百菜健美☆こんぶ家族ラボ

おいしい
と感じることは生きる喜びに
そして笑顔になります。
舌で味わい、
目は閉じていても
耳は心で。

震災

2011-03-29 | Weblog

被災地の復旧作業が急ピッチで進んでいます。道路は徐々に開通し、スーパーに食品が並びはじめるなど物流も少しずつ回復。連日、被災地の状況を伝えるテレビ番組には、以前の生活を取り戻そうと、復旧作業を必至に行う被災者やボランティアたちの姿が映し出されています。

懸命に復旧作業を進める日本の姿は韓国でも報じられていて、「自分よりももっと大変な人がいる」と語り、救援物資に感謝する姿は「我慢強くて礼儀正しい日本人」として映っているようで、高く評価されています。しかし、韓国のあるネットユーザーは、日本人は他人を配慮するあまり、自分を犠牲にしているのではないかと考察しています。

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私は日本人について真面目過ぎると思っています。国家レベルの災害を被ったのにも関わらず、彼らは困難な状況をあまり表情に出しません。秩序を保つ姿を見ると、人間じゃないような気もしてしまいます。大切な人が行方不明になっていても、涙を我慢して「私よりもっと悲しんでいる人たちがいる。どこかで生きていると信じる」と語っている人を見ましたが、悲しみは比較なんてできないはず。悲しいものは悲しい。

ここに「他人を非常に配慮する」という日本人の特徴が現れていると思います。例えば、道を歩いていて日本人と肩がぶつかると「すみません」と挨拶してくれます。もし、韓国でそれをしたなら「小心者」の烙印を押されてしまうでしょう。日本人がする90度のおじぎも、韓国では丁寧すぎる。日本人の配慮は韓国ではオーバーに映ってしまうのです。

他人を配慮するあまり、自分のことを心配せず、身内の不幸にも涙を我慢する姿は、私には「献身的」であると同時に「盲目的犠牲」にも見えます。たしかに、涙を流しても亡くなった人はもう戻ってきませんが、悲しみを抑えてしまったら、その空虚な気持ちはどこに発散させればいいのでしょうか。人間は自分自身を愛さないといけないのに、日本人は自分よりも悲しい人がいると言って、自分を大切にしていないような気がします。

人間は理性と感情を持った動物です。どちらか一方でも欠けてはいけません。しかし日本人の場合、理性が占める割合が極度に大きく、アンバランスな感じがします。日本はロボット国家ではありません。日本人は自分の心をだましてはいけないし、私たちに対しても正直であってほしい。今はまず、自分自身に素直であってほしいと思っています。
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韓国人は「情が厚い」と言われるように、日本人よりも自分の感情に正直な部分があります。このネットユーザーは、日本人には「他人に迷惑をかけたくない」という性格的特徴があるけれど、今の困難な状況を乗り越えるためには、外部に支援や心の支えを積極的に求めるべきではないかと考えているようです。

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心からお見舞い申し上げます。

2011-03-15 | Weblog

 

いつもはめったにTVなど見ない時間に、たまたまスイッチを入れたとたん、

とても信じられない映像にからだがこわばりました。

きれいに手入れされた広大な畑が、

たくさんのご家庭のたのしい夢を育んできた大切なおうちが、

見る見るうちに波にのみ込まれてしまうようすが、とても現実とは思えません。

   
こんなとき、できることはといえば、動いてくださる救助の方や情報機関の、
じゃまをしないようにすることしかない、と電話もネットも控えて、
ただ被害の少しでもかるいことを祈っているだけでした。

外国での報道では、パニックにならずにほかの被災者の方を気づかう、
現地の人々の態度が驚きの対象になっているとか。
並み大抵ではない状況のなか、どうぞご無事と、早い復興をお祈りするばかりです。

首都圏でも、「帰宅難民」という聞きなれないことばで報じられる状況を、
ブログのまわりでもそこここで拝見しました。
かずかずのご苦労のなかの皆さまに、心からお見舞い申し上げます。

こちらを、しばらくアップを控えておりましたあいだ、
かわらずお訪ねくださいました皆さまにも、お礼申し上げます。
ご心配をかけてしまったかも知れませんけど、
以上のような判断でおりましたので、どうぞお許しください。

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