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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

元南町奉行与力が明治で

2017年11月05日 | 福神漬

 

国立公文書館のデジタル資料を見ていると明治6年の袖珍官員録改で工部省鉄道寮の七等のところに以前見かけた長井昌言を探していたら、小野友五郎(広胖)があった。また南町奉行与力だった佐久間長敬らしき名前があった。

 小野は浦賀の人脈で出てくる名前でまさか明治期鉄道開業時期に元神奈川奉行だった長井と同僚だった時期があったとは驚いた。鶯亭金升のあと少しで父の長井昌言が鉄道寮の奉任官になれるときに死去したと書いてあった。今では資料が見つからないくらいの人になり、鉄道関係でノ記録が見当たらない。

 佐久間長敬は幕府崩壊時期、南町奉行の与力として西軍との引継ぎに関与した。佐久間も一時神奈川奉行に赴任したという。長井昌言は南町奉行を20年ほど務めた筒井政憲が仲人となり千代田区二番長町の長井家に婿養子となった。昌言は浦賀でペリ-から米国国書を受け取った戸田伊豆守氏栄の三男だった。長井家は文化年間火付盗賊改の職にあった。同時期南町奉行は筒井だった。今のところ佐久間の鉄道寮で何をしていたか記録は見当たらないが神奈川で何をしていたのだろうか。考えられるのは高島嘉右衛門との関係だろう。

 高島の姉が大垣戸田藩に行儀見習いのとき、主君の子を生んだ。後の戸田欽堂である。高島嘉右衛門が今の日本の法制度だと外国為替関係の法律違反で佃島に投獄された。この時獄中の高島を支援したのは姉の関係者たちだった。

 明治の築地居留地でキリスト教普及所が出来た。そこに参加した戸田欽堂・原胤昭という人がいた。原は佐久間長敬と兄弟であった。

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