊厳」を土台に置くしかない。これは理想ではなく宿命として重く受け取る必要があろう。

 自分の造ったものと他者のものを交換する物々交換から物品貨幣へと自分から離れて道具となる「お金」を使いだした。今では「お金」もコンピュータネットワーク上の情報となっている。これも好奇心と想像力と欲望が「お金」を生んで、成長させていると言えよう。

 経済は欲望により貨幣を循環することで繁栄する。欲望は経済のエネルギーであるが、「人間の尊厳」を土台にしなければ破綻する。NHK番組「エンデの遺言 ~根源からお金を問う~」は、お金の原点について教えてくれて素晴らしい。
 参考:エンデの遺言 ~根源からお金を問う~ (動画) 記録
    実のお金と虚のマネー 内橋克人
    NHK番組続エンデの遺言 坂本龍一 銀行の"未来"動画
    ミヒャエル・エンデ「モモ」名言集~時間とは--心で感じるもの(動画)
    エンデの遺言 松岡正剛


 この番組はドイツ人実業家・経済学者で自由貨幣の概念を提唱したシルビオ・ゲゼルの主著『自然的経済秩序』を基に、今の経済の矛盾を語る。シルビオ・ゲゼルは「あらゆるものが減価するのに通貨だけが減価しないために金利が正当化され、ある程度以上の資産家が金利生活者としてのらりくらり生きている現状を問題視し、これを解決するために自由貨幣、具体的には「スタンプ貨幣」という仕組みを提案した」。お金は貯めることではなく、使うことで経済を活性化する。「スタンプ貨幣」は使わないと価値が減額する。この理論を取り入れて「地域通貨」を実践し、大成功した町、ヴェルグル(2)を次に紹介している。また、アメリカのニューヨーク州イサカでは、サービスと物、サービスとサービスの交換が可能な地域通貨「イサカアワー」が流通している。

 『マルクスは資本主義の問題点を民間の企業から国家の企業(国家資本主義)に変えることで解決出来ると考えた。マルクスの最大の誤りは資本主義を変えようとしなかったことであり、マルクスの業績は経済批判を可能にする概念を提供したことにある』(番組より)。しかし、国家の情報処理システムである「政治」まで国家主導にしてしまった。
 1990年に東西ドイツが再統一され、旧東ドイツのハレで発生した地域通貨「デイマーク(交換リング)」(2)について、次に紹介している。国家独占の資本主義と政治の社会で生きてきた人たちは、民間資本主義で自由を謳歌しているかと思っていたが、疲れている様に見えた。「交換リング」とは、お金ではなく、お互いの了解で労働やモノの交換の価格を決める制度で、人の繋がりを作ることが出来る。「交換リング」で誰かに支払う(マイナス)ことは、他者と繋がり何か(労働)で返すことだという。これまでの貨幣が物と物との交換であったが、人の交流にまで変わってきている。さらに、「スイス国内の中小企業をネットワークすることで、安定した長期的な販路を確保し、中小企業間での貨幣の循環を確保する」ために、ヴィア銀行が発行するヴィアについて(2)紹介している。そして最後に、日本のメディアでは報道されないが、オーストリアの美しく、国際会議開催が世界一のアルプバッハで、「未来のお金のシステム」を考えようという国際会議が開かれたことを知らせてくれた。確かにお金の流通システムは、これから大きく変わる。世界の経済システムは確実に変化していくだろう。
 参考; ブーム再燃か? 使えば使うほど「地元愛が芽生える」
     ―不思議なお金『地域通貨』の話
     地域通貨とは何か?
     ドイツにおける地域通貨
     30分で判る 経済の仕組み Ray Dalio
     【銀行と金融の仕組み】は何をコントロールしているのか?
     アメリカ、スイスの例から見る「地域通貨の可能性」
     イサカアワーには理念があった。「政府紙幣」は果たして!?

 当然のことだが、私には特に「自然界に生かされている人間」への確信があり、このブログも自然を大切にするつもりで書いている。数学も物理も嫌いで、政治や経済にもあまり関心はなかった。ただ、家業が鶏の孵化業で、幼少より「ヒヨコ」とはよく遊んだ。家業を継ぐために農学部に進んだが、卒業した時には養鶏も大型化し、外国雛は売れるが国産雛は売れなくなっていた。1年間働きながら考えたが、養鶏の規模拡大に興味はなく、廃業することにした。今では北海道の酪農は規模拡大のメガファームが出現し、作業も人の力よりロボット化が進んでいるそうだ。やはり農業の規模拡大はどこかがおかしい。幸いなことに大学が採用してくれて、学者の道が開き、今日まで現場のテーマで仕事をすることが出来た。今も、荒れる里山を牛の放牧で管理するシステムを行政、生産者、消費者をつないでできるはずだと思っているが、2足歩行が困難な歳となり、現場の仕事は引退した。そろそろこのブログも幕を閉じる時期が来たなと、「生きるということ」を生物の視点で考えていたら、世界が広く見えてきた。もう一度、この視点でこれまでのブログを読み直してみたい。また、「政治」も「経済」も「情報」だと考えれば、今までよりもっと興味が湧いて理解できるかも知れないと思うようになった。

 このブログを書くために、いろいろ情報をネットで検索していたら、外国語大学を卒業後、モルガン銀行に入行され、アメリカでも現場の仕事をされてきた大西つねきさんのブログと出会った。消費税お金の発行のしくみ日銀と国債の役割お金のあるべき姿国家経営のあり方(現在の問題点)国家経営のあり方(未来の国家)集団的自衛権について(動画)を拝見させていただくと、「政治と経済は情報だ」という考えに至った私の考えと同じ気がする。大西さんの資料を、政治も経済も情報だする私の視点から勉強させていただきたい。
 多くの人は現場の第一線で仕事をしながら、現場の常識で出世していくのが目標となり、立身出世が讃えられる。しかし、大西さんは現場の常識を超えた大きな世界を見つめていた。しかも、誰も思いつかなかった世界を実現するために、政治家を目指すという。現場の政治と経済は一体で動いている。その世界を変えたいという。凄いことだ。

 農学は生物学に根拠を持つ現場の科学だが、現場の研究とは、現場の常識に疑問を持つことで生まれる。政治学も経済学も現場の問題なのに、机上の学問として限定した問題を求めて詰めてゆくと、現場から離れて益々理解できなくなる。農学も政治学も経済学も、もっと現場から学び、現場に疑問を持つことから始める必要があろう。

 「大西つねき」さんは、国民の為の経済にするには政治改革が必要だと政治家を志している。これまでにない新しい時代の政治家だ!応援したい。頑張ってください。
 参考: 大西つねきの政治の原点(1)金融編(2)震災編
      フェアな経済、社会とは(2)(3)
      我々は何を間違え続けて来たか?(2)(3)



初稿 2018.9.27 広島カープがセリーグ優勝! 日本一を目指してガンバレ!
更新 2019.1.31 更新 2020.2.23(ブログ目次削除)

生きるということ~感性/理性と集中力/考えること

2018-09-25 11:04:20 | 自然と人為

 人間や動物は、外界を感知するための五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)を持ち、脳はその情報を組織化して行動に移しているが、その時、脳を動かすエネルギーは何であろうか?

 ビッグバンにより宇宙が生まれ、そして地球と生命が誕生した。ウィルスは「細胞膜やタンパク質の殻に核酸(DNA or RNA)が入った物質」で増殖に生物を利用する無生物と生物の中間にある。ウイルスは増殖するが生命とは言わない。「生命とは自己複製を行う動的平衡の流れである。脳細胞の内部では常に分子と原子の交換がある。脳細胞のDNAを構成する原子は、むしろ増殖する細胞のDNAよりも高い頻度で、部分的な分解と修復がなされている」。

 「生きる」とは「自己複製を行う動的平衡の流れ」であるとして、集中力はどのようにして生まれるのであろうか?
 脳が働くとき、ネットワークを構成する神経細胞で電気的な活動が起き、脳波として調べることが出来る。脳波には4つの種類があり、脳波と心は影響し合う。心身がリラックスし、一番脳のエネルギーが高い脳波はアルファー波状態だそうだ。人間や動物は五感から得られる情報に対して、普通は条件反射的に行動をしている。したがって、米国の研究にあるように、意識的に行動を決定するよりは、無意識下で行動をしていることが殆どである。人間の場合は「ひとつのことに集中する」瞑想で、集中力は鍛えられる。瞑想だけでなく、雑音に紛らわされないで、何かに集中すれば脳のエネルギーは最も高くなると考えられる。

 人間の行動で最もシンプルな目標を持つ陸上スプリンターがある。これは速く走るには身体をどう鍛え、その身体をどう動かせれば早くなるのかの問題を問い続ける強い意志を必要とするスポーツだ。若い頃は、身体と身体の反応は鍛えることは出来ても、歳を取れば維持することさえ困難になる。いつまでも競技に出場したいと思う意志から、今でも新しい工夫を続けているアスリート・末續慎吾選手の挑戦は、我々庶民にも参考になる。
 参考:アスリートの魂38歳 未知の走りへ~陸上・末續慎吾~」

 一方、数学は論理的世界であり、我々の住む世間のノイズに邪魔されないで仕事をするのが、最も脳のエネルギ-を高めて利用することになる。若い日、快活であったソ連(現ロシア)の数学者・ペレルマンは100年間誰も解を得ることが出来なかった「ポアンカレ予想」に取り組んでから、引きこもりになった。問題を解決し数学界のノーベル賞と言われる「フィールズ賞」さえ受賞を辞退し、世間との付き合いを全く止めてしまった。数学という論理の世界に熱中したことから、世間に生きる興味を全く無くしてしまったのだろう。今は違うテーマに取り組んでいるという。彼にとっては数学の世界がすべてで、世間の常識などには興味もなく、それによって行動する必要もなかった。純粋に論理の世界に生きたペレルマンからも、生き方の多くを教えられる。

 参考:数学者はキノコ狩りの夢を見る(2)(3)(4)

 この動画の「イタズラ書き」は神経集中を阻害して迷惑だが、多分、この悪戯書きにも著作権があるのだろう。理由はともかく、この録画を残して公開してくれていることに感謝したい。youtubeは誰でも簡単に動画を投稿できるので重宝していた。大切なNHK番組の録画を投稿して、皆様にもお知らせ出来ると喜んでいたが、ある日、著作権違反の理由でバッサリ削除されていた。公共放送であるNHKの著作権の根拠とは何だ。NHK番組がコマーシャル付でネットで公開されていることと、コマーシャルなしでは削除される矛盾をどう説明するのか。最近、そのコマーシャルも強制的に見せられるようになっている。情報は公開すべきだが、押し付けられるとコマーシャルで流れる商品や会社まで、卑しく見えて嫌になる。広島カープの応援だけは許せるが・・・。
 参考:ポール・セザンヌとグリゴリー・ペレルマン~その純粋な生き方

 「生きるということ」は、五感から得られる情報にどう反応するかということ。そして、反応の一つとして「集中力」があるが、「考えること」について教えてくれるドイツの若き哲学者・マルクス・ガブリエルは史上最年少でボン大学教授に就任したが、「なぜ世界は存在しないのか」という著作出版(2)がベストセラーになったことで、一躍、世界的スターになった。

 今年2018年6月に、彼は日本を訪問し、講演、対談等で忙い様子を、NHK番組欲望の時代の哲学」が記録に残してくれた。
 「全体としての世界」が存在するのではなく、「個人の見える世界」の集合体が世界であり、それは集団、組織、国等では「情報」としてまとめられるが、情報も一つではなく個人や集団で重なり合い、人間として見える個々の世界は重なり合う。動物+道具(機械)+情報=人間であり、「お金」は人間の欲望を増加させる。これらは放置すると暴走するので、全人類に共通の世界として倫理を持つべきであり、倫理の原点は「人間の尊厳」である。様々な人間をまとめるために「権威」があり、日本では「天皇の尊厳」を最高の権威としてきた歴史がある。天皇も存在することに権威があったが、生前譲位(2)されることになった。このことは退位までの仕事があることを示す。退位されようがされまいが、天皇の権威は「人間の尊厳」の象徴でなければならず、現役の場合はより積極的に活動されるということだろう。しかし、我が国には「天皇の権威」を権力が利用する歴史があった。このことは断じて許されないし、忘れてはならない。天皇は権力の暴走を抑えるために存在するのだから。

 恐竜の絶滅は巨大隕石の地球への衝突が原因と考えられているが、人類もどのようなことで絶滅するかもしれない。人類の破滅を救うのは、「人間の尊厳」の倫理を人類で共有し、科学の力(機械)を発達させて、宇宙レベルで資源の循環を行うことである。欲望の時代の今、『宇宙という新しい「市場」にチャレンジする時代が、ついに来た』のだ。「人間の尊重」と「宇宙の時代」で、人類の破滅を救おう。
 参考: 前澤友作 月の周回旅行動画英語版


初稿 2018.9.25


目次と連絡先

2018-09-24 10:28:26 | 自然と人為
      自然と人との関係なくして生命なく、
      人と人との関係なくして幸福もない。
      この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。


 プロフィール~いつも私を見守っていた愛犬「ジョーイ」

 連絡先メール:三谷克之輔 satousi1@yahoo.co.jp
           畜産システム研究会

 
         ~~ 目 次 ~~

「自然とデザイン」論説 2014-12-07
自然と人為~人間の理性と感性 生きるということ 経世済民
芸術はすべて心である~人生もすべて心である 純粋な生き方
自然とお金と個人と組織~何を基準に考えるか
お金の根源を問う 大西つねきのブログ 経済について大西先生から学ぶ
         (動画)消費税お金の発行のしくみ日銀と国債の役割
              お金のあるべき姿国家経営のあり方(未来の国家)

私の資本論(資料) ~日本沈没から自然と農業と個人を救おう
自然と社会を一人深く、深く心で見つめて~関係するブログ
   何故?と疑問を持つことから知は働き、真実が見えて来る。

動画集: すべての人々と全ての生物に愛を!心を!
@動画【金融・経済】

牛が拓く未来 ― 牛の放牧で自然と人、人と人を結ぶ 2014-12-10
私の訪問した”農の哲学者”アーミッシュの村 2015-08-12
予告!「富士山岡村牛」の食材の魅力(ごはんジャパン|テレビ朝日)
「ごはんジャパン」富士山岡村牛(テレビ朝日系列)の録画 2016.10.29
大谷山里山牧場 2015-08-20
シルバー世代がつくった里山牧場 2015-10-09
新春スペシャル「100分de平和論」~我々は何を考え... 2016-02-03
腐らないお金と腐る経済~権力の集中と分散 2016-05-25
グローバル化の終焉と経世済民 2016-11-17
エマニュエル・トッド 混迷の世界を読み解く2016-11-13
「個ー集団ー国」と自然の関係~内山節とスノーデン 2017-01-28
畜産システム研究会開催準備会 2017-05-20
欲望と孤立~これからの自然と人工の世界の関係を考える 2018-02-16
人類は進歩したのか、進歩できるのか? 2018-04-12
人類の原罪(殺生)と責任(自然・命を守る) 2018-05-08

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更新 2019.7.31 追加 2020.5.8

自然と人為~人間の理性と感性

2018-09-18 14:02:41 | 自然と人為

 人間は理性の動物ではなく、感性の動物である。人様々な感性を個性という。戦国時代に天下の覇者を目指した3武将の個性は、よく知られているように人とホトトギスの関係で次のように言われている。、

 「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」    徳川家康
 「泣かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」   豊臣秀吉
 「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」      織田信長

 これは人の個性の違いを人と生物との関係を例にして言っているが、人は生物に対して「愛護」を語るが、「尊厳」は語らない。一般に生物に対しては上から目線なので、気に入らないホトトギスは殺してしまえ、と言われてもギョッとはしない。一方、ドイツ憲法EU憲法では「人間の尊厳」を柱にしているが、日本人は仏さまに尊厳は感じても、他者に尊厳を感じることは普通はない。日本の憲法では天皇は国民の象徴とされているが、「日本の尊厳」としてきた長い歴史がある。
 「人間の尊厳」が世界の常識となるのは何時のことであろう。

 「自然と人、人と人」の関係を考えることを、このブログの中心課題としているが、人間も生物の一員であり、生まれつきの感性の違いと、生きてきた様々な環境において、何を感じ、何を大切にするかの違いが、判断や行動に大きく作用している。人は誰も「犬」を識別できるが、他の動物も言葉は持たないが、人間を識別しているはずだ。理性は画像処理により身についたもので、画像処理とは人間でも動物でも神経細胞の結合による論理的な作業である。この論理的な作業はAIで各分野で進められている。スピードは人間より早く、多くの情報を処理できるであろうが、判断に必要な情報が確かに集められているかどうかは、これを使う人間の責任だ。

 また、画像処理は連続し、次の画像により情報は変化していくはずだが、処理により得られた情報は慣性の法則のように、残像になったり無意識から意識に変換されて残っている。心でモノを見るとは、無意識の世界から意識を作る作業であり、画像から意識になるまでの神経回路の生成は無限なので、出来上がった回路の知識からモノを見るのではなく、心で見ることも大切だ。また、画像の変化に心身の反応する速度には個人差と年齢差があり、スポーツの能力や高齢者のボケにも関係しているのだろう。
 いずれにしても、個人、組織、国の判断と行動は人間の責任だが、これを支配するトップの考え方と行動で、歴史は大きく変わる。

 徳川家康(2)(3)(4)については、いろいろ紹介されている。信長からはヒットラーを連想するが、彼はある意味ではヨーロッパに憧れる流通型の大名だった。信長、秀吉は楽市・楽座で知られているように、彼らの時代が続くと流通型の日本となっていただろう。しかし、「地方ごとに農業を盛んにし、領国を富ませていくべきだ」とする家康が天下を取った。それが260年も続いたので、江戸時代の徳川政権が今の日本を造ったと言えよう。「鎌倉時代の武士は農業で生計をたてていた」と言われるように、武士だけでは生活できない。江戸時代も武士だけでは生活できないので、副業として、寺子屋の先生、剣術道場の師範と農業は許されていたが、武士が絶対やってはいけなかったのは「商い」だったそうだ。

 信長は足利義昭を第15代征夷大将軍に奉じて、全国統一を目指し、室町幕府に代わって支配をする者であるという支配の正当性を求め、「本能寺の変」で倒れた。何故、明智光秀は謀反を起こしたのか?
 まだ定説はないが、光秀は文化人でもあり室町幕府という伝統を愛し、信長に従属しただけでなく、足利義昭を守り戦ったこともある。日本の伝統を破壊する信長を、義昭の「鞆幕府」と繋がり倒した可能性を私は支持したい。倒すことが第一で、そのチャンスを重視し、次に何をするかが目的ではなかったように見える。

 家康も1566年、朝廷から従五位下三河守に叙任され、同時に「徳川」に改姓している。源氏の出ではない家康も「支配の正当性」を求め、権威が必要だったのだろう。秀吉は「関白」となったが、家康は朝廷ともつながり「征夷大将軍」の地位に就いた。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味で、日本は狭い国土の為か、飛鳥時代から他者の排除の意識が強かったようだ。
 政権を維持するためには、「下克上」を防止しなければならない。「鳴くまで待とう」の家康には、その資質はあった。さらに徳川政権を揺るぎないものにするために、3代将軍家光は「参勤交代」を始め、藩との主従関係を強固なものにした。

 江戸幕府は農業を重視した政権であったが、政権は何時の時代でも長く続けば財政危機に陥る。 幕府は発足当初の理念や、それを支えた制度や既得権益を守ろうとした。江戸中期の老中田沼意次は、悪化する幕府の財政赤字を食い止めるべく、重商主義政策を採ったが、時代に生きる人達に受け入れられず失脚した。しかし、幕末になると攘夷のために武器を購入し、財政難に陥る藩も多く出た。

 徳川御三卿の一つ第8代将軍徳川吉宗の血統である「田安徳川家」に生まれ、後に福井藩主となる松平春嶽は、身分に関係なく有能な藩士を登用し藩政の力とした。松平春嶽が登用した橋本佐内の意見により、攘夷論から開国論に考えも変え、将軍継嗣問題一橋派幕末の四賢侯を中心にして動かした。橋本佐内は若き藩医にして英語やドイツ語を独学で習得し、幕末の政治に関わり西郷隆盛坂本龍馬の考え方にも大きな影響を与えた。まさに橋本佐内が福井藩主(トップ)の下で幕末を動かした。橋本佐内も松平春嶽も維新側でなかったので、名を残していないが、「安政の大獄」で26歳にして斬首の極刑を受けたことは幕末を動かした中心的人物であった証明であろう。また、福井藩も幕末の軍事費が藩財政に大赤字を生んだが、松平春嶽が登用した福井藩士・油井公正(録画参照)が、開国後、藩札により農産物(生糸、お茶)を増産し、外国に輸出することで財政を回復させた。油井公正は明治維新後も政府の財政体制を確立している。
参考:英雄たちの選択「参勤交代を緩和せよ」~松平春嶽 幕政の根幹に物申す
  英雄たちの選択「橋本左内~維新を先駆けた男 安政の大獄に死す」 動画
  歴史秘話ヒストリア「橋本佐内と由利公正~知られざる維新の天才たち」 動画
  知恵泉「みんなの心をつかむ突破力~由利公正」 動画

 今、日本は明治維新150年を祝っている。明治維新を祝うとき、松平春嶽、橋本佐内、油井公正への感謝を大きく取り上げることはない。この150年、我々は未来に向かって理想を持ち、新しい理念で歩んできたであろうか。政権が長続きすると財政赤字と既得権益を守る人々が増大するのは、いつの時代、どの世界でも同じこと。日本は今、それが独裁政権となって国民を支配しようとしている。固定観念を打破し、政治に夢を取り戻そう! 参考:「長州レジーム」から日本を取り戻す!(2)(動画)

 科学は論理的であり、人間の欲望により便利な道具を開発し、我々は時代と共に人工的な世界に囲まれながら生きている。しかし、我々の原点は自然の一員であり、生物の一員であることを忘れてはいけない。人には色々考え方があるが、自然の一員として世界を見て、自然を破壊せず、自然の力を利用して生きることを第一に考えたい。それは、考え方というよりも人類の宿命だと思う。

 台風や地震で大きな被害が出たが、これもこの地球に生きる生物の宿命だ。北海道で酪農の被害が報道されている。酪農業界は規模拡大を目指しているが、ミルクプラントを拠点とした電気と水のバクアップ体制を考える必要を教えてくれた。また、地震に強い土地基盤を探して建物配置を考えることも、酪農だけでなく生活を始める第一歩として重要なこともあろう。

 田沼意次が失脚した背景には、天明の大地震、天明の大飢餓、浅間山の大噴火があった。老中首座であった阿部正弘(備後福山藩第7代藩主)が、堀田正睦を震災担当の老中とし、ついで首座の座を譲ったのも安政の大地震対策を重視したことによる。

 地方から東京への人口集中も危ない。地方の良さや安全性をもっと生活条件として考えるべきだ。私の生まれ育ち、暮らしている「松永」は、あの義昭の「鞆幕府」で知られる瀬戸内の「鞆の浦」が近い北方の山沿いにあり、自然条件の立地は最高だ。それでも駅前商店街は寂れていく。松永を魅力ある街にするには、これまでの発想を変えたシステムが必要だ。そう発想する若者が育ってほしい。

 資源の再利用をビジネスとして成功させ、さらに夢を追いかけている石坂典子さんがいる。彼女は知恵泉「みんなの心をつかむ突破力~由利公正」 に出演し、地域に貢献することが「見えないブランド」だとして、会社で「里山管理」を実践している。「見えないブランド」を里山に牛を放牧することでビジネスとして定着させ、日本の荒れる里山をビジネスで守ろうじゃあないか。
 参考: 大谷山里山牧場


初稿 2018.9.18 更新 2018.9.29