ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

特選街道を歩くⅠ 第八回 (中山道)藪原宿~贄川宿(2日目)

2015年10月26日 | ウマさんの「旧街道(特選)」を歩く
2015年10月26日(月)

昨年(2014年)は、旧東海道の日本橋から三島宿までを歩いた。
今年は、旧街道の中でも見所が多く、人気のある区間を選んで歩くことにした。
旧街道全てを歩くのは、時間的にも資金的にも大変なため、ある街道の中から
気に入った宿間を独断で選んで歩くものである。
今回は、日帰りを主としているが、コースによっては宿泊も有りとしている。
なお、旧東海道の三島宿から京都三条までは、別の機会を見つけて歩くことにしたい。

「旧街道(特選)」第八回は、中山道の藪原宿~奈良井宿~贄川宿(約20Km)を2日間かけて歩いた。

二日目
朝食が7時からなので、朝の散歩に出かけた。
歳をとると、目が覚めるのが早くなる、というのは本当である。
6時30分、辺りはまだ薄暗い。宿場町には人の姿は全く見えない。


奈良井宿の朝は寒かった。
資料とデジカメを持つ手がしばれる。
手袋を持って来なかったのを悔やんだ。
(宿でこの秋一番の冷え込みだったことを聞いた)


先ず、昨日行けなかった長泉寺へ。


玉龍山長泉寺の山門
曹洞宗の寺院である。


山門を入って直ぐ左に鐘楼が建っている。
力強く感じるのは、造りのせいだろうか?


三代将軍家光により宇治採茶使が制度化され、「お茶壺道中」が始まった。
毎年の茶壺は、必ず奈良井宿長泉寺に宿泊していた、と当時の記録がある、そうだ。
長泉寺には拝領の茶壺が残されている、とのこと。


女性陣も早朝散歩だ。
『う~っ 寒いっ』


続いて大宝寺へ。


大宝寺
天正十年(1582)、奈良井領主の奈良井義高が自らの菩提寺として開いたのが始まりとされる。


本堂と観音堂、嵯峨流の庭園の他、昭和七年に発見されたキリシタン禁制時代のマリア地蔵がある。
残念ながらマリア地蔵は見つけることが出来なかった。


7時になったので、宿に戻って朝食だ。


朝食は、9人全員揃って『いただきま~す』


出立しようとした時、「民宿かとう」のお婆さんが別れを告げに出てきた。
とても名残り惜しそうだった。


お爺さんも出てきたので、揃って記念撮影をしよう。
『また来てなぁ』
『いつまでも元気でねっ』


7時56分、贄川駅目指して、いざ出発!


先ずは、木曽の大橋へ行ってみることに。


公園の芝生には霜が降っているのがはっきりと分かる。


木曽の大橋
樹齢300年以上の木曽檜造りで、橋脚のない橋としては有数の大きさを誇る。


橋の中央付近は霜で真っ白だ。


橋の上から鳥居峠方面を望む。
朝日に映えて美しい。
『昨日はあの辺の峠を越えて来たんだねっ』


正面に聳える銀杏は、この方角から推察するに、法然寺か?


再び中央線のトンネルを潜って中山道へ戻る。


杉並木と二百地蔵へ


二百地蔵
聖観音・千手観音・如意輪観音などの観音様の石仏が合わせ祀られている、とのことだが、
顔・形などははっきりしない。
しかし、200体近い観音様の石仏が一か所に集まると圧巻である。
明治期の国道開削・鉄道敷設の折に奈良井宿周辺から集められた、そうだ。


お堂の中にもいろんなお地蔵様・観音様が祀られていた。


中山道杉並木
この道は江戸時代に定められた中山道で、江戸時代初期の杉並木が残っている。


胸高直径50Cm以上、17本の老杉の巨木が、往時の街道の風情を偲ばせる。


八幡神社は、奈良井宿下町の氏神で、祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)


奈良井宿の丑寅の方角にあたり、鬼門除けの守護神として崇拝された。


奈良井駅


奈良井駅舎内は、無人である。


8時40分、奈良井宿を後にして、中山道を贄川宿を目指す。
後方に見えるのは奈良井駅のホーム。


奈良井駅に、中津川行ワンマン電車が入って来た。
乗り降りする乗客はあまりいない。


中津川行が発車して直ぐ、松本行特急電車が通過した。


中央線に沿って直線の中山道を進む。


奈良井川の清流が太陽に反射して眩しい。


奈良井大橋の手前にある奈良井川橋歩道橋を渡り、


奈良井川に沿って進む。
車が通らないので安心だし、川の流れを観ながら爽快な気分である。


奈良井川に架かる鉄橋をちょうど電車が渡るところだ。
この時間帯は電車の本数も多い。


9時3分、木曽平沢宿入口付近を通過。
漆器の町に相応しい看板である。


ここから木曽平沢宿が始まる。


漆器店がずらりと並ぶ。
『漆器店だらけだねっ』


『漆器がたくさんだね~っ』


いろんな漆器製品が並べられていた。
これは、その一部だけと思われる。


『いやぁ こんなにたくさんの漆器店があるところとは知らなかったなぁ』
皆さん、異口同音に感嘆の言葉が続く。


『歴史を感じさせる店だよねっ』
木曽平沢宿が重要伝統的建造物群保存地区に指定されているのも納得できる。


家並みの終わる辺り、右手斜め上の石段を上る。


諏訪神社があった。


境内には諏訪神社の象徴である四つの御柱が立てられていた。
下諏訪神社秋宮・春宮のよりは、低くて小さいが、立派な御柱である。


お参りを済ませ、諏訪神社を後にする。


9時28分、塩尻市楢川支所前辺りを通過。


平沢宿を過ぎた辺りの景色
これから一段と紅葉が進むのだろう。


道の駅「木曽ならかわ」が見えてきた。


9時38分、道の駅に併設されている、「木曽くらしの工芸館」中庭に到着。


「木曽くらしの工芸館」内部
いろんな漆器製品がきれいに並べられている。


信州産のワインや酒も販売している。
土産に買って帰りたかったが重くなるので諦めた。


道の駅「木曽ならかわ」
産直の「ならかわ市場」でもある。


土産物などの他に、


野菜や果物(りんご・ぶどう)が売られていた。


奈良井宿を発って2時間、ちょっぴりお腹も空いてきた。
皆で「しなのスイート」をガブリ!


『いやぁ ジューシーでパリッとして美味いっ』
土産に2個(1個は「秋映」で、どちらも1個380円)買った。
リュックが少しばかり重くなった。


国道19号を進む。
車の量が多い。


中央線も国道のすぐ横を走っている。


中山道は、長瀬で国道といったん分かれる。
贄川駅まで約3Kmほどだ。


10時21分、長瀬バス停辺りを通過


柿が鈴なりだ。
『いやぁ これは凄いわっ』
これだけたくさんの実が生っている柿は初めて見た。


『美味しそうっ』と思ったら、『渋柿だった』そうだ。


中央線を潜ると・・・


4本の御柱が寝かせて?あった。
”奉 麻衣廼神社(あさぎぬのじんじゃ)”と書かれている。
先ほどお参りした、木曽平沢の諏訪神社へ奉納される御柱ではないようだ。
(麻衣廼神社は、これから歩く贄川宿の神社である)


奈良井川を渡ると桃岡集落である。


押込の一里塚跡
桃岡地区は、江戸時代に押込村に属していたため「押込一里塚」と呼ばれた。
鉄道と国道19号線の敷設で昔の面影を留めてなく、片側の塚は現在畑になっている。


素戔嗚尊(すさのおのみこと)の扁額の鳥居は初めて見た。


街道の脇にひっそりと佇む馬頭観世音碑
花と栗が供えられていた。


国道19号に合流した。
中山道は、少しばかり網状の鉄板の上を歩くようになっている。


この先食事処がないかもしれないので、ここで蕎麦でも、と思ったが、
『まだ少し早すぎるんじゃない?』の声が・・・
時計は11時10分前、確かに早すぎる。
りんごも食べたことだし、ここは我慢だ。


次に現れた看板は、その名もずばり「食堂S.S」


しかし、「食堂S.S」は、開いているのかいないのか、はっきりしなかったため”パス”
『贄川の駅近くに何か食べる店くらいあるんじゃないっ?』
その言葉に期待したい。


国道19号を進む。


前方道路右側に贄川宿と書かれた案内標識が見えてきた。


贄川宿の入口手前に”贄川のトチ”の案内板があり、栃の大木が見えた。
推定樹齢千年とある。これは見ておいた方が良さそうだ。


近づいて見ると、その大きさは半端ない。
樹高33m、根元周囲17.6mと案内表示されていた。


今まで見てきた中で最大級の巨木である。
『いやぁ これはでかいわっ』
長野県の天然記念物に指定されている。


人と比べるとその大きさが分かる。
『何だかパワーをもらえそうだねっ』


国道19号を渡り、


跨線橋で中央線を跨ぐ。


贄川方面
『ここは単線なんだぁ』
鳥居峠のトンネル出口で見たのは複線だったが・・・


深澤家
行商を家業とした深澤家の屋号は加納屋。
その家は典型的な贄川の商家の姿を留めている。


主屋は街道に面し、背面に中庭、その奥に土蔵2棟が建っている。
国の重要文化財に指定されている。(非公開)


麻衣廼神社(あさぎぬのじんじゃ)の碑
実際の神社は、後方の山の中腹辺りにあるようだ。
(桃岡地区で見た4本の御柱はこの麻衣廼神社に納められる御柱だったのだ)


麻衣廼神社は、ここからは見えない。
手前に観音寺が見えるだけである。


中央線贄川駅方面


贄川関所は明治二年、福島関所とともに廃止され、建物も取り壊された。
現在の建物は、昭和51年、寛永四年の「覚」および明治九年発行「贄川村誌」の「古関図」を元に
忠実に復元されたもの。


内部には上番所・下番所・大名用座敷・中間部屋などがある。
贄川関所は福島関所の支所的な位置付けであった。
あいにく月曜日は休館日だった。(入館料300円)


贄川関所で説明板を見ている最中に、11時26分発の塩尻行電車が行ってしまった。
『あら~っ 行っちゃったぁ』
次の電車は13時35分までない。
2時間以上時間を潰すことになる。


とりあえず贄川駅へ向かう。
国道沿いの贄川宿の看板を通過。


11時43分、この日のゴール贄川駅に到着した。
奈良井宿から約3時間45分が経過していた。


駅前に蕎麦屋「関所亭」があったが、”準備中”で店はまだ開いていなかった。
主人と思しき人が自宅?に戻るところだったので、何とか”そば”を食べさせてもらえないか交渉。
出来れば次の電車に間に合わせて欲しい旨を説明。
最初は『ちょっと無理かも』と言っていたが、『何とかやってみます』と言い残して車で帰って行った。


ここは主人を信用して待つことにしよう。


12時を10分ほど過ぎて主人が戻ってきた。
これから準備すると言う。
蕎麦を打ってきたようだ。


出来るだけ手間がかからず、しかも早く出来るであろう、”もりそば”(600円x3)と
”たぬきそば”(650円x6)を注文。
おつりのいらないようにぴったりの料金を集めて待つことしばし。
”とんとんとんとん”と蕎麦を切ったり、湯を沸かしたりと、主人は一人でせわしなく動き回っている。
店の中で待つこと約30分、


最初に出てきたのはやはり”もりそば”だった。


『お先にいただきま~す』


10分ほど経って”たぬきそば”も出てきた。
これで、全員注文の品が出てきて、『いただきま~す』
電車の時刻まで充分な時間がある。主人に感謝である。
『ごちそうさまでした~っ』
『腰があって、とても美味しかったわっ』


贄川駅ホームで電車を待つ。
反対側のホーム入って来たのは中津川行である。


13時34分、塩尻行電車がやって来た。
時刻表どおりだ。


塩尻には、13時49分に到着。
塩尻13時56分発の特急「あさま20号」に乗り換える。


あさま20号車内
向い合わせに座ってひと時の旅気分を味わう。


車内販売がやって来た。
男性陣は迷うことなく缶ビールを注文。


『かんぱ~いっ』
『お疲れさんでしたぁ』


”中山道(藪原宿から贄川宿)歩き”の2日目も無事終わった。
2日目は、奈良井宿から贄川宿までの平坦な道で楽だった。

早朝の奈良井宿で、静けさのある宿場町の雰囲気を味わうことが出来たように思う。
しかし、この秋一番の冷え込みだったため、厳しい寒さの一端も同時に味わった。

1日目の夜、土浦からわざわざ合流してくれたI子さんの熱意には頭が下がる。
心からお礼を申し上げたい。

木曽平沢宿の漆器店の多さには正直言ってびっくりした。
かみさんとあらためて訪れてみたいと思った。
そのときは、気に入った箸やお椀を見つけることが出来るだろう。

2日間とも快晴で絶好のウォーキング日和に恵まれたことを感謝したい。

この日の万歩計は、19,000歩を越えていた。

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