北海道夕張炭鉱を発見したアメリカ人ベンジャミン・スミス・ライマンはどうも石井研堂の明治事物起源の米国人だったようだ。都立公文書館へ行き文献の確認をするが明治3年とか工部大学などの事実と異なる記述があり、偽文献かと事実確認をしていると本当の事実も混じっていて見極めが難しい。都立公文書館の人たちの尽力で偽文献から真実のことは少しずつわかり始めた。
ベンジャミン・スミス・ライマンが石井研堂の缶詰の始まりに出てくる米国人らしい。後は四谷区津の守に住んでいたかどうかの問題でもう一度新宿区歴史博物館へ行って確認するしかない。ベンジャミン・スミス・ライマンは表向き芝の増上寺内のところに住所を届け出していたようだ。この芝増上寺には開拓使の学校があって女子生徒を教育したようだ。第一期開拓使女学校卒業生に広瀬常がいた。後の森有礼の妻となる人で福神漬に出てくるのは妹の広瀬福である。
広瀬常は森と離婚後、経歴から写真まで記録から抹消された。今残る広瀬常の写真は事実確認されていない。森有礼の権力による個人の記録の抹消である。