年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治中頃の福神漬原料の産地

2007年01月09日 | 福神漬
新編武蔵風土記 文政11年(1828)
武江産物誌 文政7年(1824)によると

大根は練馬 言うまでも無い

茄子は駒込付近。駒込付近は土物の野菜の産地で江戸に幕府が移転してきて一番早く市場が出来た所でまた近所の滝野川三軒家は種子販売の集積地でもあった。

レンコンは不忍池(しのばすのいけ)が産地で『江戸砂子・』享保7年によると江都第一の蓮池なりと記述されている。

しそは千住。千住にあった市場から入った。

しょうがは谷中 今でも谷中しょうがの名前は知られている。現在の台東区谷中でなく荒川区の谷中本村と新堀村・日暮里駅周辺が産地であった。

ナタ豆は葛西。しかしどこでも栽培されていたらしい。

しいたけの産地は不明 干ししいたけは軽いので精進料理が盛んであった池之端近辺では手にいれ易かったかもしれない。


竹の子は目黒川水運を利用して、目黒が産地であった孟宗竹の竹の子を運んだと思われる。『江戸の野菜』野村圭佑著より
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