ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

ツツジ間もなく満開 とげぬき地蔵から六義園へ

2019年04月19日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年4月19日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
2019年度第3回(2019年第15回)、「とげぬき地蔵から六義園」ウォーキングに参加した。

荒川沖駅7時59分発の電車を待っているところ。


日暮里駅で山の手線に乗り換え、9時21分、出発地の巣鴨駅に到着した。
この日の参加者は21名である。


巣鴨駅前の白山通り(国道17号・旧中山道)の向こう側が巣鴨地蔵通り商店街への入口に通じる。


白山通り(国道17号・旧中山道)を横断し、


アーケードのある商店街を進む。
まだ殆どの店は開店直後か開店前の状態である。
いつも先頭を務めているTKさんは、白内障手術のため今日と来週はお休みだ。
そのため、YMさんとKS子さんの2人に先頭を務めてもらっている。


アーケード商店街を進んで行くと、


左手に江戸六地蔵尊として有名な旧中山道の醫王山真性寺があった。


9時28分、真性寺に到着
元和元年(1615)に中興された真言宗豊山派の寺院で、本尊は薬師如来。


六地蔵
江戸に出入りする街道の入口に建てられた六体の地蔵の一つで、正徳四年(1714)に建立された
銅製の坐像。
江戸六地蔵の由来説明板によると、
江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ、
無事平癒したことから、京都の六地蔵に倣って宝永三年(1706)造立の願を発し、人々の浄財を集め、
江戸市中六ヶ所に地蔵菩薩をそれぞれ一躯ずつ造立したと伝えられている。


江戸の六地蔵は、ここ第三番真性寺(中山道)の他に、
第一番品川寺(東海道)、第二番太宗寺(甲州街道)、第四番東禅寺(奥州街道)、
第五番霊巌寺(水戸街道)、第六番永代寺(千葉街道)がある。
ただし、第六番永代寺は明治維新の廃仏廃釈で廃寺となり、地蔵尊も川口の鋳物工場に
払い下げされた、そうである。
代仏として、JR鶯谷駅近くの浄名院に第六番地蔵が建立されている、とのこと。


真性寺を後にして巣鴨地蔵通り商店街へ。


巣鴨地蔵通りは「おばあちゃんの原宿」と言われる。


巣鴨地蔵通りを進む当会の女性陣。
『お店がびっしり並んでるわねっ』


塩大福で人気の「元祖塩大福 みずの」


まだ少し時間が早いせいか、人通りは少ない。


元祖「地蔵尊煎餅 むさしや」を過ぎると、


9時39分、高岩寺(こうがんじ)の山門に到着した。
巣鴨の「とげぬき地蔵」の名で親しまれる曹洞宗萬頂山高岩寺である。
慶長元年(1596)に湯島に開かれ、その後、下谷屏風坂に移り、
巣鴨には明治二十四年(1891)に移転して来た、とのこと。


手を洗い清め、


線香の煙を治癒したい身体の部分にこすりつけ、


「とげぬき地蔵尊」にお参りだ。


「とげぬき地蔵尊」として親しまれるご本尊は、霊験あらたかな延命地蔵尊だが、
秘仏のため拝観はできない。


その代わりに本堂前に石造の聖観音「洗い観音」があり、心に刺さったトゲ、心に宿る咎(とが)を
抜き去ってくれるということで、その利益を求めて高齢者を中心に参拝者が絶えない。
自身の治癒したい部分に相応する観音像の部分を洗う、または濡れタオルで拭くと利益があるという。
土日には参拝者が列をなしている状況だが、平日の午前中のためか並んでいる人はそれほど見えない。


洗い観音の右隣りには水子観音らしき像が。
こちらの観音像にお参りする人はあまりいなかった。


「とげぬき地蔵尊」を後にして、巣鴨地蔵通り商店街を進む。
『しっかりお参りして来ちゃったわっ』
『御利益があると良いわねっ』


巣鴨地蔵通り商店街を庚申塚を目指す。


巣鴨名物赤パンツの「マルジ」
そもそもの始まりは、へその下にある丹田というツボを赤のパワーで刺激するために
作られたものだとか・・・


9時50分、あじフライとえびフライが人気の「ときわ食堂」前を通過
土日や昼時は外に行列ができるほど混んでいるが、まだ開店前のようだ。


巣鴨地蔵通り商店街のアーチを通過


9時58分、巣鴨の庚申塚に到着
60日に一度巡ってくる庚申の夜、天帝に罪を告げに行く三尸(さんし)という虫を阻止するために、
一晩寝ずに過ごし、寿命が縮まるのを防ぐという中国伝来の信仰である。


江戸時代に日本各地に広がり、中山道では板橋宿に入る手前のここの庚申塔が有名、とのこと。
道の神、旅の神としてご利益のある猿田彦大神を祀っている。


猿田彦大神を祀っていることから、犬ならぬ赤いちゃんちゃんこを着た猿の狛犬が。
台座には三猿も彫られている。


庚申塚にお参り
室町時代の中頃から庚申待ちが行われるようになり、さらに僧侶や修験者の指導によって、
講集団が組織され、江戸時代になると各地に庚申講がつくられ、その供養のため庚申塔が
造立されるようになった。


ちょうど都電荒川線の電車が通過するところだった。
都電荒川線には一度も乗ったことがないので、一度乗ってみたいと思っている。


都電荒川線庚申塚駅を通過
(写真は王子方面)


都電荒川線を横断したあたりから地蔵通り商店街は庚申塚商栄会に変り、
幾分華やかさがなくなった感じ。


庚申塚商栄会通りを進んで行くと、


右手の民家の屋根越しにすがも鴨台(おうだい)観音堂が見えた。


10時10分、大正大学キャンパスの建物の横に建つすがも鴨台観音堂に到着。


平成25年5月に完成したすがも鴨台観音堂は、八角・三匝の階堂で、堂内の回廊は
往路と復路が交わることのない二重螺旋構造になっている。
その構造を巻き貝のサザエ(栄螺)に例えて「鴨台さざえ堂」とも呼ばれている。


鴨台観音堂の前には何故か蛸の人形が。
『蛸とどんな関係があるのかなぁ?』


鴨台観音堂の中に入ってみよう。(中は撮影禁止となっているので写真はここまで)
一階に不動明王の従者である制吒迦童子を祀り、頂上階に御本尊である聖観自在菩薩
(鴨台観音)を安置している。
上り階段の壁面には、17文字の梵字(般若心経の真言)が書かれており、
この階段を上ることで般若心経を読誦したのと同じ功徳が得られる、とのこと。


10時24分、鴨台観音堂を後にして、直ぐ先の明治通りを右折して進む。


大正大学正門前を通過すると、


明治通り(都道305号)と白山通り(国道17号)が交わる交差点があった。


白山通り(国道17号)を横断し、


右に曲がって白山通りに沿って進む。


白山通りを少し進んだところを左に曲がり、小さな路地へ。


住宅地を進む。


『随分狭い径だなぁ』 『ところで径は合ってるのかなぁ』
少々不安ではあるが、兎に角行ってみよう!


10時36分、四谷怪談で知られるお岩様の墓があるという長徳山妙行寺(みょうぎょうじ)に到着した。
『道を間違わなくて良かった~っ』 


妙行寺の境内に入ると、右手に魚河岸で犠牲になった生類の”魚河岸供養塔”、


都内全うなぎ商の菩提心により建てられた”うなぎ供養塔”、


遺骨を預かる納骨堂などが並んでいる。


妙行寺本堂と高祖日蓮大聖人像


本堂裏のお岩様の墓へ向かう。


本堂裏のお岩様の墓へ。
『凄いお墓の数だよね~っ』


突き当たりに小さな鳥居があった。


鳥居を潜ると次のような由緒が書かれていた。
お岩様が、夫伊右衛門との折り合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが
寛永十三年二月二十二日であり爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、
菩提寺妙行寺四代目遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。
この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に移転した。
お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。


浅野家の墓所
忠臣蔵で有名な浅野家の墓や浅野内匠頭夫人・瑶泉院の供養塔がある。
その直ぐ裏に、


お岩様の墓があった。
『けっこう立派な墓なんだね~っ』


お岩様の墓にお参りした後、本堂前へ戻る途中に八重桜が咲いているのが見えた。
隣の善養寺の八重桜である。


薄い桃色の八重桜と


緑っぽい八重桜が満開状態だった。
『どっちも見事な八重桜だよねぇ』


妙行寺本堂前で一休み。


『一息入れようっ!』


妙行寺を後にして次の目的地本妙寺へ。
10時53分、都電荒川線の線路を横断し、


小さな道を進む。


都議会議員選挙の候補者とその運動員とすれ違った。
『この辺の候補者はみな歩いて運動してるんだねぇ』
スピーカーも持ってないので、静かな選挙運動である。
地元の土浦市議会議員選挙とはかなりの違いがある。


小さな路地を進み、


10時59分、朝日小学校向かいの豊島区立朝日公園前を通過。


この辺りから本妙寺への道が分からなくなった。
『近くまで来てるはずなんだけどなぁ』


探し回ること7-8分余の11時11分、徳栄山本妙寺に無事到着することが出来た。
『意外と近くにあったんだねっ』
『住宅に囲まれてるから分からないよねっ』


本妙寺には、明暦大火供養塔を始め、江戸後期の北町奉行遠山金四郎景元や剣聖千葉周作の墓の他、
囲碁家元本因坊歴代の墓、江戸後期の将棋棋聖天野宗歩の墓などの史跡がある。


本堂にお参りを済ませ、


本堂裏手の墓地へ。


江戸後期の剣豪千葉周作成政の墓


江戸後期の北町奉行”遠山の金さん”で知られる遠山金四郎景元の墓


『立派な墓だねぇ』
『何て刻まれてるのかしらっ?』


本妙寺の高麗門を後にして染井霊園へ。


染井霊園が見えて来た。
明治七年(1874)開園の都立霊園では最も小さい霊園、とのことだが、なかなかどうしてかなり広い。


染井霊園の西そめいよしの通りを進む。


ソメイヨシノの古木が並んでいた。
『桜が満開の時期に来たかったわね~っ』


西そめいよしの通りを右に折れて霊園の中を進む。


染井霊園の中を進む。
江戸末期、この辺りは染井村と呼ばれ、この地の植木職人が品種改良したのが桜のソメイヨシノである。


皆さん何やら見入っているのは・・・


染井霊園に眠る著名人の墓一覧だった。
岡倉天心、高村光太郎・千惠子などの名前が見える。


二葉亭四迷や水原秋桜子の名前も。
『けっこう有名人の墓があるんだねぇ』


染井霊園を後にしてJR駒込駅方面へ。


通りから少し入った所の「染井よしのさくらの里公園」に行ってみた。
公園は既に桜は終わって緑一色に変わっていた。
『こうやって見ると普通の公園だねっ』


「染井よしのさくらの里公園」を後にして六義園を目指す。


11時58分、染井橋を渡る。


『桜色にすれば良かったのにねっ』


前方に六義園の染井門が見えた。
桜と紅葉の時期はここから入園出来るとのことだったが・・・


”正門へお回り下さい”との案内表示が。
”染井門は特別なイベントのみに開ける臨時の出入り口で、通常は閉めます”とある。


白山通りを六義園の正門へ。


12時7分、この日の最終目的地である六義園に到着した。
六義園は、川越藩主柳沢吉保が元禄十五年(1702)に築園した回遊式築山泉水庭園で、
小石川庭園とともに江戸二大庭園と称された。


入園料は通常300円のところ、65歳以上は半額の150円となるが、20名以上の団体は
さらに割引があり、120円となる。
サービスセンターで21名分の入園料を払って、園内へ。


自由時間を設けて見学することにしようと思ったが、見学後は駒込駅まで行って、
そこで解散することにしているので、それならばここで先に解散した方が良いのではと言うことになり、
自由時間は設けずにこの後は自由に見学してもらうことにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでした~っ』
『心ゆくまで六義園の景色を楽しんで下さいね~っ』


六義園つつじMAPでおおよそのコースを確認。
時計回りで園内を見学することにした。


入口に真っ赤な布の台が。
和風味満点である。


一部のツツジ(八重霧島)は間もなく見頃を迎える感じだ。


内庭大門を潜ると、


正面に枝垂れ桜の大木が。
桜の花びらは既に散っていて見ることは出来なかったが、緑一色の大木は見事である。


さらに門を潜ると、


芝生に低木の松の和風庭園が広がっていた。


左側に心泉亭が。
心泉亭は、有料の貸室になっている。
いくつかの部屋があり、大きさ(人数)によって料金は異なる。


『素敵な庭園だわね~っ』


正面に見えるのは、妹山(いものやま)・背山(せのやま)と呼ばれる中の島にある築山である。
古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼び、中の島は男女の間柄を表現している、とのこと。


大泉水の真ん中には蓬莱島がある。
神仙思想を主題とした石組みの一種で、典型的な洞窟石組(アーチ形)の島、と紹介されている。


対岸には吹上茶屋が見える。


先行していた皆さんがベンチに腰を下ろして一休みしていた。
『お先にっ!』


滝見茶屋の中を通り、


飛び石を渡ると、


正面に水分石が。
石の間から水が流れ落ちている。


時雨岡辺りから見た大泉水


吹上峯辺りのツツジは、まだ半分程度の咲き具合だった。


吹上茶屋前を通り、


藤代峠方面へ。


白鷗橋から見た大泉水


園内で一番高い築山である藤代峠のツツジ。
間もなく満開を迎えると思われる。


藤代峠へ上ってみることに。


藤代峠の頂きの富士見山(35m)からの眺望は素晴らしい。
藤代峠は、紀州(和歌山)にある同名の峠から名付けられた、とのこと。


パノラマ写真


藤代峠を下り、下から藤代峠を見上げると・・・


当会の皆さんの姿が・・・


富士見山からの眺望を楽しんでいる様子。


満開のツツジ(1)


満開のツツジ(2)


2枚の大岩からなる渡月橋を渡る。


渡月橋から見た大泉水


渡月橋から見た藤代峠方面


皆さんと合流して出口へ向かう。


休憩所兼売店
お腹が空いて来たのでここでうどんでも食べて行こうかと思ったが、駒込駅まで我慢することにした。


出口へ向かう。


12時52分、出口に到着した。
結局、殆どの皆さんがほぼ同時に到着したことになり、あらためてここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


駒込駅を目指す途中、駒込駅前に台湾餃子の店(駒込餃子軒)があったので入ることにした。


先ずは生ビールで『かんぱ~いっ』 『お疲れさま~っ』


台湾ラーメンと餃子のセットを注文。
これがけっこう美味しかった。


昼食後、駒込駅から山の手線で上野駅へ。
上野駅で品川発の常磐線に乗り換え、帰路に就いた。
電車は空いていた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

巣鴨のとげぬき地蔵から六義園へのウォーキングを無事終了した。
桜の時期にはちょっと遅く、ツツジには少し早かったが、六地蔵を始めとげぬき地蔵、地蔵通り商店街、
庚申塚、お岩様の墓、遠山金四郎景元の墓、染井霊園、最後は六義園と見所は多かった。

次週は”館林・つつじと歴史のみち”と称して、貸切りバスで館林を訪れる予定になっている。
館林つつじヶ丘公園での満開のツツジを期待したいものである。

この日の万歩計は、13,000歩を少し超えていた。

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