年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の台湾製糖業

2007年01月28日 | 福神漬
日清戦争の後、台湾が日本領土となった。また日清戦争までは砂糖の貿易は中国人経由ほうが多かったが日清戦役後は日本人の貿易商の時代となった。戦後の好景気は明治の産業革命となった。
 明治政府の考え方も変わってきた。砂糖は輸入額の第二位で年3000万円の巨額になっているばかりでなく全部国内で消費されるので国家経済上問題となっていた。ところが日清戦争後砂糖の生産地と知られていた台湾が日本領土となり、この地の原料糖の生産を発達させれば輸入糖を精製していた日本の精糖業は自給自足の望みが出、更に中国に輸出する可能性が出てきた。
 明治政府の井上馨と三井物産は台湾に精糖会社を作ることになり、鈴木藤三郎が社長となった。
 井上馨の当時の考え方。
およそ人間の生活が向上するに従って消費は増えるものであるが中でも飲食物の中で砂糖のごときは一ヵ年の消費額が3000万円にものぼりその内2000万円も外国から輸入されたものである。輸入が輸出を超えており決済にあてる日本銀行の兌換紙幣が危険となる。従って正金=金貨を海外に流失を防ぐには内地の精糖業を振興し、輸入を減少させることである。
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