自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

個人の作る道具としてのパソコンを大切にしたWindows10

2015-12-20 21:03:45 | 理性と感性

 私にとってはWindows7がブログをつくる最後の道具だと思っていたが、ブログのpdfファイルが読めなくなってしまった。Windows8でも読めない。そこでWindows8を無料でWindows10にグレードアップしたら読めるようになった。

 しかし、グレードアップに時間が掛かるので信頼して辛抱強く待つ必要がある。また、新しいWindows10を立ち挙げたが、ウイルス対策ソフトのMcAfeeのスキャンがなかなか終了しない。スキャンファイル数が変化しても終了しないので、画面左下のWindowsマークをクリックしたら電源マークがあったのでこれをクリックし、さらにシャットダウンをクリックして閉じ、再度立ち上げると正常に稼働した。

 Windows10を立ち上げると日付と時間が左下に表示される海岸の洞窟の画面で待っている。画面をクリックしてパスワードを入力するとWindows7仕様の画面となり、左下に通常使用しているヤフーのマークが出る。Windows7に馴染んでいると抵抗なく使用できそうだ。
 ただ、一つ問題にしたいのは、Windows8からpdfファイルを別枠の窓で表示していることだ。iPhoneの操作性は速いので、使う道具としてはWindows10よりはるかに優れている。
 しかし、Windows7に馴染んだユーザーとしてはワープロとかブログでプリンターを接続し、書類作成やpdfファイル等を画像として取り込み、つくる道具としてパソコンを利用している私にはWindows10にグレードアップして最後の道具として利用できそうだ。

 ・・・・ということで、これからはパソコンからiPhoneの時代へ~つくる時代から使う時代ヘと言ったばかりだが、つくる人のパソコンと使う人のiPhoneの棲み分けは、私が仕事をできる間は続きそうだ。

 本日は些細なことのつぶやきとなってしまった。私が今、ブログを書き続ける理由は政治が危ない方向に行かないように、一人一人の力で憲法を守るため。明治維新以来戦争を続けて1945年の敗戦を迎えた。戦後、与えられた憲法で国が守れるはずがないという意見もあるが、米国と戦うために武力が必要だと言うのだろうか。他者を含めた自然を守ることこそ、この国を守ることだと思う。どこの国でも権力の行きつくところは産軍複合体、この権力に弱きものが虐げられないために憲法がある。このブログに立ち寄っていただいた方に次のブログを紹介しておきたい。

将棋の駒<本澤二郎の「日本の風景」(2208)

初稿 2015.12.20

パソコンからiPhoneの時代へ~つくる時代から使う時代ヘ

2015-12-15 17:04:19 | 理性と感性
『サンデーモーニング "風をよむ"』
 私にとってコンピュータとの出会いは、中学生の頃だと思うが中国電力に勤務する義兄が盆、正月等にたまに来るとき、ラインプリンターとやから出力された大型の用紙を持参して読んでいる不思議な光景から始まる。大型計算機で何をしているのだろうと思っていたが、その大型計算機の勉強をできるようになって、フォートランでプログラムを作成し、大型計算機のある建物までパンチカードを運び、並んでカードリーダーからデータを入力し、ラインプリンターからの出力を待って帰る毎日の私にとって、TSSで研究室から大型計算機の利用ができるようになった便利さよりも、パソコン雑誌で「コモドール PET」の出現を知り、これからはパソコンの時代だと興奮したのを覚えている。

 1979年、PC8000の購入、スタンドアロンのN-BASICから始まった私のパソコン人生は36歳になるが、現在72歳なので人生の半分をパソコンと共に歩んできたことになる。当時のパソコンはプログラムがないとただの箱で使い物にならず、MS-DOSの時代まではプログラミングでコンピュータに作業を指示している実感があり、NEC-9800シリーズとN88-BASICが使い易かったこともあり、論理的思考を鍛えるにはBASICの教育を普及させるべきだと真剣に思っていた。
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畜産システム研究会の初心
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今いる場所をより良い場所にして引き継ぐ

 しかしMS-DOSの時代からWindowsの世界となり、メーカーの特徴よりも互換性が重要となり、プログラムの作成は中止し、Excelの使い方を習熟して時代に対応することにした。そしてネットワークの時代となり先端の知識にはついていけなくなってしまった。最近はインターネット・エクスプローラのバージョンアップでpdfファイルが読めなくなっていることに気づき、ブログも原因不明で両サイドバーの表示ができなくなってしまった。もう操作法を勉強する時間は残されていない、というよりは好奇心もなくなり勉強がめんどくさくなってしまった。iPhoneでは両サイドバー表示は関係ないし、pdfファイルは読めるようなので、これまでの修正はしないでpdfファイルは今回から画像のjpgファイルで表示することにした。

 私にとってWindows7が最後のパソコンとなっているが、インターネット・エクスプローラが過去のデータ表示を重視しなくなることは、パソコンもiPhoneに代わる時代になっているのかなという気がする。N88BASICでコンピュータと対話して感激した世界はどこに行くのだろうか。

 コンピュータはつくる人と使う人がいてBASICの時代はバランスが取れていたが、現代では子供がゲームに夢中になるように使われる人が圧倒的に多い。コンピュータはつくる時代から使う時代へと移り、さらには使われる時代となっているのかも知れないが、それも文明の家畜化となる人類の性かもしれない。Windows8ではブログ作成さえ億劫なパソコン世代は消えても、次の世代へ「他者を含めて自然を大切にしよう」と伝言しているつもりが、年寄りのつまらないつぶやきになっているかもしれないブログだが、それでも今の時代への疑問として伝え続けたいとは思う。

 パソコンの時代を創ったスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツはノーベル賞をはるかに超えた業績を挙げている。彼らが協力したり対立してきた歴史は、新しい技術と文明との矛盾の葛藤そのものだ。ノーベルの発明したダイナマイトは建設にも破壊にも使われたが、技術を事業化して財を成したその成果を名誉ある賞として社会に還元している。

 スティーブ・ジョブズもビル・ゲイツも知性と感性を事業化して財を成した。ビル・ゲイツはそれを社会に還元しようとしているが、生きている内にジョブズへの供養を兼ねて「ジョブズ・ゲイツ賞」を創設したら如何なものか。それは自然と人為の関係において、人類を幸福に導いたと考えられる人や制度や組織等に与えられるものとし、憲法9条はその受賞に相応しいと勝手に夢を見るのも楽しいものだ。

参考:自然とお金と個人と組織~何を基準に考えるか
 スティーブ・ジョブズ vs. ビル・ゲイツ (1)
 スティーブ・ジョブズ vs. ビル・ゲイツ (2)
 スティーブ・ジョブズ vs. ビル・ゲイツ (3)
 スティーブ・ジョブズ vs. ビル・ゲイツ (4)

初稿 2015.12.15 更新 2015.12.16

日本人とは何者なのか~日本を愛するドナルドキーン

2015-12-09 15:51:26 | 理性と感性
 若いときに「源氏物語」の英訳に接して以来日本を愛し、「日本文化は日本人だけのものではない 」と日本文学を世界文学として紹介し、「東日本大震災を契機に、日本国籍を取得し、日本定住を決意した」 ドナルドキーンさんは、日本人の特徴を「あいまい(余情)、はかなさへの共感、礼儀、清潔、よく働く」と表現している。

NHK「ドナルドキーンの日本」後編 日本人とは何者なのか」より
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 愛する日本人の特徴はともかくとして、「日本人が世界の人とは違う特殊な人間だと思っているように見える言動」に、ドナルドキーンは疑問を抱き続けてきた。それは若いときに戦争で日本軍の自決や玉砕を目の前にした時から、愛する日本人を真面目に誠実に考え続けてきた疑問でもあった。その思いは番組の次の言葉に表されている。
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 高度経済成長期に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と自信満々となった日本人に対して、「道を誤りつつあるのではないか?」と危惧した司馬遼太郎は、日本に精通したキーンさんにメッセージを求めて、ある新聞社の会合で「この新聞社は駄目だ!良い新聞にする唯一の方法はドナルドキーンを雇うことだ!」と言ったという。今こそ、手遅れにならないようにすべてのメディアにドナルドキーンを採用して欲しいものだ。

 司馬遼太郎は軍国主義に利用される恐れがあるから、『坂の上の雲』の映像化を頑なに拒否していたが、NHKはドラマ化した。明治維新ものはNHKの十八番であるが、日本を取り巻く国際状況を説明しないので、坂本竜馬を含めて勤王の志士は国民的英雄になっている。これも世界を無視した国民の歴史観形成につながっていよう。

 ここでNHK「ドナルドキーンの日本(後編)」について、つたない紹介をするのが悔しい。NHKは公共放送として、番組を保管し、いつでも公開する義務がある。視聴者が素晴らしい番組だと伝えたくても、番組によっては著作権を理由に公開をブロッグする理由は何か!

 ドナルドキーンさんを紹介した動画は多い。そのことがキーンさんの努力に報いることでもあろう。ここでは私の知り得たブログと動画を紹介しておく。

参考:
ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(1)
ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(2)
『果てしなく美しい日本と私』ドナルド・キーン 1/3(動画)
『果てしなく美しい日本と私』ドナルド・キーン 2/3(動画)
『果てしなく美しい日本と私』ドナルド・キーン 3/3(動画)
キーン・ドナルド 90歳を生きる 石川啄木を語る(動画)

 ドナルドキーンが感じた「日本人が世界の人とは違う特殊な人間だと思っているように見える言動」は、世間が狭い日本人が、そこが世界の基準であるかのように振る舞うことから、そう見えるのではなかろうか。最近は隣近所の世間と言う共同体は影を薄めているが、学校にしても会社にしても狭い世間があり、メディアでは真面目よりもお笑いが優遇され、貧富の格差や情報の格差が真面目に対するイジメやパワハラを生んではいないか。

 日本は神の国だと自慢する元首相もいるが、仏の慈悲と神の赦しが世界(キリスト教については少なくともアーミッシュの人々)の常識だと思う。イスラム教の「目には目を」も、「目をつぶしてしまった罪には自らの目で償う」という意味で、過度な報復を防ぐことが目的だ。自我自尊の神は日本独自のものであろうが、この日本人の閉鎖性については次の機会に触れたい。

初稿 2015.12.9


ポール・セザンヌとグリゴリー・ペレルマン~その純粋な生き方

2015-08-26 09:27:04 | 理性と感性
毎日新聞(2015年04月)「村上春樹さん:時代と歴史と物語を語る」((a)(b)(c))で、村上春樹氏は「欧米におけるロジックの拡散」について指摘している。「今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていることです。テロリズムという、国境を越えた総合生命体みたいなものが出来てしまっている。『テロリスト国家』をつぶすんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけです。僕はイラク戦争のときにアメリカに住んでいたんですが、とくにメディアの論調の浅さに愕然(がくぜん)としました。『アメリカの正義』の危うさというか。長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウンです。それはベルリンの壁が壊れたころから始まっている。・・・・・これは西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題です。ロジックという枠を外してしまうと、何が善で、何が悪かがだんだん規定できなくなる。欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウンです。」
 
 私はこの「論調の浅さ」については、日本のメディアも同じだと思う。私たちはロジックの拡散したこの世界で、時代遅れの「世間の評価」を求めて忙しく生きている。時代とともに移ろう「世間の評価」ではなく心から湧き出る感性の表現を求めてひたすら生きたポール・セザンヌや、考える道具の数学や物理学で輝かしい成果を上げながら受賞という名誉を辞退し、「世間というノイズ」を避けてひたすら考え続ける生活に浸っているグリゴリー・ペレルマンの純粋に生きる価値を皆さんにも知って欲しい。

巨匠たちの肖像 セザンヌ・革命を起こした隠者 削除! 
数学者はキノコ狩りの夢を見る
 ①「数学界のノーベル賞」も100万ドルの賞金も辞退したペレリマン 削除!
 ②ポアンカレ予想とは 削除!
 ③ポアンカレ予想に取りつかれた数学者達 削除!

「セザンヌ(1839-1906)。生前は世間から認められず、南仏の故郷に引きこもり、新たな絵画技法の開発に明け暮れた。西洋絵画に革命をもたらし、遠近法を破壊し、多視点を導入し、塗り残しや余白が多いことを特徴とする絵を描いた。番組では、求道者であり偏屈者でもあったセザンヌの人間性を描くとともに、画期的な技法の秘密を探る。」
「果物籠のある静物」 サント・ヴィクトワール山
「近代絵画の父」セザンヌ
「セザンヌ」みすず書房
「私は無垢なる世界を呼吸する。さまざまな色調に対する鋭い感覚が私に働きかける。自らが無限のあらゆる色調で彩られているのを感ずる。私はもう絵と一体でしかありえない。」

この文章は東田直樹さんの次の詩と重なる。
 「絵具で色を塗っている時、僕は色そのものになります。
  目で見ている色になりきってしまうのです。
  筆で色を塗っているのに、画用紙の上を自分が縦横無尽に
  駆けめぐっている感覚に浸ります。
  物はすべて美しさを持っています。
  僕はその美しさを自分のことのように
  喜ぶことができるのです。」
 参考:NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」 動画

数学者はキノコ狩りの夢を見るポアンカレ予想・100年の格闘(2007年放送)
16歳で国際数学オリンピックで満点で個人金メダル。1996年(30歳)ヨーロッパ数学会賞(辞退)、2006年(40歳)、100年の難問であったポアンカレ予想を解決した貢献により「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞(辞退)、100万ドルのミレミアム懸賞も辞退し、実家で母親の年金で生活しているとされる。
グリゴリー・ペレルマン博士の現在 Grigori Perelman
数学を伝えるという“難問”~ポアンカレ予想取材記~

後世、セザンヌは「近代絵画の父」と讃えられているが、ペレルマンは「数学という精神世界の父」と讃えられるであろうか。それより今の彼の声が聞けないのはもったいないことだと思うが、彼の隠遁生活について次の解説がある。

ハーバード大学教授であるヤウは、中国政府に国立の数学研究所をつくらせ、中国数学会の学会誌を創刊して編集長になり、そこに自分の弟子がペレルマンの証明を丸写しした論文を(査読もすっ飛ばして)「ポアンカレ予想の最初の証明」と題して載せ、フィールズ賞を共同受賞させようと画策したのだ。「数学界では倫理基準を破った人が批判されず、私のような一匹狼は追放される」というペレルマンの言葉が、彼の引退の理由を暗示している。しかし私などは、これぐらいえげつなく「中国は数学でも一流だ」とアピールし、世界の学界のリーダーシップを握ろうとする中国人の迫力に、むしろ感心してしまう。

「中国人の迫力に感心する」のもその人の価値観ではあるが、ペレルマンの純粋さをそのような価値観で評価して欲しくない。日本人として残念だ。

初稿 2015.4.29 更新 2015.8.26 削除動画 2018.9.26




理性と感性~脳卒中と自閉症が教えてくれること

2015-08-24 18:52:23 | 理性と感性
 理性は言葉で物語を紡ぐが、その物語には意図的であれ、無意識であれ嘘が忍び込む。その物語(自己主張)が対立を生み、生きにくい世界を作り出している。したがって、我々凡人が幸せに穏やかに生きていくためには、自他分離の理性より自他同一の感性を大切にしたい。それがこのブログ「自然とデザイン」のテーマである。

 左脳の脳出血から8年のリハビリを経て日常生活に復帰したジル・テーラーに生まれた自他同一の感性は、NHK総合番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」(動画)でも認めることができる。脳機能はあらゆる生きていく機能に関係しているので、脳卒中と一言に云っても脳出血や脳梗塞の場所や範囲によって症状が異なるように、脳の言語機能の障害に関係する自閉症についても様々な症状があろう。これを「知的障害」とか知能指数と一言で論じるのは、知識社会に浸っている我々の偏見だと思う。

 NHK総合番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」は、東田直樹さんが中学生の時(2007年)に書いた「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」をアイルランド在住の自閉症の息子さんがいる作家デイヴィッド・ミッチェル氏が翻訳(2013年)して世界に知られるようになり、今年、2014年8月にNHKで放送された。
 その中で東田直樹さんが気持ちのままに、あるがままに書かれた2つの文章が紹介されている。文章と言うよりこれは自他同一の感性溢れる詩だ。

 「僕は飛びはねている時、気持ちは空に向かっています。
  空に吸い込まれてしまいたい思いが僕の心を揺さぶるのです。
  空に向かって体が揺れ動くのは、そのまま鳥になって
  どこか遠くに飛んで行きたい気持ちにつながるからだと思います。
  どこか遠くの青い空の下で、僕は思いっきり羽ばたきたいのです。」

 「絵具で色を塗っている時、僕は色そのものになります。
  目で見ている色になりきってしまうのです。
  筆で色を塗っているのに、画用紙の上を自分が縦横無尽に
  駆けめぐっている感覚に浸ります。
  物はすべて美しさを持っています。
  僕はその美しさを自分のことのように
  喜ぶことができるのです。」

 東田直樹さんは言葉を話すのが苦手だが、感性の動きを素直に言葉にする能力は秀でている。それは言葉を話すブローカ野と言葉を理解するウェルニッケル野をつなぐ弓状束に障害があるからだそうだが、私には自他分離の言葉(理性)が自他同一の感性を邪魔していたのが、その障害によって取り除かれて、あるがままの感性が自由に溢れ出ているように思える。

 障害と個性の堺はどこにあるのだろう。自他分離の理性は、ときには争いや支配の凶器となる。自他分離の理性と自他同一の感性のバランスをとるよう、「君あり、故に我あり」と毎日を送りたいものである。

参考:
 東田直樹オフィシャルサイト 自閉症の僕が飛び跳ねる理由
 テンプル・グランディン: 世界はあらゆる頭脳を必要としている 動画
 ロージー・キング: 自閉症がいかに私を解き放ち、私らしく感じさせてくれるか 動画

初稿 2014.9.1 更新 2018.9.8(動画)