自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

成長神話の崩壊を人間回復、農業復権の夜明けに

2015-04-25 13:20:02 | 自然と人為
デーリィマン 2009年2月号『時評』の改訂版

「済民」を切り捨てた貨幣経済
 経済とは「経世済民」、世を経(おさ)め、民を済(すく)う―という政治・統治・行政全般を意味する言葉でしたが、貨幣経済が浸透した江戸時代後期には利殖を意味して使用されるようになり、「今世間に貨殖興利を以(もっ)て経済と云ふは誤りなり」と批判も出ています。「貨幣はいつまでも使用される」という民の信用によって流通していますが、貨幣経済はその民の信用に報いることなく、「済民」を切り捨ててしまったようです。

 日本の商いの伝統は「暖簾(のれん)」の信用を守り続け、人を大切にすることでしたが、市場主義経済では会社の生き残りのために最初に人を切ることを恥ともしないようです。また、このような貨幣経済の暴走を食い止めて国民の生活を守るのが政治や行政の役割ですが、どうやら政治や行政まで「農業、福祉、医療を切り捨てても、経済成長が国民を豊かにする」と誤解しているようです。

農業の近代化に「経済学のわな」
 規制撤廃した自由市場経済により繁栄がもたらされるとした市場主義経済に理論的根拠と方法を与えたのは経済学です。この「経済学のわな」はアダム・スミスの手から離れて経済学が成立したときから抱えている問題です。学問の専門化が発生するときの宿命として、科学も経済学も人間を切り捨てることで、専門の純粋性と客観性を維持し、その一方で現実世界から乖離してしまうのです。ことにアダム・スミスの「国富論」が経済学として独立して歩き始めたときに、彼のもう一つの著作「道徳感情論」に示された人間の本性である共感を求めて行動する社会的存在が切り捨てられました。そして、「自由な市場で利益の最大化を求める利己的な行動が国の繁栄をもたらす」という常識が成長神話とともに世間を闊歩(かっぽ)することになってしまったのです。

 農業の近代化は「農業は生活である」という考え方を否定し、専門家は農学が実学であることを軽蔑し、「生産費」という机上の空論を信じて「農業経営から家計を分離すべき」と生産コストの削減を求めましたが、そこに農業から農家を、そして人間を切り捨てる「経済学のわな」があることにお気付きでしょうか。

誤ったシステムの下では個人の努力は報われない
 日本の農業、農村の荒廃は食糧自給を放棄して、選択的規模拡大による専業農業を推進し、地域のつながりを破壊してきたことに起因しています。ことに畜産はアメリカの余剰農産物に依存することを原点として、原料輸入型の工業的畜産を推進して来ましたが、今やアメリカにとって農産物は余剰ではなく戦略的物質となり、アメリカ大陸を横断するよりも太平洋を船で安く運搬できるという神話も怪しくなってきました。安いアメリカの農産物に依存して作られた飼料輸入から畜産物の加工、販売までのシステムの根拠が薄らいできているのです。
 飼料高、エネルギー高では、このシステムの維持の価値は小さく、ましてや家畜生産部門は努力しても経営が改善できる見込みは少ないでしょう。その上にSPS協定で防疫より貿易を重視させ、TPPで関税だけでなくそれぞれの国の制度を支配しようとするアメリカの思惑と日本の高齢化で農業や畜産は存続の危機にあります。日本は政府が農業を支配していますが、アメリカは政府より大企業が畜産を支配していること、日本の高齢化の問題は政府だけでなく3世代家族で支えなければならないことに視点を注ぐ必要があると思います。

 農業の原点は経営ではなく、地域資源に依存した生活にあります。農業の選択的規模拡大と加工型畜産を推進してきた国の責任は大きく、地方創生とは農業経営の国際化対応の改善ではなく、農業を地域の生活の基盤とし、畜産を地域資源の維持管理につなぎ、専業農家との絆、地域産業との絆、3世代家族の生活との絆をどうつないでいくかが問われている問題です。絆とは愛のあるシステムであり、愛とは「後ろ髪をひかれる」ように相手を気にすることで、愛に日が当たれば暖かいシステムになります。

富の唯一の源泉は農業である
 2009年の丑(うし)年は成長神話崩壊の夜明けに始まりました。豊かな生活のために経済成長が必要であると言う成長神話は、人をモノと扱うまでに欲望を暴走させて、人と人、人と自然の関係をズタズタに切り裂いてきました。今、その時代が終わろうとしているのです。貨幣経済で利益を追求しても、「一方の得は一方の損」(モンテーニュ)で富の偏在は生じますが全体の富の増加はありません。太陽エネルギーによってもたらされる自然の恵みを循環的に食物連鎖でつないで生きているのが生物であり、生物の一員である人間が生きていくのを支えているのが農林漁業です。資源のことを考慮に入れると「富の唯一の源泉は農業である」ことは普遍的な真理なのです。成長神話の崩壊を人間回復、農業復権の夜明けとするには、世界は一つ、人と自然も一つであることに目覚め、他者と多様性を大切にして、ハイブリッド(雑種・混合)につながりながら共に生きることが必要です。

再生可能なシステムをつくる時代
 利益を得るために経営があるのではなく、技術やシステムが地域や他国に貢献するために経営が必要なのです。これからは「つなぐこと」で再生産可能なシステムを創る時代です。これまでのシステムは自分の生き残りのために他のシステムを食う合併で巨大化し、生産の多様性を失うとともに、生産と消費を現場でつなぐ小回りがきかなくなってきました。現在の大きな市場は無くならないでしょうが、生産と消費、都市と農村をつなぐ小規模の多様なネットワークが必要とされ、一人が複数のネットワークとつながる時代が来るでしょう。そんなの忙しい? 否! 忙しいと心が滅びます。ゆっくりと1歩、1歩、深く息を吸いながら歩いて行きましょう。

 輸入飼料から国内資源に依存したした畜産にどう切り替えて構築して行くのか。固定観念を脱皮するためには、生産、消費、流通、行政、研究等の関係者が複数のネットワークでつながり、生産方式、流通の変革、農地法等を共に学びながら未来を切り拓いていく必要があります。畜産は食の供給だけでなく、放牧による里山の維持管理に貢献し、放牧の美しい景観に市民が集い、憩い、交流、学習、教育の場を提供することができます。これからは生産と消費、都市と農村、人と人をつなぐ仕事が畜産の重要な仕事になるでしょう。

初稿 2009.2 更新 2015.4.25

宮崎口蹄疫事件から5年~誰も責任をとらない中空構造⑦

2015-04-20 11:58:51 | 中空構造
 口蹄疫対策検証委員会の委員であった郷原信郎弁護士は、衆議院農林水産委員会(2010年12月8日)に参考人として出席し、宮崎口蹄疫の「徹底した殺処分」は、「家畜の健康」を守るためなのか、あるいは「人の健康」に影響が生じるからか、そうではなくて、清浄国という一つの評価を維持することの経済的なメリットが重要なのか、関係者で問題の本質の認識が一致していないことを指摘しています。(このことは我が国の口蹄疫対策と海外専門家の評価(2010.12.13)でも指摘しています。)

 この認識の不一致は多数決で決められる問題ではありません。まず、ワクチン接種して殺処分したことは口蹄疫の発生源を隠蔽するために実施した国と県の犯罪であり、欧州家畜協会からの緊急声明「生かすための緊急ワクチン接種を!」を無視した最低最悪で、あってはならない言語道断の防疫措置です。次に口蹄疫は人の健康には被害を与えませんから殺処分の理由からは除外できます。また、感染防止のために殺処分することは、規模拡大が進んだ今日の経営では時間が掛かり、感染阻止はできないで被害を大きくするだけなので、これも、「家畜の健康」を守る理由からは削除できます。さらに家畜用のワクチンは人間用よりも感染阻止の効果は大きいので、ワクチンバンクを使用できる今日、殺処分を少なくするためにワクチンを速やかに使わない理由はありません。

 次に口蹄疫清浄国への復帰を急ぐ経済的なメリットについて検討してみましょう。
 2010. 4.30 香港への牛肉輸出再開
 2010. 5.11 マカオへの牛肉輸出再開
 2010. 6.30 ワクチン接種畜の殺処分・埋却終了
 2010. 7.27 全ての移動制限解除
 2010. 9.22 清浄性確認終了
 2010.10.16 OIE清浄国復帰申請
 2010.11.12 シンガポールへの牛肉輸出再開
 2011. 2. 5 OIE清浄国復帰認定
 2012. 4.25 カナダへ牛肉輸出再開
 2012. 8.18 アメリカへ牛肉輸出再開

 OIEコードでは、清浄国で口蹄疫が発生した場合の清浄国復帰の条件として、(a)感染・疑似患畜をすべて殺処分した後3ヶ月、(b)感染・疑似患畜とワクチン接種家畜をすべて殺処分した後3ヶ月、(c)感染・疑似患畜とNSP抗体陽性家畜をすべて殺処分した後6ヶ月という3つの選択肢を示しています。今回の宮崎口蹄疫では(b)を選択したことになりますが、6月30日から3ヶ月後が清浄国復帰の条件になります。なぜ、清浄国復帰の申請が10月16日と遅かったのでしょうか。清浄国復帰を急ぐならば何故、7月27日の移動制限解除までに清浄性の確認を終了しなかったのでしょうか。しかも口蹄疫清浄ステータス回復と輸出再開でも山内一也先生が指摘されたように「OIEによる清浄国復帰が認められても、国際貿易では世界貿易機関(WTO)のSPS協定(衛生と植物防疫のための措置)にもとづいて、輸出相手国と個別に協議して清浄性を認めてもらわなければなりません。」

 香港、マカオ、シンガポールには、OIEが清浄国復帰を認定する前に輸出を再会していますが、アメリカはOIEの清浄国認定後輸出再開まで1年半も必要でした。すなわちOIE認定条件の(b)と(c)の差は3ヶ月しかありませんので、ワクチン接種して全殺処分をしてOIE清浄国復帰を急ぐ効果は認められていません。ましてや輸出依存国ではない我が国が予防的殺処分で2000億円以上の被害を出してまで、清浄国認定を早く回復する経済的なメリットは全くありません。
 
 家畜の命を救いたいという庶民の声を政府は聞かないでしょうから、貿易に有利なルールとして「遺伝子検査陰性、抗体検査陰性、ワクチン接種否定」の3条件を証明できれば輸出できるようにOIEコードを改正したらいかがでしょうか。アメリカは大量輸出していますから反対するでしょうが、この方法で口蹄疫発生中でも輸出はでき、貿易を防疫より優先させる馬鹿げた理由はなくなります。BSEの全頭検査よりも容易なこの方法を日本のブランドにすれば、OIEコードに採用されなくても日本の牛肉ブランドの信頼を高めることにもなるでしょう。ワクチン接種したら感染源を隠すことになるのではなく、ワクチン接種して殺処分をしたら感染源を隠すことになると思いますが、こんな論争はもうしたくありません。視点により同じ言葉でも180度意味が違ってきます。積極的平和主義を強調すると敵と想定されて警戒する相手を積極的に増やすだけです。世界の正義だと過信して世界に敵を多く作ってきたアメリカに従属して戦うことは、憲法を改正して日本人の命と信頼が奪われることになると心配していますので、これからはそちらのつぶやきを続けさせていただきます。

「宮崎口蹄疫事件」から5年を意識して下記の「誰も責任を取らない中空構造」シリーズを投稿しておきました。また、畜産システム研究会報にも論文を投稿しています。このブログの移転に伴う更新が必要なブログの箇所や文字化けの箇所はゆっくり訂正させていただきます。

猛威を振う鳥インフルエンザ、そして口蹄疫~誰も責任を取らない中空構造①
国・県の水牛農場冤罪事件を許すな!~誰も責任を取らない中空構造②
備蓄ワクチンと国費の無駄遣い~誰も責任を取らない中空構造③
病性鑑定資料のねつ造と国・県の共同謀議~誰も責任を取らない中空構造④
世間と社会~誰も責任を取らない中空構造⑤
「武士道」と「茶の本」 ~誰も責任を取らない中空構造⑥

畜産システム研究会報
口蹄疫の被害最小化対策を考える.畜産システム研究会報第34号,11-45.(2011.2) 引用文献
口蹄疫被害最小化のためのマネジメント -遺伝子検査とワクチン接種- 畜産システム研究会報第35号,39-63.(2011.12) 引用文献 16. Charleston Online Material

初稿 2015.4.20 2015.4.21 更新









日本は「生かすための緊急ワクチン」を拒否し続けるのか

2015-04-19 23:23:13 | 牛豚と鬼
 日本は口蹄疫に感染していなくても感染の恐れがある地域の牛、豚を「予防的殺処分」し、殺処分のためのワクチン接種を防疫指針としている。

 『2010年宮崎口蹄疫発生当時からOIEの日本の首席獣医官(CVO: Chief Veterinary Officer)であり、欧州家畜協会から届けられた「生かすための緊急ワクチンを!」の緊急声明を無視した川島農林水産省動物衛生課長は、2012年5月に行われた第80回OIE総会において理事に選任されました。理事会はOIE総会が開催されていない期間に総会に代わって業務を遂行する機関ですが、川島理事はOIEで「生かすための緊急ワクチン」を拒否し続けるのでしょうか。』

 これは先に、13.口蹄疫と原発、そして戦争の類似点で指摘したが、この対談(10.ワクチン接種と国際貿易と国内流通問題)で山内一也先生は「OIEコードでは、清浄国で口蹄疫が発生した場合の清浄国復帰の条件として、、(a)感染・疑似患畜をすべて殺処分した後3ヶ月、(b)感染・疑似患畜とワクチン接種家畜をすべて殺処分した後3ヶ月、(c)感染・疑似患畜とNSP抗体陽性家畜をすべて殺処分した後6ヶ月という3つの選択肢があり、今回の宮崎の場合は(b)の条件を選択しましたが、重要な点は、政府が(c)という選択肢のあることを国民に伝えず全頭殺処分しか方法がないといった対応を行ってきたことです」と指摘されている。鹿児島大学 岡本嘉六教授のブログでも「第8.5.8条 清浄資格の回復」として、「ワクチン非接種清浄国に復帰するには全頭殺処分が前提とされている」と解説している。獣医・専門家は、なぜ「ワクチン接種後に殺処分の必要はない」ことを紹介しないのか、獣医界は「名誉の殺人」のように「予防的殺処分」を常識とする異常な世界なのだろうか。

OIE連絡協議会の開催状況(平成26年度 第2回)によると、2014年9月にOIEは「口蹄疫」に関する章の改正案(農水省まとめ)を提出しワクチン非摂種清浄国に復帰する条件として、c)感染・疑似患畜とNSP抗体陽性家畜をすべて殺処分した後6ヶ月という選択肢について下記の2つの条件が満たされた場合は、防疫措置完了後の経過期間を3ヶ月に短縮する改正案の検討を求めている。*参考 OIE Code-FMD(2014)
第7条清浄性復帰(1) Recovery of free status(2014)
① OIEマニュアルに準拠したワクチンを使用し、
② 反芻獣の場合はワクチン接種動物とその子畜全頭、他種の動物については抽出により、ワクチン接種効果を確認し、NSP抗体検査陽性畜が残っていないこと。

これに対して日本は以下の理由で反対している。
1)NSP抗体検査の感度や特異度の制約に懸念があること
2)ワクチン接種畜の全殺処分と同じ待機期間とするリスクが同じとは考えられないこと
3)ワクチン接種清浄性については短期間での再発が考えられること

緊急ワクチンを接種して殺処分を少なくし、清浄国への復帰をできるだけ早くしようとする世界の口蹄疫専門家の改正案に対して、日頃から海外の情報や真実を隠蔽し、ワクチン接種と殺処分をセットにしようとする日本の態度は、科学の進歩や国民や家畜に対して誠実ではないと思う。ワクチンを接種したら感染源となる家畜が残る、いわゆるキャリアー問題は「ゼロの証明(悪魔の証明)」であり、前提条件を明確にした範囲でしか実証できないし、実験的に証明しない限りは科学とは言えない。日本に今、口蹄疫ウイルスは存在しないことを証明するには、遺伝子検査と抗体検査を全頭検査し、その範囲でいないことを証明出来るだけである。また、キャリアーを主張するなら抗体陽性家畜と健康畜を同居させて感染実験をして感染の実態を明らかにすべきだ。

キャリアー問題は実験的に証明されるべきだし、ワクチンを信用しないのは家畜を救いたいのか、それ以外の何を大切にしたいのか明らかにして欲しい。もっとも家畜を救うために家畜を殺すというのは科学が発達している今日、大規模経営を推進させた農水省としては論理矛盾であろう。

参考 キャリアが感染源になる可能性はゼロに近い
    NSP抗体検査を問題にしてワクチンを否定する根拠はない

初稿 2015.4.19


「名誉の殺人」と「予防的殺処分」の相似性

2015-04-16 11:27:53 | 自然と人為
 マララさんのことはノーベル平和賞の史上最年少受賞者としてよく知られている。彼女の活動が「女性に対する教育の必要性」を命懸けで主張したことは知っていたが、その背景に「名誉の殺人」という風習があることは知らなかった。

 「名誉の殺人」とは、「結婚相手を親兄弟の意思と関係なく自ら選んだ女性や、婚前交渉(結婚前の異性交遊・性交渉だけでなくレイプ被害も含む)を行った女性を『一家の名誉を汚す』者として殺害する風習」だそうだ。『生きながら火に焼かれて』のスアドも痛ましい。

 これは父親や兄弟を中心とした家父長社会の風習で、家族の「名誉」を女性が傷つけると世間から排除された。その女性を殺す(排除する)ことで「名誉」は守られ、そうしないと村から家族が排除されることになる。これはイスラム社会の風習だけではない。家父長制の強かった日本でも密懐法(びっかいほう)があり、女性に対しては教育よりも家事が大切にされ、現代でもセクハラ、モラハラ、マタハラ、さらにパワハラなど女性や他者を尊重しないハラスメントが多い。男の常識にとっては「こんなことで何故?」という反応に見られるように、訴えねば事件にもならないハラスメントは無数にあろう。「ハラスメント」という言葉が氾濫していることは、男の常識の「安心社会」が崩壊している状況と見ることもできる。殺人にまでは至らなくても、日本の世間という「安心社会」は内弁慶で外面は優しいが、実のところ身内や従うものには甘いが女性や身内の外にいる他者には冷たい。女性も家父長社会では他者であり、男の安心社会である世間で育ってきたので、日本には憲法で約束された社会が尊重されず、他者を信頼しない風土があることは気に留めておく必要がある。

 女性の「名誉の殺人」は信じられない話だが、そのような世間があることを世界の人が知っておくことも、そして一人ひとりが声をあげることも人間の命と尊厳を大切にする社会の構築にとって重要なことだ。
 マララさんは訴える。「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。」

 牛豚の「予防的殺処分」 (口蹄疫防疫指針p.43)も動物を愛する我々にとっては信じられない話である。「名誉の殺人」と「予防的殺処分」の類似性を論じることは不謹慎だとコメントされそうだが、人間だけではなく家畜や自然を含めて我々は相互依存の世界に生きている。 自他同一の感性(相互依存性)を尊重しない原点において、家父長(支配者)が決定することに疑問を抱かず従い、他者に対する異常と思える行為がその世間で常識とされている点でカタチが似ている相似形である。このブログではお世話になっている家畜を殺処分しないで感染拡大を阻止する方法を考えている。「予防的殺処分」とは口蹄疫に感染していなくても、その恐れがあるというだけでワクチンを接種して殺処分をした宮崎口蹄疫の防疫措置(宮崎口蹄疫事件)のことで、これを見直さず今後もさらに続けようとしている方法である。

 獣医界の家父長である獣医師会や獣医学会の指導者や官僚が決めた「予防的殺処分」には誰も異を唱えないし、専門家はその問題を誰も説明しようとしない。家父長の指示や獣医界の風習に背くと、その組織から排除されるので、世間の空気に従わざるを得ないのであろう。「名誉の殺人」が問題だと言う人がいないほどその世間では常識となっているように、「予防的殺処分」に何も疑問を持っていない人が獣医界には多いということもあろう。備蓄ワクチンを直ちに使わなかったことを問題視せず、殺処分を当然のこととし、殺処分に関わる獣医が少なすぎるとし、殺処分の方法に改善すべき点のあることを強調する家父長もいた。動物の命を守るのが獣医の仕事なのに、牛や豚の産業獣医の世間はなんとむごい仕事を強いられていることよと思うが、獣医界から「予防的殺処分」を廃止せよという声は聞こえてこない。その上、家畜にお世話になっている畜産界も獣医界が支配しているらしい。ここは専門外の素人が「ワクチンを接種して何故殺すの」という素朴な疑問から海外の文献等を調べて、殺処分を最小にする方法があることを発言するしかない。さらに、現場の畜産関係者や市民が新しい防疫体制の構築に参加するために、「口蹄疫対策民間ネット」を提案したが反応はなく、ブログは共同作業の場にはならず一人のつぶやきの世界だと悟っている。信頼より安心社会に育った私たちには、この見えないネットでは他者への信頼は育たないのだろう。それでも国民の税金で仕事をさせていただいた学者の一人として沈黙は許されない。1本のペンで訴えて畜産界から排除されるより、そんな世間からは出家をしたい。

初稿 2015.4.16

斉藤晶牧場とティク・ナット・ハンの「相互依存と心身一如」の世界

2015-04-14 12:48:01 | 自然と人為
 私は家業(養鶏孵化業)を廃業して大学に戻った経緯もあり、専門細分化した実験室の研究(部分)で農業(全体)を語ることはできないと、若い頃、現場の方々と「畜産システム研究会」を組織し、現場をシステムとして考える研究を目指していて、私の師となる大切な三つの出会いをいただいた。
 一つは斉藤晶牧場と出会い、お金を儲ける畜産ではなく、牛や自然と共に生きる畜産の素晴らしさに目覚めた。
 二つ目は同じ頃、級友の故内海恭三京都大学教授の紹介でテキサス大学のディック・リチャードソン教授を知り、何度か訪米して「資源のホリスティックな管理:HRM(Holistic Resource Management:現在は改名してHolistic Management)」を現場で指導していただいた。人と自然の相互依存の関係をホリスティックに管理する道を教えていただいたディック夫妻の御恩は忘れることができない。
 三つ目は義兄がOR(オペレーション・リサーチ)の研究をしていた関係で、「しなやかシステムズアプローチ」を目指しておられた甲南大学中山弘隆教授と出会い、部分と全体は相互依存するシステムを数学的に考える多目的計画法を教えていただいた。

 そのディック夫妻と中山教授の研究グループに斉藤晶牧場を知っていただきたいと国際共同研究を提案し、斎藤晶牧場を学び合うことがあったが、ディック教授が斉藤晶さんに「先生、ありがとう!」と握手を求めていた光景は今でも忘れられない。アメリカでHRMと出会い学んだことは、どのような畜産のデザインを描くのか(2)~2.アメリカのHRMに学ぶに紹介している。

 これらの3つの出会いとは別に、森の哲学者メイナク族をテレビで観て「すべてが一つの世界」を教えてくれた映画監督森谷博さんやアマゾンを守る南研子さんのグループも、私に「自他同一の感性」を育ててくれた恩人だ。

 そしてNHK教育テレビ「こころの時代」で「ティク・ナット・ハン」のことを知り、全てが「相互依存と心身一如」のブッダにつながった。
こころの時代 禅僧ティク・ナット・ハン 第一回「怒りの炎を抱きしめる」
こころの時代 禅僧ティク・ナット・ハン 第二回「ひとりひとりがブッダとなる」
 この番組は「自然とデザイン」のライブラリに入れて希望者に回覧したいと思っているが、YouTubeでも以下の動画を観ることができる。

ティク・ナット・ハン~『涅槃(ニルヴァーナ)、自由への道』
Qustions and Answers
息=自分+心
ティク・ナット・ハン、'03年リトリート1日目(1/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(2/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(3/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(4/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(5/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(6/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(7/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(8/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(9/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(10/11)
ティク・ナット・ハン、リトリート'03年/ 1日目(11/11)

仏教の本質 哲学者「中村元」
中村元「ブッダ、最後の旅」短縮版

初稿 2015.4.14