自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

戦争放棄の憲法を守ることは、日本と日本人を守ること

2015-11-29 18:09:43 | 憲法を考える

『世界では「憎しみの連鎖」が拡大し、市民がテロで殺される恐怖に怯える時代になってしまいました。アメリカのブッシュだけではない!フランスのオランド大統領まで!お前もか!テロに対する戦争だ!と叫んで敵への爆撃を強めています。さらにロシアのプーチンまでも!』と、『「セバスチャン・サルガド」の映画をもう一度!』で申し上げましたが、住民にとっては「アメリカもロシアもフランスもイギリスもみんなテロ国家」と、私の思いと同じブログもありました。

 一方、『古舘伊知郎「有志連合の空爆もテロ」の真っ当な発言が炎上! 自民党と右派勢力がテレ朝、TBSを狙い撃ちか』とか、『「NEWS23」岸井氏を名指し攻撃(日刊ゲンダイ)』という不穏な国内の動きもあります。その背景を解説した『NEWS23』岸井攻撃の意見広告を出した団体の正体! 謎の資金源、安倍首相、生長の家、日本会議との関係は参考になります。なぜ、このようなあからさまな政治的な動きが、メディアにまで影響を及ぼす時代となっているのでしょうか。

 最近のサンデーモーニング”風をよむ”では、「有志連合」「トルコの役割」を取り上げていますが、日本の役割は何なんでしょうか。昨年9月には「国連」を取り上げ、国家間の紛争解決のための国連が、国の枠を超えたテロやイスラム国等の問題解決に機能できなくなっていることを指摘していました。安倍政権は国連の常任理事国入りを目指していますが、米国と共に戦う日本では国連での発言権が得られるはずがありません。日本は戦争放棄の憲法を守ることで、世界平和に貢献していけます。武力による「敵」への対応こそが、日本と海外にいる日本人を危険にさらします。

 欧米諸国が歴史的に犯した「二つの誤り」〜だからテロリストは今日も生まれる 「普遍的価値」という名の横暴と欺瞞 (2015年11月19日)という、内山節の指摘を熟慮して欲しいと思います。

 日本の誇りは何でしょうか。戦いを嫌い、森を大切にした縄文文化こそ、誇りではないでしょうか。織田信長は鉄砲によって日本支配の道を拓きましたが、古代では鉄によって支配者が生まれ、鉄によって支配領域を拡大したと思われます。しかし、たたら製鉄で鉄5kgを生産するためには3tの森林伐採が必要でした。メソポタミアが砂漠になったのは製鉄のための森林伐採の影響が大きいと思います。技術の進歩は必ずしも人類の幸福にはつながりません。

 もう一つ日本の特徴は「主語がない日本語」です。皆が平等に生活していれば主語はいりません。これは誇りとも言えますが、今日では集団主義の弊害に陥りやすいとも思います。主語がないということは個人を認めないことにもつながりますし、「あなた」や「あなた方」を認めないことにもつながります。「我思う、故に我あり」ではなくて「君あり、故に我あり」なのに、今は君のことを大切にしない日本になってしまったように思います。ことに国を支配する権力を握ると、国民主権のことより「我思う日本」こそが誇りだとし、根本を見失う政治家、官僚、学者等の公務員が増えているようです。

 その兆候は住民を無視する公共事業や、憲法を無視した「安保法(戦争法)」に見られます。戦争も津波も抑止力やスーパー堤防で防ぐよりは逃げるが勝ち、縄文人のように逃げ場や逃げ道を確保することの方が賢明です。異常気象の危機が警告されている今日、自衛隊を国際災害救助隊にし大型防衛費5兆円の予算を世界や日本の国民生活を守る経費に使えば消費税アップは必要ないでしょう。

 公共事業も防衛予算も国民ではなく大企業を守るために使われます。国民を犠牲にして支配層を守る政治は、格差を拡大し、国民の豊かさと自由と幸福を奪います。我々が出来ることは憲法を必死で守ることです。さあ、主語がない日本語の危険性に気づき、日本が逃げ場や逃げ道のない悲惨な国にならないように、皆さん! 目を覚ましましょう!

参考:公共事業は誰のものか(1)動画
   公共事業は誰のものか(2)動画
   公共事業は誰のものか(3)動画
   公共事業は誰のものか(4)動画

「岸井成格」に声援を送る。TBSは不当な圧力に屈するな。
石川教授 「立法事実なき安保法制」,森本元防衛相 「安倍総理の 改憲から日米軍事同盟強化の思い」
安保賛成の学長が落選in同志社大
崩壊寸前の新旧アベノミクス 
岸信介首相は「日系人は日本社会での失敗者だ。外務省の高貴な家系の子息と一緒に働けるか」と言い放った
北海道のアイヌにかかわる歴史教科書の記述が文部科学省の検定で歪曲されている例
戦没者を「(生存者の)身代わり」という張本勲説に共感
心臓(晋三)の最後っ屁!
「戦争とテロと平和」について
この真相を大拡散出来れば 日本が戦争を起すことは不可能だ!
人類の「普遍的価値」とは 人の命と財産を奪わないこと
「秘密法」違憲訴訟 ・ 原告敗訴 「具体的な紛争が生じているということはできない」

初稿 2015.11.29 追加更新 2015.12.16

縄文人の生き方と文明で失われた平和な世界

2015-11-27 17:40:36 | 自然と人為

 山極壽一と関野吉晴の対談で人類が人間たりえたのは、火や石器などの使用もあるが言葉の使用と食物を共用し共同生活したことにあると山極氏は語り、人類がアフリカから南米チリの南端まで旅したのは、争いから逃がれて食物を求めたからだと関野氏は想像している。
 言葉は集落の人口が数百人程度までで、人も自然も一つになっている関係では多くの説明がいらないので簡単だし嘘がない。しかし、文明の発達とかで分業と支配者ができると、モノ、コトを見る視点や考え方が異なってきて、支配者の言葉の影響が大きくなる。
 考古学が科学的であるためには物的証拠が求められるが、状況証拠も矛盾がないかぎり物語として受け入れたい。

 我々は縄文遺跡から文明以前の人類の生き方と文明で失われた平和な世界を想像することができる。縄文文化については「縄文文化と里山文化~斉藤晶牧場に学ぶ」でNHKの番組を紹介したが、著作権とやらでブロックされてしまった。しかし、縄文文化はこれまでの欧米の文明の評価を覆す偉業だとダイアモンド教授は高く評価(動画)している。

追加(2015.12.21) アジア巨大遺跡 第4集 縄文 奇跡の大集落

 縄文文化の動画については、小名木善行氏の解説している「日本の歴史~縄文時代」もある。小名木善行氏についてはいろいろ疑問が出されている(1)(2)ようだが、縄文文化を縄文文明と誇りにしているところが、琉球(動画)と韓国を併合し日清戦争をした明治時代を文明開化と誇るのと同じ違和感を感じる。文明社会と言うのは農耕による富みの蓄積と分業から支配者が出てきた社会を言う。日本の歴史を日本の誇りとし、日本中心主義に陥る新しい歴史教科書をつくる会と共通しているのではなかろうか。

 これからの歴史教育は日本人の誇りのためにあるのではなく、世界平和を考えるためにあるべきだ。
 「セバスチャン・サルガド」の映画の一枚のモノクロ写真は一瞬の風景を切り取って多くを語ってくれるが、同じ風景でも撮影する人の感性によって表現が異なるし、同じ写真でも受け取る人の感性によって印象も異なってくる。
 歴史の物語の部分は正しくても、物語に自己中心(日本中心)的な考えが入るのは危険だ。

参考:
日本人に息づく歴史の流れ 〜歴史を学ぶとは〜 【CGS 日本の歴史 プロローグ】
どこから来たの?日本人 〜文明のあけぼの〜【CGS 日本の歴史 1-1】
世界最古の文明は日本から? 【CGS 日本の歴史 1-2】
元祖和風スイーツ!? 縄文クッキー 〜縄文「文明」を探る〜【CGS 日本の歴史 1-3】
縄文文明と戦争 〜平和を愛するDNA〜 【CGS 日本の歴史 1-4】
縄文のビーナスと土偶 〜土偶に隠された意図とは!?〜【CGS 日本の歴史 1-5】
四大文明と縄文文明 〜学校では教えてくれない四大文明のウラ〜【CGS 日本の歴史 1-6】
大和人vs大陸人 〜人の流れを追う〜【CGS 日本の歴史 1-7】
古代の宗教戦争? 〜宗教の源は多神教だった!?〜【CGS 日本の歴史 1-8】
縄文時代に始まった稲作【CGS 日本の歴史 1-9】

初稿 2015.11.27 更新 2015.12.21

山極壽一と関野吉晴~ゴリラの社会とグレートジャーニーから人間を考える

2015-11-25 13:33:19 | 自然と人為
 先日、民放のニュースで「仲の良い猫とフクロウ」を楽しませていただいた。カラスも頭が良いと聞いているので、いつも眠っている顔をしているフクロウも頭は良いのだろう。それにしても猫もフクロウも性格はいろいろで、激しいのから穏やかなのやらいろいろといるのだろう。
 猫とフクロウ(動画)で見る大阪の子猫の「まりも」ちゃんと外国の黒猫では、フクロウとの関係に性格の激しさの違いが見られるが、それでもお互いに仲が良い。

 猫とフクロウでさえ仲が良いのに、人間はどうしてこんなに憎み合うのだろうか。山極壽一さんは「言葉」が原因だと言う。また、人類の旅(グレートジャーニー)を訪ねて長い冒険の旅をしてきた関野吉晴さんは、人類はアフリカから食を求めて旅に出たが、弱い人種が追われて遠く南米チリの果てまで旅をしたと想像している。

 日本の縄文人は平和で戦争をしなかった。アメリカの先住民と同じモンゴロイドの血が流れているが、10万年前にアフリカを旅立った遠い祖先と同じ血が濃く流れているのだろう。
 ここでは日本の縄文文化を想像しながら、山極壽一さんと関野吉晴さんの対談から、お二人の活躍のほんの一部を紹介したい。

 NHKの番組は著作権を理由にブロックされるものとそうでないのがある。公共放送のNHKは放送済みの番組を保存し公開する義務がある。何を根拠にNHKは検閲しているのであろうか。

山極壽一×関野吉晴、下記の冒頭部分(検閲通過確認のため)。
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「山極壽一×関野吉晴」 2015.8.15
からつ塾 山極寿一教室「家族の由来と未来~ゴリラの社会から考える
かつら塾教室
ドキュメンタリー映画「縄文号とパクール号の航海」
地球を旅して見た差別とその背後にあるもの(その1)
究極の冒険家…グレートジャーニー”関野吉晴”の旅が凄すぎると話題に!!

初稿 2015.11.25

「セバスチャン・サルガド」の映画をもう一度!

2015-11-19 20:12:34 | 自然と人為


セバスチャン・サルガド

 このブログで映画「セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター」 シネマ尾道で上映決定!とお知らせしましたが、上映は明日11月20日まで後1日となりました。

 私の甥の子(又甥)の大学生は、これまで5回観たそうです。私の知っている人は高齢の方が多く購入していただきましたが、前売り券購入の60%近い売り上げを達成できました。購入していただいたお金はもったいないほど輝いて見えます。前売り券を無駄にしたくない!
 この映画は、まず観ていただき魂に刻んでいただくことに意義があるので、若い人には無料で配布しました。楽しみも苦しみも悲しみもある人生ですが、皆さんの魂の深くに残る映画だと思います。
 来年も、もう一度上映していただき、一人でも多くの方に観ていただきたいと思っています。

 私は明日、4度目の鑑賞に行きます。最初はサルガドの写真が胸に刺さり、2度目でストーリーが見えてきました。彼の写真は、「もはや人間の救済など信じられない」ほどの悲惨な被写体を一瞬切り取られたモノクロの映像で、愛おしく神々しいまでに私に訴えてきます。
 「”フォトグラファ”とは『光で描く人』を指す。世界を光と陰で描き続ける人のことだ。」と彼は説明しています。「その人の考えは、その人が育った環境や その人が今、置かれている立場に影響される」と私は思っていますが、似たようなことを彼も語っていたように思います。今度はその言葉の一言一言を確かめたいと思っています。(追記:著作権違反で映像は記録に残せませんでした。「同じ風景でも、人の視点によって切り取った風景は変わる」ということを言っていたようです。映像を受け取った人によっても印象は変わりますから、正確に伝えるよりもこの映画を観ていただくのが一番!もう一度、この映画を出来るだけ多くの方に観て頂くように、一人が5枚の前売り券を購入し、 20人集まって上映の運動をしたいと思います。一人が5回観ても、 もう一度観たい! と思う様々な印象を与えてくれる映画ですから。)
 セバスチャン・サルガドの写真、それは彼の感性が一瞬を切り取る。彼は愛情豊かな環境で育ち、人への愛が深いので、それが一瞬の感性にほとばしり出るのだと思います。

 3度目の映画鑑賞に同行してくれた級友から「今、近くの小学校が消失している。」と聞きました。前回のブログで、人は文明の家畜化を進歩だと勘違いし、自己中心的となり、自己孤立化を進め、共同体が崩壊していることを指摘しました。小学生から地域への愛着が芽生えますから、小学校は地域共同体の要です。

 しかし、共同体を守ることよりも、「競争による学力向上」を求めて生徒の多い学校に人が移っているのだそうです。生きるための難民の人口移動ではなく、先進国を自負する我が国では、文明の家畜化を目指し人口移動が始まっていると言えるのではないでしょうか。

 子供は遊びに熱中することで、集中力と自発性が育ちます。運動は身体だけでなく脳も鍛えます。「競争が人間を鍛える」として、子供の遊びや仲間との連帯、地域の繋がりを無視して、運動能力の序列化には否定的な一方で、答えがある受け身の学力を競うことばかりに熱心なことは、子供の世界を破壊する大人の暴力です。試験の点数が低いと社会から落ちこぼれる? 現実を直視せよと言われそうですが、その現実は大人が作り出しているのではないでしょうか。まずは、文明への家畜化という概念が受け入れられるかどうか、教育熱心なことと文明への家畜化を目指していることは次元の違う話なのかどうか、「受け身の教育」に熱心なことが本当に子供のためになっているのかどうか、等から対話を始めることが必要でしょう。

 一方、大人の世界では「憎しみの連鎖」が拡大し、市民がテロで殺される恐怖に怯える時代になってしまいました。アメリカのブッシュだけではない!フランスのオランド大統領まで!お前もか!テロに対する戦争だ!と叫んで敵への爆撃を強めています。さらにロシアのプーチンまでも!

 言葉や信念の中に敵はいても、戦争は多くの人を巻き込みます。戦争に巻き込まれて死亡していく人は、市民へのテロ被害よりはるかに大きいでしょう。テロも殺人の絶対悪ですが、戦争は国による殺人の絶対悪です。しかし、テロ犯罪者は国際指名手配されますが、国の支配者が罪を問われることはありません。そのことを無視して正義の戦いだと宣言できるのでしょうか。爆撃を強めれば強めるほど被害は拡大し、憎む人も増加し、憎しみも強まります。テロに対する戦争だという支配者の声は正義に見えますが、そのことで支配者の過ちは見逃されても、市民の自由は奪われ平和な暮らしは戻らないでしょう。
 
 サルガドは「もはや人間の救済など信じられない」と愛の魂を打ち砕かれました。その「憎しみの連鎖」の人間の暴力は、先進国の武力では殲滅できません。国の武力は最も悲惨な暴力なのですから。人が人を殺し、国が人を殺す絶対悪の暴力を絶滅するには、文明の家畜化を進歩だと確信している人々や「憎しみの連鎖」に陥っている人々の対話では解決できません。人の死を超える信念が暴力を許しているからです。平和を求めるためには、人が人を殺す銃や武器の製造を禁止するしか道はありません。

 しかし、我が国の政府は原水爆の製造・保持の禁止の声すらあげず、日米同盟の強化が平和を守ると戦争放棄を誓った憲法を改悪し、「憎しみの連鎖」に加担しようとしています。人間は愚かなものですが、その愚かさが暴走しないように戦争放棄の憲法は必死で守らないといけないと思います。そして私たちが進歩だとか成功だとか出世だとか喜んでいる裏に、文明への家畜化の道があるのではないか、真剣に考える時代が来ているのではないでしょうか。

参考:写真家・セバスチャン・サルガドとジャーナリスト・後藤健二さん
   戦争放棄の憲法を守ることは、日本と日本人を守ること
   「憲法9条」の戦争放棄と「安保法案」の抑止力-どちらが人類を救う?
   戦争と自然~右と左の中心は自然だ!
   自然と共に生きた縄文人と自然に還ったセバスチャン・サルガド
   縄文人の生き方と文明で失われた平和な世界
   縄文文化と里山文化~斉藤晶牧場に学ぶ

映画の紹介:
2本のドキュメンタリー映画で写真の可能性を考える
セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター : 佐々木俊尚
映画「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」未来の地球を救え!
圧倒的捕食者である人類に警笛を鳴らす。ブラジルの写真家が8年間撮影し続けてきた写真「ジェネシス」
Vol.17 ジュリアーノ・リベイロ・サルガドさん(映画監督):映画が好きです

初稿 2015.11.19 追記 2015.12.29 動画追加 2016.1.29


戦争と自然~右と左の中心は自然だ!

2015-11-13 17:26:12 | 憲法を考える
 「日米同盟が日本の平和を守っている」という認識はおかしい。「憲法上の問題を含んでいるが、日米同盟の強化は理にかなっている」という認識もおかしい。戦争放棄の憲法こそ平和を守ってくれているのだから!

 衆議院の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会(平成27年7月13日)では、「外敵の暴力から身を守り合う仲間のコミュニティーに日本も参加する(岡本)」ことや、「国際情勢の急速な変化」の中で「日米同盟の強化に当たるということは、極めて理にかなったこと(村田)」であり、「憲法上の問題を含んでいるが、同時に安全保障上の問題であり、学者は憲法学者だけではない(村田)」という意見が出されている。

 しかし、人が人を敵だと疑う根拠は何だろう。敵だという疑いは憎悪を生み、集団の憎悪はエスカレートして止められない暴力を生む。ましてや国が仮想敵国を想定することは「憎しみの連鎖」を国が始めることだ。国が憲法を守ることより大切なことがあると考えることは、戦争を放棄することを誓って戦後を歩んで来た国民への裏切りであり、仮想敵国をチラつかせて権力が暴走を始め、それを国民が止めることができなくなる前兆だ。

参考:
村田晃嗣氏、同志社大学長選で敗れる 安保法制賛成で学内から批判

 秀吉の朝鮮出兵の動機は知らないが、我が国には明治維新後の琉球併合に始まり、韓国併合、そして満州事変のように日本を守るためと称して横暴な侵略をした歴史がある。単独で横暴になるよりは、米国に従う方が安心のようにも思うが、アメリカは白色人種が建国した国で人種差別と市民が銃を持つ国だ。

 広島、長崎に原爆を落とし、共産主義化を防ぐという名目でベトナム戦争長期化させ、韓国にも派兵させ、テロに対する戦争として躊躇なくアフガニスタンを攻撃し、他国に侵入してのビンラディン暗殺を誇るかのように公表し、核兵器の保持を疑いイラクを占領しフセインを処刑した。さらに、儲かる武器を製造、供給して世界各地で戦争の原因(動画)となっている。

 しかも現代は武力だけではなく、TPPのように経済まで国を動かして世界制覇を目指している。そして米国に追従して支配者になりたい安倍の「嘘・ごまかしの言葉」を編集しているのは、広告会社(消費者の洗脳社)と国民に奉仕するのではなく支配を使命と勘違いしている官僚(国民の分断統治の詐欺師)なのだろう。国益とは国民の利益ではなく、一部の支配層の利益であることに注意を払う必要がある。

参考:
安倍首相が“明治復活”旗印にする『坂の上の雲』、作者の司馬遼太郎が「軍国主義を煽る」と封印の遺言を遺していた
改憲集会に安倍や側近、超保守仲間が参加+百田は改憲啓発映画を制作
本澤二郎の「北京の街角から」

 中国は一党独裁と批判されるが、安倍政権も憲法を解釈で変える独裁だし、米国は世界の制覇を目指している。日本は個人を大切にする主権在民の意識が薄く、集団主義に走り支配者が横暴になる歴史があるので大統領制は向かない。天皇が平和憲法を守る象徴であり続けて欲しい。安倍首相は戦争当時の支配者であった祖父、岸信介を尊敬している。当時は国民を大切にしないで、戦争に反対するものを弾圧して「鬼畜米英」と国粋教育をし、沖縄や本土を悲惨な状態に陥れた。今ももうこれ以上基地を作らないという沖縄の願いを無視して、基地建設に期待する地区に国が地域振興費を直接交付する。それが「美しい国、日本」「戦後レジームからの脱却」の正体であろう。「安保関連法」はまず自衛隊員を犠牲にし、次に国民の生活から自由と豊かさを奪うだろう

参考:
自民党の右旋回の背景とそれが止まらない理由 (2015年6月18日)
「安保法制」では日本の抑止力は高まらない (2015/06/06)
沖縄米軍基地建設問題 県警を指揮できない知事の権力とは  (2015年09月26日)

 政治は「主権在民」の意識をしっかり持っていないと、どの国でも、いつの時代でも権力を求め国民支配に向かう。自民党は国民政党として、予算と権限の分配を地域に目配りして国民支配を維持してきた。会社も松下電器に象徴されるように、社員を家族の一員として定年まで、あるいは定年後も面倒を見るのが企業であった。地域にも商店街や農業、あるいは中小企業がつながる共同体が生きていた。

 しかし、その共同体の時代は大きく転換しようとしている。政権与党の政治家や官僚が「憲法違反」に異議申し立てをしない状況と重なるように、私の研究分野においても、「家畜の口蹄疫予防にワクチンを使わない」と科学を無視した政策に、現場に責任を持たない学者や研究者は異議を申し立てない。今、時代が壊れ、「庶民の情報」という時計が狂い始めている。

その人の考えは、その人が育った環境や
その人が今、置かれている立場に影響される。
自分が得た情報を自分の都合で編集して、
あたかもそれが自分の意見だと頑固になることは危険なことだ。

人は自分の考えを自分だけで考えたことと錯覚しやすい。
しかし知識は他者から与えられたもの、
「知の巨人の肩の上」であれ、信頼するルートであれ、隣人であれ。

私たちは一人では生きていけないのに、
相手を「敵」と仮定して考えるのは危険だ。

右と左の考え方があり、それが今は中心に向かっているとしても、
右と左の矛盾した混合ではなく、
我々は自然から生まれ自然に還るように、
中心には自然がある。

自己に対してではなく、
自然に対してプラスなのかマイナスなのか、
そのことが問われる政治と経済に向かわないといけない。

日本の先住民、縄文人
自然に生かされていることを畏敬して1万年以上も暮らしていた。
その縄文文化の遺跡は、多分、多くて数百人単位の集落で、
自然と共に生きた縄文人が、
戦争によって文化を変えなかった証だと思う。

ヨーロッパではネアンデルタール人は絶滅したとされているが、
稲作文化は中国大陸や朝鮮半島からやってきた
弥生人によってもたらされ、
縄文人との混血で今の日本人も受け継いでいる。
先住民の縄文人と後から来た弥生人のどちらを
我々の祖先と考えるかは別にして、
中国や朝鮮半島の人々を我々とは違う人だと思うことはナンセンスだ。

アメリカはヨーロッパから移住した人たちが、
世話になった先住民から土地を奪い、
アフリカから暴力で連れてきた奴隷を差別する事件や
銃の事件が今も絶えない。
新世界を白人で建設したと言う自尊心が
アジアの黄色人種やアフリカの黒人を差別している。

動物も植物もこの地球で命をいただいた我々と同じ生物だ。
我々はアフリカから世界に旅に出た同じ人類なのに、
つまらない差別で憎しみ合うことは不幸なこと。

戦争なき自然のことを実感していただくためにも、
映画「セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター」
全国の多くの方に観てもらいたい。

政治も経済もまずは自然を畏敬し、
「経世済民」、民を救うものでなければならない。
自衛隊も武器を捨て、世界災害救助隊になるべきだ。

初稿 2015.10.2 更新 2015.11.14