年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

了翁禅師 3

2007年01月19日 | 福神漬
日本文庫史研究 下巻 小野則秋著より
了翁禅師は幼いとき母を亡くし、次々と預けられた人が亡くなり不吉児といわれ、親戚が相談して12歳の時、寺に(雑用をする)小僧として預けられた。しかし、彼自身仏門に入る意思がなく度々逃げ帰った。不吉な子といわれたがある人は寺の仕事を丁寧にするので見所のある少年だと思って住持に小僧として扱うのでなく弟子として扱うように頼んだ。最初は出家を拒んだが了翁は次第に(不吉児)といわれた頑な心が仏弟子になることでようやく落ち着き,経巻を精読し僧侶の道に向かった。幼いときの処遇が後の彼の行動となって現れて来るのである。彼が経巻収集・経蔵復興の発願したのは14歳の時、奥州平泉の中尊寺の荒廃を見てからのことである。了翁自身の不幸な生い立ちと諸行無常の仏教的人生観が彼の心を経巻収集・経蔵復興の発願に向かわせた。
 (日本の公共図書館の始まりと言われる=不忍経蔵=上野不忍池にあった)
色々な寺で修行の後、あるとき荒行の途中、故郷の貧しい父を思い出し、なにも世話が出来ないのでせめて貧しさゆえ売ってしまった田畑を買い戻そうとして江戸に出て托鉢しながら、雑労働をして黄金3両を貯め故郷の父に書状と共に送った。了翁が23歳の頃である。僧侶でありながら労働して金を稼ぐ。後に彼の始めた薬『錦袋円』の販売事業はここからはじまる。
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