ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

「関東ふれあいの道」(神奈川)No.9 「弘法大師と桜のみち」(再)

2013年12月21日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2013年12月21日(土)


コースNo.9「弘法大師と桜のみち:約9.4Km」は、今年9月22日に一度歩いている。
この時、都合が悪くて参加できなかったうちの2名が、神奈川県の踏破認定賞取得のため
年内に是非歩いておきたいとの要望を聞き、この日運良く都合が合ったため、
道案内役と証明写真撮影役を買って出たと云う次第である。

8時32分、小田急線秦野駅に到着
バス停前の弁当屋でお昼の弁当を買い、8時45分に出発。


秦野市内風景
本来、コースのスタート地点南平橋までバスで行き、そこから権現山を目指すべきであるが、
12月8日に「弘法大師と丹沢へのみち」を歩いた際に、二人とも一度歩いている区間なので、
この日は秦野駅から直接権現山を目指すことにした。
その方が早いし、バス代(230円)も節約できる。


今回一緒に歩くのは、MさんとK子さんだ。


河原町交差点を渡ると右前方に権現山が見えてきた。


弘法山(権現山)公園への登山口
秦野駅から弘法山公園を目指す人は普通この道を選ぶようだ。
わざわざ南平橋までバスで行き、そこから「関東ふれあいの道」で権現山を目指す人は見かけなかった。


権現山展望台まで0.9Kmの表示
ここから先ず浅間山(0.5Km)を目指す。


緩やかなつづら折りの坂道が続く。


木々の間から富士山が見えた。
これまで「関東ふれあいの道」で何度も富士山にを見る機会はあった筈だが、全くと言っていいほど
その雄姿にはお目にかかったことはない。
しかし、今日は期待が持てそうだ。


つづら折りの山道を浅間山公園へ向かう。


何とこの時期に紅葉が見れるとは。
最近のブログで、何度か”これが今年最後の紅葉”と書いて来たが、
本当にこれが今年最後になるだろう。


9時22分、浅間山公園に到着。


浅間山公園の一角から見えた富士山
前日の雨で空気が澄んいるためか、くっきりと見える。
しかも真っ白な雪が全山を覆っている。これ以上の富士山はない。
地元の写真家らしき人がしきりにシャッターを押していた。


土浦市に住む我々にとって、これほど素晴らしい富士山はなかなかお目にかかれない。
『いやぁ 今日は最高のプレゼントだねぇ』
『秦野に住む人は幸せだねっ』


9時36分、南平橋からの合流点、浅間山駐車場に到着。
ここから権現山展望台を目指す。


『この坂はきついのよねっ』
この日のコース最大の上りである。


10時ちょうど、権現山展望台に到着。
秦野駅からバスに乗って南平橋から歩いた場合に比べ、20分以上は早い計算になる。


ここからの富士山も『素晴らしい 最高!』の一言に尽きる。
秦野市街地も一望できる。


権現山展望台から見た富士山と大山


展望台前で一休み
『今日来れて本当に良かったなぁ』
『ほんと 最高よねっ』


次の目的地弘法山へ向かう。
地元の中学生と思しき野球部員が坂道を駆け足で上ってきた。
『ガンバレッ』


弘法山まであと少しだ。


弘法山は弘法大師が山頂で修行したことから名付けられたとの伝承がある。
鐘楼の鐘は、時刻を知らせる「時の鐘」として、江戸時代から昭和三十一年(1956)まで
秦野周辺地域の人々に親しまれてきた、そうである。
この鐘は宝暦七年(1767)に麓の龍法寺六世が最初に鋳造し、その後、火災などに遭って再鋳され、
現在の鐘は享和元年(1801)のもの、とのこと。


こちらは小田急線東海大学前方面か?


撮影ポイントの太子堂
しっかりと二人の証明写真を撮り、今日の一つ目の責任は果たせた。


この時点で時計は10時20分を回ったばかり。
前回ここで昼飯にしたが、今日はいくらなんでも早すぎる。お腹もまだ空いていない。
吾妻山で弁当に、ということで弘法山を下り始める。


国道246号手前のみかん畑から見た富士山。
今日のコースはどこから見ても最高の富士山ではないだろうか。


秦野国際乗馬クラブ前を通過し、


国道246号に出た。
『けっこう車が多いゎねぇ』


後ろを振り返ると正面に富士山が見える。
弘法山から吾妻山へは別にハイキングコースがあるが、「関東ふれあいの道」では
やや遠回りではあるが、あえて国道246号を歩くよう指定している。
その理由としては、ここからの富士山を見てもらうためなのかと思ったりもする。
ドライバーにとっても最高の場所だと思う。


善波トンネル


トンネルを少し入ったところから後ろを振り返って見た景色。


4分ほどでトンネルの出口が近付いてきた。
車が多いのであまり長居はしたくない。
足早にトンネルを通り抜ける。


トンネルを出た辺り。
正面は厚木方面だ。


国道246号から矢倉沢街道に入る。


矢倉沢街道は奈良時代に開かれ、箱根越えの東海道が出来るまで官道の役割をしていた。
江戸時代には裏街道として賑わい、伊豆・沼津から足柄・秦野・伊勢原・荏田を経て、
日常生活に必要な炭、わさび、干し魚、茶、それに秦野のたばこなどが馬の背で江戸へ運ばれていた、とのこと。


まだみかんが生ったままになっている。
『このまま収穫しないで良いのかな? もったいない』 気になるところである。


夜泣石
旅人が、この石のあたりで、誰助けるともなく倒れていた。
それ以来、夜中にここを通ると、この石のあたりから、助けを求めるような声が聞こえたと云われている、そうだ。


吾妻山への分岐点を通過


ここから少しばかり急な坂道が続く。
落ち葉を踏みしめながら吾妻山を目指す。


11時41分、吾妻山に到着。
数組が弁当の最中だった。


石の碑が「吾妻神社」として祀られている。


早速我々も弁当にしよう。
二人仲良く並んで駅前で買った弁当に舌鼓を打つ。
『天気も良くて、風がないので寒くないのが良いねっ』


秦野駅前で買った”助六寿司”だが、適当にお腹が空いていて美味しかった。
298円、”今日のお買得”とある。


弁当も終わり、後はゴールの坪ノ内バス停を目指すだけである。


吾妻山からは下りだけなので、楽だ。
今日は少しばかり近道をしてあまり歩いていないためか、足取りが軽い。


坪ノ内バス停と鶴巻温泉駅の分岐点に差し掛かり、時計とにらめっこ。
バスの時刻を確認するとこのまま坪ノ内バス停(0.8Km)へ向かうのは、間が悪い。
鶴巻温泉駅行きバスは1時間に1本しかない。
下手をすると次のバスまで1時間近く待たなければならない。
ここは直接歩いて鶴巻温泉駅(0.5Km)に向かう方がベター、と判断。
勝手にコースを変えるのは心苦しいが、鶴巻温泉駅へ向かった。


東名高速道下を通り抜け、


道標に従って鶴巻温泉駅を目指す。


住宅地を歩くこと数分、


12時30分、鶴巻温泉駅に到着した。


確かに『ちょっと早すぎたかな』ではあるが、
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


二人にとって懸案となっていた、「弘法大師と桜のみち」、年内に歩くことが出来て一安心と言ったところだ。
自身は2度目だが、念願だった富士山の素晴らしい雄姿を見ることができて、同行して本当に良かったと思っている。
当初、この日のブログはアップするつもりはなかったが、素晴らしい富士山に出遭えたことで、一転。
この景色を皆さんと共有したい、という気持ちに駆られ、アップしたという次第である。
これほど素晴らしい景色の富士山にはそうそうお目にかかれないと思っているが、いかがであろうか。


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コメント
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