こんにちは!
家族で食卓を囲むこと。
「いただきます」と手をあわせること。
心配りができること。
おじいちゃん、おばあちゃんを大切にすること。
家族揃っての食事は大切 です。
公認レシピライター「沁み沁みごはん塾」の岩佐優です。
マフラーをぐるぐる巻き、長靴を履き、家から駆け出す二月の早朝。
昨日から仕掛けた罠を田んぼの霜柱をざりざり踏みつけながら山に急ぐ。
下ばかり向いて歩く。土をぐっと押し上げて光る霜柱は朝日に照らされて
きらきら輝き、儚くて、繊細に軽やかな光沢を帯びていた。
この季節、しもやけになるのが当たり前だったなあ。
ぬくぬくとした部屋の中で、昔のことを思い出しながら、
最近の自分が情けなくなりますね。
冬は火鉢や、囲炉裏、炭の炬燵が暖房。
私の家の上がり框の奥の大きな正方形の木枠。
その囲炉裏に山からとってきた樫の木、椎の木を炊きつけに
父が割ってくれた薪をくべて暖を取っていました。
昔の家をご存知の方はわかるでしょうが、
冬の海に晒された漁師町、
隙間風の吹き込む木造の家はとても厳しいものでした。
床の下からもジンジンと冷え、足がとても冷たかった。
あのころは靴下しかなくそれ以外はあまり考えなかっと思います。
でも、昭和37年ごろには灯油のストーブが置かれました。
手がちじこまる時にストーブの周りに立って火鉢に手をかざすように
みんなで手を伸ばして
「ホンマに、温いなあ」と、
本当に嬉しかったのを覚えています。
小学校の生徒には、しもやけが手の甲全体にできて、それが本当に
やけどの水ぶくれが破れたように崩れてしまう子がたくさんいました。
みんな、おうちの手伝いをよくしたのでしょう
どうしても手が濡らすことも多くそのままにしていると
余計ひどくなるのです。
その上指先はひび割れも起こります。
私も冬場はしもやけに悩まされました。
冷えると痛み、炬燵でぬくい思いをしたり、
運動をして血のめぐりがよくなるとむずむずと痒く、
かきむしりたくなる
眠れないことだってありました。
あの頃は家の中にいてもしもやけが出来ていたのだから
今の暮らしの幸せなこと。
そんなことを考えながら、さて、足元の暖房機をやすませます。
大切なこと。
みんなが笑っていられること。
夢中になれるものがあること。
「ありがとう」が素直に言えること。
子どもたちが命をいただくことの大切さを知ること。
お天道様にはかなわないことを体で感じること。
命あるものを育てるにはいっぱいの時間と愛情がかかること。
子どもたちにたくさん褒めてあげること。
両手いっぱい広げてぎゅうっと抱きしめてあげること。
「どうしてなんだろう?」をいくつも数え、
それが少しずつでもわかるようになること。
大人になって「これが自分」と言えるようになること。
日本には美味しいものが数え切れないくらいあるのを知ること。
「おいしい」と言ってくれる料理をつくり続けること。
誰もが健康でいられること。
そして、
私たちが幸せであること。
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今日の料理レシピは、昭和の料理【懐かしいオムレツ】です。
【材料】 (2人分)
玉葱 1/6個
人参 4㎝
合い挽き肉 70g
塩 小さじ1/5
胡椒 少々
小麦粉 小さじ1
水 大さじ3
卵 5個
バター 大さじ1
ソース 適宜
【作り方】
(日)フライパンにバター半量、粗みじんにした玉葱、人参を入れ弱火にかける。
(月) 玉葱が透きとおる程に火が通ったら火を中火にして合い挽き肉を加え、肉に火が通ったら、塩、胡椒、小麦粉を振る。
(火)粉の白さがなくなったら水を加えとろみがつくまで煮詰め、容器に移す。
(水)フライパンに残りのバターを溶かし、卵2個半に塩、胡椒少々をしたものを注ぐ。
(木)しゃもじで軽くまぜバターを溶かし込みながら広げる。真ん中に具の半分をのせ、両側から卵で包み込む。
(金)皿にひっくり返して、形を整えてソースをかける。
今のようなふわふわトロトロオムレツではありません。
洋風玉子焼き包みのようなほっとする懐かしい昭和の料理の一つです。
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公認レシピライター
岩佐 優
人生に捧げる沁み沁みごはん塾
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