年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬にきゅうりが入らない理由①

2007年01月07日 | 福神漬
きゅうり
きゅうりは江戸時代の初期はへたの部分が苦かったため、下品の野菜とされ初物競争の野菜にならず、従って作付け制限が無く本格的に普及したのは江戸時代の後期からです。
江戸では「胡瓜の切り口が、徳川家の三つ葉葵(みつばあおい)のご紋に似ている」というので旗本直参連中は食べるのを断り、同じく切り口が三日天下で終わった明智光秀の家紋「桔梗」にも似ているので縁起が悪いと敬遠されました。江戸時代は、輪切りにすると徳川家の家紋である葵の御紋に似ているところから、それを食べるのは不敬であるとして、キュウリを輪切りにされることは慎まれていた
京都でも、きゅうりを食べない風習があったのだそうです。八坂神社、吉田神社、須賀神社近辺の人たちの間ではかたく守られていたとか。それは、神社の神紋がきゅうりの断面に似ていて、きゅうりを食べると神罰があたるといわれていました。
 福神漬の初期の日本農林規格(JAS)には原材料としてきゅうりは入っておりません。上野寛永寺で栄えた門前町としては徳川家の家紋に似た切ったきゅうりを入れることは明治に入っても避けたのでしょうか?それとも単に原材料として手に入れ難かったのでしょうか?
コメントで指摘されましたので調べて
平成17年の日本農林規格(JAS)規格改定からキュウリは原材料として入るようになりました。初期の規格から変更になったのは何時頃の頃でしょうか。
コメント (1)
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