年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

糖業改良意見書[明治34年] 新渡戸稲造

2007年01月29日 | 宅老のグチ
台湾糖業意見書というのが明治35年に出されますが、つまり台湾は砂糖をつくることによって農業をいかしてゆくべきだとうのが新渡戸の意見書であって、それにしたがって台湾総督府は台湾の砂糖きび栽培をどんどんすすめてゆきました。

1 品種の改良 在来種より生産性の高い品種に変更する。
2 ショ糖の栽培方法の改良
3 灌漑を行なう
4 水利の不便な田畑を砂糖栽培に転換する。
5 精製糖での技術改良を計る。
6 日本に入る輸入外国糖に関税を引き上げにより、戻し税。
7 交通路の整備及び輸送費の補助政策。
8 砂糖販売網の拡充。
9 ショ糖の公定価格の安定。
10 糖業教育の充実。
11 産業組合の整備。(今の農業協同組合のような組織)
12 出版物による糖業の啓蒙。
13 甘蔗保険の充実。
14 副産物の奨励(アルコールの製造)
新渡戸稲造によって台湾農業振興政策が列挙されている。台湾糖業は明治政府の保護育成が必要だと説いた。
 昭和3,4年ごろの記録によると、台湾の生産額は世界の砂糖生産におい第2位になりました。第1位はハワイでしたが、2位というところまで台湾の糖業がのびたのです。その結果、昭和はじめには日本は砂糖では自給自足となりました。

新渡戸稲造全集第4巻より
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