年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

了翁禅師 7

2007年01月23日 | 福神漬
天和(てんな)の大火は、1682年(天和2年12月28日)に発生した江戸の大火。八百屋お七火事とも称される。勧学講院がまだ工事中にかかわらず類焼し「錦袋円」の薬を販売していた勧学屋も移転の予定していた経蔵に入れる経巻1万4千巻も火災に遭ってしまった。
この大火は父母や親戚を失った孤児や行き先を失った浮浪者が街にあふれ,了翁はこれを無視することできず,私財を投じてこれを救済した。
了翁禅師は被災者を救済するに当たって食事を与えたりしていた。勧学講院でも学ぶ貧しい人にも食事を与えている。このとき野菜クズで作った漬物をだしていた。(秋田県湯沢の伝説=福神漬元祖)
勧学講院の焼失と再建
 元禄16年(1703)11月、江戸大火があり勧学講院は類焼した。天和2年勧学講院が建立されてから21年を経たのであるが諸宗の学徒が競い学び、天台学徒の修行の道場の中心となり東叡山寛永寺においてもその重要性を感じていた。ここにおいてニ品親王公弁門主に請願し、将軍綱吉に願出て、再建は幕府建立とする将軍の命令があった。一方再建のため宇治より江戸に来た了翁は法親王に御礼の言上をなし、親王は了翁を丁寧にねぎらい、その後、幕府による勧学講院となった。このことが了翁を忘れさせた原因の一つでもある。
了翁禅師は今ではあまり知られていない人だがその原因としてやはり江戸時代の士農工商の中でいかに仏道成就の為とはいえ僧侶が薬の商売をしていることの批判があったのだろう。
参考 日本文庫史研究 下巻 小野則秋著ほか
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