さっぽろ文庫37巻札幌事件簿という本が図書館から着いた。東京芝増上寺境内にあった開拓使仮学校が北海道札幌に移転し、まもなく女学校が廃校となった。新撰北海道史第三巻には女生徒からセクハラの告発書が届き、松本十郎判官が学校を廃校にするしかないと判断したようだ。
この事件には伏線があって、東京浜離宮で開拓使関係の宴席があって、増上寺境内にあった開拓使女学校の生徒(年齢的には17歳から12歳くらい)ホステスのような行為をさせたようだ。このことはこの女学校に子女を預けていた人にとって不満があったようだ。当時の慣習として女性が宴席に出るのは芸者のような職業しかなかった。特に奥様という言葉が示すように女性が表に出ることは身分の高かった旧幕臣には抵抗があったと思われる。
北海道の開拓使女学校での宴席で年若い女学生を宴席に参加させ、浜離宮での前例があるとはいえ、セクハラ告発されれば廃校止む無しするしかなかったと判断したようだ。
この記録は福神漬の資料調査には関係ないとおもっているが、森有礼の妻となった広瀬常・福姉妹に関係し、明治屋の創業時期に関係し、福神漬創製時期の記録につながるだろう。