年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

高橋太華のこと

2010年10月31日 | 福神漬
明治20年代の人気少年雑誌「少年園」編集主任・
高橋太華(1863-1947)は、文久3年8月12日、(福島県)二本松藩の剣術指南である根来正緩の二男として生まれる。明治14年に上京し、岡鹿門の塾に入り、翌年には塾頭となる。
 本来は根来姓であるが多くの彼に関する経歴でも徴兵忌避の問題があって高橋太華で通している。それは戊辰戦争時の混乱を二本松藩士の子として観ていて明治の軍隊に対して納得がいかないものがあったと思われる。高橋太華は根岸党の一員であって、幸田露伴との交友があり、酒の友として福神漬を食べていたと思われる。
 石井研堂は高橋太華の後を追って福島県から上京したが石井は商人の子であったため、戊辰戦争・福島事件・自由民権運動とは少し距離を置いた目で見ていたような気がする。
 それにしても戊辰戦争は福島県人の心の内部に複雑な影響を残している。
コメント
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