資料確認のため広尾の図書館で県史等を見る。静岡県史資料16近現代58ペ-ジ
元寄り合いのうち朝臣となりし者 名前書き上げ 慶応4年8月4日とある。本当に戸川残花は戸川家を残すため、兄弟で幕府と朝廷方に別れ帰属していたようだ。元幕臣がまだ勝敗の見込みがつかない時判断することは難しい。勝てば官軍、負ければ賊徒。裏切り者の汚名をきることとなる。
築地市場の隣に、高級料亭・新喜楽がある。ここが幕末戸川家の敷地であった。維新後一時大隈重信が住んでいて、築地梁山泊といわれた。日本史で親族を二つに分け、家名の継続を図る例が見かけるが、鳥羽伏見の戦い以後このような例があったことはあまり知られていない。