年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬は香煎茶屋から

2007年01月14日 | 福神漬
たべもの語源辞典 清水圭一編より
上野・酒悦の創業者は伊勢山田より江戸に出て『山田屋』を名乗りうに・このわたなど、酒の肴になる珍味類も扱うようになりました。東海方面から乾物も仕入れ業とし、初めは本郷本町に店を構えたが、後上野池之端に移った。その店は香煎屋といわれた。江戸末期の大名・旗本屋敷などでは縁起を担いで茶を用いない風習があった。町屋の人もこれにかぶれて婚礼などの祝儀には茶は仏事のものとして嫌がった。今日でも結婚式に桜湯を飲んでいるのはその名残である。
 香煎屋は神仏両用のものを売るが一般に茶の代用品としては山椒や紫蘇(しそ)の実などの塩漬に白湯をさして飲んでいた。山田屋はやがて東叡山寛永寺の本坊である輪王寺の御門跡の白川宮から、「酒が悦ぶほどうまいもの」の意として「酒悦」の屋号を賜り、江戸名店の一つとなりました。
 江戸時代末期には上野広小路には香煎茶屋が3軒あって競争していて、狂歌に次のように詠まれていた。(上野繁盛史・台東区中央図書館所蔵)

    越王を飲みに上野の茶屋へ寄り

中国の歴史書『十八史略』より越王句践(こうせん)をかけている。
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