ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

特選街道を歩くⅠ 第七回 (中山道)馬籠宿~妻籠宿(2日目)

2015年09月28日 | ウマさんの「旧街道(特選)」を歩く
2015年9月28日(月)

昨年(2014年)は、旧東海道の日本橋から三島宿までを歩いた。
今年は、旧街道の中でも見所が多く、人気のある区間を選んで歩くことにした。
旧街道全てを歩くのは、時間的にも資金的にも大変なため、ある街道の中から
気に入った宿間を独断で選んで歩くものである。
日帰りを主としているが、コースによっては宿泊も有りとしている。

「旧街道(特選)」第七回は、中山道の落合川駅~落合宿~馬籠宿~妻籠宿~南木曽駅間(約25Km)を
2日間かけて歩くというものである。
2日目のこの日は、馬籠宿~妻籠宿~南木曽駅までを歩いた。

2日目の朝、「馬籠茶屋」の前から馬籠宿石屋坂を見る。
今日も良い天気、どんな景色に巡り会えるのか、楽しみである。


朝食は7時30分からとなっている。


『昨夜はお腹いっぱいだったけど、朝になるとまた食べれるもんだねぇ』


支払いを済ませ、8時18分、妻籠宿目指して出発だ。
ちなみに支払いは、夕食時のビールも入れて、平均9,000円ほどだった。
納得の料金である。


馬籠宿内を歩く。
店はまだ開いてない。人影は見えない。


展望台へ向かう。


展望台から馬籠宿方面を望む。


恵那山は雲に覆われていて山頂は見えない。
『昨日のうちに見ておいて良かったねっ』


”行き止り 回り道”の表示に従って妻籠宿へ向かう。
案内表示も英語併記、それだけ外国人が多いということだろう。


坂道を下ると、車道に合流した。
熊除けの鐘は、街道のあちこちに設けられている。


道路を横断し、10分ほど進むと、


また、道路に出た。
この辺りは、道路が街道を縫うように走っている。


古びた水車がゆっくりと回っていた。
ゆったりと時が流れるのを感じる。


中山道は、水車小屋を横に見ながら、梨子ノ木坂に続いていた。


梨子ノ木坂から7分ほど歩くと、「樹梨」という食事処があった。
”栗こわめし”が名物のようだが、まだ店は開いていないようだ。


さらに進むと、道端に蒸かしたさつま芋が1本100円で売られていた。
まだ腹は空いていなかったが、1本買ってみた。
Mさんと半分個して食べたが、甘くて美味かった、


9時17分、大きな木の下に木札が立っているのが目に入った。


十辺舎一九の狂歌碑だった。
木曽谷の名物、栗強飯を歌っている。
渋皮の むけし女は見えねども 栗のこわめし ここの名物


馬籠峠の近く、古い家が立ち並ぶ小さな集落を進む。


『けっこう古い家だよねぇ』
峠地区の集落のほぼ中央にある今井家住宅。
明治前期の建築というから、約130年~140年ほど前ということになる。
景観重要建造物に指定されている。


9時25分、熊野神社前を通過。
明治天皇が休憩された処でもある。


緩やかな坂道を上って行くと・・・


岐阜県と長野県との県境標識が見えてきた。
峠の先は、南木曽町である。


9時30分、馬籠峠に到着した。
この峠が馬籠宿と妻籠宿の境となる。
馬籠宿を出発して1時間10分が経過していた。
”栗おこわが有名”と紹介されていた「峠の茶屋」の戸は、固く閉まっていた。


馬籠峠頂上(801m)で一休み。


9時40分、妻籠宿目指して出発だ。
妻籠宿まで、5.5Kmと表示されている。


『やっぱ下りは楽で良いねぇ』
少し下ると石畳はなくなり、砂が敷き詰められた道になった。


『行き倒れの人の墓なのかねぇ』
左端の大きな石には「南無阿弥陀仏」の字が見える。


9時51分、一石栃立場茶屋に到着した。
この付近は、妻籠と馬籠の中間に位置し、往時は7軒ほどの家があって栄えていた。
今では牧野家住宅一軒のみが残っている。


中に入ると、牧野家の主人と思しき人がお茶を入れてくれた。
訊けばこここには住んではいないと言う。
麓の妻籠から通っているのだそうだ。


『お茶が美味しいねっ』
(寸志を忘れないところは、さすがKさん)


家の前の枝垂れ桜(撮影日:2013/5/1)


この日の枝垂れ桜
次に来る機会があれば、4月末から5月初旬が良さそうだ。


一石栃の白木改番所跡
木曽から移出される木材を取り締まるために設けられたもので、檜の小枝に至るまで、
許可を示す刻印を焼いてあるかどうかを調べるほど厳重だったと言われている。


4.7Km先の妻籠宿を目指す。


檜の並木の中を進んで行くと・・・


さわらの大樹があった。
推定樹齢300年、胴回り5.5m、樹高41m、材積34㎥。
この木一本で約300個の風呂桶を作ることが出来る、そうである。
このさわらの下枝が立ち上がって特異な枝ぶりとなっているが、このような形の枝を持った針葉樹を神居木(かもいぎ)という。
昔から山の神(天狗)が腰掛けて休む場所と信じられており、傷つけたり切ったりすると祟られると言われていた。


10時20分、一石栃口の道標を通過。
距離は短いが石畳が敷かれていた。


妻籠宿への街道は、沢を渡り、


男埵(おたる)の国有林を進む。
中山道男埵山一帯は風致保護林に指定され、檜(ひのき)・椹(さわら)・明檜(あすひ)・高野槙・鼠子(ねずこ)の
いわゆる木曽の五木が、鬱蒼と生い茂っている。
これらの大木は、江戸時代は停止木として、明治になってからは官林、
さらに明治22年以降は御料林として保護されてきた。


崩れ易い箇所には、木道が敷かれているので安心して通れる。


10時36分、街道から少し逸れるが、雄滝・雌滝の案内があった。
戻ってきた人に訊くと滝まで数分とのことなので、行ってみることに。


中山道から逸れること4分、雄滝に到着した。
滝壺に金の鶏が舞い込んだという倉科様伝説が残り、吉川英治「宮本武蔵」にも登場する滝。
滝の前に立つと、冷たい風が吹き付け真に爽快な気分。


雄滝の右手数十mのところには雌滝が豪快に流れ落ちている。
『滝まで見られたとは、最高だねっ』


中山道まで戻り、10時48分、再び妻籠宿を目指す。
妻籠宿まで3.2Kmだ。


若い外国人カップルが身軽な恰好で瞬く間に追い抜いていった。
バッグなどの大きな荷物は、希望する場所まで運ぶサービス業があるらしい。


大妻籠に近い茶屋のような民家前を通過


下り坂を下りて行くと、牛頭観音の説明板があった。


説明には、
石の多い急な坂道を思い荷物を運ぶため黒牛が利用された。
その黒牛の供養塔で、中山道に祀られた唯一の石仏である。
山の斜面に小さな牛頭観音が安置されていた。


N.Yから来たという男性。
8週間の休暇をもらって日本を旅しているそうだ。
奥さん(山口県出身の日本人)は、N.Yで働いているとのこと。


漬け込んだクルミを取り出し、


水車でクルミを洗うのだそうだ。


大妻籠の民家が静かに佇んでいる。
以前見た妻籠宿によく似た風景である。


11時24分、大妻籠の看板に到着。
『立派な旅籠だよねっ』


大妻籠の家並みを抜け、妻籠宿へ向かう。


道標
”右志ん道”、”左旧道つまご”と刻まれている。


田んぼがあるのどかな旧街道


『美味そうな柿だなぁ』
実りの秋である。


広い駐車場に出た。
この日は月曜日、車は殆ど止まっていなかった。


11時44分、駐車場脇の「妻籠宿」のでっかい看板が迎えてくれた。


妻籠宿の街並み入口


妻籠宿入口を入ると、右手に古い旅籠「八起」があったが、戸は閉じたままだった。


11時50分、関西電力妻籠発電所を通過。
妻籠宿の景観に合わせた木製の黒い塀に囲まれ、建物や鉄塔類も茶系の景観色が施されている。


妻籠宿の街並みを歩く。


妻籠宿
江戸時代にタイムスリップしたような気分だ。


妻籠宿の中央付近で道が2手に分かれている。
左が旧道である。


2手に分かれた道の右側に延命地蔵がある。
享保十年(1725)の書上げには「地蔵堂」と記されている。
堂内には直径が2mほどもある自然石が安置されている。
この延命岩を別名汗かき地蔵という。


左側が順路と案内されている。
屋根の上に重石が載せられているのが印象的である。


道は大きく右に曲がっている。
江戸時代のはじめに制定された宿場は、一種の城塞の役割も持たされ整備され、
宿場の出入り口には必ず桝形が設けられた。
宿場の桝形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が侵入し難いようにしたものである。


桝形のところで延命地蔵堂で2手に分かれた道に合流した。


天然記念物のギンモクセイがあるというので、坂道を上る。
キンモクセイの良い香りの先に、


「妻籠のギンモクセイ」の巨木があった。
案内によると、
栽培した巨木で知られているのは、広島県に2本、大阪府・愛媛県・石川県・和歌山県に各1本で、
ここのものは最も東寄りのものであり、太さからいっても和歌山県のものに比べて優劣がない。
地上30mで、周囲1m91Cm、高さ8m、とのこと。


妻籠のギンモクセイ
『いやぁ これは立派だわっ』


真っ白な花をつけるギンモクセイは、開花するとほのかな香りを放つ。
9月中旬から10月上旬が見頃と言うからまさに今である。


昼飯前に妻籠観光案内所へ。


9人分の「完歩証明書」に押印してもらい、皆さんに手渡した。
『やったねって感じよねっ』


12時26分、観光案内所からほど近い、「俵屋」で昼食にしよう。
「俵屋」の建物は、初代の妻籠郵便局として長年親しまれてきた、そうだ。
俵屋名物の五幣餅は、昭和52年9月12日、天皇・皇后両陛下が妻籠宿行啓の折に召し上がられたそうである。


『お疲れさまでしたっ』


全員、五幣餅と、


ざる蕎麦のセット(1,000円)を注文した。


『お腹が空いてたから美味しいっ』
『五幣餅も美味しかったぁ』


妻籠宿本陣
本陣は島崎藤村の母の生家、江戸時代後期の間取り図を基に建物が復元された。


脇本陣奥谷
屋号を奥谷という林家は、代々脇本陣を務めた家。
現在の建物は、明治時代に建て替えたもの。
江戸期には禁木であった木曽檜がふんだんに使われている。


道端に大釜が展示?されていた。
手作りの味噌作りで大豆を煮たもの、である。


妻籠宿内を進む。


月曜日だからか、観光客はそれほど多くない。


妻籠宿内を進む。


目指す南木曽駅は右側の道だ。


南木曽駅へ向かう。


12時55分、口留番所跡を通過
江戸時代初期、この辺りに口留番所があって、中山道を行く人々を監視していた。


妻籠宿の外れの旅籠「大吉」


南木曽駅まで3.2Kmとある。
今13時1分なので、14時過ぎには到着するだろう。


南木曽駅まで下りだけかと思ったら上り坂もあった。


県史跡妻籠城跡
妻籠城は、いつ誰によって築かれたか明らかではないが、室町中期には築城されていたと推測される。
天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり、慶長五年(1600)の関が原の戦いの時も、
軍勢がここを固めたが、元和二年(1616)には廃城となった。
妻籠城は、典型的な山城で、空堀・帯回輪、さらには南木曽岳にのびる妻の神土塁という土塁も備えており、
規模の大きな構えであった。


13時16分、蛇石(へんびいし)脇を通過
中世の中山道は、ここから沢沿いに上っていたが、元禄十六年(1703)に道の付け替え工事が行われて、
妻籠城総堀を通る現在の道になった、とのこと。


蛇石の道標
”右つまご宿、左志ん道下り道”と読み取ることが出来る。


南木曽駅へ向かう。


砂防ダム工事が行われていた。
昨年(2014年7月9日)発生した台風8号による土石流災害の復旧工事と思われる。
一日も早い工事完成を祈りたい。


良寛碑
木曽路にて
この暮の もの悲しきにわかくさの 妻よびたてて 子壮鹿鳴くも
この歌は手まり上人と言われた良寛が、木曽路を通った折に詠まれた二首の内の一首、とあるが、
あいにく良寛の碑は、見つけられなかった。


上久保の一里塚
木曽町内には、十二兼・金知屋・上久保・下り谷の4ヵ所に一里塚があったが、
現在原形をとどめているのはここだけである。両塚とも現存する。
江戸から数えて78里目の塚である。(80里目という説もある)


せん澤道標
”左なきそ駅へ 下り国道へ 右妻籠宿へ”が刻まれている。


13時32分、南木曽駅へ1.3Km地点を通過


13時35分、かぶと観音に到着


木曽義仲が兜の中に納めていた、十一面観音を祀っている。


境内にはお堂の他に


義仲の「袖振り松の水舟」がある。
義仲が弓を射るのに邪魔となった松を巴御前が袖を振り、なぎ払ったと云われる「袖振りの松」は、
松喰虫の被害により平成21年に伐採された。
松は、長さ約7mという通常の倍以上の大きさがある水舟に生まれ変わった、とのこと。


観音様の前で、最後の休憩を摂り、


南木曽駅へ向かう。


南木曽の街並みが見えてきた。


小さな公園にSL-D51が展示されていた。
昭和15年12月23日に日立製作所笠戸工場で製造され、福井機関区を始め、金沢・富山・新庄・横手各機関区を経て、
昭和46年10月5日に木曽福島機関区に配置されたものである。
総走行距離は、2,141,417Kmとあるから地球45周にも及ぶ。


中央本線の線路を横に見ながら南木曽駅を目指す。


14時8分、ゴールの南木曽駅に到着。
思った以上に立派な駅舎である。


南木曽駅の真ん前に土産物店があった。
そこで、冷えた缶ビールを買い、


駅の待合室で祝杯を上げる。


14時41分、中津川行電車がやってきた。


『天気に恵まれて良かったわね~っ』
『「完歩証明書」もいただいて、ほんと最高だったねっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「旧街道を歩く(特選)」第七回目 中山道(落合宿~馬籠宿~妻籠宿~南木曽駅)を無事歩き終えた。
馬籠宿、妻籠宿という中山道のなかでも最も人気があると云われる両宿間を歩き、「完歩証明書」を
貰えたのは、良い思い出になる。

両宿間は外国人にも人気が高いそうだが、なるほどと頷ける。
案内標識が全て英語と韓国語で書かれている点と、トイレが充実している点である。
街道のあちこちにきれいな洋式水洗トイレが整備されているのには、感心した。
宿泊した宿(馬籠茶屋)も全て洋式トイレだった。
安心して歩けるし、泊まれるというものだろう。

次回(11月)は、藪原宿~奈良井宿~贄川宿を計画している。
天気に恵まれることを祈るばかりである。

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