ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

歩き応えあり 音無親水公園と石神井川散策

2022年06月18日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年6月18日(金)

隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和4年度(2022年度)第6回、令和4年(2022年)第8回、「音無親水公園と石神井川散策
ウォーキングに参加した。
通常であれば前日の金曜日に実施するところである。
このところの新型コロナの感染者数は減少傾向ではあるが、通勤時間帯を避けるため、
土曜日に変更したという次第。
東京都へ電車で出かけるのは2020年2月8日の玉川上水緑道から小金井公園以来であり、
2年4か月振りとなる。

この日荒川沖駅8時25分発の電車に乗るために集まった皆さん。
荒川沖駅には16名が集まった。


電車は定時に到着した。
土浦駅から乗車の2名と合わせ、この日は18名の参加となった。


車内はまあまあ空いていた、予想通りである。


この日のコース地図や参考パンフレットなどを見入る皆さん。


日暮里駅で京浜東北線大宮行に乗り換え、9時42分、出発地の王子駅に到着した。


最初の目的地王子稲荷神社へは、明治通り(R122号)と都電荒川線を横断陸橋で跨ぐ必要がある。


明治通りと都電荒川線を跨いで王子駅北口へ。


東北・上越新幹線、東北線、京浜東北線下の王子カルチャーロードギャラリーを潜って反対側へ。


王子カルチャーロードギャラリーを潜って直ぐに右折して森下通り商店街方面へ。
『しかし、王子駅周辺は複雑だなぁ』


森下通り商店街を進むと・・・


見覚えのある久寿餅屋があった。


歩きだしたばかりであり、土産物として買うには早過ぎるため、結局は素通りすることに。
『帰りにはここは通らないんだよね~っ』 と残念そうな声が・・・


王子稲荷神社への参道は隣接するいなり幼稚園手前を左折して、”いなり坂”を上ることになる。


10時ちょうど、最初の目的地王子稲荷神社に到着した。


王子稲荷神社に参拝!!


『いやぁ 凄く立派な社殿だよね~っ』
王子稲荷神社は、1000年の歴史ある古社で関東稲荷総社の格式を持ち、徳川家も篤く信仰した、そうである


王子稲荷神社に隣接するいなり幼稚園前を通る際、王子稲荷神社への門は開いていた。
この日は土曜日で幼稚園が休みのため、この門から稲荷神社へ通り抜けられるのだろう。


10時9分、次の目的地名主の滝公園に到着。


ルートが良く理解していないまま庭園内を進む。


右手に池があったので、池の周りに沿って進んだ。


池の周りを進むと、入口の門の所に出てしまった。
何と、池を一周しただけのことだった。
引き返すのも面倒なので、いったん外へ出て少し進むと名主の滝正面への案内があった。
『最初からこっちに来てた方が良かったかもねっ』


案内に従って少し進むと、10時17分、名主の滝公園入口(正面)に到着した。
名主の滝公園は、江戸時代の名主・畑野家が屋敷内に滝を設け、庶民の避暑地に開放したのが
始まり、と云われている。


名主の滝(男滝)


『こんなところに滝があるんだぁ』
『ちょっとだけど癒されるよねっ』
しばらく名主の滝に見入る。


名主の滝(男滝)を後にして、三平坂へ。
坂名の由来は、江戸時代の絵図にある三平村の名からとも、室町時代の古文書にある
十条郷作人の名からとも云われている、そうだ


曲りくねった急勾配の三平坂を上る。
『意外ときついよねぇ』
三平坂この日一番の上り坂である。


最後尾Gも三平坂を上り切り、


左に折れて都道455号を進み、王子神社へ。


10時40分、王子神社に到着。
『正面が王子神社のようだねっ』


王子神社
王子神社の例大祭は「槍祭」とも呼ばれ、祭礼に際し「御槍」という古伝の御守護(おまもり)
が出るため、だそうだ。
例大祭は1年ごとに本祭と陰祭とがあり、8月上旬の3日間にわたって行われる、とのこと。


鳥居を潜ると直ぐ左側に豪華な神輿が奉納してあった。
Webには、本祭に神輿の大集合があり、多くの神輿が次々に鳥居を潜る様は圧巻です。
祭礼3日目の早朝に行われます、と紹介されている。


王子神社に参拝!
開運除災・萬願成就と云われており、江戸時代の『願懸重宝記』には「神前に小き槍を置て
祈念なすに悪事災難をまぬかるる」と出ている、そうだ。


王子神社を後にして都道455号を少し進むと、10時53分、音無橋に到着した。
音無橋の名の由来等が以下のように案内されていた。
音無橋の名の由来は、架橋されている石神井川に求められる。
石神井川は、多摩地方から東流し、北区において隅田川と合流するが、王子権現付近より
以東の路線はかつて瀧野川あるいは、音無川と呼ばれていた。
音無川の名は、紀州熊野権現本宮の近くにある音無川に因んだものである。
本橋は、昭和五年の架橋以来、周辺の交通の便を確保するとともに、地域の発展の要として、
機能している。


石神井川に下りると、そこが音無親水公園である。
暗渠となった石神井川の流れを復元し、水車小屋や木橋を設けた風情ある公園となっている。
子供連れの親子が水遊びを楽しんでいた。
『あらぁ 可愛い~っ』 『パパ 頑張って!!』


これから向かう上流部の音無橋を望んだところ。


音無橋上流部に続く音無親水公園(上流に向かって右側)を進む。


石神井川の両側が遊歩道になっている。
自転車も走れるようになっている。


遊歩道から石神井川を見たところ。
水量は少ないが、水はきれいに透き通って見える。


音無親水公園の遊歩道を歩き始めて最初の橋「松橋」を左手に見て、
(地図ではこの橋を渡って対岸の”音無さくら緑地”へ寄り道と案内されていたのだが・・・)


会長を先頭に元気に音無親水公園の遊歩道右岸を進む。


石神井川には多くの橋が架かっている。
紅葉橋を左手に見ながら進む。


紅葉橋の向かい側に建つのは金剛寺と思われる。
真言宗豊山派の寺院で、滝河山松橋院(りゅうがさんしょうきょういん)と号す。
通称「紅葉寺」、不動明王を本尊とし、弁天像を祀る弁天堂もある、とのこと。
寺伝によれば、弘法大師が松の木を倒して一本橋としたとき、不動明王像を彫って石の上に
置いたことに始まる、そうである。


「音無もみじ緑地」らしき場所が見えた。
釣りを楽しんでいる人もいたが、和竿のような竿で何を狙っているのだろうか?


音無親水公園を進む。


石神井川の様子
堰のように斜めになった箇所も見える。
『石神井川も何かの稚魚が遡上するのかねぇ』
『雨の時はもの凄い流れになるんだろうねっ』


音無親水公園を進む。


左手に瀧野川橋を見ながら進む。


『このままずっと右岸を行くのかねぇ』
どうやら左岸へ渡る橋(松橋?)見過ごしていた。
左岸へ渡る橋の名前はてっきり”桜橋”だと思い込んでいたのが間違いだったのだ。


そのまま右岸を進むと、11時21分、突然目の前に観音像が現れた。
谷津大観音像だった。
真言宗豊山派寿徳寺が2008年12月6日建立したもので、まだ新しい。
観音像が手にした蓮の花は、地域住民や檀信徒が願いを記した銅板を溶かして鋳造された、とのこと。


谷津大観音様に手を合わせ、観音橋を渡って左岸へ。


左岸から観た石神井川
住宅の直ぐ隣が川というのも珍しい景色ではないだろうか。
岸壁は高さ9mほどはあるだろうか。
『けっこう高い壁だけど洪水の心配はないんだろうかねぇ』
いらぬ心配ではあるかも・・・


音無くぬぎ緑地横を通り過ぎ、


11時29分、埼京線の鉄橋下を潜ると・・・


石神井川は大きく右へカーブしている。


一つの歌碑があった。
この土や さくら咲く国 我が住む國 芒角星 と刻まれている。


前方にこんもりとした小山が見えて来た。
加賀公園ではないかと思われる。


加賀公園
加賀藩前田家江戸下屋敷跡に残されており、こんもりとした小山は庭園の築山の名残り。
中山道板橋宿に近く、参勤交替の際、藩主はこの下屋敷で休息をとった、という。


加賀公園を左手に見ながら板橋を目指す。


金沢橋、続いて加賀橋を通り過ぎ、石神井川を右手に見ながら進む。


『歩き易くて良いコースだよねっ』
『東京の人が羨ましいわねっ』


兼六園を思い起こさせる灯篭が。


『紫陽花がちょど見頃だよねっ』


ガクアジサイも。


みどり橋を通過。


『石神井川に棲んでる魚なのかしらねっ?』


加賀保育園を通過すると・・・


帝京大学医学部の建物が見えて来た。


遊歩道を進むと・・・


先頭Gが加賀二の橋の袂で休憩していた。
『ここまで来ればあと一息だねっ』
現在時刻は11時53分、12時半までにはゴールの都営三田線板橋区役所前駅に到着したいものである。


加賀二の橋を渡って


直ぐに左折して石神井川に沿って進む。


御成橋を通過し、


次の目的地の板橋を目指す。


狭い遊歩道を進み、番場橋を過ぎてさらに進むと・・・


12時6分、板橋に到着した。


板橋の上から石神井川(下流)を望む。


板橋の由来や板橋宿などについての説明板に見入る。
板橋
この橋は板橋と称し、板橋という地名はこの板橋に由来すると云われています。
板橋の名称は既に鎌倉から室町時代にかけて書かれた古書の中に見えますが、江戸時代になると
宿場の名となり、明治22年に市制町村制が施行されると町名となりました。
そして昭和7年に東京市が拡大して板橋区が誕生した時も板橋の名称が採用されました。(以下略)
平成十二年三月 板橋区教育委員会


ちょっと一休み。
『けっこう疲れたねぇ』  『かなり歩いたんじゃないっ?』


12時15分、ゴールの都営三田線板橋区役所前駅を目指す。
板橋宿は南の滝野川村境から北の前野村境まで20町9間(約2.2Km)の長さがあり、この橋から
京寄りを上宿と称し、江戸寄りを仲宿、平尾宿と称し、三宿を総称して板橋宿と呼びました。
平成十二年三月 板橋区教育委員会


仲宿の通りを進む。
『けっこういろんな店があるし賑やかだねぇ』


仲宿の通りを進む。


「新月堂」
板橋を模した皮に、上品な甘さの粒あんと求肥を詰めた「いたばし最中」(130円)が看板商品、だそうだ。
予定よりかなり遅れているので先を急ぐことにした。


仲宿の通りを進む。


仲宿の通りを進む。


仲宿の終点?が見えて来た。
『この先は平尾宿ということになるんだろうねっ?』


板橋宿(平尾宿)へ。


板橋宿(平尾宿)を進む。
『仲宿に比べるとちょっと人通りが少ない感じだねっ』


12時28分、中山道板橋宿の休憩公園前を通過。
(本来はここがゴールとなる場所だったのだが・・・迂闊だった)


中山道板橋宿の休憩公園の向かい側、観明寺の参道入口に庚申塔が立てられていた。
庚申塔は、寛文元年(1661)八月に造立されたもので、青面金剛像が彫られたものとしては、
都内最古で、昭和58年度に板橋区の指定有形文化財になった、とのこと。
平成十二年三月 板橋区教育委員会


12時31分、板橋宿(平尾宿)の入口(出口)を通過。
前に見えるのは、首都高5号池袋線だ。


板橋宿(平尾宿)の入口(出口)を通過して、どうやら都営三田線の板橋区役所前駅を
通過してしまったことに気が付き、中山道を引き返す。


今度は中山道ではなく、首都高沿い(国道17号)に都営三田線の板橋区役所前駅へ。


12時48分、やっとのことで、都営三田線の板橋区役所前駅入口に到着した。
想定していた時刻よりもさらに20分近くも遅くなってしまった。


ゆっくりする間もなく都営三田線の地下鉄駅へ。


13時9分、都営三田線巣鴨駅でJR山手線に乗り換えて、上野駅へ向かった。


お腹も空いていたことから、上野駅では早々に解散として、めいめい好みの店へ散っていった。
我々5名は上野駅中央口前のアトレ上野2Fの”グリル1930”へ。
前日Webで調べたのだが、利用するのは全員この日が初めてであった。
店はかなり混んでいたが、並んで待つことにした。


席に案内され、先ずは全員生ビールを注文した。
『乾杯!!』
『この一杯が止められないんだよね~っ』


『ほんとに最高っすねっ』


『いつも以上に美味いっ!!』


『お疲れさまでしたっ』
良い笑顔ですねっ!!


”グリル1930”はハンバーグの専門店なので、和風ハンバーグを注文した。
お腹が空いていたので美味かった。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

2年4か月ぶりに電車を利用しての都内ウォーキングが無事終了した。
大人の遠足BOOKの”東京自然を楽しむウォーキング”を参考にしたこの日のコースだったが、
歩数約12,000歩、歩行距離約6Km、歩行時間約1時間30分と紹介されていた。
実際歩いてみると、歩数は15,000歩超、歩行時間約3時間(30分のロスタイム含む)かかった
ことから、歩行距離は約10Kmはあったのではと推定している。
兎に角歩き応えのあったこの日のウォーキングだったことは確かである。
まぁおかげで美味しいビールを飲めたのは嬉しいことではあるが・・・
電車利用のウォーキングは、ゴール後の一杯があるので、次が楽しみで仕方がない。

この日の万歩計は、15,500歩を計測していた。

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