京都の定番料理「おばんざい」だが、本来はもてなしの料理ではないという。しかし日常の食だからこそ、京文化が反映されているのではないか。生粋の京都人、柏井壽さんに京都の食とツーリズムについて語って頂いた。
イラスト/いずみ朔庵


柏井壽 かしわい・ひさし
1953年生まれ、生粋の京都人であり食通としても知られる。歯科医院を営むかたわら、京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修役を務める。NHKでドラマ化もされた『鴨川食堂』シリーズ(小学館)や『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(柏木圭一郎名義)など小説家としても著書多数。


――京都人にとっておばんざいとはどのようなものでしょう?

 京都人はハレとケのけじめを大切にしています。食事でいうなら、ハレの日は料理屋、あるいは仕出し屋に出張料理を頼みます。おばんざいはケの日に家で食べる質素なおかずなので、来客のもてなしには決して出しません。

 「番菜」とも書きますが、粗末なものという意味です。順番を示すという説もあり、1カ月の中で節目になる日に食べる料理が決められているのです。例えば、お朔日は、 小豆ご飯と鰊昆布(身欠き鰊と刻み昆布の煮物)、8のつく日はあらめ(海藻)とお揚げの煮物、15日はまた小豆のご飯と芋棒(海老芋又は小芋と棒鱈の煮物)、月末はおからといった具合に。

 朔日を迎えられたのは商いが順調という印でお正月と同じような献立、月末は始末の料理ということでおからなのでしょう。忙しい日常の中での合理的な食の習慣で、多くは商家から生まれたものです。でも、一般家庭にも広く浸透して、生粋の京都人なら今も当たり前のようにこうした献立で食べています。僕も、おからを食べると「ああ月が変わるんや」と感じるのが常です。

 どの家庭も同じ日に同じ料理を食べているけれど、味付けは自分の家に伝わる味を大切にするのも京都人らしさです。 出だ汁し巻き卵も、うちでは出汁6に対して卵4の割合。よそで食べたのがおいしいと思っても、家の味を変えることはないんです。

そもそも、おばんざいとは?

 

――日常食のはずが、おばんざいを売りにするお店もたくさんありますが。

 30、40年前まではおばんざいを売りにする料理屋などなかったのですが。京都人にとってはかなり違和感がありますが、〝京都名物〟というビジネスモデルが完全にできてしまいましたね。「京野菜」「京料理」などと同じく。

 おばんざいは家の料理。たとえおから、芋棒など同じ料理名でも、玄人の料理人が作るものはおばんざいではないし、京都人として筋を通している店は、家で作るご飯のおかずとは一線を画す姿勢を貫いています。家では少しのおかずでご飯がたくさん食べられるように濃いめの味付けですが、料理屋のは〝酒の肴〟。酒に合うよう薄味なんですよ。

――他の郷土料理にはないおばんざいのエッセンス、京都らしさを感じる点とは何でしょうか?

 京都ならではの料理は、歴史的背景と独特の風土が合わさって生まれました。特に「出会いもん」と呼ばれている料理は、そのルーツを思いながら食べると「なるほど」と京都人の知恵に感心するのではないでしょうか

 例えば、江戸時代中期に九州産の海老芋と北海産の真鱈を干した棒鱈が京都で出会って「芋棒」という炊き合わせになりました。海老芋と棒鱈を別々に炊いたのではコクや旨みはでないそうですが、この辺りに気がつくのが京都人のセンスかもしれません。

 北前船で北海道から運ばれてきた身欠き鰊も昆布と炊いたり、茄子と炊いたり、あるいは蕎麦の上に載せたり。棒鱈も鰊も昆布も乾物ですが、こういった「いつもあるもの」と季節のものを京都人はうまく使っています。

京料理を構成する要素

 

「京料理」とは、質を充分に吟味した食材を(精進)、簡素な美しさを湛えた膳に(茶懐石)、雅で厳かな空気を感じさせ(有職)、絶えず進取の気性をもって(伝来)料理にのぞむ。この歴史的背景を柱に、一方で身近で新鮮な山の幸に遠来の海の幸に手を加え、潤沢な水を使って美味しさを表現したもの。
参考:柏井壽『京料理の迷宮 奥の奥まで味わう』(光文社新書)


――京都での料理屋選びのコツは?

 おばんざいと同様に「京料理」と看板に掲げる店は多いけれど、イメージ戦略であることがほとんどで、京都らしさの真髄に触れられるのかといえば疑問。SNSの情報も京都人が投稿しているものは少ないでしょうから、観光客、よその土地の人目線です。

 私は、宣伝文句や料理云々より料理人の心持ちを重視しています。京都で店を構えるいい料理人ならば、「京都に来てもらったからには、京都ならではのおいしいものを食べてもらおう」と思っているからです。煮物を食べると、お出汁の味がちゃんと効いているかどうかでその店の実力が分かります。

 とはいえ、味の好み、そしてお店の人との相性もありますから、ネットの評判よりも自分が楽しめる店を自分の勘を頼りに地道に見つけるのが一番。そして、いい店だなと思ったら京都へ行くたびに通って欲しいですね。顔見知りになると、お店の主人や女将さんを通して「ほんまもんの京都」が見えてくると思います。

――お店での流儀はありますか?

 京都人は食材の産地や酒の銘柄などあれこれ聞きません。おいしければそれでよし、という精神です。他の店と比較するような話もあまり好まれません。「よそはよそ、うちはうち」が京都流です。

※月刊誌『一個人』4月号(3月9日発売)より抜粋