ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日光街道を歩く 第5回 古河宿から小山宿へ

2013年03月20日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く
2013年3月20日(水)

2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の街道歩きを望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第5回目となるこの日は、古河宿(JR東北線古河駅)から小山宿(JR東北線小山駅)までの約16.5Kmを歩いた。
寒さが厳しい1月と2月は実施を見合わせたため、3カ月ぶりの街道歩きである。

この日出発地の古河駅に集まったのは10名。
2名が風邪のため急遽参加を取りやめることになったのは残念である。


古河駅前でUさんの指導によるストレッチ運動で身体をほぐす。


春分の日ということもあってか、駅前の人通りは少ない。
通行人の邪魔になることはない。


入念に身体をほぐして・・・
『いっちにっ さんっしっ』


9時6分、小山宿目指して、いざ出発!!


「古河桃まつり」の幟が町のいたるところに立てられている。
”日本一の花桃の里”と謳っているが、一度見てみたいものである。


昨年12月は、古河本陣跡まで歩いたので、今回はその続きを歩くことになる。
本町二丁目交差点を右折し、”日光街道古河宿”の幟を目印に進む。
古河宿は、古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つである。
将軍家による日光社参では、古河城は岩槻城・宇都宮城と並び、将軍の宿城とされており、
日光街道における主要な宿場の一つであった。


「左 日光道」の道標に従って進む。


この日の予報は曇りで気温も20℃以下とのこと。
長い距離を歩くには暑くも無く寒くも無くちょうど良い気温だ。
昨日までの強風も収まり、絶好のウォーキング日和になったといえる。


古河宿は天保十四年(1843)の『日光道中宿村大概帳』によれば、本陣・脇本陣が1軒ずつ設けられ、旅籠が31軒あった。
宿内の家数は1105軒、人口は3865人であったそうである。
古河の街には当時の名残を偲ばせる建物が多い。
鰻屋「武蔵屋本店」


ちょっと変わった鬼瓦が目を引く。


こちらは「大和屋薬局」


宿場を少し外れたところの道路の右側に塩滑地蔵菩薩があった。
お堂は車に隠れて見えずらい。危うく見過ごすところだった。


10mほど奥に進むと塩滑地蔵菩薩のお堂がある。


塩滑地蔵菩薩
顔の部分には赤い布が被せられていて表情は見えない。


この地蔵の塩を体の悪い箇所にすり込むと、ご利益があるとのこと。
お堂の前に塩が置かれていた。
果たしてこの塩で御利益があるのかどうか???


国道4号線との合流点近くに野木神社の鳥居が建っている。
参道がかなり長い。数百mはあるようだ。
調査によると、仁徳天皇の時代からの古社で、文化三年(1806)の火災によって社殿が焼失したが、
古河城主の土井利厚によって再建された、とのこと。
明治時代には、乃木希典からの信仰も篤く、度々参拝に訪れたという。
立ち寄っていきたかったが、日光街道を大きく逸れるので諦めた。


国道4号線との合流点
スミレの花が整然と植えられていた。


日光街道(日光道中・例幣使道・会津西街道)といえば杉並木が有名だが、この野木宿周辺は松並木だったとのこと。
『この辺は松並木が続いていたんだぁ』


しかし、今は松並木は全く姿を消している。


野木宿木戸跡
野木宿の江戸側入口の木戸(門)であり、夜間は閉じられていた。


野木宿の説明版に見入る。
野木宿は古河宿より約2.8Km、間々田宿へ約6.9KMにあった、人口527人の小さな宿場であった。
本陣と脇本陣が各1つ、旅籠(中)2軒、同小23軒があった。
また、高札場が1箇所、問屋場が4箇所あった。
『なるほど』


満願寺
野木神社の別当寺で、寺の前には十九夜塔がある。
十九夜信仰は、旧暦十九日の夜に女性が集まり念仏を唱え、安産や子供の無事成長を祈る月待信仰の一つという。
この日古河から栃木にかけていくつかの寺を巡ったが、多くの寺で十九夜塔を見かけた。
(月待信仰:十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する
仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事)
因みに土浦周辺では圧倒的に二十三夜塔が多い。


満願寺本堂
枝垂桜が間もなく満開を迎えようとしていた。
『この時期に桜も見れるなんて幸せっ』


古河駅を出発してちょうど1時間経過したところである。
本堂の前に用意されていた甘茶で一服だ。


野木宿一里塚跡
日本橋から17里目の一里塚ということだが、小さな看板が立つだけである。
塚の上に榎が植えてあったそうだ。


小山まで12Kmの表示。
まだ1/3しか歩いていない。
『頑張ろう!』


野木宿道標
「是より太平に至る」と記されている。
当時、この横道を行くと渡し場があり川を渡って大平山神社への参詣道であった。


観音堂


「日光道中絵図」にも描かれており、正観音が安置されている、そうだが観音様は見えない。


街道には大きな構えの農家が多い。
どっしりとした長屋門を構える農家。


10時46分、野木駅辺りを通過


法音寺
門前の桜の大木が印象的だ。


中門の前には芭蕉句碑が建てられている。
「道ばたの むくげは馬に 喰れけり」は、道端にむくげの樹が立っていて、一輪の花が咲いている。
と、思ったら芭蕉の乗った馬がそのむくげの花を食べてしまった。という句である。
碑は安永九年(1780)に門人の秋元性李叟により建てられたもの。


法音寺本堂
本堂横の桜の古木もなかなか見事である。


本堂へお参り
『今日も無事に最後まで歩けますように』


『ごぉ~ん!』
静寂した境内に鐘の音が響き渡る。
一撞き50円だ。


11時を少し回り、お腹も大分空いてきた。
菓子パンなどを分け合って一刻の間空腹を凌ぐ。


法音寺仁王門を出て国道4号へ。
本来、ここから入るべきであったが、駐車場側にあった中門から入ってしまった。
せめて出るときは正門から出よう。


門の横に昔の輿が展示してあった。
かつては、このような輿で信者(遺体)を運んでいたのだろう。
霊柩車の前身というべきか?


国道4号線を挟んで法音寺のほぼ正面に正(友沼)八幡宮がある。


正八幡宮は、徳川将軍の日光参詣の際、古河城を出発して最初に休憩した場所であった。


正八幡宮の本殿を裏から見たところ。
表からは想像できない重厚な造りである。


『うわぁ、このモクレン綺麗に咲いてるわねぇ』
ここのところの暖かさで春爛漫といった感じである。


若宮八幡宮
道路の反対側で、横断歩道が近くに無かったことから、カメラに収めるだけにした。
境内には大日如来坐像が安置されている、そうである。


乙女八幡宮は、鎌倉時代に創建されたと伝えられる。


乙女八幡宮の石造鳥居
参道2番目の鳥居は、元禄十六年(1703)に、当時別当寺だった光明寺の住職が願主となって建立したもの。
島木を持つ明神鳥居形式で、規模も比較的大きく、現存するものとしては、小山市で五番目に旧い石造鳥居である。
建立当初の位置を保っていると考えられ、目立った損傷もなく、近世前期の貴重な鳥居である。(説明板より)
鳥居は小山市指定文化財


乙女八幡宮拝殿


境内には土俵があった。
毎年10月初旬には奉納子供相撲大会が催されるとのこと。


時計は11時55分を回っている。
お腹も空いたことだし、乙女八幡宮境内で弁当タイムにしよう。


乙女八幡宮の道路向かい側に佛光寺がある。
近くに横断歩道もないことから、ここはパスして次へ進むことに。


12時39分、間々田駅を通過。


車屋美術館


平成19年に国の登録有形文化財に登録された小川家住宅の米蔵を、本格的な美術展示室として改装するとともに、
主屋・庭園なども一般公開し、平成21年4月に開館した。


龍昌寺りゅうしょうじ


慶安四年(1651)、徳川家光の遺骸を日光廟に葬送の途中で安置所が設けられた。
住職が有名な「間々田の蛇祭り」を発案した寺として有名。


不動堂
中には寝起不動尊(ねおこしふどうそん)が祀られている。


間々田宿問屋場跡
今は説明板が建てられているのみ。
説明板によると、間々田宿は日本橋から11番目の宿場で、江戸と日光のちょうど中間に位置していた。
本陣1、脇本陣1、旅籠50軒があった。
宿役人が人馬継立業務の一切を取り扱い、問屋・年寄・帳付・馬差・人足差などを行う詰所が問屋場であった。


間々田宿本陣跡
問屋場跡と同様、今は説明板が建てられているのみである。
江戸時代初めから、青木家が代々この地で本陣を維持した。
明治になって、明治天皇が一時休憩して過ごした。


間々田八幡宮の鳥居
通りがかった地元の人に聞いて間々田八幡宮の鳥居と分かった。


本殿までどのくらいの距離かを訪ねると、
『ウォーキングする人なら大した距離じゃないんじゃないっ?』と言われちゃあ、進まざるを得ない。
ところが、この参道?がまた長いのだ。
途中で本当に参道なのか、不安になったほどである。


6-7分歩いただろうか、やっと次の鳥居が見えてきた。


さらに参道を進む。
『この参道本当に長いわねぇ』


一番最初の鳥居から約10分、やっと本堂にたどり着いた。
間々田八幡宮の創建は古く、今から1,200有余年前の天平年間に勧請されたものと伝えられている。
この先の無事安全をお祈りした。


境内には樹齢250年の夫婦杉が。


境内には、さまざまな神様が合祀されている。
雷電神社・愛宕神社・淡島神社などの農業神・水神・厄除神・火神・婦人守護神が祀られている。


秋の例大祭で奉納子供大相撲大会が催される。
かつては大相撲の地方巡業で賑わった、そうである。
先ほどの乙女八幡宮と言い、この間々田八幡宮と言い、子供相撲が盛んなようだ。
映画「シコふんじゃった」(1992年)の夏合宿の撮影がここで行われたそうだ。


重さ二十八貫(110Kg)の力石
大正二年に神社から持ち去られた石を、3人の力自慢が友沼宿から一度も地上に下ろさずに
持ち帰ったと伝えられている。


一休みしていこう。
少し疲れが出てきた様子である。


再び国道4号線に戻る。


千駄塚に入ると浅間神社があった。


千駄塚古墳は墳頂に浅間神社を祀っているので、別名浅間山古墳とも呼ばれている。
墳丘の直径は約70m、高さ約10mの円墳である。


緩やかな坂道を古墳丘を目指して上っていくと・・・


墳頂の平坦部に浅間神社が祀られていた。


浅間神社を後にして国道4号線をさらに進むと、安房神社があった。
安房神社の参道も長い。


参道の先に鬱蒼とした古木に囲まれた本殿が見える。
どこか神々しい雰囲気が漂う。


安房神社の本殿
藤原秀郷が、平将門の乱の際に戦勝を祈って参拝し、将門を討ちとった後に多くの資材を寄進した、と伝えられている。


ここには太々神楽・古文書・絵馬など多数の指定文化財が保存されている、とのこと。
これはまた立派な神楽殿である。


この日訪れた神社はいずれも立派な造りで、境内が広いのに驚かされた。
さすがに徳川将軍の街道「日光街道」ということだからだろうか。
『いやぁ凄く広い境内だねぇ』


国道4号を進むと、コンビニの道路脇に大きな椋(ムク)の木が立っていた。
小山市の指定保存樹木になっている。
樹齢は、はっきりとは分からないが300年ほどではないだろうか?


15時4分、国道50号との立体交差を通過。
小山駅まであと2Kmほどだ。


天満宮
天満宮、稲荷神社、雷電神社の三社が合祀されている。
古くからの村社で、江戸時代には氏子は47戸あったと云われている。


小山宿に入った辺り。
”日光ゆば”などの看板が目立つようになってきた。
”早くゴールしたい”という気持ちの表れだろうか、早足になってきた。


須賀神社
地図を確認すると、参道は700mほどあるようだ。
『疲れているのにさらに脇道に逸れるのは勘弁してっ』ということで、須賀神社は写真に収めるだけにした。
調べによると、天慶三年(840)、藤原秀郷が戦勝成就に感謝して、京都の祇園社(八坂神社)から分霊し勧請した。
夏に行われる祇園祭は盛大で、江戸時代の『下野国誌』に「当国第一の祇園会なり」と記されているほどである。
と記されている。


小山市街地は電柱を取り除いてあるので、すっきりとしている。
最近はこのように電柱を取り除き電源・通信ケーブルを地中に埋設しているところが多い。


明治天皇小山行在所跡


小山駅が見えてきた。


15時30分、無事に小山駅に到着。


水戸線友部行きは15時36分だ。次の電車は16時25分で乗り遅れると50分も待たなければならない。
整理体操する時間もなく、駅構内を走り、まさに発車寸前で間に合った。
Mさん差し入れの缶チューハイ・缶ビールでこの日の完歩を祝して『かんぱ~い!』
『こんなに美味しいと思ったの本当に久しぶりだわぁ~』


『いやぁ今日はちょっと疲れたねぇ』
『だけど、歩き終わった後のいっぱいは美味しいわねぇ』


岩瀬を過ぎる頃には、皆さんほろ酔い気分で、話も大いに盛り上がった。
『Mさんっ 次も期待してるよっ』


『皆と一緒に歩くのって楽しいよねっ 次ぎが待ち遠しいねぇ』


3ヶ月ぶりの「日光街道」ということもあり、この日は結構疲れた、というのが実感である。
小山宿に入ってからは、見所を遠望するだけに留めた所もあったが、まあ仕方がない。
この日の小山宿で「日光街道」(千住宿から日光東照宮までの約140Km)のほぼ半分(73.4Km)を歩いた。
「日光街道」歩きもこれからいよいよ佳境を迎えることになる。
最後まで皆さんと一緒に楽しく元気に歩き、ゴールの日光東照宮を目指したい。


ウマさんの「日光街道を歩く」 ”の目次へ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「矢切の渡し」で柴又帝釈天へ | トップ | コースを間違うハプニング ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「旧日光街道」を歩く」カテゴリの最新記事