2018年3月25日(日)
2015年(平成27年)1月から翌(2016年)4月にかけて、旧街道(特選12コース)を歩いたが、
仲間から『是非続けて欲しい』との声があり、今年(2018年)は「旧街道を歩くⅡ」
として、新たな”街道歩き”を始めた。
「旧街道を歩くⅡ」第三回目は、中山道の大宮宿~上尾宿間(約9Km)を歩いた。
上野発8時19分発の高崎線籠原行電車に乗り、
8時49分、出発地の大宮駅に到着した。
大宮駅東口
8時58分、上尾宿(上尾駅)目指して大宮駅を出発!
この日の参加者は、自分も入れて6名である。
大宮駅近くに大宮宿本陣の一つ臼倉本陣跡があるそうなので、
探してみることにしよう。
旧中山道(県道164号)を大宮駅前からさいたま新都心方面に
少し戻って本陣跡を探しながら上尾宿を目指すことにする。
仲町辺りから大門町方面へ本陣跡の標識などを探しながら
旧中山道(県道164号)を上尾宿方面へ。
道路の反対側にもキョロキョロと目を光らせながら進む。
すずらん通りの方も目を凝らして探す。
一番街交差点付近を通過
県道2号との大栄橋交差点を通過し、旧中山道を進む。
さらに旧中山道を進む。
6人で周りをキョロキョロしながら進んだが、
ここまで本陣跡を示す何の標識も見つからなかった。
『ここまで何も見つからなかったんじゃぁこれ以上探すのは無理だねっ』
『このまま上尾方面へ行くしかないねっ』
ということで大宮宿の本陣跡を探すのは諦めて、上尾宿を目指した。
前方に見えるのは東北本線だ。
旧中山道は、東北本線を潜って上尾方面へと続いている。
9時23分、東北本線を潜る。
大宮警察署前付近を通過
東大成葬斎センター前を通過
幸運の仔豚像
ぼくは幸運の仔豚大チャンです。
イタリアの芸術の都フィレンツェにある仔豚像は、鼻を撫でると幸せになれると
言い伝えられ、世界の人々に親しまれています。
ぼくの鼻を撫でながら願いを唱えてください。
あなたにきっと幸福が訪れるでしょう。
多くの人に鼻を撫でられたのだろう、鼻がピカピカに光っている。
9時30分、大宮郵便局前を通過
旧中山道にしては旧い建物は見当たらない。
『旧中山道を示す標識なんかも無いしねぇ』
9時38分、「くらづくり本舗」前を通過
「くらづくり本舗」は、蔵の街川越で育まれた和菓子の老舗、だそうだ。
『本物の蔵じゃあないよねっ』
旧中山道(県道146号)を上尾宿を目指す。
ユキヤナギ(雪柳)の花が満開状態だ。
『いやぁ こうやって咲いてるのを見ると見事だねっ』
9時59分、ユキヤナギの後ろの小さな公園で一休みしていくことに。
しばしのお茶タイムだ。
『ご馳走さんっ』
旧中山道を上尾宿方面へ。
庚申塔
庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する、
庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。
庚申講とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が、
寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、
庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って
宴会などをする風習。
猿田彦大神と書かれた東大成庚申塔
高さ142Cm・幅45Cmの庚申塔で、江戸時代前期の元禄十年(1697)の建立。
正面に青面金剛像・二鶏・三猿が陽刻されている。
地元では”耳の神さん””眼の神さん”と大事にされ、耳や眼の病気の時には
団子を供えるなどしてお参りしたそうだ。
10時13分、東北・上越新幹線下を潜ると、
東大成町交差点がある。
旧中山道は左に続いている。
右の東北・上越新幹線沿いの道は国道17号(現中山道)だ。
旧中山道(県道164号)を進む。
この辺りまでも旧中山道に関する道標や標柱など何も見当たらなかった。
昔から何もなかったのか、あるいは何かの形で残すのが面倒だったのか・・・
旧中山道としては、寂しい限りである。
歩道に橋供養塔と刻まれた石柱がポツンと立っていた。
『ここに橋があったということなのかねぇ?』
何らかの説明板があれば良いのだが・・・
『桜がきれいに咲いてるねぇ』
『ちょっと桜見物でもして行こうか?』
宮原三丁目公園の桜が満開だった。
10時29分、宮原駅入口交差点を通過。
左側を見ると宮原駅が見えた。
小さな鳥居と社のような建物があった。
社には天満宮と書かた額があった。
天満宮としての由来は、菅原道真を祭神とする神社で、
政治的不遇を被った道真の怒りを静めるために神格化し、
祀られるようになった御霊信仰である。
『天満宮にしては、可愛らしいねぇ』
10時43分、村社加茂神社に到着。
村社加茂神社
天正十年(1582)の文書で加茂宮と記載されている古社であり、
山城の国、賀茂別雷神社から勧請したと伝えられる加茂宮村の鎮守である。
御手洗で手を洗い清め、
拝殿に参拝
加茂神社の祭神は、五穀豊穫と子孫繁栄の神を意味する別雷命である。
明治六年(1873)に村社となり、明治四十年(1907)には
近辺の7社を合祀した、とのこと。
本殿は文政十年(1827)に再建されたもの。
本殿の巧緻な「競べ馬」の彫刻が素晴らしい。
加茂神社の境内に合祀されていた三峯社。
11時11分、国道16号(新大宮BP)を潜る。
ピンクがきれいな桜が咲いていた。
『本当の桜色だねっ』 『あまり見たことがない花だねっ』
『何と言う桜なのかねぇ』
11時4分、さいたま市立宮原小学校前を通過
宮原小学校のセンダンは、開校当時に教鞭をとっていた一教師が帰省した折、
郷里の高知より苗木を持参し植えたものと言われている。
樹齢100年、樹高15m、根回り3.60m、目通り(幹回り)3.02m
昭和55年3月 大宮市教育委員会
『今じゃ樹齢140年は経ってるけど かなりの古木・大木だよねっ』
センダンは成長が早いらしい。
11時11分、手作料理とお酒処「徳樹庵」前を通過
「くるまやらーめん」と続くが、昼にはまだ早い。
11時18分、南方(みなかた)神社に到着
江戸時代の『五街道細見独案内』に、諏訪神社として登場する神社である。
南方神社
旧吉野村の鎮守で諏訪社とも呼ばれたが、明治四十年(1907)
近隣にあった9社を合祀し、現在の名前となった、とある。
地元では「お諏訪さま」と呼ばれている、そうだ。
ホルモン焼き・お好み焼き
お好きなもの3品食べて1,450円の得々セットや、
90分間食べ放題プランの他、
お好み焼・もんじゃ・焼きそば・ペッパーライスのプランAが
1,480円とある。
上尾駅に着くまで食事は我慢しよう。
11時38分、宮原図書館前を通過
ユニークな建物である。
『立派な図書館だね~っ』
隣の芝生は青く見えるものだ。
漬物の河村屋
江戸文化文政期に地酒「養老の瀧」を取り扱っていて、
酒粕を利用して粕漬を創ったのが「創作漬物 河村屋」の始まり。
昔から一貫して国産野菜にこだわって漬物を作っている、とのこと。
旧中山道を進む。
前方に上尾市の標識が見える。
さいたま市北区から上尾市に変わる市境付近、
左手に小さなお堂が立っていた。
中には不動明王が祀られていた。
庚申塔
馬喰新田バス停のすぐ脇に川越道の道標を兼ねた庚申塔がある。
正面には青面金剛が彫られ、
横には「是より秋葉へ十二町 ひご方へ壱里八町 川越へ三里」と刻まれている。
寛政十二年(1800)に建立されたものだという。
歩道には中山道と書かれた道標があった。
『大宮宿風辺じゃあ道標なんか何にもなかったけど、
上尾に入ったとたんにしっかり道標が現れたねぇ』
大宮宿とは、対照的である。
最初は鎮守の森のようにも見えたが・・・どうやら「畑医院」のようだ。
しかし、2016年冬に院長が亡くなり、現在は閉院している、とのこと。
VALUE PLAZA前を通過し、
続いてヤマダ電機前を通過
12時4分、愛宕神社に到着した。
愛宕神社に参拝
愛宕神社の入口に小さな鳥居があり、
その奥に小さな祠があった。
祠の中に「庚申塔」が鎮座していた。
享保七年(1722)寅年二月吉日建立と刻まれている。
『300年ほど前に建てられたんだぁ』
愛宕神社で一休みして、
旧中山道を上尾宿を目指す。
上尾宿は間もなくである。
上尾市の中心街に入った。
高い建物が増えて来た。
12時23分、氷川鍬神社に到着
寛永九年(1632)創建の氷川鍬神社は、
上尾宿発祥の地であり、総鎮守である。
氷川鍬神社の境内には浅間大神碑や
聖徳太子像碑などがある。
氷川鍬神社拝殿に参拝
鍬祭りとして鍬を祀ったのが由来で、小さな鍬2丁を御神体とし、
五穀を司る農業神を祭神とする、神社である。
氷川鍬神社本殿
「鍬大神宮」「御鍬大明神」と称し、明治四十一年(1908)に
二ツ宮氷川神社(上尾市上尾村)の女体社を合祀して現在の社号となった。
地元では「お鍬さま」の愛称で親しまれている。
氷川鍬神社の前に本陣、脇本陣の説明があった。
中山道上尾宿の始まりや由来、本陣(本陣1軒、脇本陣3軒)
についての説明が書かれている。
本陣は鍬大神宮(現在の氷川鍬神社)の正面にあった(林本陣)。
紀州徳川家の鷹場鳥見役も兼ねていた、とのこと。
氷川鍬神社の正面に脇本陣が2軒、氷川鍬神社に1軒あった、とある。
脇本陣は、白石家・細井家・井上家が努めていた。
現在は、氷川鍬神社の正面は7階建てほどのビルになっており、
その1階には、コンビニが入っている。
この日のゴール上尾駅へ
上尾駅が目の前だ。
12時40分、ゴールの上尾駅に到着
駅の反対側(西口)に食事をする所はないのかな?
『あっ 吉野家がある!』
『速いし、安いし、吉野家にしようかっ!』
ほぼ”全員一致”ということで、吉野家に入ることにした。
先ずは生ビール(380円)で『かんぱ~いっ』
『歩いた後は、美味いよね~っ』
食事風景
自分は牛カルビ丼(580円)を注文した。
少し肉が硬かったがまあまあ美味かった。
生ビールと牛カルビ丼に満足し、吉野家を後にして、
13時19分、上尾駅改札口に到着。
『皆さん 今日は大変お疲れさまでしたぁ』
「旧街道を歩くⅡ」第三回目 中山道(大宮宿~上尾宿)を歩き終えた。
大宮宿近辺は、新しい建物ばかりで旧い商家や民家などは見られなかった。
新しい町づくりで古い建物などは全て撤去してしまったのだろうか?
それにしても普通の宿場ではよく見られる本陣跡や問屋場跡などを示す
標柱なども全く見当たらなかったのには少々がっかりした。
町が新しくなるのはそれはそれで良いことだが、古いものは全て撤去して
しまうというのは、いかがなものだろう、と思う。
街道歩きの醍醐味や楽しみが全く感じられなかったのは残念である。
この日の万歩計は、18,000歩を計測していた。
次回(2018年4月)は、甲州街道(教来石宿~金沢宿)を予定している。
次回はどのような景色を観ることができるのか、どんなハプニングが
起きるのか、今から楽しみである。
ウマさんの「旧街道(特選)を歩く」目次に戻る。
2015年(平成27年)1月から翌(2016年)4月にかけて、旧街道(特選12コース)を歩いたが、
仲間から『是非続けて欲しい』との声があり、今年(2018年)は「旧街道を歩くⅡ」
として、新たな”街道歩き”を始めた。
「旧街道を歩くⅡ」第三回目は、中山道の大宮宿~上尾宿間(約9Km)を歩いた。
上野発8時19分発の高崎線籠原行電車に乗り、
8時49分、出発地の大宮駅に到着した。
大宮駅東口
8時58分、上尾宿(上尾駅)目指して大宮駅を出発!
この日の参加者は、自分も入れて6名である。
大宮駅近くに大宮宿本陣の一つ臼倉本陣跡があるそうなので、
探してみることにしよう。
旧中山道(県道164号)を大宮駅前からさいたま新都心方面に
少し戻って本陣跡を探しながら上尾宿を目指すことにする。
仲町辺りから大門町方面へ本陣跡の標識などを探しながら
旧中山道(県道164号)を上尾宿方面へ。
道路の反対側にもキョロキョロと目を光らせながら進む。
すずらん通りの方も目を凝らして探す。
一番街交差点付近を通過
県道2号との大栄橋交差点を通過し、旧中山道を進む。
さらに旧中山道を進む。
6人で周りをキョロキョロしながら進んだが、
ここまで本陣跡を示す何の標識も見つからなかった。
『ここまで何も見つからなかったんじゃぁこれ以上探すのは無理だねっ』
『このまま上尾方面へ行くしかないねっ』
ということで大宮宿の本陣跡を探すのは諦めて、上尾宿を目指した。
前方に見えるのは東北本線だ。
旧中山道は、東北本線を潜って上尾方面へと続いている。
9時23分、東北本線を潜る。
大宮警察署前付近を通過
東大成葬斎センター前を通過
幸運の仔豚像
ぼくは幸運の仔豚大チャンです。
イタリアの芸術の都フィレンツェにある仔豚像は、鼻を撫でると幸せになれると
言い伝えられ、世界の人々に親しまれています。
ぼくの鼻を撫でながら願いを唱えてください。
あなたにきっと幸福が訪れるでしょう。
多くの人に鼻を撫でられたのだろう、鼻がピカピカに光っている。
9時30分、大宮郵便局前を通過
旧中山道にしては旧い建物は見当たらない。
『旧中山道を示す標識なんかも無いしねぇ』
9時38分、「くらづくり本舗」前を通過
「くらづくり本舗」は、蔵の街川越で育まれた和菓子の老舗、だそうだ。
『本物の蔵じゃあないよねっ』
旧中山道(県道146号)を上尾宿を目指す。
ユキヤナギ(雪柳)の花が満開状態だ。
『いやぁ こうやって咲いてるのを見ると見事だねっ』
9時59分、ユキヤナギの後ろの小さな公園で一休みしていくことに。
しばしのお茶タイムだ。
『ご馳走さんっ』
旧中山道を上尾宿方面へ。
庚申塔
庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する、
庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。
庚申講とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が、
寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、
庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って
宴会などをする風習。
猿田彦大神と書かれた東大成庚申塔
高さ142Cm・幅45Cmの庚申塔で、江戸時代前期の元禄十年(1697)の建立。
正面に青面金剛像・二鶏・三猿が陽刻されている。
地元では”耳の神さん””眼の神さん”と大事にされ、耳や眼の病気の時には
団子を供えるなどしてお参りしたそうだ。
10時13分、東北・上越新幹線下を潜ると、
東大成町交差点がある。
旧中山道は左に続いている。
右の東北・上越新幹線沿いの道は国道17号(現中山道)だ。
旧中山道(県道164号)を進む。
この辺りまでも旧中山道に関する道標や標柱など何も見当たらなかった。
昔から何もなかったのか、あるいは何かの形で残すのが面倒だったのか・・・
旧中山道としては、寂しい限りである。
歩道に橋供養塔と刻まれた石柱がポツンと立っていた。
『ここに橋があったということなのかねぇ?』
何らかの説明板があれば良いのだが・・・
『桜がきれいに咲いてるねぇ』
『ちょっと桜見物でもして行こうか?』
宮原三丁目公園の桜が満開だった。
10時29分、宮原駅入口交差点を通過。
左側を見ると宮原駅が見えた。
小さな鳥居と社のような建物があった。
社には天満宮と書かた額があった。
天満宮としての由来は、菅原道真を祭神とする神社で、
政治的不遇を被った道真の怒りを静めるために神格化し、
祀られるようになった御霊信仰である。
『天満宮にしては、可愛らしいねぇ』
10時43分、村社加茂神社に到着。
村社加茂神社
天正十年(1582)の文書で加茂宮と記載されている古社であり、
山城の国、賀茂別雷神社から勧請したと伝えられる加茂宮村の鎮守である。
御手洗で手を洗い清め、
拝殿に参拝
加茂神社の祭神は、五穀豊穫と子孫繁栄の神を意味する別雷命である。
明治六年(1873)に村社となり、明治四十年(1907)には
近辺の7社を合祀した、とのこと。
本殿は文政十年(1827)に再建されたもの。
本殿の巧緻な「競べ馬」の彫刻が素晴らしい。
加茂神社の境内に合祀されていた三峯社。
11時11分、国道16号(新大宮BP)を潜る。
ピンクがきれいな桜が咲いていた。
『本当の桜色だねっ』 『あまり見たことがない花だねっ』
『何と言う桜なのかねぇ』
11時4分、さいたま市立宮原小学校前を通過
宮原小学校のセンダンは、開校当時に教鞭をとっていた一教師が帰省した折、
郷里の高知より苗木を持参し植えたものと言われている。
樹齢100年、樹高15m、根回り3.60m、目通り(幹回り)3.02m
昭和55年3月 大宮市教育委員会
『今じゃ樹齢140年は経ってるけど かなりの古木・大木だよねっ』
センダンは成長が早いらしい。
11時11分、手作料理とお酒処「徳樹庵」前を通過
「くるまやらーめん」と続くが、昼にはまだ早い。
11時18分、南方(みなかた)神社に到着
江戸時代の『五街道細見独案内』に、諏訪神社として登場する神社である。
南方神社
旧吉野村の鎮守で諏訪社とも呼ばれたが、明治四十年(1907)
近隣にあった9社を合祀し、現在の名前となった、とある。
地元では「お諏訪さま」と呼ばれている、そうだ。
ホルモン焼き・お好み焼き
お好きなもの3品食べて1,450円の得々セットや、
90分間食べ放題プランの他、
お好み焼・もんじゃ・焼きそば・ペッパーライスのプランAが
1,480円とある。
上尾駅に着くまで食事は我慢しよう。
11時38分、宮原図書館前を通過
ユニークな建物である。
『立派な図書館だね~っ』
隣の芝生は青く見えるものだ。
漬物の河村屋
江戸文化文政期に地酒「養老の瀧」を取り扱っていて、
酒粕を利用して粕漬を創ったのが「創作漬物 河村屋」の始まり。
昔から一貫して国産野菜にこだわって漬物を作っている、とのこと。
旧中山道を進む。
前方に上尾市の標識が見える。
さいたま市北区から上尾市に変わる市境付近、
左手に小さなお堂が立っていた。
中には不動明王が祀られていた。
庚申塔
馬喰新田バス停のすぐ脇に川越道の道標を兼ねた庚申塔がある。
正面には青面金剛が彫られ、
横には「是より秋葉へ十二町 ひご方へ壱里八町 川越へ三里」と刻まれている。
寛政十二年(1800)に建立されたものだという。
歩道には中山道と書かれた道標があった。
『大宮宿風辺じゃあ道標なんか何にもなかったけど、
上尾に入ったとたんにしっかり道標が現れたねぇ』
大宮宿とは、対照的である。
最初は鎮守の森のようにも見えたが・・・どうやら「畑医院」のようだ。
しかし、2016年冬に院長が亡くなり、現在は閉院している、とのこと。
VALUE PLAZA前を通過し、
続いてヤマダ電機前を通過
12時4分、愛宕神社に到着した。
愛宕神社に参拝
愛宕神社の入口に小さな鳥居があり、
その奥に小さな祠があった。
祠の中に「庚申塔」が鎮座していた。
享保七年(1722)寅年二月吉日建立と刻まれている。
『300年ほど前に建てられたんだぁ』
愛宕神社で一休みして、
旧中山道を上尾宿を目指す。
上尾宿は間もなくである。
上尾市の中心街に入った。
高い建物が増えて来た。
12時23分、氷川鍬神社に到着
寛永九年(1632)創建の氷川鍬神社は、
上尾宿発祥の地であり、総鎮守である。
氷川鍬神社の境内には浅間大神碑や
聖徳太子像碑などがある。
氷川鍬神社拝殿に参拝
鍬祭りとして鍬を祀ったのが由来で、小さな鍬2丁を御神体とし、
五穀を司る農業神を祭神とする、神社である。
氷川鍬神社本殿
「鍬大神宮」「御鍬大明神」と称し、明治四十一年(1908)に
二ツ宮氷川神社(上尾市上尾村)の女体社を合祀して現在の社号となった。
地元では「お鍬さま」の愛称で親しまれている。
氷川鍬神社の前に本陣、脇本陣の説明があった。
中山道上尾宿の始まりや由来、本陣(本陣1軒、脇本陣3軒)
についての説明が書かれている。
本陣は鍬大神宮(現在の氷川鍬神社)の正面にあった(林本陣)。
紀州徳川家の鷹場鳥見役も兼ねていた、とのこと。
氷川鍬神社の正面に脇本陣が2軒、氷川鍬神社に1軒あった、とある。
脇本陣は、白石家・細井家・井上家が努めていた。
現在は、氷川鍬神社の正面は7階建てほどのビルになっており、
その1階には、コンビニが入っている。
この日のゴール上尾駅へ
上尾駅が目の前だ。
12時40分、ゴールの上尾駅に到着
駅の反対側(西口)に食事をする所はないのかな?
『あっ 吉野家がある!』
『速いし、安いし、吉野家にしようかっ!』
ほぼ”全員一致”ということで、吉野家に入ることにした。
先ずは生ビール(380円)で『かんぱ~いっ』
『歩いた後は、美味いよね~っ』
食事風景
自分は牛カルビ丼(580円)を注文した。
少し肉が硬かったがまあまあ美味かった。
生ビールと牛カルビ丼に満足し、吉野家を後にして、
13時19分、上尾駅改札口に到着。
『皆さん 今日は大変お疲れさまでしたぁ』
「旧街道を歩くⅡ」第三回目 中山道(大宮宿~上尾宿)を歩き終えた。
大宮宿近辺は、新しい建物ばかりで旧い商家や民家などは見られなかった。
新しい町づくりで古い建物などは全て撤去してしまったのだろうか?
それにしても普通の宿場ではよく見られる本陣跡や問屋場跡などを示す
標柱なども全く見当たらなかったのには少々がっかりした。
町が新しくなるのはそれはそれで良いことだが、古いものは全て撤去して
しまうというのは、いかがなものだろう、と思う。
街道歩きの醍醐味や楽しみが全く感じられなかったのは残念である。
この日の万歩計は、18,000歩を計測していた。
次回(2018年4月)は、甲州街道(教来石宿~金沢宿)を予定している。
次回はどのような景色を観ることができるのか、どんなハプニングが
起きるのか、今から楽しみである。
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