自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

芸術はすべて心である~人生もすべて心である

2018-05-29 17:42:36 | 自然と人為

正しい美しい心が
からだに一パイになると
あふれてこぼれるようになると
いい美しい画になります



芸術はすべて心である
芸術修行とは
心をみがく事である



 日曜美術館「芸術はすべて心である~知られざる画家不染鉄の世界~で、有名ではないが素晴らしい画家、不染鉄を知り、「人生とはすべて心である」と教えられた。動画で紹介したいが、私のパソコンが駄目になったのか、マイクロソフトの仕様変更なのか原因不明だが、動画配信ができなくなってしまったので、NHK番組を丁寧に紹介されている上記ブログをご覧いただきたい。また、不染鉄の紹介等については「謎多き幻の日本画家・不染鉄」(2)(3)(4)を引用、参考にし、ここでは私の心に残っている部分だけを紹介させていただく。
 
不染鉄先生の紹介

 不染鉄は1891年(明治24年)6月6日に東京、小石川の光円寺住職不染信翁と母・梅田かの子の間に生まれる。僧侶は明治時代までは妻帯を禁じられていたので、幼少期は他の家庭環境と違うことへの真っ直ぐな反発からか、素行の悪さで周囲を困らせたという。20歳前後で両親を亡くす。画を志し、23歳で日本美術院研究会員となる。制作に邁進するも才能と将来に不安を抱え、その頃出会った妻とともに伊豆大島へ渡る。悪天候のなかたどり着いた漁村・岡田村で温かく迎えられ、漁師のまねごとをして3年程暮らす。
 「画風が変わるのは伊豆大島へ移って以降。興味深いのは、画風が変わるだけでなく、不染の思い出が作品に投影されるようになり、それが彼のスタイルになっていくところ。繊細な筆致で描かれた農村や漁村の風景からは自然とともに生きる人々の暮らしが見え、郷愁を誘います。不染が育った小石川や房総、伊豆大島などを描いた作品には、「母はランプの下でしきりにはたををっていた事などを覚えております」(原文ママ)のように画中に思い出が綴られたものが多く、これがまた心に沁みます」(不染鉄展
 27歳の時(1918年)、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)予科に入学して、学生であった1919年(大正8年)の第1回帝展で「夏と秋」が初入選。1923年3月、京都絵専本科を首席で卒業。在学中から10歳以上年下の上村松篁と親しくした。松篁によると、「不染鉄は当時流行していた写実主義による写生を好まず、学校の図書館で『一遍上人絵伝』を模写していた」という。卒業後は奈良で奈良県正強中学校の図画教師として勤め、そこの理事長が戦後の公職追放にあったため、かわりにの2代目理事長に就任し、その後(1946年)に校長となり、中央画壇を離れ、飄々と作画を続けた。1952年に正強学園(現在は学校法人奈良大学法人本部)理事長を退職後、67歳で妻を亡くし、市内の知人の好意で敷地内に小さな家を建て、のんびりと絵を描いて暮らす。1976(昭和51)年2月28日、84歳で直腸がんのため死去。
 これまで不染鉄の没後20年と30年に、それぞれ奈良県立美術館と東京の星野画廊で回顧展が行われ、京都国立近代美術館新館開館記念展(1986年)で開かれた回顧展「京都の日本画 1910-1930」で不染鉄 山海図絵(1925)が展示されたが、その画業の多くは謎に包まれてきた。没後40年の2017(平成29)年、東京ステーションギャラリーと奈良県立美術館の2カ所で巡回回顧展を開催し、大きな反響を得た。
 参考:不染 鉄(奈良県立美術館)
     特別展「没後40年 幻の画家 不染鉄展」出品リスト(奈良県立美術館)
     『不染鉄之画集』~いつか見た光景への追慕~
     日曜美術館 不染 鉄
     不染鉄(不染鉄二) - 奈良風景(展覧会出品作)
     不染鉄 没後40年 幻の画家 第1報
     不染鉄、没後40年、初めての画集刊行!

 東京の大学生だったころ不染と出会った倉石美子さんは、「私は不染先生の言ういい人になりたいと思って来たし、不染先生は私の人生の恩師だと思っています。」と言う。

 150通を越える絵はがきに綴られた絵と文章について、「これはあなたを世の中の的として放つ矢なんで個人の通信文ではない」と自身が私信で語ったように、個人への便りの形をとりながらも、人間・不染鉄の人生感がにじむ魂の記録でもあり、不染鉄からすべての人の心に宛てた便りである。(不染鉄ノ便リ)
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中秋名月
ああそうか、よくわかった
正しい心になります。
いい人になります。
77です。
いつ死んでも残念でないよう。
美しい心の人になります。
ああそうか。そうだなあ。
お月様は神様の様で
美しくて立派だ
ほんとに真心の人になれば
お友達にもなれそうだと思う
何だかうれしい
歩くと、どこまでもついてくる
私の心もこんなにすみわたりたい。


不染鉄78歳の頃、奈良の粗末な家を訪ねた倉石さんが、
先生お一人で寂しくないですかと尋ねたら、

僕はね、今までの思い出を画にしているんだよ
思い出はいっぱいあって楽しいよ
それを全部画にしているだよ
だから寂しくなんかないんだよ


あばら家で将棋を楽しんでいる
立派な家もいいけど
つぎはぎの家もいいですねえ
身に沁みて美しい可愛い




 不染鉄は日本美術院で絵の修行中に奥さんと伊豆大島に3年程滞在し、魚が好きで漁師をしたこともあるが、そのころの思い出を画に多く残している。

毎日、釣りや、網に行った
大ざめを釣って、売ったこともあった。
冬は、海の荒れる日は
暖かい日なたに、うつらうつらして
何事もなく、暮らした

夕方は東京を思い、絵描きを思い
寂しくなることもあったが
気楽な、幸せな生活に
すぐ消えていった

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『海』 クリックすると拡大


魚への想いがつのった不染の幻想的な画 伊豆の竜宮城?

 不染は中学を転校して自称「わる」と言っているが、正義感はあったようなので、やりたいことに熱中するが、気の向かないことには「怠け者」だったのかもしれない。

中学以来まあ不良の私
卒業の時は一番で答辞をよむ
父よ、母よ、心配をかけた皆さまよ
ほんとに一番だ
胸がいっぱいになる

不染鉄の卒業制作 ― 「冬」

上村松篁は晩年、不染のことをこう書き記しました。
不染さんは、たいそう聡明で正義感が強い人ではあった。
世の中の表、裏を知っているので、
人を見抜く眼力があった。
唯一の欠点は、怠け者であるということである。
不染さんは、私の生涯に最も大きな影響を与えた
得難い親友であった。


     寒林白鷺(不染鉄の寒林と上村松篁の白鷺)

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終戦少し前のことである
日本は軍艦、大きな船はもうない
南の島々には飢え死に寸前の兵隊が沢山いる
未教育の鉄砲を持つことを知らない
農業の人、商人、サラリーマン
にわかに徴用、芝浦から出帆
  ・・・・・
手を振る、勇ましいような鳴くような楽隊
船も海も、初めての人もあるだろう
  ・・・・・
誰も帰ってこなかったと、申します。


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お墓は寂しいと言うけど
そうではないよ
いろいろな人が、たくさんいて
とても、賑やかだよ
男も女も、若い人、年寄り、赤ちゃん
どんな人も、いるねえ
やがて夏が来る
夕立が降って、みんな濡れるだろう
いいねえ
秋は落ち葉が、散ってくるだろう
冬は粉雪が降ってくるだろう
楽しいねえ
この世にいるときは
優しい、美しい人もいたろう
見たかったなあ
がめついやつもいたろう
実に、いろいろだったろう
今は、みんな仲良く、喧嘩もしない
この方がいいねえ
幸せとは、これを言うのか
あーあ、なるほどそうか
それだから極楽と言うのか

有名になれずこんな画をかくようになっちゃった
だけどいいよねえ         不染鉄



幻の画家 不染鉄!その素晴らしさを永井龍之介が詳しく解説!
奈良県立美術館 没後40年幻の画家「不染鉄」
没後40年 幻の画家 不染鉄展:暮らしを愛し、世界(コスモス)を描いた
日美旅 伊豆大島へ 不染鉄を探して
幻の画家『不染鉄』展|不思議な懐かしさを湛えた独創的な日本画の世界
山下裕二 評・美術 不染鉄展
東京ステーションギャラリー 没後40年 幻の画家 不染鉄展
不染鉄展 第1章「郷愁の家」、第2章「憧憬の山水」
不染鉄展 第3章「聖なる塔・富士」
不染鉄展 第4章「孤高の海」、第5章「回想の風景」

日曜美術館「芸術はすべて心である 知られざる画家 不染鉄の世界」(動画)


初稿 2018.5.29 更新 2018.11.27(動画追加)


悪貨が良貨を駆逐する~ペットブームの裏で蠢く欲望

2018-05-25 15:41:39 | 自然と人為

 先日、テレビで悲惨な状態で生まれ、育てられている「子犬工場」のことを知った。家畜でも「工場」的に飼育されるケースはあるが、家畜にストレスを与えすぎると生産性が落ちるので、ここまで悲惨な管理や環境では飼育しない。さらに、もっと家畜の立場に立ち、乳牛を思いやりストレスのない安心・安全な管理や環境で飼育する方法があることは、前回報告したばかりだ。可愛いペットで売られるはずの子犬が、愛情もなく売るためだけに生まれ飼育され、売れない子犬は殺処分される。人は金儲けのためには、こんなことまでするのかとゾッとする。
 参考:『子犬工場』から救出!抱きしめられたチワワの表情の変化に涙がとまらない!
     すし詰め子犬工場、地獄の光景(動画あり)

 前回、お知らせした「想いやり生乳」は、獣医さんが経営している牧場で生産販売されている。獣医といえば地方でも動物病院が増えているが、産業獣医師あるいは公務員の獣医師は圧倒的に不足している。地方における獣医師の不足の中で、ペットで儲けている動物病院もあれば、消費者の目線で生産する農業、女性の自立、女性も職業として選択できる農業を目指している獣医さんもいる。酪農家の乳牛から搾ったミルクは、乳牛にストレスを与えず、糞尿管理、衛生管理を徹底すれば、殺菌する必要のない飲みやすいミルクを消費者に提供できるが、獣医さんだからこそ、そのことを発想し、実現できたのだろう。これは新技術というよりも、毎日の誠実な仕事の積み重ねが必要で、誰にでもできるようで出来るものではない。素晴らしいことだ。

 一方、動物病院は人の病院と違い、毎年高い保険料を必要とし、しかも厳しい年齢制限があり、わが家の愛犬は保険に加入できないので、1粒1,500円もする薬を購入し、眼科専門病院で単なる診療だけなのに1回2万円程度を必要としている。また、各種診療機器を自慢にしている動物病院が多い中、私のブログの看板犬である先代が、道路を往来する人か犬等に吠え、1間もののガラス戸を飛び割って外に出てビッツコを引いているので診てもらったことがあるが、手足を触って診るだけで「大丈夫、何処も悪くないよ」とレントゲン診断の必要はないとされた獣医さんもいる。その後、先代はケロッとして歩きだした。また、その先代は晩年に腎臓を患い、痩せ細って何も食べなくなったので、1週間毎日点滴に通っていたが、最後の日、診察を待っていたら私の腕の中で背伸びをした。そして診察台に置いたら、「死んでるよ」と獣医さんにきれいに犬体を清めていただいた。お金ではなく心で診察されるその獣医さんを今でも尊敬している。

 今、世間を騒がせているのは「永田町の安倍総理と日大の内田正人前監督」。 「森友・加計問題、悪質タックルと似てる」と思うのは私だけではないようだ。全てに共通しているのは教育界で起こった大人の腐敗問題だ。「悪貨が良貨を駆逐する」時代、救われたのは「悪質タックル」を命令されて実行した若者が、勇気を出して悪かったと公表してくれたこと。利己主義に固まった幼稚な大人が、正直ではなく言葉を弄んで真実と責任から逃げようとしているのに対して、若者の凛とした清々しさよ!20歳は若い。君の人生はこれからだ。この事件を肥やしとし、大学をやり直して、大きく飛躍して欲しい。次回に「有名ではないが素晴らしい画家 不染鉄」に学び「芸術はすべて心だ~人生もすべて心だ」を紹介する予定だが、心の美しい君には素晴らしい人生が待っている。

 一方の森友・加計問題は多くの問題を含んでいるが、一番に考えなければならないことは、明治時代からの男尊女卑の男の政治の世界が腐敗堕落し切っている問題をどうするかだ。政治家が3代も続くと、本人も周囲も実力以上に本人を扱う。それが集団における支配組織を作ってきた人類の歴史の原点だと思う。その権威が大きくなればなるほど支配者は謙虚でなければならない。日本にはその権威を象徴とした天皇制があるが、政治の世界では権威を権力とし、他者を尊重しない未熟な政治家がはびこっている。これはルールでは矯正できないので、制度を変える必要があろう。まずは憲法14条1項 法の下の平等に基づき、国会議員の定数を男女で平等に分け、永田町の徹底的にして抜本的な清浄化を図るべきだ。

 次には、ペットブームを背景にした欲に絡んだ「加計学園獣医学部新設」を糾弾すべきだ。地方の公務員獣医師の深刻な不足に獣医学部新設では対応できない。今から8年も前に公務員獣医師不足に関する質問主意書が提出されているが、国がやるべきことは地方にしかできない家畜による里山の放牧管理の面白さを獣医大学でも教え、荒れる里山を家畜に放牧管理させることを行政が後押して、地方の農業で心豊かに生活できるようにすることだ。さらに具体的に言えば、全国で唯一の「想いやり生乳」の製造販売をしている獣医さんを手本として、生乳製造販売を後押しして全国に普及させることだ。
 それには高度成長を目指してきた乳業会社や動物薬会社の利益第一主義と政治の癒着が、これからの高齢化社会に何をもたらすかを熟考する必要もあろう。
 参考: 公務員獣医師不足問題について物申す
      地方の公務員獣医師は不足も、獣医学部新設が解決策ではない
      地方で深刻化する公務員獣医師不足 課題山積の獣医学教育 加計獣医学部

 

初稿 2018.5.25 更新 2018.5.26


人への想い、牛への想いが酪農の世界を深め、拡げる

2018-05-21 21:13:25 | 自然と人為

 教科書は固定観念を拡張するが、それを書く、創る視点が狭いと、新しい発想の弊害となることも多い。放牧とは欧米のなだらかな広い土地での放牧を連想していたが、「牛が拓いた牧場」は北海道の傾斜地、それは日本の里山でもあるが、自然と牛、自然と人の関係で里山が美しい牧場に変身した姿が私の目を開かせてくれた。その感激は前回を含めて何度も紹介してきたが、「人への想い、牛への想い」が牛乳(生乳)への固定観念を壊し、酪農への夢を大きくしてくれることについては、後期高齢者になったばかりだが、やっと知ることができた。

 私が食欲がなくなった話を愛犬の散歩仲間に話したところ、その方のお母さんがモノが食べれなくなって余命数日と言われたときに、神にすがる気持ちで「ある牛乳」を飲ませたら、その牛乳だけで1日1リットルも飲むことがあり、命が長引き、体重も少し太ったという話を聞かされた。私は牛乳は好きではなかったが、その牛乳はあっさりして飲みやすく、毎日、コップ一杯飲み続けていたら、不思議に私も食欲が回復した。そこでネットで調べて、酪農は規模拡大によるコストダウンが仕事ではなく、「人への想い、牛への想い」を精いっぱい伝える仕事だと確信したので、ここに紹介させていただく。

 専門家の悪い癖で私は肉牛の研究者として、酪農の副産物をハイブリッド利用することには熱心であったが、牛乳生産については関心がなかった。酪農の専門家も、乳牛の肉利用については、あまり関心がないかもしれない。一般の方には「生乳」とは聞き慣れないかもしれないが、乳牛から搾ったミルクが「生乳」で、これを牛乳・乳製品などの製品にして販売する事業が「乳業」である。すなわち、「牛乳」とは酪農家が生産する「生乳」をある温度で殺菌したものを言う。「摂氏63度で30分間加熱殺菌するか、又はこれと同等以上の殺菌効果を有する方法で加熱殺菌すること」が、食品衛生法の「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」のⅢ「乳等の殺菌基準について」 (5)「乳の殺菌基準」により規定されている。

 我が国の牛乳は120~130℃で2~3秒加熱する超高温瞬間殺菌(UHT法)(牛乳の殺菌方法)が普通だが、これはIDF(国際乳業連盟)の基準によれば、保存用牛乳に相当する殺菌温度で、欧米で毎日常飲する牛乳ではないそうだ。なお、我が国でも1985年7月、「乳等省令」の改正にともない、130~150℃、1~3 秒間で滅菌し、常温流通が可能なLL(ロングライフ)牛乳(2)が誕生している。

 わが国では規模拡大によるコストダウンを目標とした時代に酪農界が発展し、大量流通による食中毒防止が重要とされたためか、過剰な高温殺菌処理が常識となっている。一方、「乳等省令」の殺菌温度の表現に認められるように、あたかも我が国では「低温殺菌」が基準となっている様な表記がされている。微妙な表現方法なので、牛乳の説明には気を使うが、このことが牛乳に対する私を含めて多くの消費者に誤解を与えているように思う。

 酪農家の乳牛から搾ったミルクは、乳牛にストレスを与えず、糞尿管理、衛生管理を徹底すれば、殺菌する必要のない飲みやすいミルクを消費者に提供できる。特に優れた飼育環境や特別な牛乳処理施設が必要とされるが、日本全国で4か所(2015年4月現在)に存在する特別牛乳がある。しかも日本で唯一の無殺菌牛乳(生乳)を販売している「想いやりファーム」(旧中札内村レディースファーム)が北海道にあることを、畜産の専門家なのに後期高齢者になるまで知らなかった。

 長谷川武彦さんは、消費者の目線で生産する農業、女性の自立、女性も職業として選択できる農業、一般業界とも対等に生きていける会社を目指して、日本獣医畜産大学卒業後、平成12年(有)中札内村レディースファームを設立し、平成14年には無殺菌の『想いやり牛乳』の製造販売を始めた。2014年現在の従業員数職員12名で、牛の立場、消費者の立場を最優先し、本来の牛乳のすばらしさを伝えていくとともに、今後は自然のままの乳製品の開発も目指している。
 参考: 日本で唯一 想いやり生乳
      動画:想いやり生乳想いやり生乳2
      産消協働 実践行動事例集21 想いやりファーム
      北海道帯広 中札内村レディースファーム 無殺菌「想いやり牛乳」
      パンフレット「想いやりの生乳」 A B C

 私も一度は訪問して、いろいろ勉強させていただきたいと思っているが、上記の参考資料「日本で唯一 想いやり生乳」は動画もあるので、是非ご覧いただきたい。
 『30ha程度の荒れた里山の管理を、自治体、住民、民間の合意で賃貸契約を結び、まずはF1雌牛を放牧して草地をつくる。子牛は販売して牧場の基礎をつくる。』ここまでは誰でもできるはずだ。F1雌牛でなくても、和牛でも繁殖雌牛だったら良い。私が酪農のシステム化に拘っているだけだ。『次の段階で「想いやり生乳」の生産販売の準備を始める。技術というよりも「人への想い」、「牛への想い」が必要で、これまでの「経営の考え」から脱皮しなければならない。』
 このF1雌牛の放牧による里山管理から「想いやり生乳」の生産販売までをシステムとして完成させることが、私の夢となった。私には果たせない夢だけれど、今、日本は「高度経済成長の時代」から、「高齢化と人口減少の時代」に向かっている。「高齢化と人口減少の時代」に地方が夢を持って豊かに生きていくには、この道を幹線道にするしか私には見えない。私の夢が地方の夢となり、日本の常識となることを祈るしかない。


初稿 2018.5.21


『支配者』とは、組織や国の上に立ち、他者を尊重しない軽蔑すべき人を言う。

2018-05-12 21:58:32 | 自然と人為

 組織にしろ国にしろ、『支配者』という言葉は組織の権力を自分のために使う人に使われ、権力を自分たちのために使いたい人達により支えられている。浜矩子さんの「安倍首相は「愛国者」ではなく「愛僕者」」という指摘もあるように、現在の我が国の首相は恥ずかしい程幼稚な利己主義者であり、本人は「支配者の誇り」にしがみついているのかもしれないが、その姿は国民のための政治の対極にあり、政治の世界からは追放されて当然の軽蔑すべき「政治家」である。絶対多数の与党は宗教団体を含めて、「死に体」の首相を自分の地位を守るかのように必死で守っている。恥ずかしいから、もういい加減にしてくれ!

 首相がモラルがないだけでなく、副首相まで「ハラスメント罪」はないとか「はめられた」とか、倫理も品位もまるでなく、彼らの住む世界の下劣さを丸出しだ。しかも、公僕である官僚や公共放送であるNHKまでも、首相になびいているのか、なびかされているのか、国の責任者に求められるべき姿を指摘しようともしない。むしろ責任者を庇うのが仕事かのように平気で嘘をつく。首相の秘書官が、「首相の指示も首相への報告もなく仕事をした」と、シャーシャーと言えるとは世も終わりだ。立場をわきまえないで勝手に国の仕事をしたなら即刻免職だが、そのことよりも首相を庇うことが仕事だと信じ、首相もそれを許すなら、権力を使うのに何をしても良いことになり、日本の国が無責任時代になって、植木等なら「ハイそれまーでーよー!」と茶化すだろう。

 NHKは「欲望の経済」は放送しても、清貧な政治を求めようとしない。戦時中であれ今日であれ、放送態度は官僚の勤務態度と同様に公平中立でなければならないが、中立を問題にするとややこしくなるだけ。それより、何をどう報道したのか、全番組をいつでも視聴者が観れるようにする義務がある。歴史が番組を評価する。NHKは受信料を義務にしているので、その受信料番号を入力すればいつでも観れるようにするのは簡単で、受信料を払っている視聴者に「NHKオンデマンド」で料金を請求し、しかも全番組を公開しないのは時代の先端を行く不誠実さだ。また、先日は「わが不知火はひかり凪(なぎ) 石牟礼道子の遺言」(動画)の再放送を5月10日にすると予告しながら、何の断りもなく放送しなかった。約束を守ることの大切ささえ忘れてしまった傲慢さは、今のNHKの体質を表している。

 NHKは「勤皇の志士」と「明治維新」が大好きのようだが、明治政府により「廃仏毀釈」「侵略戦争」が始められたことはあまり触れない。ここでは日本の「明治維新」が日本の文化や日本人の心にどのような役割を果たしたのか、「松岡正剛の千夜千冊」の切れ味するどい解説を紹介して、私の愚痴を清めたい。

廃仏毀釈百年ー佐伯恵達
 「明治維新における「神仏分離」と「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)の断行は、取り返しのつかないほどの失敗だった。いや、失敗というよりも「大きな過ち」といったほうがいいだろう。日本を読みまちがえたとしか思えない。「日本という方法」をまちがえたミスリードだった。」

国家神道ー村上重良
 「日本を「神の国」だと思っている日本人が、かつては8割以上、いまでも半分以上いるらしい。しかし徳川18世紀社会まで、日本を神国だと感じていたのは多くても2割くらいだった。さらに徳川社会で日本を仏教国ではなく神道国だと思っていたのは、ごくごく少数の日本的儒者と神職たちで、それもそのように希んでいたという程度だった。」

徳川イデオロギー(ヘルマン・オームス)
 「信長・秀吉の未成熟な「権力の概念化」を見ていた家康がとりくんだことは、日本で最初の国家イデオロギーを確立することへの挑戦とならざるをえない。
 オームスの本書はそこに注目する。家康の時代に用意できた汎神論的なイデオロギーと家光や家綱の時代に用意できた儒学的なイデオロギーがどのように組み立てられたのか、そこを外からの目で強引に粗述してみようということである。」

代表的日本人(内村鑑三)
 「明治文化を代表する3冊の英文の書物が日本人によって書かれた。いずれも大きなセンセーションをもたらした。こんな時期はその後の日本の近現代史に、まったくない。その3冊とは、内村鑑三の“Japan and The Japanese”(代表的日本人)、新渡戸稲造の“Bushido“(武士道)、岡倉天心の”The Book of Tea”(茶の本)である。
 本書の書名を、内村自身は最初は『日本及び日本人』と訳していた。それがいろいろの変節をへて『代表的日本人』となった。
 本書に扱われているのは5人の日本人である。キリスト教に埋没しつづけた内村がこの5人を選んだことは、今日の読者には意外な人選であろう。時代順には日蓮、中江藤樹、二宮尊徳、上杉鷹山、西郷隆盛となる。これを内村は逆に並べて一冊とした。
 なぜこの5人が代表的日本人なのかということは、・・・まず一言でいうと、この5人は内村にとってはキリスト者なのである。・・・
 内村は何をしたかったのか。西洋に育ったキリスト教を非制度化したかった。キリスト教に真の自由をもたらしたかった。そのうえで日本的キリスト教を打ち立て、非武装日本をつくりたかった。つまりは、日本人の魂が解放される国をつくりたかったのだ。」

逝きし世の面影ー渡辺京二
 明治維新と直接は関係ないが、江戸時代の文明(日本の面影)が今の日本では失われたこと、その再評価の必要性が要請されている。
 「一つの文明が滅んだのである。一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだ。それを江戸文明とよぶか徳川文明とよぶか、歴史学はそんなふうには日本の近世を見ていないから、いまのところ呼び名はどうでもいい。しかし、そのように呼びたくなるほど、われわれにとっての大きなもの、つまり文明が、いつしか喪失してしまったのだ。
 ・・・渡辺が言い放ったことは、かつて日本には「親和力」があったということ、それは文明であって、かつ滅んだのだということ、だからこれらをわれわれは「異文化」として新たに解釈しなくてはならないということだった。
 つまりは、いまや「日本の面影」の本来的な研究と再解釈と、そしてそこにひそむ方法を感知することだけが、一挙に、そしてただちに要請されているだけなのである。」

「縮み」志向の日本人ー 李御寧(イー・オリョン)
 これも明治維新とは直接は関係はないが、日本文化を韓国文化と比較しているので紹介する。
 「日本人はなぜ「小さきもの」が好きなのか。枕草子と俳句の国の文化を、イー・オリョンが韓国文化と比較して大胆に読み砕く。そこをまた松岡正剛が読み砕く。 ・・・これほどに「縮み」を愛した日本人が、いったいなぜ「軍事大国」や「経済大国」をめざしたのかということだ。」


初稿 2018.5.12

人類の原罪(殺生)と責任(自然・命を守る)

2018-05-08 16:47:54 | 自然と人為

 人類は他の生物との生きるか殺されるかの戦いを生き抜いてきて、今も人類同士の戦いに明け暮れている。多様な人類をまとめるものとして、組織があり国があり、宗教がある。弱肉強食の動物の本能には正しく生きる根拠は何もないが、生物は他の生物を食べなければ生きていけない原罪がある。その”殺生”を原罪として自覚したのが仏教だ。私には宗教について語る資格も、語るつもりもないが、「殺生」を「原罪」とした考えは自然であり、アダムとイブが神に禁じられていた知恵の樹の「禁断の実(リンゴ)」を悪魔「サタン」(ヘビ)に惑わされて食べたことを”原罪”として、神を絶対とする理屈よりもすんなり心に入る。あまりに自然に自覚できるので、何事も曖昧な日本人が生まれ、神を絶対神として崇めることで、真理を探求し論理に厳しい西洋人が生まれたのかもしれない。もちろん物事の考え方には個人差が大きく、人種差を積極的に肯定するつもりは毛頭ないが・・・。

 私の父は種鶏を飼う孵化業者であった。平飼いで雌鶏群と雄鶏を飼い、受精卵を生産して、温度と湿度管理を夜も定期的に行い健康な雛を生産して販売することが仕事であった。父は若い頃、主産地の名古屋で修業をして出身地の沼隈郡沼隈町で仕事を始めたが、雛の注文が多くなり汽車で発送するため松永駅の近くの現在地に移転した。

 家業を継ぐのは当然と思っていた私が農学部に進むことに、「どうして畜産を選ぶの?」といぶかる親切な大人もいたが、今思えば畜産は「殺生の仕事」というイメージがあったのかもしれない。狩猟採集から農耕牧畜への道は、ある意味では人類が家畜を支配する「原罪」への道とも言えよう。牛をする屠夫の仕事が一番嫌がられるかもしれないが、生物には必ず「死」がある。苦しみながらではなく、一瞬で死への道を歩ませる屠夫の技術に、私は敬意を払いたい。我々は農耕牧畜を含めて分業して生きている。静かに考えれば、我々は一人では生きていけないこと、全ての人々の助けがあって生きていることに気がつくはずだ。家畜を飼育することも、家畜にとって快適な環境を与えてやることで、家畜の能力を最大限に発揮させてやることが目的だ。

 大学卒業後家業を手伝ったが、時代は大きく変わり規模拡大に適した外国雛しか売れなくなっていた。廃業を決めた私を大学が拾ってくれ、鶏から牛へ、部分の研究からシステムの研究へと仕事を続けさせていただいた。今も牛を幸せにすることは、命ある限り放牧で自然の中に生き、子どもを残せなくなったら一瞬であの世に行かせてやることだと思っている。男の命は短いけれど、子を残す雌は、家畜でも人類でも幸せに長い人生を送れるはずだ。

 ところで、石牟礼道子さんが今年(2018年)2月10日、90歳で亡くなったが、先日、ETV特集「わが不知火はひかり凪(なぎ) 石牟礼道子の遺言」が放送され、「苦海浄土」の深い意味を知ることが出来た。
 (2018年5月10日(木) 午前0時00分(60分)から再放送

 杉本栄子さん、十年前に69歳で亡くなった。
私たちは許すことにした。 全部許す。
日本という国も、チッソも、差別した人も許す。
許さないと、苦しくてたまらない。
みんなの代わりに私たちが病んでいる。許す。」
と言って死ぬ前に、「まだ生きたい」と言って亡くなった。


 「今まで仇ばとらんばと思ってきたけれど、人を憎むということは身体にも心にもようない。私たちは助からない病人で、これまでいろいろいじわるをされたり、差別をされたりさんざん辱められてきた。それで許しますというふうに考えれば、このうえ人を憎むという苦しみが少しでもとれるんじゃないか、それで全部引き受けます、私たちが」と。
 「他人を変えようと思っても、人は変わらない。自分の方が変わらないいと」 21世紀に向けた哲学が水俣でできている。受難にあった人は徹底的な受難に会って変わりなさる。
 参考:100分 de 名著「苦海浄土」
     (1)小さき魂 (2)近代の闇 (3)いのちと歴史 (4)終わりなき問い
     『小さきものに宿る魂の言葉』 Part1
     『近代の闇、彼方の光源』 Part2
     石牟礼道子『苦海浄土』刊行に寄せて
     『評伝 石牟礼道子-渚に立つひと-』米本浩二
     魂の遺言に向き合う
     88歳の思想史家・渡辺京二が語る「作家・石牟礼道子の自宅に通った40年」
     渡辺京二『逝きし世の面影』

    穂積一平/苦海と浄土のあいだ――石牟礼道子「苦海浄土」をめぐって(上)(下)
    石牟礼道子の「苦海浄土」から学ぶ水俣病の悲劇
    〈死民批評〉宣言 谷 美里

 高度経済社会の裏側(2)には新技術により利益を求める人がいる一方で、被害に苦しむ人たちがいた。「有機水銀」と聞いただけで、これを廃液として海に垂れ流すとは今では考えられないことだが、知らぬ顔してそれをやっていた時期があったことだけは事実だ。国連環境計画(UNEP)は、2001年に地球規模の水銀汚染に係る活動を開始し、2013年1月にジュネーブ(スイス)で開催された政府間交渉委員会第5回会合(INC5)において、国際的な水銀条約に関する条文案が合意され、条約の名称が「水銀に関する水俣条約」に決定された。なお、わが国では2012年に水銀条約に関する公開セミナーが開催されている。(資料:環境上適正な水銀廃棄物の管理について
 水俣病は1956年頃が発生のピークで、熊本大学医学部水俣病研究班は1959年に原因物質を究明していたが、政府が認めたのは1968年であった。

 経済は欲望で動くにしても、命は何よりも大切にしなければならない。また、政治は国民のために公的責任を負う仕事である。浜矩子さんの「安倍首相は「愛国者」ではなく「愛僕者」」という指摘もあるが、国を愛することは軍備を拡張してアメリカに従うことでは絶対にない。
 世界に誇れる憲法に従い、世界に誤解を与えないためにも、憲法に自衛隊を明記するのではなく、自衛隊を世界災害援助隊に改名すべきだ。自衛隊員に国のために死ねと言うのではなく、誇りをもって世界の災害の救助をしてもらうことこそ仕事のやりがいとなる。人類の「原罪」は、自然と生類の命を守る責任を我々に課している。
 参考:安倍首相の挑戦を正面から受けて立った歴史家・加藤陽子
     コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~(2)

 動画集2
 欲望の経済史~ルールが変わるとき~ (全6回)
  1.時が富を生む魔術〜利子の誕生〜
  2.「空間をめぐる攻防」
  3.「勤勉という美徳」
  4.「技術が人を動かす~産業革命からフォーディズムへ」
  5.「大衆の夢のあとさき」
  6.「欲望が欲望を生む~金融工学の果てに」
  特別編1,特別編2

 欲望の経済史~日本戦後編~(全6回)
  1.焼け跡に残った戦時体制 終戦〜50s
  2.奇跡の高度成長の裏で60s
  3.繁栄の光と影が交錯する70s
  4.ジャパン・アズ・ナンバーワンの夢80s
  5.崩壊 失われた羅針盤90s
  6.改革の嵐の中で0s


初稿 2018.5.8 更新 2019.9.23