ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日本100名城巡り No.58 明石城

2014年05月05日 | ウマさんの「日本100名城巡り」
2014年5月5日(月)

前夜は明石城から最も近い三木市の道の駅「みき」に車泊したので、
この日は朝から明石城へ登城(訪問)した。

明石城の築城者は小笠原忠真(おがさわら ただざね)である。
松本城主だった小笠原忠真が元和三年(1617)に明石の地に入った。
翌年、西国大名に対する監視と備えとして、2代将軍徳川秀忠より築城の命が下る。

元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった付近の城の用材を用いて、
元和五年(1619)から1年間で明石海峡を望む丘陵端に築城された。
自然地形を巧みに利用した三重三段構えの堀と塀に囲まれた曲輪には、忠真の義父であり、
築城の指導に当った姫路城主の本多忠政の手腕が発揮されている、とのこと。

明石城は、別名を喜春城(きはるじょう、きしゅんじょう)、錦江城(きんこうじょう)とも呼ばれる。


先ず駐車場を探して城の回りを一周したが、我キャンピングカーの高さを受け入れてくれる駐車場が見当たらない。
どれもみな入口に2mほどの屋根があるものばかりである。これでは我愛車は入れない。
見落としていないか、と2週目に入ろうとした時、目に入ったのが、Max-Valuとダイキ共用の駐車場だった。
この駐車場は、ゲートの高さはフリーで問題ない。料金は何か買い物をすれば一定時間(3時間)は無料になる。
時間を超過した分だけ払えば良い、というシステムである。

早速、そこに車を止めて明石城へ向かった。時刻は9時15分である。
しかし、事前に城の地図など入手する時間・手段が全くなかったため、感を頼りに城へ向かった。
明石駅方面へ向かう途中、いこいの広場の入口があったので、ここから入ることにした。


入口を入ると直ぐに右手に陸上競技場が見えた。
城の一角と思しき場所にこんな大きな競技場があるとは驚きだ。


さらに進むと剛の池があった。


かなり大きな池である。
これも城内の一部なのだろうか?


”まぁ何とかなるだろう”という感を頼りに緩やかな坂道を進む。
自分としては明石駅方面の明石城を目指しているつもりであったが・・・


「喜春橋」とある。
明石城の別名を喜春城ということは事前に調べていたので、この名前があると云うことは
やはりこの方角で良さそうだ。


正面に近代的な建物が見えて来た。


県立図書館だ。


右側には明石市立図書館である。
この時は、城の中に図書館があるのだ、と思った程度であった。


ただ、図書館前の案内には、真直ぐ進めば明石城だが、明石駅は反対方向となっている。頭が少々混乱してきた。
明石城と明石駅が逆方向とは???
ここまで来たら、明石城と示された道を進むしかない。


しばらく進むと自転車競技場が現れた。
図書館はまだしも自転車競技場があるとは・・・
この辺りになってやっと方向違いであることを薄々感じてきた。


この堀が薬研堀と分かったのは後のこと。
この時、薬研堀が城のどの辺りに位置するのかはまだ全く分かっていなかった。


東ノ丸入口の石垣を見てようやく城に辿り着いたことが分かった。


東ノ丸虎口
かみさんはこのようなところにはあまり興味はないらしく、そのまま先へ行ってしまった。


かみさんとは後で会えば良い。
少し東ノ丸を見ておきたい。
東ノ丸は、公園として整備されている。


東ノ丸隅


東ノ丸隅からの眺望(明石海峡大橋方面)


デジカメの望遠を一杯にして何とか明石海峡大橋の鉄塔が見えた。


東ノ丸と箱堀(左側)の間の通路
(後で聞くと、かみさんはここを下りて行ったらしい)


かみさんと携帯で連絡を取り合うも、お互いに何処に居るのか分からないため、
かみさんの後を追いかけることにした。
東ノ丸を出て、東ノ丸入口に出ると、市立文化博物館があった。


市立文化博物館から明石市市内の眺望
JR明石駅方面


市立文化博物館横から明石市市内の眺望
明石海峡大橋方面


再び東ノ丸へ戻り、二ノ丸方面を望む。


ニノ丸へ向かう。


ニノ丸も公園として整備されている。


東ノ丸・ニノ丸の石垣
石垣の外は森のように木々が生い茂っていて、木以外は何も見えない。


ニノ丸から本丸へ向かう。
二ノ丸と本丸の間に三ノ丸へ通じる通路があるが、ここを下るのは本丸の後にしよう。


巽櫓(たつみやぐら)が見える。
本丸の南東の方角にあるので巽櫓(たつみやぐら)と呼ばれる。
船上城の遺材が使用されたと伝えられている、とのこと。


巽櫓
三重櫓で美しい形をしている。あいにく中には入れなかった。


巽櫓と坤櫓(ひつじさるやぐら)の中間に展望台があった。
展望台からJR明石駅方面を見たところ。


展望台から西芝生広場を見たところ。
地元の高校生によるブラスバンド(鼓笛隊)が演奏し、拍手喝采を浴びていた。


巽櫓から坤櫓へ向かう途中、明石生まれの俳人横山蜃楼句碑が建てられていた。
鵙の声 屈するところ なかりけり


横山蜃楼句碑の隣に柿本人麻呂を祀ったとされる人丸塚(ひとまるづか)があった。
案内板には以下のように説明されている。
・弘仁三年(812)僧空海がここに楊柳寺(ようりゅうじ)を建てた。
・仁和の頃(880年の頃)住職覚証が柿本人麻公の夢のお告げで人麻公を祀った。
・明石築城後は城の守り神として祀られてきた。


坤櫓(ひつじさるやぐら
本丸の南西の方角にあることから、坤櫓(ひつじさるやぐら)と呼ばれる。
この他にも明石城には四囲を守護した北西に乾櫓(いぬいやぐら)、北西に艮櫓(うしとらやぐら)の
三重櫓が建てられていたが、 現在は、坤櫓・巽櫓2基のみが現存している。
初重に千鳥破風、二重目に唐破風が置かれた白漆喰塗籠の端正な三重櫓である。


坤櫓の前に明石城絵図が展示されていた。
この頃になってようやくかみさんと連絡が取れ、場所が特定出来たことから、坤櫓内で待つことにした。
雨も降って来たので中へ入って待つことにしよう。


かつての明石城のジオラマ模型


坤櫓の内部
坤櫓は伏見城から移築(伏見城の遺材を使用)されたと云われる。
また、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えられている、とのこと。


坤櫓の内部


坤櫓の内部
櫓内のあちこちに古い材料が展示されていた。


昭和五十五年10月から巽櫓・坤櫓の改修工事が行われた。
その際に撮り替えられた古い時代の屋根瓦が展示されている。
唐破風鬼瓦


軒巴瓦(のきともえがわら


坤櫓から巽櫓を見たところ


坤櫓から見た稲荷曲輪の石垣


本丸跡は、芝生が植えられ、公園となっている。
ところどころに石垣などに使ったと思われる石が残されている。


本丸南西部に築かれた天守台へ上がってみる。天守台は広い。
熊本城天守台に匹敵するほどの巨大なもの、とのこと。
しかし、天守は建てられなかった。


天守台から稲荷曲輪方面を望む。
第1野球場のバックスクリーンが見える。


天守台から稲荷曲輪方面を望む。
陸上競技場の一部が見える。


稲荷曲輪へ通じる坂道


稲荷曲輪には雑木が生い茂っていた。


稲荷曲輪から見た天守台の高石垣
美しい曲線を描いている。


稲荷曲輪から本丸へ引き返す。
本丸入口虎口の石垣


再び本丸に戻り、二ノ丸へ進む途中、艮櫓(うしとらやぐら)跡を示す案内があった。


かつてここに三重の艮櫓があった。
本丸の鬼門にあたる櫓として重要であったが、明治初期に学校建築用として解体された、そうである。


二ノ丸から西芝生広場へ向かう。


西芝生広場への石段
二ノ丸の石垣が美しい。


途中で振り返ってみた。


二ノ丸と東ノ丸の境にある高石垣
曲線が素晴らしく美しい。


二ノ丸と東ノ丸の境にある高石垣


明石公園西芝生広場の日時計


明石公園西芝生広場で囲碁の対局が行われていた。
明石を囲碁の”まち”にしよう会」が主催する囲碁大会、らしい。
明石市は囲碁が盛んなようだ。


指導囲碁会場
プロ?の指導を受ける人とそれを観戦する老若男女で大賑わいである。


数人の若手プロ?による対局指導が行われていた。
小雨の中、傘を差して順番に相手を務めている。


西芝生広場から見た明石城本丸の2基の三重櫓の雄姿。
本丸南面を固めていた、均整のとれた巽櫓(右)と坤櫓(左)が並び建つ。眺めがいちばん明石城らしい姿である。
両櫓ともに平成7年に阪神淡路大震災で被災したが、修理工事は終わり、それに合わせて両櫓を結ぶ土塀も復元整備された。
あいにくの小雨ですっきりと見えないのが残念だ。


いったん城の外に出て、あらためて太鼓門(大手門)から登城することにした。
正面入口(太鼓橋)前の中堀


正面太鼓門(大手門にあたる)の入口。
太鼓橋を渡る。


太鼓門虎口


西芝生広場の一角に御茶室があったので、休憩を兼ねて立寄っていくことにした。


明石城巽櫓と御茶室


御茶室


御茶室から「武蔵の庭園」の「乙女池」が望める。


一服の抹茶と和菓子が出された(400円)


笹に包まれた和菓子は麩饅頭だった。
もっちりとしている。


城内を歩き回った後だったせいもあって、お茶はもちろん、麩饅頭も、
『結構なお味でしたっ』


そろそろお腹も空いて来たので、茶室の人に教えて貰うと、「魚の棚」を紹介された。
明石駅を通り抜けると、直ぐに「魚の棚」(アルファベットではUONTANAと表示されている)へ到着。
茶室を出てから10分とかからなかった。


全長約250mのアーケード付きの大きなマーケット(市場)である。
大勢の人で賑わっていた。


売られているのは、やはり”たこ”が圧倒的に多い。


たこ・タコ・蛸である。


かみさんが、明石名物の「明石焼き」を食べたいというので、明石焼き店へ。
明石焼き店は何軒もあったが、どの店も長い行列ができていた。
1軒の小さな店に並んで待つこと15分、ようやく中へ案内された、
並んで待つ間に「明石焼きセット」の注文を済ませていたので、出て来るのは早かった。
たこの炊き込みご飯と板の上に載せられた15個の明石焼きが出て来た。これで1人前である。
焼き立ての熱い明石焼きを特性のスープに付けて食べる。これが実に美味かった。
これで850円は安い!


お腹もいっぱいになり、そろそろ駐車場へ戻ろう。
Max Baluに到着した時には13時を5分ほど過ぎていた。4時間近く経ったことになる。
買い物をすれば3時間以内であれば無料だが、3時間を経過すると30分毎に200円の有料となる。
超過料金として400円を払ったが、それでも通常の有料駐車場に比べれば安いことは間違いない。


明石城の地理に不案内というか、不勉強だったせいで、城内でお互いに迷子になってしまったが、何とか城内を巡れて一安堵。
最初に明石駅を目指してそこからスタートしておけば良かった、と反省している。
この後、二条城のある京都へ向かう前に、これまでの疲れをとるため、かみさん念願の有馬温泉「金の湯」で
汗を流していくことにした。
明日は、二条城に登城することにする。


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