自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

1%の国益と99%の幸福~国と個人の利益

2016-07-28 15:54:06 | 自然と人為

 アメリカの大統領選を見ていると、民主党と共和党の2大政党からしか大統領にはなれない選挙制度のようで、これまでの巨大スポンサー付き金権政党政治に不満な人々が民主党ではサンダース氏、共和党ではトランプ氏を支持したと思う。トランプ氏は億万長者だが自分のお金で選挙を戦うと言うので支持率を上げたのだろうが、これからのメディア戦を手弁当だけで戦えるだろうか。

 民主党では「クリエイティブ・コモンズ」で知られるレッシグ教授が米大統領選に出馬表明(2015.9.10)(2)していたが、候補者ディベート参加ルール変更が「実質的な締め出し」となり、大統領選出馬を断念した(2)(2015.11.3)。
 ネットでは有名でも「支持率が1%を割り、それが理由で民主党がレッシグを候補者ディベートに呼ばなかったことで『党は自分を推す気がない』とレッシグは判断し、この出馬レースから降りると宣言した」と言う。インターネットで99%の国民のための選挙を争うにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 参考: ローレンス・レッシグ: 皆で共和国本来の国民の力を取り戻そう (テキスト
      ローレンス・レッシグ:法が創造性を圧迫する (テキスト
      ローレンス・レッシグ — 草の根活動家に転じたエリート法学者の「謀反」
      719夜『コモンズ』ローレンス・レッシグ

 一方、共和党では日本の核武装化や米軍の駐留経費を全額日本で負担すべきだと言うトランプ氏が大統領候補となった。
 「アメリカが日本に適正な負担を求めてきたときに、日本は莫大な財政負担をするのか、自主独立防衛をするのか、アメリカにも一定協力するのか(集団的自衛権)、完全非武装か考えざるを得ない。集団的自衛権へのヒステリー反対は収まるだろう。」と、橋本徹はアメリカ大統領選のトランプに好意的である。

 人は全てを見通して論じることは出来ない。天下国家を論じることは、国家を論じて国民を考えない、あるいは国家の幸福は国民の幸福だと言うのと同じだ。公務員(政治家)の言動は99%の国民のためにすべき責任と義務がある。国防とか集団的自衛権を支えているのは国ではなくて軍需産業であり、政治から独立した軍需産業は存在しようがなく、むしろアメリカの政治家は軍需産業を含めて巨大産業の資金で囲われていると言えよう。そして日本の政治はそれに追従していることを忘れてはならない。
 参考: 選挙前に知っておくべき、米国で今起きている恐るべき事実(2015年01月24日)
      アメリカ大統領選挙は、民主主義を演じる茶番劇


 戦争は最も国民を不幸にする。戦争をしないために国防や集団的自衛権を考えるのは仮想敵国を想定した自己矛盾である。戦時中沖縄では集団自決させられた。「鬼畜米英、捕まれば、女は強姦され、男は八つ裂きにされ殺される」と教育され、米軍上陸前には「日本軍の足手まといになるか ら、敵の手に落ちる前に自決しなさい」と自決用の手榴弾を渡されていた。生き残る恐怖から逃れるには死しかなかった。」 生き残った人には死しかない恐怖が待っていただろうか。仮想敵国が国民を不幸にする。日本は憲法9条に決められているように、戦争放棄した完全非武装を守り、自衛隊は世界災害救助隊にして世界に救いの手を伸ばし、世界から信頼される国になるしか99%の国民の幸福への道はない。アメリカには憲法9条を前面に出して、アメリカの戦争に協力しないことが99%の国民を守ることだ。

 戦後最大の賄賂事件であるロッキード事件は、田中角栄首相の賄賂だけを欧米のマスコミに騒がせるようアメリカCIAにより仕組まれた巨大な闇であった。アメリカ政府が動いたのは全日空のトライスター購入ではなく、アメリカCIA要員であった児玉誉士夫を通じての軍用機のP3Cの1兆円にも及ぶ購入工作であった。軍事を通して政治は闇に隠れ、国民はその真実を知らされることはない。
 参考: ロッキード事件の真実
      NHKスペシャル 未解決事件 ロッキード事件 第3部 日米の巨大な闇(動画)


 また、現代はお金が心を支配する時代となり、個人の自由や市場原理を優先し、政府による介入は最低限にする、そして公的分野の比重を低めて民間の活力に全てを委ねるべきだという新自由主義がアメリカでも日本でも政治的力を増して来ている。新自由主義は、人間の尊厳をかえりみない。大多数の国民にとって被害が大きいこの新自由主義を国民はなぜ政治に許すのであろうか。
 参考: 世界的経済学者・宇沢弘文氏が蛇蝎の如く嫌った「新自由主義」
      宇沢弘文先生の志・「心の豊かな社会」を目指して


 政治は99%の国民を守るという顔をして国民を支配する。国民は政治家とメディアの嘘に騙されてはいけない。日本もそういう時代に入っている。参院選では騙されて政治による国民支配への道を許してしまった。現在は都議選で都民の判断力が問われている。皆似たようなことを言っているが、一つだけ決定的に違うことがある。99%都民に格差をもたらすアベノミクスを肯定するのか否定するのか! 99%の都民を守るにはその判断だけでいい。 後は複数の副知事に実務を分担させることで、公約を実現していくべきだ。
 参考: TBS「時事放談」丹羽・北川 2016年7月24日
      トランプ候補に、内閣改造、経済対策20兆円、年金運用
      都知事選(丹羽;複数副知事任命を)
      小池候補「東京はアベノミクスの牽引(けんいん)役になるべきだ」
      増田候補「アベノミクスは道半ば」
      <高橋洋一 VS 小幡績>「検証!3年目のアベノミクス」2015年04月11日
      <浜田宏一 VS 浜矩子>アベノミクス徹底対論2015年04月13日
      地方をどう創生するのか~アベノミクスと日本経済の未来①


初稿 2016.7.28 追加更新 2016.7.29 修正 2020.2.23

日本の政治に希望を持ちたい~田中正造と斉藤隆夫を忘れない

2016-07-23 11:42:04 | 自然と人為

 大橋巨泉は才能溢れる自由人であった。「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」という遺言よりも、惜しむらくは議会や党議拘束に絶望して参議院議員を辞職しないで、自由人として参議院に旋風を引き起こして頂きたかった。死人に鞭ではない。参議院まで沈着した個人を拘束する習慣を否定できるのは、巨泉のような自由人かも知れない。それが現代の政治を変えるのではないかとも思ったが、選択肢が多い自由人にはその覚悟はなかったということだろう。

 明治時代には足尾鉱毒事件に挑んだ田中正造がいた。戦前も軍部の暴走から国民を守ろうとした斉藤隆夫がいた。立憲君主制の帝国憲法のもとでも、徳川の封建制より希望があり、田中正造は農民を救うために政府に質問書を提出し続けて無視され、議員を辞職して死刑覚悟で天皇直訴をした。斉藤隆夫は暗殺覚悟で国会で反軍演説をして議員を除名された。いずれも国民の側から国民の生活を守ることに頑固で命を懸けた。安倍首相は国民主権の憲法のどこを改正したいのか。それは首相の妄想と信念という実存であって、国民の生活を守る憲法の本質をつくるものではなく、むしろ国民の希望を奪うものだ。
 動画: NHK その時歴史が動いた「田中正造 足尾鉱毒事件に挑む」
      NHK 英雄たちの選択 「開戦前夜!政治家 斉藤隆夫の挑戦」
      (1)斉藤隆夫 開戦前夜 決死の演説
      (2)2・26事件と粛軍演説
      (3)斉藤隆夫の素顔と苦悩
      (4)反軍演説と議員除名
      (5)斉藤隆夫からのメッセー
  参考: 田中正造に見る「人の為に生きる」ということ
      田中正造その行動と思想
      不屈の田中正造伝
      斎藤隆夫衆議院議員の反軍演説(全文)
      斎藤隆夫 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞
      江川紹子の事件ウオッチ第27回「いまだ非公開の反軍演説」


 参院選で憲法改正を発起できる2/3が得られたと騒いでいるが、この参議院は戦前は貴族院であった。憲法はGHQに押し付けられたと言うが、GHQ草案で示されていたのは衆議院のみの一院制であり、憲法で衆議院と参議院の二院制になった。先のブログの最後で指摘したように、参議院は「チェック機能」を果たす良識の府としての役割を担う。新憲法が可決された1946年の衆議院の特別委員会でも「衆院と重複する機関となればその存在意義を没却するものである」(衆院憲法改正特別書・付帯決議)と参議院独自の役割が期待された。」 本来の趣旨から言えば参議院は個人が埋没する政党の争いではなく、田中正造や斎藤隆夫のように本質を求めて権力を監視する個人の主張の場にすべきであろう。しかし、それは夢のまた夢、国民主権の現代においてさえ、政治から離れて憲法を要とした法律を守るのが任務の司法まで、政治に関わり支配者に組し、権力は腐敗していく。
 参考: 日本会議トップが記者クラブで時代錯誤の会見&改憲運動を全国展開
      【日本会議】の勢力拡大の最大の理由は、二人の元最高裁長官の深い関与!
      <不正選挙疑惑2>「裁判所は開票の不正の話をすり替えた」
 

 今ではメディアも国会議員も当然のことのように「衆議院の解散権」を「首相の専権事項」としているが、これはGHQの支配下にあった吉田内閣において最初から意図的に「天皇の国事行為」を利用して実施されたものであり、戦前の軍部が天皇の統帥権を悪用したのと同様に、時代は変わっても権力が象徴天皇を利用しようとする動きが始めからある。また、反共の砦として日本を利用するためにGHQが戦争責任者の公職追放を解除したことで新しい憲法の考え方に馴染まない政治家が増えたことも関係しているのかも知れない。いずれにしても吉田内閣が憲法7条を利用した抜き打ち解散が悪しき「首相の解散専権事項」のはじめである。吉田内閣が憲法69条を形式的に使用した「馴れ合い解散」で衆議院を解散して以来、日本の政治は最初から憲法に書かれた趣旨からではなく、支配者の都合の良い解釈で運用を始めているのである。

 自民党から民主党に政権が移った時、人々は政治が変わると期待したが、長い自民党政権で出来上がった司法、立法、行政における組織と人間関係で生まれ根付いた政治が現実を動かしていた。民主党政権下で東日本大震災の原発事故に見舞われたが、それを実質的に裏で対応していたのは、形式的な制度ではなく自民党政権時代に培われた人脈であった。同じ民主党政権下で発生した鳥インフルエンザと口蹄疫事件 (2) (3)に際しても、現場で対応したのは民主党議員ではなく自民党議員との古くからの現場の人間関係であり、それは日本人の常識的行動でもあったのだろう。
 現実の政治に近づけば近づくほど制度は仮の棲家という実存で、組織と古くからの人間関係が政治を動かしている。自立した個人の孤独と不安よりも、集団に安心して依存する日本では権力に近い政治家についていく。それが長く続くと権力は腐敗しても、自分が守られていると思えば「政治と誠実」の関係を気にすることはなく、そのうちゆでガエルとなり自民党政権を長持ちさせるのだろう。
 政治の古い人間関係は政治家が世襲となることで、まるで北朝鮮と同質のアジアの文化かと思うように続いているので、新しい政治は若い世代に期待するしかない。しかし、教育やメディアに政治は多様性ではなく中立性を求め、メディアは権力批判ではなくエリートの職場となり、若い人が自分たちを拘束している社会と政治の問題を語ることから遠ざかっている。若者たちの生きていく希望は、社会を変えることよりも与えられた状況から見つけるしかないようだ。

 太宰治もサルトルも生きていくには十分のお金は得られていた。それだけのお金を得られたのは、その人の才覚のお蔭だと考える人もいるだろう。99%の国民にとって生きていくためのお金が必要で、お金をどう使ったかの関心は低いかもしれない。1%のためのアベノミクスではなく、99%の国民の生活のための政治によって今よりは暮らしやすくなると思うが、バラバラになっていく国民には社会に順応することが精一杯で、社会を変えることへの実感はないのかもしれない。
 学者(公務員)として仕事をさせていただいた恩返し(正義)のつもりでこのブログを書いているが、家業を断念して学者として現場に学問の道を求めることができたのも、ちょっぴり頑固でわがままな私が定年まで仕事をできた環境があったからこそと感謝している。
 今も99%の国民の側に立ち、わがままだと受け取られるかもしれない頑固な公務員(政治家)が現状を変えるかも知れない。そう思いつつ希望だけは死ぬまで持ち続けたい。

初稿 2016.7.23

太宰治とサルトルから社会正義:「政治と誠実」を考える

2016-07-22 16:40:02 | 自然と人為

 若いころ「人間失格」の太宰治が理解できなかったのは何故だろうと、最近は太宰治のことを知りたいと思うようになった。名著47 「斜陽」:100分 de 名著は、古稀を過ぎた私なりの社会正義:「政治と誠実」を考えるヒントを与えてくれた。
 「斜陽」第1回 「母」という名の呪縛
 「斜陽」第2回 かず子の「革命」
 「斜陽」第3回 ぼくたちはみんな「だめんず」だ
 「斜陽」第4回 「太宰治」の中には全てが入っている

 私は古稀を過ぎても「人間万歳」の武者小路実篤が心のどこかにいる。「人間万歳」の武者小路実篤が私の心に住み社会正義を考える原点には、この世に生まれた奇跡に感謝し、それぞれの命を精一杯生きようという気持ちがある。奇跡で与えられた命を自ら断つよりも死ぬ気で頑張れと言いたいが、その人にとっては死ぬことが問題解決だったのかもしれない。
 人それぞれの生き方は自由だが、政治は人々の税金を使用して仕事と生活をしているので、死ぬことが問題解決にならない社会にしていく責任と義務がある。政治は言葉だと言われても、太宰治にとっては理想も正義も誠実までも皆ウソだ!ということだった。
   
        「斜陽」第3回 ぼくたちはみんな「だめんず」だ

   
        「実存主義とは何か」第1回 実存は本質に先立つ

 一方、名著48 「実存主義とは何か」:100分 de 名著 で、サルトルは「人間の実存は本質に先立つものであり、人間は自らの決断によって人生を作りあげていかなくてはならない」としている。太宰治の「皆ウソだ!」をサルトルの「人間の本質は作り出すものだ」と読めば、太宰とサルトルが見えてくるように私には思える。
 第1回 実存は本質に先立つ
 第2回 人間は自由の刑に処せられている
 第3回 地獄とは他人のことだ
 第4回 希望の中で生きよ

 太宰治の「斜陽」は戦後の新しい体制における貴族の没落を背景に、女性の恋愛=革命とダメ男を描いた小説で、時代の変化に対して女性がたくましいのが気にいった。サルトルの実存主義は第2次大戦の大人の責任に対して「これまでの哲学が求めてきた本質は実存するもの、そこにあるものではなく、個々人が選択してつくりだすもの」という実存主義を創出した。人は社会に拘束されているが、希望をつくりだすことで生きる意味を見出そうというものであり、ここでも女性のたくましさが生まれ、いずれも日本とフランスにおける戦後の若い人の生き方に大きな影響を与えた。

 太宰治「斜陽」の女性はたくましいが、「だめんず」は他人のまなざしに地獄を見ている。男性は日常は支配者願望もあり強がっているが、社会の変化にはぐずぐずしているだけだ。文学者と哲学者、日本人と西洋人の違いも含めて太宰治とサルトルは、「政治と誠実」について考える材料を与えてくれる。なぜ、社会正義:「政治と誠実」なのか。人はどのように生きようが自由だが、人間は想像する動物であることと、公務員は人々のために仕事をしている公僕であることは誰も否定できない。公務員はエリートでもなく、支配者では絶対ない。政治は公務員の仕事であり、政治家(公務員)は自分の考え(想像)に誠実である前に、政治を委ねている99%の人々の生活に誠実である責任と義務がある。それが社会正義であり、日本の憲法が政治を拘束する本質である。政治にはいろんな考え方があると誤魔化されたくない。政治家の言葉がウソかどうか、政治家が誠実かどうかの判断もそこに求めることが出来る。
 ここでは文学も哲学も論じるつもりはない。ここに紹介した「100分 de 名著」の私なりの理解の範囲で、私なりに99%のための社会正義:「政治と誠実」について考えて見たい。

 例えば沖縄辺野古の埋め立て問題で、政府が沖縄の民意を代表する知事と誠実に話し合わないことは、現場の要請より別に重視することがあることを示していて、国と地方の問題ではなく政府が国民の声を聴く責任と義務を放棄していることになる。アメリカの基地が大切だという判断は、国民の声を無視した政府の勝手な判断であり、国民のための政治では断じてない。99%のための「政治と誠実」ではない。現場の要請を否定して、これを国のためという論拠はない。それが99%のための「政治と誠実」について、太宰治「斜陽」とサルトル「実存主義とは何か」から考える理由である。

 まず「斜陽」の貴族の没落であるが、貴族は戦前の日本の支配者層であった。戦後の普通選挙に当たっても公職追放された者以外の元支配者層がかなり選出されていて、それが戦後政治の始めの背景にはあるだろう。憲法はGHQに押し付けられたというけど、毎日新聞によってスクープされた憲法問題調査委員会試案から分かるように、戦後に生き残った支配者層からは国民主権の憲法はできなかったろう。これは戦争による社会の断絶はあっても、革命による国民の主体的な断絶ではなかったし、今でも明治に郷愁を感じる者がいるように、日本人には過去との主体的な断絶はできないと思う。
 太宰治自信ははサルトルの言うように「実存(必然的な存在)にはなれない」けども、創作で想像の世界を創ることはできた。しかし、それは「未来に向かって自分をつくる」方向ではなく、絶望と自死の世界であった。そのことが若い私には理解できなかったのだろう。

 もう少し戦争について日本の戦後の歴史を考えて見よう。自衛隊の創設も朝鮮戦争によるアメリカの要請でできたもので、ある意味では独立国でないからアメリカの基地を押し付けられたと言えよう。また、国防軍のない独立国はないという考え方も戦争の反省から生まれた新しい考え方を否定し、独立国には国防軍があるという不確定な本質論を先にする議論だと思う。アメリカによる武装解除よりも、国民による主体的な戦争放棄と考える方が前向きの本質論だ。

 また、戦争の抑止力として軍隊が必要と言う論も仮想敵国を相手にした軍拡競争の原因となる。戦争の抑止力に軍隊が必要という例として死刑は犯罪の抑止力になると言われるが、軍隊のない国と同様に死刑のない国もある。トルコではクーデターを理由に支配者が死刑を復活させようとしている。また、個人の犯罪と国の戦争を同じレベルで考えてはいけないが、秀吉が刀狩した日本より、いまだに自分の命は自分で守る銃社会のアメリカの方が個人の自由はあるかも知れないが、それはサルトルの言う不安で孤独な自由、「自由の刑に処せられている」と言えるのではなかろうか。
 国が武器を個人から取り上げると個人の安心は得られるが、一方では国が軍隊を持つと支配者の都合によって仮想敵国が作られるし、軍隊はクーデターを起こす可能性もある。軍隊が必要なのは国民ではなくて軍需産業であり、国民の支配者である。自衛隊のあり方は未来を見据えて国民が考え、本質を作り出さねばならない。

 いずれにしても日本の政治に希望を持ちたい。批判のためではなく希望のために立ち止まって、もう少しサルトルとともに考えたい。

初稿 2016.7.22 動画更新 2018.2.21

サルトル「実存主義とは何か」

2016-07-21 16:34:44 | 自然と人為
名著48 「実存主義とは何か」:100分 de 名著
 第1回 実存は本質に先立つ
 第2回 人間は自由の刑に処せられている
 第3回 地獄とは他人のことだ
 第4回 希望の中で生きよ

参考:『実存主義とは何か』とは何か
   実存主義 - Wikipedia
   サルトルの実存主義について
   哲学入門49 サルトル 実存主義(音声)
   現実に生きている人間の立場、実存主義の「サルトル」
   【実存主義とは?】自己の在り方の本質を追求!自由は罰?
   簡易版サルトル紹介
   実存主義って何? ニーチェとかサルトルとかハイデガーとか。

本の感想:
  サルトル『実存主義とは何か』 | - the deconstruKction of right
  うのもえ 第4話 「三つの決断主義」|ukparaの思索メモ
  サルトル「方法の問題」| 松岡正剛の千夜千冊(初めてサルトルを語る
  実存主義の申し子・サルトルの名言から考える “自由とは何か:
   「人間の運命は人間の手中にある」
  
実存主義と構造主義:
『哲学学』講義 : レヴィ=ストロースのサルトル批判 |livedoor Blog
現代哲学の主流が実存主義から構造主義に移った理由 | More sinsere
構造主義
構造主義
実存主義→構造主義→ポスト構造主義→ポスト・ポスト構造主義の変遷をめぐって
現代哲学の主流が実存主義から構造主義に移った理由
実存主義と構造主義:レヴィ=ストロースさん、ありがとうございました
実存主義から構造主義へ
構造主義への愛と憎しみ
初音ミクと実存主義・構造主義・ポストモダン

初稿 2016.7.21 動画更新 2018.2.21

太宰治「斜陽」

2016-07-21 13:18:24 | 自然と人為
名著47 「斜陽」:100分 de 名著
 「斜陽」第1回 「母」という名の呪縛
 「斜陽」第2回 かず子の「革命」
 「斜陽」第3回 ぼくたちはみんな「だめんず」だ
 「斜陽」第4回 「太宰治」の中には全てが入っている

参考:太宰治「斜陽」 - 青空文庫
   太宰治 斜陽のあらすじ!1200字で簡潔に♪
   斜陽(太宰治)のあらすじと感想 簡単/詳しくの2段階で解説
   太宰治『斜陽』・現代にも通じる「斜陽族」、あなたは大丈夫?

   太宰治記念館「斜陽館」 - 太宰ミュージアム
   斜陽 - Wikipedia
   太宰治 『斜陽』 | 新潮社

本の感想:
   太宰治『斜陽』|文学どうでしょう
   太宰治「斜陽」は駄作 |四十三庵
   太宰治「斜陽」|真空溶媒
   太宰治「斜陽」|感想ライブラリー
   太宰治「斜陽」|口の中の腐れ茸
   太宰治「斜陽」|novelU.com
   太宰治「斜陽」|読書メーター
   太宰治 『斜陽』 読書会(2015 6 6):音声

  太宰治『斜陽』のその後——作家・太田治子インタビュー
   【 前編】未婚の母・太田静子と、父・太宰治
   【 後編】太宰はもう「卒業」しました
  『人間失格』のイメージを覆す!?ネガティブでも陰気でもない太宰治作品
  太宰治 ~おすすめ作品のあらすじと感想~

初稿 2016.7.21 動画更新 2018.2.21