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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

サクラの満開の年度末

2025年03月31日 | 宅老のグチ
気温が低く、今年のサクラの開花期間が長そうだ。昨日は港区有栖川公園で桜の下でピクニック的な家族集団を眺めていた。日曜なのに上野の様子と比較すると麻布十番の花見は何処に集まっているのだろうか。
 都立中央図書館で二葉保育園と出口せいの資料を探す。日本キリスト教事典と長老派宣教師歴史事典に出口の名前があるがネットで得られる情報と差がない。唯一の収穫は出口せいは名前の変遷で本多清子から出口清子となり、夫の死去で出口せいと名乗り、晩年は出口タカと名乗っていた様だ。そこから文献で出口タカと言うのが書いた人の引用時期が晩年と思われる。出口の死去時期が明治の終わり頃で、最後の活躍の場が鮫が橋付近での貧民の救済の仕事だったようだ。ところがほぼ同一の場所で二葉幼稚園(保育園)が発足しているので、この辺りは新宿歴史館で聞いてみるしかない。
 石井研堂の明治事物起源で記述されている日本の缶詰の始まりには誤情報が多すぎて、何年の間も事実確認をしていた。その一例でお雇い米国人が四谷津の守に住いしとあってそこに行徳の人が缶詰製造法を習ったという。
 この四谷津の守と言うのが新宿区新宿歴史館と言って、郷土史料の展示館で聞くことになった。しかし学芸員の話では新宿御苑には缶詰のような加工施設は無かったようだ。缶詰は結局北海道開拓使の魚類の缶詰から始まるが失敗した。明治の政争となり、国会開設のきっかけとなった官有施設の激安払い下げである。そこから日本の缶詰産業が発展していった。
 蟹工船の小説のような世界で今でもカニ缶詰を開けると酸化防止の紙が缶に入っているのが工夫の一つである。日本の魚類缶詰は円高相場の変動で輸出産業の地位が消えた。唯一記憶に残るのがアフリカでのゲイシャブランドの魚缶詰である。アメリカの低所得者の太めの理由は大型の缶詰に激安量産食品が大量陳列されている。日本でもウオルマ-ト傘下の時の西友の店舗はハワイで見た店と品揃えの方針が似ていた。タダ失敗となったのは、日本の消費者が毎日鮮度を気にしていて、さらにガソリンが高く、車が小さい事から失敗した。日本の漬物の品揃えが酷く、失敗すると最初のアメリカ型の店舗を静岡で見ていた。ウオウルマ-トの言い分で世界の店で売ってあげると言われたが日本の輸出には細かな規則があって、量の輸出に馴染まない。結局食品の表示で苦労する。
 アメリカのコカコ―ラのSサイズは日本のLサイズと思った。日本人は身体が小さい。昔グアム島で巡回バスに乗った時、座席がヒトの形でへっこんでいた。多くの人が太めだった。
 日本に来る外国人が太めが多いと感じるが、昔中国の文化革命時期の動画を見ていると太目はいない。しかし今は自動車の激安化で歩かない生活になったので中国の中年の太目が目立つ。過食と運動不足。北京ビキニの象徴である太目男性。
 今の東京で桜見物の観光客でデブ体型は目立たない。ただ目立つのは強大なカバン。それも二個以上。都営浅草線浅草駅は改札口から地上に出るエレべ-タが見当たらない。みんなどうしてカバンを地上に持っていくのだろう。
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